

『世にも奇妙なマラソン大会』
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』
『愛は血を流して横たわる』
『コンビニ人間』
『定吉七番は丁稚の番号』
『ハロー、スタンカ、元気かい』
『折りたたみの北京』
『配達赤ずきん』
『去年はいい年になるだろう』
『トネイロ会の非殺人事件』
『放課後ミンコフスキー』
『空の食欲魔人』
『恋するソマリア』
『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』
『あなたと原爆』
『哲学的な何か、あと科学とか』
『マイコン刑事』
『バッタを倒しにアフリカへ』
『予想通りに不合理』
『ツィス』
どれもちょっと変なタイトルですが、中身はおススメのものばかり。気になった作品があれば、ぜひご一読を。
大駒の「不成」には子供のころ感動したものだった。
将棋において、銀や桂馬に香車は「不成」で使うのが好手になるケースも多いのは、格言にもなっているところ。
だがこれが、歩、飛車、角に関しては、成って損をするところがないのだから、「不成」にする意味はまったくない。
……と見せかけて、実は飛車や角が不成で好手になることもあり、それが詰将棋の「打ち歩詰」を回避する手筋。
将棋は最後に、持駒の歩を打って詰ますのは反則で、それだけだと意味のよくわからないルール。
なのだが、幸いにと言っては変だが、これがあるおかげで、ものすごく奥が深くなったのが詰将棋の世界で、先日紹介した古典詰将棋「将棋図巧」(→こちら)「将棋無双」(→こちら)でも頻出する手筋だ。
この形を回避するため、詰将棋には飛車や角や、ときには歩さえをあえて「不成」で使うという形が頻出して「おー」と歓声が上がる(その神業的な詰将棋は→こちら)。
また、ここに超の上に、もうひとつ超がつくレアケースではあるが、実戦でも大駒の「不成」が出てくる、奇跡的な形というものもある。
前回は実戦に出てきた、まさかの「角不成」を取り上げたが(→こちら)、今回も様々な大駒の不成を取り上げてみたい。
2015年の棋王戦。富岡英作八段と黒沢怜生四段の一戦。
話題になったのは、最終盤のこの図。
先手玉は一目詰みがありそうだが、パッと見える△59飛成は▲49金と引いて、△38歩が打ち歩詰で不可。
だがここで、後手からすごい手があるのである。
△59飛不成が、目の錯覚か誤植を疑う絶妙手。
▲49金と引くのは、今度こそ△38歩が利く。
▲48玉(ここに逃げ道を作っておくのが不成の効果)に△57飛成でピッタリ詰み。
△59飛不成に▲49歩と合駒しても、やはり△38歩と打って、▲同金、△同銀成、▲同玉に△27金打、▲48玉、△57飛成、▲39玉。
ここで△38歩はやはり打ち歩詰だが、△38金と捨てるのがうまく、▲同玉に△47竜、▲39玉、△38歩、▲28玉(ここに逃げられる!)、△27竜(金)まで詰み。
まさに、打ち歩詰めの局面は、なにか一工夫すれば手はあるという、
「打ち歩に詰みあり」
の格言通りの手順だった。
あまりの劇的な幕切れに、黒沢も何度も何度も確認したそう。
気持ちはわかります。まさかという形だし、万一不成で行って、逆に詰まなかったらギャフンですもんねえ。
次はアマチュア同士の名局から。
2010年、朝日アマチュア名人戦決勝。
清水上徹アマ名人と、早咲誠和挑戦者の決勝3番勝負第3局。
後手の早咲さんが△27銀と打ったところだが、将棋はほとんど終わりに見える。
先手玉は蜘蛛の糸を渡るギリギリの綱渡りで、ほとんど必敗だが、かすかに最後の望みと言えるのは、まだ詰めろではないこと。
そう、△16歩は、おなじみの打ち歩詰で反則負け。
清水上さんは、ここで▲34飛と打つ。
△14桂、▲同歩、△15歩の必至を消した手だが、一瞬「え?」となるところ。
後手から、打ち歩詰回避をねらって、△25桂と王手する筋があるからだ。
▲同飛成に△16歩で、▲同竜、△28銀不成、▲18玉、△17歩、▲同竜、△19銀成という、端玉を追いつめる教科書のような詰みがある。
投了しかない図に見えるが、ここでまさかという、しのぎがあった。
なんと、▲25同飛不成(!)と取る手があった。
これでやはり、△16歩が打てず先手がギリギリでしのいでいる。
「創作次の一手」だとしか思えない図だが、信じられないことに実戦だ。
すごい将棋も、あったもんである。
以下も、先手の懸命のねばりに、早咲さんが何度も寄せを逃してしまい逆転。
清水上さんが、初のアマ名人防衛を決めた。
将棋自体もすばらしいが、これが清水上徹と早咲誠和というアマチュア界の頂点をきわめた二人が、すべてを出し切って戦い、この局面にたどり着いたという事実が感動的だ。
決勝戦での奇跡。
なにかこう、「究極の将棋」という気にさせられるではないか。
(「打ち歩詰」ではない、もうひとつの「飛不成」編に続く→こちら)
角建逸『詰将棋探検隊』を読む。
こないだは、江戸時代の名人によって創られた図式集、伊藤看寿の『将棋図巧』と伊藤宗看の『将棋無双』に大感動してしまった話を書いた(『図巧』については→こちらで、『無双』は→こちら)。
その神業としか言いようのない出来のすばらしさのため、恥ずかしいことに、手順を追いながら(解けるだけの棋力はない)ボロボロと泣いてしまった。
世間は一般に、恋人が死んだりする映画や、自分を信じてと歌う歌詞で泣いているという。
そこを、江戸時代の将棋パズルで号泣するって、我ながらどうなのと、冷静に一言つっこみを入れたいところではある。
しかーし! この詰将棋というジャンルは深く知れば知るほど深淵で、かつ芸術的な側面があるのだ。
たかが詰将棋で、芸術なんておこがましいというなかれ。
駒の動かし方を知っていて、パズルや数学が好きな人は一度、詰将棋専門誌『詰将棋パラダイス』(略称詰パラ)を開いてみてほしい。
私の興奮が、一発でわかるはずだ。
それにしても不思議なのは、あんな神がかり的な作品が、山のように詰まっている江戸時代の詰将棋。
これが、同時代のことについて書かれている本なんかでも、まったくといっていいほど紹介されていないこと。
日本人には一部「江戸時代萌え」な層があって、その手の資料は数あるのだが、歌舞伎や相撲などといったメジャーどころと比べて、将棋、ましてや詰将棋はほとんど無視である。
こんなにすごいのに。
冗談でもなんでもなく、国宝にでも申請するべきではなかろうか。
「江戸しぐさ」なんていうバッタもんを教えるくらいなら、「詰むや詰まざるや」を教科書にのせんかい!
そんなグチをぶつぶつともらしながらも、今日もすばらしい詰将棋を求めて『詰将棋探検隊』を手に取ったわけだが、これがまたあきれかえるくらいにハイレベルな一冊。
詰将棋は単に相手の王様を詰ます(逃げ道のない状態に追いこむ)だけでなく、そこには様々な仕掛けが、ほどこされることがある。
「打ち歩詰め打開」や「中合」といった基本的な手筋から、最長手数である1525手詰の作品「ミクロコスモス」 。
「龍鋸」「馬鋸」といった、アクロバティックな仕掛け。
果ては、盤上にすべての駒が配置されたところからスタートするにもかかわらず、それが1枚ずつ消えていって、最後には必要最小限の駒しか残さない「煙詰め」。
他にも、詰めあがり(正解図)に文字が浮かぶ「あぶりだし」とか、まあ色んな趣向が凝らしてあったりするのだ。
作家によっては若島正先生のように、そういったケレン味を嫌う人もいるが、私のような素人からすると、これら中国雑技団的な作品の方が、わかりやすいといえばわかりやすい。
とりあえず、図面だけ見てわかるような作品としては、たとえば田島暁雄さん作の、こんなのとか。
相馬康幸さん作の、こんなんとか。
伊藤正さん作の、こんなんとか。
詰将棋の名手でもあった、内藤國雄九段が作った、こんなんとか、こんなんとか。
どうです。頭がおかしくなりそうな配置でしょう。
しかも、まともに考えていたら詰みそうにないこれらの図が、しっかりと詰むだけでも驚きなのに、それがなんと正解が一通りしかなく、それ以外の手順では、絶対に詰まないというのだから恐ろしすぎる。
どんな頭脳をしているのか。
これはもう、あらゆる知的遊戯や創作にまつわる人に共通するが、その人間離れした能力を、もっと社会貢献に流用できないものか。
「その能力、もっと役に立つことに使えよ!」
嗚呼、このつっこみこそが、芸術にたずさわるものにとっての、最高のほめ言葉かも知れないなあ。
最高級のポテンシャルを、まったく金にならないことや、世間で知られていないことにつぎこむ。
あえてこの言葉を使うなら、才能の無駄使い。
これはもう世界で一番、贅沢で優雅で粋な生き方かも。
貴族だよ、まさに精神貴族。カッコいいなあ。
個人的に思う詰将棋の魅力というのは、本格ミステリとSFのそれを、合わせ持っているということかも知れない。
私は読書が好きで、本読みというのはそれがエンタメに関しては、ざっくりいえばミステリ派とSF派に分けられる。
私はどっちも好きなハヤカワ創元育ちだが、ミステリの本質といえば、
「惹きつけられる不可思議な謎の提示」
「その論理的な解決」
またSFはそこに「奇想」というか、
「ようそんな発想、思いつきますなあ」
と、あきれかえるようなアイデアにある。
『ソード・ワールドRPG』をはじめとするTRPGや『モンコレ』など、幾多のボードゲームやカードゲームを世に送り出してきた、グループSNEのボス安田均さんは、
「海外の特にドイツのボードゲームとかカードゲームで遊んでると、《どこからこんなん思いついたん?》っていいたなるような、すごいアイデアがごろごろ出てくるんです。そこには、昔のSF短編を読んだときと同じようなおどろきがあるんですよ」
これは、詰将棋もまったく同じなのだ。
魅力的な謎の提示と論理的解決。そこに「ようそんな」とあきれかえる奇想のスパイス。
まさにミステリであり、SFではないですか。
(団鬼六の詰将棋小説編に続く→こちら)
(伊藤正さんの詰将棋の解答は→こちら)
「やってはいけない」
と言われることほどやってみたくなるのが、人間のサガである。
芸能人の不倫騒動とか、他人への悪口からの炎上とか、人はタブーと言われる行為ほど魅力を感じてしまうもので、われわれは常にモラルと禁断の果実の間で、板ばさみにされているのだ。
代表的なのは、学校やビルにある火災警報機のボタン。
あれを
「ウルトラ作戦第一号、攻撃開始!」
「7時の方向に目標、撃て!」
「本艦は現時刻をもって自沈する。乗員諸君、今までありがとう」
なんて、裂帛の気合もろとも、押してみたいと願うのは人類共通の夢である。
よくエレベーターに
「非常時には、ここを押してください」
と書かれたボタンがあるが、以前住んでいたマンションではそれが、親のカタキかというくらいテープでガチガチに固められていた。
「これ、非常時になっても押せねーじゃん!」
乗るたびに、つっこんだものであるが、おそらく、ロマンに殉じた男子住民(たぶん子供)のせいであろう。
迷惑だが、まあ気持ちはわからなくもない。
警報機以外だと「ベランダを仕切ってる壁」も、ぶち破ってみたい。
マンションに住んでおられる方なら、おわかりいただけるだろうが、ベランダの両サイドに、隣との境になっている薄い壁がある。
そこにはたいてい、こんな文言が記してある。
「非常時、ここから破って隣へ抜けられます」
破ってみたい。
となると気になるのが、その強度。あれは、どれくらいの耐久力を持っているのか。
「ここから破って」などと簡単に書いているが、そんな楽勝な雰囲気でいいのか。ふつうに、正拳突きや蹴りなどで破れるものなのか。
あまり頑丈だと「貧弱な坊や」である自分はケガが怖いが、すぐに破壊できるようだと、それはそれで防犯的に不安でもある。
こうなってくると、破れ方も問題である。
パンチなりキックなりタックルなりした際、どのように壊れるのだろう。
怪獣がビルを壊すよう、壮快に楽しく、くずれてほしいものだ。
体当たりしたら、やはり古いアニメや、コントの定番ギャグのように、壁にきれいな人型の穴が開くのだろうか。
なんといっても、ここは見事貫通したときのスッキリ感も大事である。
割りばしが、うまく割れたときのような「おお! 見事な割れ具合だ」といった爽快感があるとベターだ。
これは、なにげに問題ではないか。もし火事で避難する際、ここで今ひとつ破壊の爽快感がなく、
「ちょっと待って、今のはノーカンね」
ベストのスマッシュ感を求めて、再チャレンジしている間に煙に巻かれて死去、なんてこともあるかもしれず、その「割り心地」は極めて重要である。
そこで以前、友人アサカ君の住むマンションに遊びに行ったとき、
「よし、一体どうなるのか、実際試してみよう」
ベランダに出て拳を振り上げたところ、後ろからはがいじめにされ、止められたことがあった。
なにをするんだ、これはキミの安全を考慮した、双方痛みをともなう実験なのだと説得したが、同意してくれるどころか
「なにするねん、このぼけなす!」
頭をはたかれ、メチャクチャに怒られた。
私の友を想う心が理解できないとは、哀れなアサカ君である。
かくのごとく、私の野望はあのベランダの壁を、ぶち破ることである。
実際に、地震や火事などの大災害が起るのは嫌だから、アサカ君のマンションに遊びに行くたびに、火災警報機が誤作動しないかと期待している。
そうすれば、合法的にあの壁を破れるからだが、今のところ幸か不幸か、そのチャンスはめぐってきてない。
あ、そうか、じゃあ自分で押せばいいんだ(←絶対ダメだよ!)。
大駒の「不成」には子供のころ感動したものだった。
将棋において、銀や桂馬に香車は「不成」で使うのが好手になるケースも多いのは、格言にもなっているところ。
だがこれが、歩、飛車、角に関しては、成って損をするところがないのだから、「不成」にする意味はまったくない。
……と見せかけて、実は飛車や角が不成で好手になることもあり、それが詰将棋の「打ち歩詰め」を回避する手筋。
将棋は最後に、持駒の歩を打って詰ますのは反則で、それだけだと意味のよくわからないルールなのだが、幸いにと言っては変だけど、これがあるおかげで、ものすごく奥が深くなったのが詰将棋の世界。
この筋を回避するため、詰将棋には飛車や角をあえて「不成」で使うという形が出て「おー」と歓声が上がる。
ここのところ、『将棋無双』(→こちら)や『図巧』(→こちら)など江戸時代の古典詰将棋を紹介してきたが、そこでも頻出し、あざやかなワザの数々には感嘆しかない。
また、ここに超の上に、もうひとつ超がつくレアケースではあるが、実戦でも大駒の「不成」が出てくる、奇跡的な形というものもある。
前回は先崎学九段が、若手時代に順位戦でやってしまった大ポカを紹介したが(→こちら)、今回は不成にまつわる絶妙手を。
2008年の、第67期B級1組順位戦。
渡辺明竜王と、杉本昌隆七段の一戦。
相穴熊の激戦から、むかえたこの場面。
最終盤、△15香と「最後のお願い」の王手が飛んできたところ。
これはすでに「形づくり」だが、われわれがただ見ただけでは、先手玉は詰んでいるように見える。
▲15同角成の一手に、△16歩、▲同馬、△同銀成から狭いところにいる杉本玉は、かなり危ない。
しかし、ここで劇的な応手があったのだ。
▲15同角不成で詰みはない。
△16歩は打ち歩詰めで打てない。ここで渡辺は投了。
こんな手で敗れて、さぞやくやしいだろうに、ちゃんとここまで進めて投了した渡辺もえらい。
私はあまり「形づくり」というものにこだわらないタイプで、特に若手棋士なんかは最後まであきらめず、食らいついて行く根性を見せてほしいものだが、こういう場面は例外でしょう。
なんて、きれいな図。熱戦を戦った二人に拍手、拍手。
正確には、ここは▲15同角成でも詰みはなかったようですが、まあそれは野暮ということで。
続けて、もうひとつ。
2004年の第63期C級2組順位戦。
前田祐司八段と上野裕和四段の一戦。
前田の急戦向かい飛車から、激しい玉頭戦に突入。
△95香と走って、前田は勝ちを確信していた。
▲同角成の一手に、△96歩、▲同馬、△同銀成、▲同玉、△91飛から先手玉は詰んでいるからだ。
しかし、ここで前田に読み抜けがあった。
もう、正解はおわかりですよね。
▲95同角不成で、先手玉は助かっている。
さっきの杉本が見せた▲15同角不成は、渡辺もおそらく知ってての「形づくり」だろうが、こっちは相手が見えてなかったから、純粋な絶妙手として炸裂。
投了を待っていたはずの前田は、さぞや、おどろいたことだろう。
以下、上野が逆転で勝ち。深夜のドラマだった。
(実戦で出た「飛不成」編に続く→こちら)
前回(→こちら)に続いて、『秘伝 将棋無双』(湯川博士著 門脇芳雄監修)について。
以下ネタバレになるんで、『将棋無双』を自力で解いてみたい人(がんばってください)は、飛ばしてほしい。
前回は「歩の不成」それも2連発という、超弩級のトリッキーな手筋について語ったが、この感動をさらに上回るのが、最後に出された「神局」とも呼ばれる「第30番」。
これがまた、驚天動地のすごいシロモノ。
詰め手順は、まず▲23金と、金のタダ捨てから入り、△25玉に▲24金と、さらに捨てる。
△同玉に▲34飛成と取って、△同玉に▲33飛。
△45玉、▲35飛成、△56玉、▲55竜。
ここまでは、特になんということもない手順だが、もう少し待っていただきたい。
△67玉に、▲66竜と追って、△78玉、▲79香、△同玉、▲68銀、△88玉、▲77竜、△98玉、▲99歩、△同玉、▲97竜、△98銀成、▲66馬。
お待たせいたしました。
ここからが、伊藤宗看渾身のスーパーイリュージョンが開始されます。
盤面下で眠っていた馬が、ここから、おそるべき活躍を見せます。
▲66馬、△89玉に、▲56馬と王手。
△99玉に、ひとつ上がって▲55馬と王手。
△89玉に、ひとつ横にすべって▲45馬の王手。
△99玉に、ひとつあがって▲44馬の王手。
△89玉に、ひとつ横にすべって▲34馬の王手。
……と書き写してみると、ただ馬を動かして王手してるだけで、後手は玉を△89、△99と同じ手で逃げるだけ。
なんのこっちゃというか、やる気あるんかと怒りたくなる、意味不明の手順に見えるが、これが盤に並べてみると、同じ手の繰り返しのようで、少しずつ違っているのがおわかりだろうか。
そう、馬の位置が微妙にズレているのだが、そのことによって、これが▲66の地点から、一歩ずつ北東の方角に、上がっていってるのだ。
この馬の動きは、まるでノコギリのようだから「馬鋸」と言われる高等テクニック。
もちろん、ただおもしろいだけでなく、ふかーい意味がある。
それは手順を追えばわかるもので、ここまでくれば次の手はおわかりでしょう。
▲34馬、△99玉に、▲33馬と、さらに一歩前進。
△89玉に、▲23馬、△99玉に▲22馬。
△89玉に▲12馬。
これで、ようやっと、ねらいがわかった。
馬でギコギコやりながら、先手がやりたかったのは、王手しながら遠くにある△12の歩をいただくためだったのだ。
この時点で、すでにため息だが、まだまだ、これは序章である。
首尾よく歩をゲットした馬は、今度どうするか。
▲12馬、△99玉、▲22馬、△89玉、▲23馬、△99玉、▲33馬、△89玉、▲34馬。
△99玉、▲44馬、△89玉、▲45馬、△99玉、▲55馬、△89玉、▲56馬、△99玉、▲66馬、△89玉、▲67馬、△99玉、▲77馬。
少し並べれば、あとは見なくてもわかるだろう。
そう、今度はさっきの鋸道を後ろ歩きで、ギコギコと元の場所まで戻っていくのだ。
で、この馬はここでお役御免と、△89玉に、▲78馬と捨ててしまう。
▲78馬、△同玉に、今度は▲77竜から追っていく。
△69玉、▲79竜、△58玉、▲59竜。
今度は「高野山の決戦」を思い起こさせるような、竜のぐるぐる回し。
△47玉、▲57竜、△38玉、▲37金、△28玉、▲27金、△38玉、▲28金、△39玉、▲48銀、△28玉、▲37竜、△18玉、▲19歩。
ここに来て、ようやっと馬鋸の真意がわかる。
この▲19歩が打ちたいがための、馬の大遠征だったのだ。
これをやらずに、▲66馬の王手から、▲67馬と捨駒をすると、ここで歩が足りず不詰になってしまうのだ。
エライ仕掛けがしてあるものだ。こんな罠、素人には見破れませんで!
しかも、話はまだ、これでは終わらない。
△19同玉に、▲17竜と王手したところで、背中のあたりから冷や汗がタラリと一筋、タレてくることとなる。
ま、まさかこれって……。
そう、そのまさか。
この形は、さっき▲66馬の王手から、ギコギコと盤面をナナメに切り裂いていったのと、瓜二つではないか!
△18銀成に、▲82角成と、ほとんど忘れられていた角が、ここで成り返ってくる。
となれば、もうこの後の手順は、お分かりであろう。
詰め方は、さっきとのように、▲83、▲73、▲74、▲64、▲65と、テンポよく南下してくる。
これには、並べていて腰が抜けそうになった。
一回、馬が行って返って鋸引きをするだけでもすごいのに、今度は逆からもう一回。ひええ!
そして、▲46馬、△29玉に、やはり同じく、▲47馬、▲37馬、▲38馬と捨ててしまってお役御免。
最後は、鋸引く馬の利きまで誘導する役割だった、いわばこの詰将棋のコンダクターだった竜が、またも風車のように、くるくる回りながら追っていく。
△38同玉、▲37竜、△49玉、▲39竜。
長かった旅路も、ここで終わりだ。
△58玉に、最後は▲59竜で、詰め上がり。
この詰め上がり図が、なんとまったくの左右対称で終了するという、見事なウルトラC。
大げさではなく、この図を見たときに、泡を吹いて倒れそうになりました。
なんやこれは、こんな手順を人間が創るなんてありえるのか、奇跡だ、神だ、まさに神局!
もちろんのこと、それらのアクロバティックな技の数々は、すべて必然手であり、それ以外のもって行き方では、詰まないように設計されているのだ。
なんという高度な作品なのか。もう泣きそう。
いや、本当に泣いた。私はこの本を読んで、東洋文庫の本式の『詰むや詰まざるや』を実際に買って、ざっと読んでみた。
そのあまりのすばらしさ、美しさに、ページを繰りながらボロボロと涙を流してしまった。
将棋パズルの本を読みながら、おえおえ、えぐえぐ、と嗚咽している男というのは、実に滑稽というか意味不明だが、そんなことも気にならないまま私は泣き続けた。
どうやったら、こんなすごいものが、作れるというのか。
これは、詰将棋どころか、将棋自体を知らない人でも、ぜひとも一度は鑑賞していただきたい。
今からでも遅くない、日本はこれを文化財に指定すべきだ。
なんなら、ルーブルみたいな美術館か博物館に展示してもよい。それくらいの価値はゆうにある。
現役のプロ棋士の中には、この『将棋無双』と『図巧』に魅せられてこの道に進んだという人もいるそうだが、その気持ちのカケラくらいは、胸が痛くなるくらいにわかった。
そして、詰将棋とは先人の残した偉大な遺産であり、そこには確実に「芸術」と賞されるだけの、技と魂がこめられているということも。
こんなすばらしい日本の、いや人類の宝が、将棋ファンにしか、いや将棋ファンでさえも知らないというのが、もったいなくて仕方がない。
すっかり『詰むや詰まざるや』にアテられてしまった私は、この本を歴史書、ミステリ、SF、そして「泣ける本」として、オールタイムベスト候補に推したい。
(『詰将棋探検隊』編に続く→こちら)
(斎藤慎太郎八段が解説する「将棋無双 第二六番は→こちら)
前回に続いて、『秘伝 将棋無双』(湯川博士著 門脇芳雄監修)について。
江戸時代の名人である三代・伊藤宗看の創った百題の詰将棋集『将棋無双』。
先日は、「歩の不成」という、実戦ではまずあらわれることのない、おそろしい詰将棋の手筋を紹介したが(→こちら)、「将棋無双」にはもうひとつ、スゴイ問題もあったのだ。
将棋無双の第11番。
初手▲83歩成と王手すると、△71玉、▲72銀、△62玉、▲63歩で打ち歩詰め。
そこでまず、初手に▲83歩「不成」とする。
出ました、またも歩の不成!
ここでまず悲鳴だが、こちらも前回の問題で、少々免疫もできている。
「ま、伊藤チャンやったら、これくらいはナ」
なんて、平静を装っているが、次の第2波で泡を吹くことになる。
▲83歩不成、△71玉、▲72銀、△同玉に▲82歩不成(!)。
なんと、まさかの2連チャン。
歩をと金にしないだけでも、常人の感覚では違和感ありまくりなのに、なんと、その成らずで突いた歩を、もう一度「▲82歩不成」として王手するのだ。
連続歩の不成!
もちろんのこと、この一見ありえない手順は、必然でこれ以外では絶対に王様は詰まないという、唯一無二の正解なのだ。
えええええええ!!!!!!
こんなこと、ありえるのお?
いやこれが、ありえるんスッよ。
歩の不成2連発が、これしかない、まさに正義の2手なのだ。
なんちゅう手なのか、もう無茶苦茶だよ。
以下、△62玉、▲63歩、△同玉、▲45角、△同桂、▲54銀、△62玉、▲63歩、△71玉、▲81歩成、△同玉、▲86香、△同飛、▲72金、△92玉、▲83銀、△同飛、▲同角成、△同玉、▲82飛、△94玉、▲95歩、△同玉、▲96金、△同玉、▲86飛成まで。
さきの歩不成のところ、ふつうに▲82歩成にしてしまうと、正解と同じように追ったとき、▲63歩が打ち歩詰になる。
どっこい、ここを不成にしておけば、▲63歩に△71玉と逃げる余地があって、そこで▲81歩成と、今度は成って行けば詰む仕掛け。
これには頭はクラクラ。めまいがしそう。
すごいなあ、ようそんな発想が出ますわ。
あと、さりげないんですが、前回の
「▲94竜、△同玉、▲84金」
とか、今回の
「▲96金、△同玉、▲86竜」
なんて、収束の形も綺麗で、そこもほっこりする。
今さらながらであるが、これ江戸時代の作品なんです。すげえッスわ。
(「神局」編に続く→こちら)
前回(→こちら)に続いて、『秘伝 将棋無双 詰将棋の聖典「詰むや詰まざるや」に挑戦!』(湯川博士著 門脇芳雄監修)について。
江戸時代の名人である三代・伊藤宗看の創った百題の図式集『将棋無双』。
詰将棋ファンなら、だれしもが知っているが、一般には、いやさ市井の将棋ファンにも、その実態は知られていない。
だが、この『秘伝 将棋無双』を読めば、その奥深さ、そして何百年も前に作られたとは思えないほどの、おそろしいほどのレベルの高さを、まざまざと見せつけられることとなる。
以下ネタバレになるんで、『将棋無双』を自力で解いてみたい人(いるのかな?)は飛ばしてほしいが、各作品の手順がきれいなだけでなく、
「打ち歩詰め回避」
「中合い」
「ならずもの」
「馬鋸・竜鋸」
なんていう、ハイレベルな詰将棋に出てくるトリッキーな筋が出てくるところからが、この作品集の本領。
たとえば、こんな問題で、これは「将棋無双 第21番」
初手から、▲72銀、△同玉、▲52竜、△62歩、▲73歩成と自然に追うと、△81玉、▲91角成、△同玉、▲82銀、△92玉、▲93歩で打ち歩詰。
これでダメなんだけど、ここで詰将棋独特のトリックが出る。
打ち歩詰め回避には、「あえて玉の逃げ道を作る不成」が手筋。
▲52竜、△62歩合に、▲73歩不成がある!
実戦では、まず間違いなく出てこない形だが、なんとこれで詰みなのだ。
以下、△81玉、▲91角成、△同玉、▲82銀、△92玉、▲93歩。
▲73にいるのが、と金でないため、ここで△82玉とできるのが、歩不成の効果。
△82玉、▲62竜、△93玉、▲94歩、△同玉、▲64竜、△93玉、▲94竜、△同玉、▲84金まで。
これを見たとき、まさにのけぞりましたよ。
「歩不成」なんて、どう見たってただの誤植にしか見えない。
それが唯一無二の正解なんだから、ちょっと常軌を逸している。
なんというか、あきれてものが言えません。すごい作品だ。
(「歩不成2連発」編に続く→こちら)
詰将棋に興味を持ったら、ぜひ『秘伝 将棋無双 詰将棋の聖典「詰むや詰まざるや」に挑戦!』(湯川博士著 門脇芳雄監修)を読んでほしい。
『将棋無双』とは、江戸時代の名人によって作られた図式集のこと。
今でいう将棋(囲碁も)の「名人」と言う称号は、歴史的には江戸時代に作られたものだが、棋戦のシステムがしっかりと作られている今と違って、当時の棋士はその腕を振るうような大勝負の機会が、圧倒的に少なかった。
有名な「御城将棋」などは、あらかじめ他所で指した対局を、将軍の前で披露するというイベント。
真剣勝負というより、むしろ良質の棋譜を見せるという、多分に、エキシビション的な側面があったと言われている。
今も残る「形づくり」という紳士協定というか、暗黙の了解的文化は、この時代の名残なのだろう。
では時の名人は、どこでその「真剣勝負」な本領を発揮したのかといえば、これが幕府に献上する図式(詰将棋)。
お上に納めるものということで、下手な作品が出せないのと同時に、名人上手といわれた人間の誇りもあいまって、ここで発表された詰将棋は今の目で見ても洗練された、非常にレベルの高い作品がそろっている。
中でも三代・伊藤宗看の創った百題の『将棋無双』は、その難解さから「詰むや詰まざるや」と呼ばれたもの。
一昔前は、米長邦雄永世棋聖をはじめ、
「これをすべて解けば、間違いなくプロになれる」
とまでいわれた、まさに時代を超えた名作として、知られているのだ。
この『秘伝 将棋無双』は、宗看の作品の中から、比較的易しい作品を20題選んで紹介していくものだが、これが、すこぶるおもしろい。
詰将棋というと、難解で取っつきにくいイメージがあり、かくいう私も苦手であるが、この本は手順の解説が非常に明快で、スラスラ読めるのがすばらしい。
正解以外の早詰の手順や、一見しただけでは、置いてある意味の分からない駒についても、しっかりその役割をフォロー。
おかげで、長編詰将棋と聞いただけで、ギルの笛みたいな頭痛がする私のようなパズル音痴にも、その魅力がぐいぐい伝わってくるのだ。
なんといっても引きこまれるのが、宗看が魂をこめて創った詰将棋、その詰手順の見事なこと!
将棋を知らない人には、将棋の詰み筋に「美しい」という感覚があることが、にわかにはピンとこないだろう。
しかしだ、記号で形成された数式や、DNA細胞の並びなどにも美という感覚があるように、上質の詰将棋にも、間違いなくフィギュアスケートのような「芸術点」というのが存在する。
捨て駒による玉の誘導や退路封鎖、合駒限定の妙など、指将棋(詰将棋ファンは、ふつうの将棋をこう呼ぶ)の終盤戦でも見られるあざやかな手筋もあり、それだけでも爽快だが、この『将棋無双』の本領はそれだけではないのである。
そこで今回から、先日の伊藤看寿の「将棋図巧」に続いて(図巧の傑作はこちら)、いくつかそのすごさを、実際に見ていただきたい。
今回のテーマになるのは「成らず」の手筋。
指将棋でも詰将棋でも、銀、桂馬、香車などは局面によっては、成って金になるよりも、そのまま使った方が有効となることも多い。
ではこれが、他の駒だとどうだろう。
金は成れないとして、飛車と、角と、歩か……。
一斉に「ない、ない!」との声あがることだろう。
将棋において、銀などはともかく、飛車とか角とか歩の場合、成らずで使う方が有利という場面は、ほぼ100%といっていいほどありえないからだ。
ところが、その「ありえない」ことが起こるのが、詰将棋の世界である。
それはズバリ、こないだの「図巧 第一番」でも出てきた、
「打ち歩詰め回避」
この場面なのだ(「図巧」の素晴らしすぎる傑作については→こちら)。
歩を打って詰ますのがだめなら、あえて飛車や角の効きを弱いままにしておいて、歩を打っても王様が逃げられるように「不成」(ならず)にしておくということ。
たとえば、1983年の王位リーグ、谷川浩司名人と大山康晴十五世名人との一戦。
「光速の寄せ」が炸裂して、将棋はすでに谷川勝ちが決定的。
仕上げにかかった谷川が、王手王手と追いかけて、この局面。
後手玉はすでに詰んでいるのだが、次の手が伝説的な絶妙手だった。
▲43角不成が、まさかの実戦で実現した、あまりにも有名な「大駒の不成」。
ここを▲43角成としてしまうと、△54歩、▲66銀打、△同と、▲同歩、△55玉に▲56歩が「打ち歩詰め」になってしまう。
どっこい、ここを角不成とすれば、最後の▲56歩に△44玉と逃げる道があるため、▲45歩、△33玉、▲23角成、△同玉、▲34角成から詰む。
なんて、すごい手順なんだ!
この手筋を初めて見たときは、まさに蒙が開けるというか、ともかく感動したものだ。
素人にとって、飛車や角は100、いや1万%「成るもの」だと思いこんでいたのが、成らずこそが、絶対無二の一手になる局面が存在するとは!
目からウロコどころか、落語の『天災』風に言えば、魚が一匹ボタッと落ちる見事な「成らず」の手筋だが、驚くなかれ、この『将棋無双』には、もっとすごい不成の形が出てくる。
そう、歩の不成が登場するのだ。
歩は敵陣に入って成れば、「と金」になって強力な駒になる。「成金」の語源になったほど、そのパワーアップぶりはあざやかなものなのだ。
それを、せっかく金になれるものを、あえて「不成」で歩のまま使う。
そんな状況が、あり得るというのだ。
(続く→こちら)
将棋界で、もっともやりきれない「やらかし」は順位戦でのそれであろう。
先日のA級順位戦で、山崎隆之八段が、ちょっと信じられない大ポカを披露して話題になったが、プロの世界でもまれに、そういうことが起こる。
まあ、人間がやる以上どうしてもミスは出るもので、それ自体はしょうがないけど、時と場所によっては、取り返しのつかない陰惨さを醸し出すこともある。
それが、順位戦の世界。
今期のA級順位戦、佐藤康光九段と山崎隆之八段の一戦。
△15角と銀取りに出た手に、▲36銀直と上がったのが、目を疑う一手。
指された瞬間、佐藤は「ええ?」と盤をのぞきこみ、すぐ気づいたのであろう山崎も頭に手をやった。
当然、次の手は△49馬で、▲同玉は頭金で詰み。
▲69玉と逃げても、そもそも金をボロっと取られてヒドイのに、△76馬と飛車まで抜かれるオマケつきで、どうしようもない。
特に今回の山崎は開幕3連敗で、まだ初日が出てないとあっては、必勝を期していたはず。
それが、まさかの「一手バッタリ」とは……。なんとも、きびしい結末だ。
まだ山ちゃんの場合は、苦しいとはいえ残り5戦あるから、ここから巻き返す機会は残されているが、これが昇級や降級の一番だと、あまりにもやりきれない。
それこそ昔の順位戦となれば、現在よりもっともっと偏った棋戦だった。
給料や対局料、シード権から、その他連盟内の政治的立場まであらゆるところで、クラスの差がモノをいったという。
有名な話では棋士総会で、ある棋士が意見を言おうとしたところ、
「Cクラスの奴は黙ってろ!」
そう一喝されたことがあるそうな。
その棋士が言おうとしていた意見の妥当性と、将棋でどのクラスにいるかには、なんら関連性などないわけだが、アスリートによる「実力の世界」では、ときにこういう考え方が幅を利かしがちだ。
なので、みな必死になって戦うわけだが、この制度はその風通しの悪さも手伝って、有望な棋士でも足を取られてしまうこと多々。
そのひとりに先崎学九段がいて、C級2組を抜け出すのに相当苦労していた。
前回は羽生善治九段のスピード感あふれる寄せを紹介したが(→こちら)、今回は将棋の泥臭い闇の部分を見ていただきたい。
1995年の第53期C級2組順位戦。
24歳だった先崎学六段は7回戦を終え、6勝1敗。
全勝の三浦弘行四段、深浦康市五段、久保利明四段に続いての4位につけていた。
他力とはいえキャンセル待ちの1位にいるのは大きいが、後ろには、中川大輔六段、平藤真吾四段、佐藤秀司五段といった面々が1敗で追走しており、ひとつの負けもゆるされない情勢。
事実この期、深浦と佐藤秀司は1敗で頭ハネを食らって上がれなかったという、ハイレベルを超えて不条理きわまりないという、レース展開になるほどだった。
18歳でデビューし、NHK杯優勝や竜王戦で挑戦者決定戦まで行くなど、その実力は折り紙つきながら、すでに先崎のC2生活は7年目。
1敗頭ハネの悪夢も経験し、まさにどこまで続くぬかるみぞの恐ろしさだ。
むかえた8回戦。
相手はこの期デビューで、そのクールで表情の変わらないところから「マシン岡崎」と呼ばれる岡崎洋四段。
岡崎が先手で得意の相掛かりから、中原誠十六世名人の愛用する▲46銀型に誘導する。
中盤戦、岡崎が▲64にいた角を▲46角と引いたところ。
先手の飛車角が好位置だが、後手も玉が固く、桂馬も使えてるので、まだまだというところ。
とりあえず、△64歩と打って飛車と角の成りを防いで、それから……と考えていたところ、うまそうな手が思い浮かんだ。
△57桂成と飛びこむのが、先崎のひらめいた手。
▲同玉なら、△75角と打って間接的な王手飛車。
▲同角なら、今度は△55角と飛車香両取りに打って、▲61飛成に△19角成と香を取る。
馬を作りながら、△54香の田楽刺しがねらいの先手で、自分が指せると。
ところが、これがとんだ勝手読みだった。
プロがこんな簡単にうまくいく手を、ゆるすはずがなく、先崎本人も認める「うまい話には注意せよ」の典型のような形。
△57桂成、▲同角、△55角、▲61飛成と進んだこの局面を見てください。
そう、後手が読み筋通り△19角成と取ると、なんと▲84角で飛車がタダ。
いやそれどころか、△54香と責めるはずの角を、先逃げされてしまうというヒドイ手なのだ。
まさかだが、先崎は飛車を取られる手をウッカリしていたのだ。
それもよりによって昇級圏内にいるはずの順位戦で、やらかしてしまった。
あまりの大ポカに、先崎は投げようと思ったそうだ。いや、他の将棋なら、きっとそうしたろうと。
だが、この一番だけは、投げるに投げられない。
ここでの2敗目は、競走相手のレベルと人数を考えると致命的な一発になってしまうからだ。
そこで先崎は、どうしたか。
なんとそのまま席を立ち、まだ40分近くある持ち時間を捨て、残り2分になるまで帰ってこなかったのだ。
理由としては、いきなり姿を消すことによって、相手を混乱させようという実戦的なかけひきがひとつ。
もうひとつは、時間があると突発的に投げてしまうかもしれないが、秒に追われれば、とりあえずなにかは指すからという、折れないための苦肉の策。
悲壮というか、本当にプラスになってるかもあやしい、非常手段中の非常手段。
1分将棋にしなかったのは、トイレに行きたくなったとき用の保険。
その間、岡崎は対戦相手のいない盤の前で、延々と記録係が、
「40秒……残り8分です」
とか読み続けるのを、聴いていたことになる。
なんともシュールな光景で、どういう気持ちだったのだろうか。
戻ってきた先崎が指したのが、△63歩。
結果的には、ただ無意味に桂馬を成り捨ててから、飛車成を受けたことになる。
あまりにもミジメな土下座だが、投げないのなら、指すしかない。
これがまさに、いにしえの言葉で言う「順位戦の手」というやつだ。
プロレベルでは将棋はこれにて終了だが、大差がついた状態だと、リードしているが勝ち切るのに、なぜか苦労するというのはなんとも不思議な「将棋あるある」ではある。
あまりに急激に良くなったせいか、岡崎は悪手こそ指さないものの、ちょっとずつ甘い手が続く。
一方、居直った先崎は、その後すごい勢いで岡崎玉にせまり、差を詰める。
△77角とぶちこんだところでは、後手も相当に見える。
ここでバラバラにしてから、再度の△65桂おかわりに、△57銀で強引に王手飛車をかける。
その腕力と終盤力は大したもので、実戦的には逆転かと思われたが、▲48角というのが冷静な合駒で、やはり後手が勝てない。
これで銀にヒモがついて、△29飛成が先手にならず、後手の攻めを受け止めている。
いわゆる、「3枚の攻めは切れる」形で、△84にある飛車取りも残って、どうしても後手が足りない。
以下、岡崎は玉を左辺に逃げ出し、入玉して勝った。
怒涛の追いこみを食らっても、淡々と指し続けて逃げ切ったのは、まさに「マシン」の異名通りだった。
こうして先崎は、またも昇り損なった。
この翌年の8期目に、ようやっと昇級することとなるが、後に語ったところでは、
「30歳までに上がれなかったら、棋士をやめて雀荘を経営しようと本気で思っていた」
先崎はその後、これまで鬱憤を晴らすかのごとく、C1は2期、B2、B1は1期で抜けて、たった4年でA級まで駆け上がる。
その棋力のみならず、執筆や解説などでも、大いに将棋界に貢献した棋士が、ここまで追い詰められるとは……。
このあたりの心境は『フフフの歩』というエッセイ集の、「ここ数年のこと」という一遍にくわしく記されている。
順位戦で苦労している、若手棋士の苦悩を知りたいという方は、ぜひ古本屋で探して読んでみてください。
(「角不成」の絶妙手編に続く→こちら)