「立石君が、詰んでると言ってます」
というフレーズを聴いてピンとくる方は私と同世代以上の、それもかなりのディープな将棋ファンであろう。
私も久しぶりに思い出したのが、今期の加古川清流戦のこと。
立石径アマが貫島永州三段に勝利したというニュースを見たからだが、まさか今になって、立石さんの名前が将棋関連で出てくるとはとビックリしたものだった。
立石径。
かつて奨励会に在籍し三段まで上がったが、17歳という若さで突然退会し、関西の棋界に衝撃をあたえた人物。
立石三段といえば当時、久保利明、矢倉規広と並ぶ「関西三羽烏」と言われていた俊英で、谷川浩司や村山聖の次代をになう存在として、プロ入り前から注目されていたのだ。
中でも、立石はその先頭を走っており、久保や矢倉も、
「立石君の背中を常に追いかけていた」
口をそろえ、プロ入りどころか、A級にタイトルもねらえる英才だっはずなのだ。
それが、突然の退会劇。
今でいえば奨励会時代の伊藤匠叡王か、先日の竜王戦で、四段昇段が期待された山下数毅三段が、なにも言わず急に消えたようなものである。
立石さんのその後は、『将棋世界』による元奨励会員を追いかける特集(今泉健司五段や、藤内忍指導棋士六段も登場していた)で、少しばかり知られるようになる。
もともと勉強が好きで、人の役に立つ仕事がしたいと願っていた立石三段は、自分は「勝負師」に向かない性格だという想いもあり、悩んだ末に医学の道を志す。
高校は中退していたので、1から勉学をやり直し、3年かかったものの神戸大学の医学部に合格。
その後は小児科医として働き、将棋とは無縁の生活を送っていたのだ。
かつての決断に「後悔はない」と言い切り、お子さんも生まれ、充実した生活を送られているようだった。
次に、立石径と言う名を思い出すのは、さらに経って、鍋倉夫先生が描く将棋マンガ『リボーンの棋士』を読んだとき。
ここに、立石さんをモデルにした人物が出てくる。
作中では、ちょっと屈折した人物のように描かれているが、『将棋世界』のインタビューを読んだかぎりでは立石さん本人に、マンガのようなヤダ味は感じられない。
あれは、あくまでフィクションの登場人物と受け取るべきだろうが、1992年の出来事が、令和に連載されていた作品に登場する。
そんな立石さんによると、2人のお子さんが将棋に興味を持ったのがきっかけで、将棋への想いがよみがえったという。
おそらくは藤井聡太七冠の活躍と、その余波であるブームの存在があるのだろうが、そう考えると「ヒーロー」というものの存在のすごさを感じるところ。
彼はただ勝つだけでなく、そのことによって間接的にひとりの「将棋指し」を復活させたのだ。
人が生きる理由が、もし地位でも金でも名誉でもなく、
「この世界に、願わくば良い影響をあたえること」
だとすれば、やはり彼の存在は様々なところに波及し、なにかを生み出し続けている。
一度は将棋界をはなれた「天才少年」が、2人の子宝に恵まれ、その子供たちが「藤井聡太たち」の戦いを見て目を輝かせる。
それを見た父親が、もう一度かつての自分を思い出して駒箱を開き、ついには公式戦で勝利する。
おお、まさにこれこそ、リアル『リボーンの棋士』ではないですか。
(立石径三段を「伝説」にした、タイトルホルダーを超えた詰みはこちら)