前回(→こちら)の続き。
2017年の第28期女流王位戦。
里見香奈女流王位と、伊藤沙恵女流三段の5番勝負、第4局は最終盤に突入。
伊藤の手番で、後手玉を一気に襲ってしまうか、それとも一回受けておくか。
悩みどころで、里見は▲67銀と受けられる手を気にしていたそうだが、伊藤は▲83歩と、思い切って寄せに出る。
△同玉に▲33角成と切り飛ばして、△同金に▲75桂。
お手本通りの攻め筋で、これで決まれば、もちろん文句なしだが、こういう華麗な順というのは、うがって見れば「軽い」という側面もあったりする。
その通り、里見はここをねらっていた。
▲75桂、△82玉、▲84飛の飛び出しに、△83歩なら▲61飛成として必至だが、ここで後手に△93玉とかわす手があった!
これが里見の張っていた罠で、▲61飛成は△84玉と、こちらの飛車を取った手が、詰めろのがれの詰めろになり、先手負け。
われわれアマチュアは駒落ちの下手で、上手にこういう手を指されてまくられるという、トラウマを刺激されるのではあるまいか。
敵の攻めをギリギリまで引きつけての、あざやかな「ひらりマント」で、一瞬にして態勢が入れ替わった。
里見の実力を見せた場面で、この手が見えていなかったのか、伊藤は▲86飛と引くが、最終盤での読み負けは、あまりにも致命的。
△85銀と押さえられては、局面的にも、手の流れ的も、先手が必敗である。
ここで▲61飛成は詰めろになっておらず、△86銀で先手負けだし、▲76飛と切る順も、先手玉が薄すぎて勝ち目はない。
伊藤は▲85同飛とこちらを取って、△同角に▲61飛成とするが、△86角、▲77桂に△88飛、▲78歩。
利かすだけ利かしてから、△75角と桂馬を取る。
これが、自陣を安全にしながら、△67銀からの詰めろで、先手先手と、こんな攻防手を連打されるのは、玉頭戦の典型的な負けパターン。
出血の止まらない伊藤は、それでも▲85桂と取り、△同飛成に▲71角の王手と、懸命の喰らいつき。
攻めながら、3筋、4筋にも大きく利かして、なんとか劣勢を跳ね返そうともがくが、△82銀と先手で当てて受けられては、万事休す。
▲72竜は、△71銀と取られて負け。
かといって、▲82同角成とせまっても、△同玉でも△同竜でも、8筋の竜の威力が強すぎて、後続はない。
控室では、立会人の武市三郎七段が、主催紙の記者に
「里見さんが勝勢です。ここで伊藤さんが投了してもおかしくはないですね」
たしかに、先手から攻めも受けも、これ以上の手は無いように見える。
だが、執念の伊藤は、まだあきらめてはいなかった。
里見が最後、△93玉という手をねらっていたのなら、伊藤もまた、ここで、すさまじい手をひねり出してくるのだ。
▲76銀と打ったのが、初タイトルに懸ける捨て身の勝負手。
タダ捨ての銀だが、いかにもアヤシイ手である。
△同竜なら、8筋から竜がいなくなるから、▲72竜と開き直ろうということか。
ただし、その瞬間、先手玉が詰まされても、文句は言えない形であり、また里見にはこのとき、まだ7分も時間が残っていた。
おそらく伊藤も、そこはなかば、覚悟を決めていただろう。
銀を取って勝ちに行くか、それとも、落ち着いて受けに回るか。
里見はここで6分を投入して△76同竜と取った。
しっかりと読みを入れて指したはずだったが、なんとこれが敗着になった。
正解は冷静に△61銀と、こちらの竜を取っておく手。
▲85銀と取るしかないが、△71銀と、自陣にせまる駒をクリーンアップしておけば、伊藤の攻めは切れており、投げるしかなかった。
もちろん、里見だってそんなことを百も承知だったが、そこをあえて踏みこんだのは、先手玉に詰みありと見たからだ。
▲76銀、△同竜、▲72竜に、△57角成から仕上げにかかるが、▲同玉、△45桂、▲46玉で、里見の手が止まる。
まさか……。
このときの里見は、どんな表情をしていたのだろうか。
△45桂に最後の1分を使っているだけに、そこで気がついたのかもしれない。
そう、先手玉には詰みがないことに!
里見の読みでは、△45桂、▲46玉に、△55金と打つ。
▲同玉、△65竜、▲46玉、△57銀、▲35玉、△37桂成まで、防衛が決まったと。
ところが、ここに信じられない穴が開いていた。
△37桂成の空き王手には、▲55角と合駒するのが、唯一無二のしのぎで、先手玉は逃れている。
ここを金や銀を打つと、△同竜、▲同歩、△34銀(金)まで簡単だが、頭の丸い角だと詰まないのだ。
△43桂と追っても、▲45玉で、ギリギリ刃先は届かない。
そう、これこそが「中段玉のスペシャリスト」伊藤沙恵が見せた、必殺の玉さばき。
先とは逆だ。今度は伊藤から、最後の最後に用意された落とし穴に、最強里見香奈が、まんまと足を踏み入れてしまったのだ!
目の前が真っ暗になったろう里見は、△55金に変えて△83金と手を入れるが、これは受けになっていない。
以下、▲61角、△74銀、▲82角成、△84玉、▲83馬と、ボロボロ駒を取られて、まさかの大逆転。
最後はワーテルローもかくやの大敗走だが、投げきれない里見の無念も伝わって、決して「棋譜を汚す」という手順ではない。
こうして、最後の最後で勝負師的な一発を入れて、フルセットに持ちこんだ伊藤の底力には大感動。
このシリーズは最終戦に敗れるも、私が常々、さえぴーが無冠なのは「たまたま」であって、タイトルを取るのは時間の問題と言っていたのも、ご理解いただける一局であろう(棋譜は→こちら)。
そうして、このたびめでたく、女流名人を獲得することができた。
私は、これまた常々、
「ひとつとれば、2つ、3つと転がっていくのは目に見えているわけで」
とも言っているので、きっとこのあとも、二冠、三冠と雪だるま式に増えていくだろうから、それを見守るだけなのだ。
さえぴー、おめでとう! まだまだ、これからも、どんどんタイトル取っていってね!
もちろん、里見さんも。これからも、みんなで女流棋界を盛り上げて下さい。期待してます。
(阪田と関根の「角落ち」編に続く→こちら)
(こちらも大熱戦の伊藤と里見の第2局は→こちら)