バチカンとかローマ教皇とかカトリックとか、何も知らん私がラテン語を学ぶ

2024年11月20日 | 海外旅行

 「ついに禁断の言語を始めてしまったか……」
 
 
 スマホの語学アプリを検索しながら、そうひとりごちたのは、冬の近づく寒い夜のことだった。
 
 このところ私は、
 
 
 「世界のあらゆる語学をちょっとだけやる」
 
 
 ということにハマっており、ここまでフランス語ドイツ語(学生時代の復習)、スペイン語ポルトガル語
 
 そして、トルコ語イタリア語もクリアし、オランダ語も少しかじってというチョコザップならぬ「チョコ語学」である。
 
 まあ、やってもせいぜいが1か月2か月ほどで、身に付くのも「中2レベルの文法と単語」くらいなものだが、こんなもんでも、
 
 


 Mi hermana no puede ser tan linda.
 (俺の妹がこんなに可愛いわけがない)


 
 Ihre Augenbrauen sind tatsächlich Takuan.
 (彼女の眉毛は実はたくあんです) 

 

 Je vais te faire 'Mick Mick'!
 (みっくみくにしてやんよ)



 
 
 くらいなら理解できるのだから、なかなかのものではないか。
 
 「飽きたらやめる」がルールなので、オランダ語からそろそろに移行しようと、言語関係の本をあさっていたら、こんなものがでてきた。
  
 それが、Twitterで有名な「ラテン語さん」のベストセラー『世界はラテン語でできている』。
 
 これが、おもしろくて「次はラテン語や!」となったのだ。
 
 といっても、語学学習や世界史に興味のない方には「どこの言葉?」となるかもしれないが、それは正しい反応である。
 
 なんといってもラテン語とは、古代ローマ帝国公用語
 
 いわゆる『テルマエロマエ』の世界だが、そのあとは中世ヨーロッパ教会や、インテリの間での共通語として流通。
 
 16世紀くらいから、ヨーロッパでは各地でその土地言語が確立していった(フランス語とかドイツ語とか)ため、ゆるやかに衰退し今で死語(というと、いろいろ怒られそうだけど)になっている。
 
 日本で言う「古文」「漢文」だと考えるとわかりやすいが、そういう歴史ある格調高い言葉なのである。
 
 ただ格調は高いが、これがどこかで役に立つのかと言えば、なかなかむずかしいところはある。
 
 どこの国でも使用されてなくて、かろうじて今使われているのがバチカン市国だが、かの地の思い出と言えばイタリア旅行の際に寄ったときのこと。

 なんか、日曜日の昼かなんかにから顔を見せて祈りを唱えるらしく、それ目当てで出かけたのだが、その感想はと問うならば、

 


 「なんか、知らんおじいちゃんが出てきた……」


 

 知性のかけらもないリアクションだが、まあカトリックでなければ、だいたいこんなもんである。

 こんな縁もゆかりもないもん、だれがやるねんだが、がやるのだ。
 
 われながら頭がおかしいが、一応これがそんな変な話でもないというのが、またおもしろいところではある。
 
 というのも、私が今やってる
 
 
 「言語的距離の近い言葉をやる」
 
 
 という意味では、かなり正しい選択ではある。
 
 ここまでフランス語スペイン語ポルトガル語イタリア語という「ロマンス語群」はもともとすべて、
 
 
 「ラテン語の方言
 
 
 なので、いわば「親玉」。
 
 『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のファンが『ダンジョンズドラゴンズ』をプレーするようなもの。

 その意味では「流れ」としては、むしろ必然ともいえるのだ。
 
 「歴史を学ぶ」姿勢は大事であろうと、我がことながら「なヤツ」と思わなくもないが、ともかくもラテン語学習開始
 
 我ながらいい加減なのものだが、そのゆるさが案外と「続く」コツでもあり、この「ファランクス作戦」もとりあえずやってみる所存だ。
 

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「ガジガジ流」の大さばき 藤井猛vs佐藤康光 2010年 第68期A級順位戦 その2

2024年11月17日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 2010年、第68期A級順位戦佐藤康光九段藤井猛九段の一戦は、1勝6敗2勝5敗と、星が伸びない者同士が落とし合う「の大一番」となった。

 藤井が角交換四間飛車から穴熊に組むと、佐藤はを打って飛車先の突破を図る。

 これに藤井はなんと、▲96歩▲95歩と、悠々端歩を伸ばすという意表の対応に出た。

 

 

 なんじゃいや、これはという話だが、これが実は見事な対応で、△85歩、▲同歩、△87歩、▲78飛、△85飛には▲96角と、ここに打つ筋を用意している。

 

 

 

 指されてみれば、なるほどで、△84飛には▲44銀、△同銀、▲76飛、△同歩に▲66角とバリバリ攻める。

 

 


 これは穴熊が生きる形だし、

 

 「ガジガジ流」

 「ハンマー猛」

 

 と呼ばれる藤井の力が出る展開だろう。

 佐藤は△43角と退却を余儀なくされるが、▲26角と打って▲44銀をねらう。

 △24歩から△25歩と追われても、今度は▲36歩から▲37角とスイッチバックして、このあたりは振り飛車絶好調

 

 


 6筋銀交換になり、佐藤も負けじと飛車を使って押し戻していくが、次の手が強烈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲82銀と打つのが、佐藤の見落としていた痛打

 △同飛は当然▲64角

 桂取りを受けようにも、△72歩二歩だし、まさか△72銀と打つわけにはいかない。

 佐藤は△54金とかわし、▲73角成△42飛と涙の辛抱を見せる。

 

 

 

 ボロっとを取られながらを作られ、しかも手番も渡す。

 あまりにも痛々しい手順だが、負ければお終いの佐藤は耐えるしかない。

 だが、次からの構想が最後のとどめとなった。

 

 

 

 

 

 

 ▲57金と上がるのが、盤面を広く見た筋に明るい手。

 △45金▲38飛とまわるのが、気持ち良すぎる手順。

 

 

 後手のかすかな主張は、先手の飛車が働いていないことだった。

 なら、それを活用するのがいいわけで、▲57金開門しつつ、場合によっては▲46金のような活用も見せる。

 後手はせめてを使おうと△45金だが、▲38飛と列車砲を転換して一丁あがり。

 「重い振り飛車」を得意とする藤井だが、ここは軽やかなスライドを見せた。

 以下、上部からガリガリ食い破って、藤井勝ち

 佐藤はまさかの降級

 藤井はこの星が大きくものを言い、最終戦では森内俊之九段に敗れるも、競争相手の井上慶太八段が敗れたため、辛くも残留を決めたのだった。

 


 (藤井と佐藤の王座挑戦をかけた大熱戦はこちら

 (佐藤の振り飛車退治と藤井システムへの影響はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから) 

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角交換四間飛車の名局 藤井猛vs佐藤康光 2010年 第68期A級順位戦

2024年11月16日 | 将棋・名局

 藤井猛の振り飛車は絶品である。

 平成の将棋界は、久保利明九段鈴木大介九段、そして藤井猛九段の3人が、

 

 振り飛車御三家

 

 として、A級順位戦やタイトル戦などで大活躍していた。

 その影響力はすさまじく、特に藤井システムなどはプロのみならず、アマチュアの世界でも大流行したが、久保、鈴木もまた大人気

 若手時代は振り飛車党だった中村太地八段によると、自分は「タテの攻め」が得意だったので、特に三段リーグでは藤井システムばかり指していたそう。

 中村の修業時代は、奨励会員若手棋士振り飛車党が多く、太地流の分類では、長岡裕也五段が「藤井派」と「久保派」のハイブリッド。

 戸辺誠七段はプライベートでも仲の良い「鈴木派」だけど、久保将棋っぽいところもある。

 高崎一生七段はイメージは「鈴木派」だけど、一緒に研究会をやっていたせいか実は「藤井派」。

 その他、「藤井システム」使いとして、藤倉勇樹千葉幸生横山泰明佐藤和俊佐々木慎といった面々がいて、藤井猛九段の記録係の座を必死になって取り合いしていたそう。

 居玉で戦う藤井システムは意外と勝ちにくく、藤井猛本人も、

 


 「しっかり囲うノーマルな振り飛車で、基礎を固めてからシステムを指す方がいい」


 

 アドバイスを送ることもあるが、やはりファンとしては、システムは大変でも、

 

 「藤井猛九段みたいな将棋を指したい!」

 

 と願うもので、そこで今回はシステムではないが絶品藤井将棋をお送りしたい。

 


 

 2010年、第68期A級順位戦の8回戦。

 佐藤康光九段と、藤井猛九段の一戦。

 この期の両者は不調で、藤井は6回戦まで1勝5敗

 佐藤にいたっては、なんと開幕から6連敗という、散々な有様だった。

 7回戦では、おたがいひとつ星を返してホッと一息だが、試練は続き、この直接対決で負けたほうは相当に苦しいというか、佐藤は即陥落が決まる。

 ただ、当時の感じでは、この大ピンチでも

 

 「佐藤は大丈夫」

 

 という空気感が濃厚ではあった。

 別に藤井をナメていたわけではなく、佐藤のような「名人」になったものは、そう簡単に落ちないはずという信頼感があったこと。

 また、2期前にも開幕6連敗のピンチから、奇跡の3連勝残留したという実績もあり、佐藤の「」や勝負強さに対する疑問など、浮かびようもなかったわけだ。

 ところが、この一局は藤井が冴えわたっていた。

 藤井がシステムの代案として、ひそかに磨きをかけてきた角交換四間飛車を選ぶと、そのまま一目散に穴熊にもぐる。

 を持ち合っている将棋では、駒のかたよる穴熊は打ちこみに注意が必要だが、藤井は巧みにバランスを取る。

 

 


 むかえた、この局面。

 後手が△76角と、を取ったところ。

 次のねらいは、一回△75歩ヒモをつけてから、△85歩、▲同歩、△87歩で飛車先を突破しようというもの。

 先手からすれば、それを防ぐか、またはもっとスピードのある攻めを見せたいが、後手陣もバランスが良くて、なかなか手持ちのも使う場所がない。

 穴熊は、こういうときが作りにくいんだよなーと、悩ましいところに見えたが、ここからの藤井の構想がすばらしかった。

 

 

 

 

 

 ▲96歩と突くのが、意表の一手。

 といわれても、サッパリ意味など分からないが、おどろくのはまだ早い。

 後手が△75歩としたところで、さらに▲95歩(!)

 

 

 

 なんと、佐藤が「攻めるぞ」とかまえているところに、「どうぞ、どうぞ」と、堂々端歩

 藤井システムといえば、▲15歩と端歩を突き越すのが基本だが、こっちは反対の端の位を取る。

 なんとも面妖な手順だが、なんとこれですでに先手が指しやすくなっているのだから、藤井猛の序盤戦術はまったく神がかり的なのである。

 

 (続く

  

 

 

 

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「旅に出たい病」と香水のにおい

2024年11月13日 | 海外旅行

 「旅に出たい病」は不治の病である。

 ということで、前回はヒマがないとき、この発作をまぎらわす「旅のどんぐりコーヒー」として、

 

 世界の車窓』&『ヨーロッパの車窓だけから」

 「BSなどで流れている外国語ニュース

 ぬるい炭酸水(なんだそりゃ)」
 
 

 これらを紹介したが、他にもこんなのがあって、たとえば「香水のにおい」。

 は好むが男はそうでもないものに、「セロリ」とか「アボカド」とかいろいろあるけど、香水というのもそのひとつであろう。

 特に金持ちっぽいマダムが、これでもかというくらいに振りかけて濃い匂いをまき散らしているところに出くわすと、

 

 化学兵器の使用はジュネーブ条約で禁止されとるわ!」

 

 なんて、つっこみたくなるほどである。

 ところが、これが私の場合、旅情を刺激される。

 旅好きならわかっていただけると思うが、これが空港を思い出させるから。

 特にパスポートコントロールを通過し、免税店コーナーに出入りすると、そこかしこにある香水屋と出くわす。

 飛行機の出発時間まで、なにかとこの香りを鼻腔に感じるのが長いからか、それがにすりこまれてしまい、

 

 「香水の香り=のはじまり」

 

 というロマンの方程式ができあがってしまっているのだ。

 なので、日本でも電車エレベーターの中でマダムの香水をかぐと、 

 

 「あー、旅の香りやなあ」

 

 陶然とすることになる。

 ハタから見ればアヤシイ奴だが、別に変態的というわけではなく、「旅行行きたいなあ」と思っているだけなのだが。

 これがねえ、メチャクチャに強烈な刺激なんスよ。

 人の記憶を刺激するのは視覚や聴覚よりも嗅覚というが、あれはホンマです。

 かいだ瞬間、本当に目の前に「NO TAX」の看板が浮かぶもの。あれはすごい破壊力だ。

 だから、パトリックジースキュントの傑作ミステリ『香水』を読んだとき、なんとなく腑に落ちなかったもの。
 
 いや、小説自体は池内紀先生の訳文もすばらしく、たいそうおもしろかったのだが、パリ悪臭や、死体の放つ死の香りへの詩的表現は多くあるのに、

 

 「ジャン=バティスト・グルヌイユはその香りにふれると、関空から搭乗口への無暗に長い廊下を思い出すのだ」

 

 みたいな一文がないものなあ。パトリック、わかってないぞ。

 あー、そもそもこんな話をネタにしたら、すぐ旅に出たくなっちゃったよ。

 どっかのデパートで、試供品の香水でももらってこようかしらん。

 

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「ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり」 内藤國雄vs米長邦雄 1977年 名将戦

2024年11月10日 | 将棋・好手 妙手

 「ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり」

 

 という格言には、苦笑とともに深くうなずかされるものである。

 これは本当で、飛車をいじめられて逃げ回っているうちに、いつの間にかがお留守になって、気がついたら寄せられてたなど、よくある話。

 どっこい、強い人というのは、そういうときの対処法も心得ており、今回はそういう将棋を。

 


 

 1977年名将戦

 内藤國雄九段と、米長邦雄八段の一戦。

 決勝3番勝負の第1局は、後手番になった内藤が三間飛車に振ると、米長は銀冠に組んで対抗。

 米長が後手の飛車を責めつつ、右辺にを作ると、内藤もその飛車を軽く転換し、玉頭戦に持ちこむ。

 むかえた、この局面。

 

 



 △85歩の玉頭攻めに、強く▲66桂と打ち返す。

 米長はこれで指せると見ていたそうで、実際、飛車の逃げ場所がむずかしそうだが、ここからの内藤の構想が見事だった。

 

 

 

 

 

   

 

 △86歩▲74桂△同金で、後手優勢。

 飛車取りにかまわず、玉頭を取りこむのが好判断。

 そもそも、後手は飛車を逃げようにも場所がないわけで、△84飛は、▲85歩、△同飛、▲86歩で受け止められるが、私みたいなヘボが指していたら、そうやってしまうかもしれない。

 そこを、「飛車? どうぞ、どうぞ」と、さわやかに、あげてしまう発想にシビれた。

 私がこの将棋を知ったのが、米長の書いた『米長の将棋』という本で、その「振り飛車編」の開口一番が、これなのだ。

 子供のころには、飛車桂交換後手優勢と言うのが、どうしても信じられず、何度も並べ直したものだ。

 たしかに今見ると、△74同金に本譜▲76銀と逃げても△87銀と打ちこむ追撃がきびしく、後手がいいんだろうけど(とはいえ私レベルじゃ勝ちきれませんが)、やっぱりすごい手だなあと感心する。

 △87銀以下、▲同金△同歩成▲同玉△86金▲78玉△48角成

 

 

 

 流れるような攻めで、まさに「自在流」内藤國雄の名調子だ。

 この局面、なんと先手が飛車丸得なのだが、安全度や駒の働きと、なにより勢いが違う。

 特に先手は▲43▲26飛車が、取り残されているのが哀しすぎ、やはり後手を持ちたいところであろう。

 米長は、なんとか逆転のタネをまこうと、とりあえず▲83歩とタタいて反撃。

 

 

 

 これまた、ぜひともおぼえておきたい手筋で、△同銀でも△同玉でも、が乱れていやらしい。

 このタタキ▲62歩とかを突き捨てるとか、とにかく苦しめのときは、で嫌がらせをするのが逆転のコツだ。

 本譜は△83同銀に、▲75歩△76金▲同金△75金▲同金△同馬

 そこで▲66金とふんばる。

 

 

 

 米長も得意の「泥沼流」でねばりにかかるが、そうはさせじと後手も△76金とへばりつく。

 ▲75金を取るのは、△67銀と先着されて、▲69玉△75金で寄せられるから、▲67金打と再度がんばる。

 後手は△66金と取って、▲同金△76金で同じ形が続く。

 

 

 

 ここでもう一回▲67金打なら千日手コースだが、そうなれば内藤は手を変えて、するどく踏みこんでくるかもしれない。

 それは危険だし、なにより勢いを重視する米長将棋では、あまり考えたくないところなのだ。

 そこで打開を検討したいわけだが、ならやはり、ここはぜひとも「あの駒」を活用したくなるものではないか。

 

 

 

 

 

 ▲36飛と取るのが、これまた寿命を半分に削ってでも、身につけておきたい感覚。

 この将棋は、ここまで後手の攻め駒が目一杯働いてるのと対照的に、先手は▲26飛車が、長らくボケたままであった。

 なので、ここはもうぜひとも、それこそ最後は負けたとしても、なんとかこれを活用したいと考えるのは、将棋を強くなるのに大事な感覚なのだ。

 実際、米長も苦戦を意識しながら、この手に関しては、

 


 「ある程度の清算」


 

 はあったので、思い切ってループを打開したのだ。

 勝負の方は、米長の気合に押されたのか、内藤が寄せを逃して逆転してしまう。

 といっても、具体的になにが悪かったのかはわからず、それだけ難解な上に、米長の勝負術が際立っていたということだろう。

 それにしても、おもしろい将棋で、米長もおどろかされた、飛車取りを放置して△86歩と取りこむ感覚に学びがある。

 最後の最後▲36飛と眠っていた獅子を活躍させようと「ねらっている」センスの良さとか。

 「強い人の将棋」って、こんなんなんやーと、目からウロコが落ちまくり。

 こんなもん一発目に見せられたら、そら『米長の将棋』に夢中になるわけで、もう暗記するほどに、むさぼり読んだものでした。カッケーわー。

 


 (米長が見せた飛車捨ての名手はこちら

 (森安秀光が米長に喰らわせた飛車捨ての珍手はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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「旅に出たい病」と、ぬるい炭酸

2024年11月07日 | 海外旅行

 「旅に出たい病」は不治の病である。

 ということで、前回はヒマがないとき、この発作をまぎらわす「旅のどんぐりコーヒー」として、

 

 世界の車窓』&『ヨーロッパの車窓だけ

 「BSなどで流れている外国語ニュース

 

 を紹介したが、他にもこんなのがあって、たとえば「海外の炭酸水」。

 ヨーロッパを旅行していたとき、ちょっと困ったことにがあった。
 
 私はガサツな体をしているのか、海外で「水が合わない」みたいなことはあまりない方だが、体調は平気でもは微妙なときがある。

 中でもヨーロッパで「ミネラルウォーター」というと、基本的には「ガス入り」であり、これがあまり口に合わなかったのだ。

 いや、炭酸自体は私も大好きなのだが、ヨーロッパのそれはだいたいが微炭酸

 それも、かなり「抜けている」感じで、またヨーロッパ人は日本のように冷やしたドリンクを好まないため、たいてい生ぬるい

 それだけでなく、コーラもぬるい。ファンタもぬるい。ビールもぬるい。

 真っ盛りで、暑さにへばっていても、奴らはぬるぬるドリンクを飲みやがるのだ。爽快感ゼロや!

 これはウマくないです。

 なんで、うっかりガス入りを買ってしまったときは、飲み切るのに苦労したものだが、その記憶があるせいか、に日本で飲むと旅の記憶がよみがえる。

 思い出すのはトルコのこと。

 トルコはイスラムの国でヨーロッパとは文化が違うはずだが、ドリンクはこれがまた生ぬるい

 イスタンブールでもカッパドキアでもイズミルでもそうで、それこそ観光を終えてスカッとしたいのに、なに飲んでも、やはり人肌

 で、「またかあ!」とガッカリしていたら、売店のオジサンが、

 

 「もしかして、冷たいのがほしいんか?」


 

 つたない英語でこう言ってきたのだ。

 うんざりしながら「そうである」と答えると、オジサンは店のから別のペットボトルを持ってきてくれた。

 で、これが飲んでみると、冬の北海道くらいキンキンに冷えていた。

 え? なんで? といぶかしんでいるとオジサンは、

 

 「ヨーロピアンはぬるい飲み物が好きやからね。それに合わせとるんやわ」


 

 おーい! 待てい! お前らのせいか!

 ヨーロッパといえば、昔は世界各地を侵略しまくっていた歴史がある。

 かくいうこのトルコも「瀕死の病人」と呼ばれるほど、メチャクチャに荒らされたけど、温度まで取りこんでいたと。

 まさに帝国主義もここに極まれりである。

 コラ! この植民地野郎どもが! オレのセブンアップをぬるくすな!

 そんなこともあったりとか、ともかく発作が起きるといつも、ふだんは飲みつけないゲロルシュタイナーサンペレグリノを買ってくるのだ。

 もちろん、ぬるいまま口をつけ、

 

 「たいして、おいしくない! 爽快感もなし! けど、外国を思い出して、いい気分!」

 

 という、なんともおかしな快哉を上げることとなるのだ。頭イカれてるな。

 

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大駒は近づけて受けよ 中原誠vs谷川浩司 1985年 第33期王座戦 第2局

2024年11月04日 | 将棋・好手 妙手

 将棋の格言というのは色々あるもの。

 

 「王手は追う手」

 「長い詰みより短い必至」

 「金底の歩、岩よりも固し」

 

 など実戦で大いに役に立つものもあれば、

 

 「55の位は天王山」

 「銀は千鳥に使え」

 「三桂あって詰まぬことなし」

 

 といった、ほとんど死語になったようなものもある。

 むずしいのは、将棋の変遷によって、かならずしも当てはまるとは限らないケースが出てくることで、

 

 「居玉は避けよ」

 「玉の囲いは金銀三枚」

 「桂馬の高跳び歩のえじき」

 

 このあたりは、

 

 「たしかにそうだけど、現代将棋ではケースバイケースだよね」

 

 くらいな感じになっているところはある。

 そんな中、地味な格言に意外と使えるものが残っているもので、今回はそういうものを。

 


 

 1985年の第33期王座戦は、中原誠王座(名人・王将)に谷川浩司前名人が挑戦した。

 この期、春の名人戦で中原は谷川から名人を奪い取り

 

 第二次中原時代の幕開き」

 

 と上げ調子であったころ。

 一方、無冠に転落した谷川からすれば、復讐に燃えての勝ち上がりで、まさに新旧頂上決戦であったのだ。

 ちなみに谷川「前名人」という聞きなれない肩書は、当時は名人を失って無冠になると、気を使って「前名人」と呼ばれるマヌケな習慣があったせい。

 谷川はこの罰ゲーム(にしか見えないよな)を嫌い、色紙などには「九段 谷川浩司」と書いていた。当然だよねえ。

 それはともかく、五番勝負は開幕局を谷川が制して、むかえた第2局

 相矢倉で後手は7筋、先手は中央から駒をぶつけていく形で、中盤戦のこの場面。

 

 

 


 大駒をさばきあって、先手がを作っているが、後手も香得して形勢はバランスが取れている。

 手番をもらった後手は、当然反撃したいところで、となればまずはここに指が行きたいところだ。

 

 

 

 

 △86歩が、まずは筋中の

 これは格言にこそなっていないが、矢倉戦ではとにもかくにも、この歩をいいタイミングで突き捨てたいところ。

 応用編として、△86桂△86香と打ちこんでいく筋もあり、ここをイジっていく形は、居飛車党なら絶対におぼえておきたい感覚だ。

 これを▲同歩と取るか、それとも▲同銀と取るかは悩ましく、これまた居飛車党の永遠のテーマだが、▲同歩△87歩のタタキがいやらしい。

 ▲同銀△84香や、場合によってはいきなり△86同飛▲同歩△87歩みたいな特攻で一気に寄せられてしまうこともあり、そう簡単には選べない2択なのだ。

 このゆさぶりに、強気の谷川はなんと、放置して▲71竜

 △86歩になんと手抜きという、第3の選択を披露した谷川に、飛車を逃げるようでは攻めが切れてしまうと、中原は△87歩成▲同金△同飛成と特攻。

 ▲同玉△86歩もまた筋で、▲同銀△85歩

 

 

 

 

 飛車を切ってしまった以上、後手は足が止まったおしまいである。

 次々パンチをくり出すにしくはないと、▲85同銀△86香とカマす。

 ▲同玉△53角王手飛車なので、▲78玉△89香成

 先手玉も相当うすめられているが、飛車持駒も超強力で頼もしいということで、すかさず▲82飛と打ちおろす。

 

 

 


 「鬼より怖い二枚飛車

 

 この格言通り、後手陣にはいきなり詰めろがかかっている。

 次に▲31角と打たれてはお陀仏だ。

 なにか受けなければいけないが、普通にやる前に、まずは一工夫しておきたいところ。

 

 

 

 

 

 


 △51歩と打つのが軽妙な一着。

 ▲同竜と取られて、一見なんのこっちゃだが、そこで△31金打とガッチリ埋めるのが継続手。

 

 

 

 単にで守るより、こうすれば次に△73角両取りがあり、がどいたことで△75桂の反撃も可能になった。

 また△31金打▲81飛成みたいな手なら、どこかで△42銀と引いて、▲71竜右に、またが入れば△51歩底歩を打つ守りができる。

 これで後手玉はほぼ無敵になるなど、わずか歩1枚でこれだけ手が広がっていくのだ。

 この△42銀を生んだ△51歩は、まさに

 

 「大駒は近づけて受けよ」

 

 であり地味ながら、かなり役に立つ格言であるのだ。

 谷川は△31金打▲81竜とするが、すかさず△75桂痛打で攻守所を変えた。

 

 

 

 

 以下、▲76角の攻防手にも△42銀と落ち着いて受け、▲55桂△64角から飛車を奪って後手が勝ち。

 これでタイに戻した中原は、第3局第4局連勝し、谷川の「前名人」という不名誉な称号の返上を阻止したのである。

 

 


 (中原が谷川から名人をうばったシリーズで見せた「近づけて」がこちら

 (中原が谷川相手の名人戦で披露した歴史的大ポカはこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

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「旅の気分を味わいたい!」と海外のニュース番組を見る

2024年11月01日 | 海外旅行

 「旅に出たい病」は不治の病である。

 人には様々な持病というものがあり、躁病とか水虫とか四十肩とか、それぞれあるだろうが、私の場合これが

 

 「海外旅行したい!」

 

 という発作なのである。

 ヤングのころから、ヒマさえあればザック背中に世界へ飛び出すバックパッカーというやつをやっていたが、ときにはコロナだったり、円安だったりで、その野望をはばまれることもあるもの。

 そういうときは、第二次大戦中のドイツ軍がコカ・コーラの代わりにファンタ作ってを飲んでいたように、代用品で欲望を沈めることになる。

 そこで今回も、そんな「旅のファンタ」を紹介してみたいが、前回の世界の車窓から』『ヨーロッパの車窓だけに続いてはこれ。

 

 「外国語のニュース

 

 海外でテレビのあるホテルに泊まると、よくそこで適当なチャンネルを流しっぱにしておくことがある。

 言葉がわからなくても見れるスポーツ中継が多いけど、あとはなんとなくニュースをつけていることもある。

 に安宿で無音だとさみしいから、ラジオ代わりに見るともなしに見るんだけど、そのせいか、日本でもBBCとかZDFのニュース番組をたまさかみると、旅情のようなものを味わえる。

 もちろん、ふだんはそんなもの見ないけど(そもそも日本語でもニュースとかめったに見ないし)、朝とか夕方になんとなしにザッピングしているとき、ちょっとそういうものが流れていたりすると、

 

 「嗚呼、いいなあ」

 

 旅の記憶が喚起されて、なんだかウットリしてしまう。

 こういうものは不思議なもので、

 

 「よし、旅の気分を疑似体験するぞ」

 

 という意図を持って録画したのを観たりすると、とてもつまらない気分になる。

 その気もないのにテレビやネットを見てたら、たまたまそういうチャンネルに合わさっていたときだと、「思い出すなあ」とステキな気分になれる。

 理由はよくわからないが、そのさりげなさが「神様からの贈り物」みたいでラッキー感が増すのだろうか。

 海外のニュースといえば思い出すのが、私がよく旅していたころの「あるある」にこんなのがあって、

 

 「みんなでニュースを見ているときアメリカ人がいると気まずい

 

 そもそもアメリカ人というのは、世界でムチャをやらかすから嫌われているものだが(個人としてみればイイ奴が多いんだけどね)、これが海外に出るとよくわかる。

 南米人はたいていそうだし、イスラム圏も当然アンチでバリバリだ。

 モロッコを旅したときは、いろんな人から、

 

 「おまえはブッシュビンラディンのどっちを支持する?」

 

 という質問をされたものだった。知らんがな

 そんなわけなので、ユースホステルなんかでいろんな国の人がワイワイやっているところに、備えつけのテレビから、

 

 「アメリカがアフガン空爆

 「ブッシュ大統領がイラク侵攻を決定」

 

 なんてニュースが流れたとたんシーンとなり、アメリカ人旅行者が暗い顔をしながら部屋に帰っていくなんて場面もあった。

 別に政府がやることと市井のアメリカ人は違うわけだし、そんな雰囲気にならなくてもいいのにとも思うけど、彼らは彼らで議論になると、

 

 「オレたちのやってることは正しいじゃん! みんなも、テロリストはゆるせないでしょ? 正義の戦争だよ」

 

 とか言っちゃう人もいるしなあ……。

 ちなみにモロッコではまた、

 

 「日本は国を焼け野原にされたうえ、原爆を2発も落とされたのに、なぜアメリカにペコペコしてるんだ?」

 

 とも聞かれて、これには「戦争に負けた罰ゲームやねん」としか答えられなかったが、果たしてニュアンスは伝わってたのかしらん。

 
 
 
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必殺の0,1秒 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 第6局 その2

2024年10月29日 | 将棋・名局

 前回の続き。

 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治竜王佐藤康光七段の七番勝負、第6局は両者ゆずらぬ大熱戦になった。

 

 

 

 羽生優勢から、一瞬のスキを突いて佐藤が一気の追い上げを見せる。

 図の△95桂が強烈な一撃。

 ▲同歩とは取り切れないし、後手からはが入れば、自動的に先手玉の詰めろになる仕掛け。 

 そして、その銀は盤上に2枚落ちている。

 佐藤のパンチが急所に入り、さすがの羽生も朦朧としたそうだが、ここでまた、すごい勝負手を振り絞ってくる。

 

 

 

 

 


 秒読みの嵐の中、▲33歩△同桂▲41銀と打ったのが目を疑う手。

 先手玉はを渡すとお陀仏なのに、その銀を攻めに使うと。

 とんでもない度胸であるが、羽生によるとここでは、

 


 「慌てて指した手で、その後は負けだと覚悟しました」


 

 苦肉の策だった。しかも、この銀は△87桂成からバラした後、△81飛が王手で抜かれてしまうのだ。

 ここでは行方尚史五段が指摘の、▲25桂が有力で、△同桂▲33歩なら難解ながら後手玉は寄っていた。

 

 

 うーむ、さすがはナメちゃん、するどい!

 これを逃し、なら先手負けかといえば、そうではないのが勝負の不思議で、1分将棋でこの銀打は不思議な魔力を発揮するのである。

 佐藤は△87桂成として、▲同飛成△同竜▲同玉△81飛王手銀取りをかける。

 

 


 
 自然な応手で自陣の憂いを消し、佐藤はここで優勢を確信した。

 それ自体は間違っていなかったが、△81飛と打つところでは、△31金打△42金打と守るほうが勝っていたという。

 飛車手持ちにしたままの方が、先手玉を寄せるのに役立つし、これで強引にを入手してしまえば詰めろになって、先手も受けがむずかしい。

 とはいえ1分将棋では、△81飛と打ちたくなるのも人情で、しかも、それで後手優勢なのだから、佐藤康光も責められるいわれは、ないわけだ。

 ただ、あくまで結果的にではあるが、この銀打ちは小さいながらも、逆転のタネになった可能性はある。

 自陣に使わせた飛車は、その後あまり働かなかったからであるが、これはさすがの羽生も、そこまでねらっていたわけではないのだが。

 △81飛▲83歩△41飛で、手番が来た羽生は▲33銀成として、△同金▲52飛と王手。

 △32金打とガッチリ受けるが、この次の手が、またも羽生の渾身の勝負手だった。

 

 

 

 

 


 ▲56歩と、このタイミングで受けに回るのが、「羽生マジック」と呼ばれるゆさぶり。

 ふつうなら、先手は手番をもらった一瞬に、なんとかラッシュをかけて、後手玉を仕留めてしまいたいところのはずだ。

 当然、佐藤もそこに絞って、自陣のしのぎ形からのカウンターを、懸命に読んでいたことだろう。

 そこに、この驚愕の手渡し

 しかも、ここで△63角とされると、負けが決定しそうな場面でもあるのだ。

 それを「やってこい」と。

 どういう神経をしてるのか。これにはさすがの行方も、

 


 「見た瞬間に、僕の頭も切れちゃいました」


 

 それくらいに、信じられない一手なのだ。

 竜王位のかかった、この修羅場中の修羅場で、しかも相手の好手が見えながら手を渡せるとは……。

 佐藤の前に、フワッとチャンスボールが上がった。

 あとはそれを、スマッシュすれば決まりである。

 だが、ここで佐藤が最後の最後に間違えた。

 △63歩と取ったのが、自然なようで敗着になる。

 ここではやはり、△63角とすれば、後手が勝っていたのだ。

 羽生は△63角には▲同馬と取って、△同歩▲25桂とせまるつもりだったそうだが、△42金打と受け手、▲33桂成△同金直で後手が勝ちそう。

 

 

 

 

 本譜は△63歩以下、▲44馬△51歩▲62飛成△52金と、自陣に駒を埋め後手が手堅そうだが、こうなると攻め駒も減っている形になり、先手にプレッシャーがなくなる。

 以下、▲71竜△27角成に、▲25桂で、とうとう先手が勝ち筋に。

 

 

 

 

 

 △41飛車も、隠遁して働いてなく、こうなると▲41銀が「毒まんじゅう」の働きになって、それなりに意義があったことになる。

 勝つときというのは、こういうものだ。

 この将棋は▲41銀△81飛△63歩など最終盤は精度を欠いたように見え、実際、観戦していた田村康介四段も、

 


 「この棋譜だけを単に評価するなら、「駄局」の部類に入ると思います」


 

 

 しかし、それに続けて、

 


 「ただ、1分将棋で65手も指したことを考えると、もはやこれは最高級レベルと言うしかない」


 

 

 『将棋世界』で、この将棋を「羽生と佐藤康光の名局」のひとつとして取り上げた、勝又清和七段も、

 


 「延々と続く1分将棋で、この応酬を披露できるのがすごい」


 

 やはり△95桂に対する、▲33歩から▲41銀の流れに感嘆している。

 この一局を振り返って羽生は、

 


 「いや、今回はエネルギーを使いました。こんなに使ったのは珍しいというか、はじめて、ですね」


 

 佐藤は負けが確定した場面について、

 


 「つらかった。つらかったけど、自分の指した将棋ですから。島さんの言う『自分の指す将棋に責任を持つ』そんな心境で指してました」


 

 観戦者によると、対局場の女性スタッフが、モニター越しに食い入るよう、この対局を見据えていたという。

 将棋の内容に関して、そこまで深くは理解できてないはずの人が、わけもわからないまま惹きこまれていく。

 そのことが、どんな詳細な解説よりも、この一局の、すさまじさを表わしている。

 激闘を制した羽生は、これで竜王防衛

 ライバルに一発食らわせ、羽生時代を、ますます盤石のものにしていくのであった。

 


(佐藤康光のクソねばりからの大逆転はこちら

(佐藤康光の怒涛の追い上げはこちら

(その他の将棋記事はこちら


 

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眼下の敵 羽生善治vs佐藤康光 1995年 第8期竜王戦 第6局

2024年10月28日 | 将棋・名局

 「1分将棋の熱闘」こそが、将棋の醍醐味である。

 将棋の持ち時間は、長いほうが当然精度が上がるわけだが、見ていておもしろいのは、やはり秒読みの戦い。

 手がどんどん動くから見ていてダレないし、なにより時間がないことによる読み手順ブレにこそ、勝負のドラマが隠されている。

 かつて先崎学九段はそのエッセイで、

 


 「見ていておもしろいのは、悪手だらけの戦いに最後、一手だけキラリと光る絶妙手がある将棋」



  

 そう書かれていたが、これは本当で、今回はそのような一局を紹介したい。

 現在、藤井聡太七冠佐々木勇気八段竜王戦でバチバチやりあっているが、まだ「若き獅子たち」だったレジェンドたちの戦いも、なかなか熱いでござんすよ。

 


 1995年の第8期竜王戦

 羽生善治竜王と、佐藤康光七段の七番勝負。

 このころこの2人はまだ20代ながら、1993年から3年連続で、竜王戦七番勝負を戦っていた。

 最初の激突では、佐藤が4勝2敗で初タイトルを奪取するが、翌年は羽生がリターンマッチを制して奪い返す。

 そのまた翌年、怒りの佐藤康光はまたも、本戦トーナメントをかけあがって挑戦者になり、ライバル対決の盛り上がりは最高潮に。

 羽生の3勝2敗リードでむかえた第6局

 後手の佐藤が急戦矢倉に組み、5筋での総交換になって、むかえたこの局面。

 

 

 

 後手が仕掛けて駒をさばいたが、3筋にキズもあって、先手からもなにか反撃がありそう。

 ただ歩切れなので、どこから手をつけるか悩ましいところだが、実は後手陣に意外なが、もうひとつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲84銀と打つのが、羽生らしい好手。

 一見俗筋で、指すのにやや気がさすところだが、こういう

 

 「やりにくい」

 「指したらバカにされそう」

 

 という手を平然と選べるところに、羽生の強みがある。

 この銀打も、通常ならねらいが単調で、もし後手から△65歩▲同歩の突き捨てが入っていたら、△65桂▲73銀成△54銀みたいな手順で、アッサリ受け流されてしまう。

 だが、ここで案外と、いい返し技や受けがなく、佐藤もやられてみて、はじめてそのきびしさに気づいたよう。

 それまでの構想に難があったかと悔い、49の苦しい長考で△72銀と引くが、▲82角で先手の駒得が確定。

 「不利なときには戦線拡大」とばかりに、放置して△55歩と動くが、先手も冷静に▲73銀不成と取る。

 騎虎の勢いで△56歩と取りこむしかないが、▲72銀不成△57歩成▲同金△同飛成▲34桂急所に蹴りが入って先手優勢に。

 

 

 

  の安定度が違ううえに、先手からは▲35飛▲64角成を補充する手もあるなど、自然に手が続きそう。

 このままいけば、羽生快勝の流れだったが、佐藤の懸命の反撃に、一回自陣に手を入れたのが、手堅く見えて緩手だった。

 この小ミスで、形勢は急接近

 終盤戦、△45角と絶好の攻防手が飛び出したところでは、もうどっちが勝っても、おかしくない。

 

 

 


 次に△89竜とされれば、▲63質駒になっていることもあって、先手玉は危険きわまりない。

 といって、受ける形も見当たらず、観戦記によると、残り5分を切った羽生は、ここで明らかに動揺していたそう。

 いつもポーカーフェイスが売りの羽生にはめずらしいことだが、勝ち将棋をここまで追い上げられては、そうなるのも当然だろう。

 だが、ここからの羽生の対応が、すごかった。

 △45角の痛打にかまわず、なんと▲44銀と踏みこむ。
 
 △89竜をまともに喰らって、大丈夫なのかと目を覆いたくなるが、▲97玉でまだ詰みはない。

 こちらはすでに1分将棋の佐藤は、59秒まで考えて△95桂

 

 

 

 これがまた強烈な一撃で、▲同歩△同歩▲86玉△94金とシバられ生きた心地がしない。

 


 「頭がおかしくなっちゃいました」


 

 と述懐するよう、この桂打ちでグロッキーになった羽生だが、ボヤく間もなく、なにかワザを返さなければならない。

 先手陣は▲82飛車がいるため、△87桂成とされてもギリギリ詰まないが、を渡すと△87でバラして△78銀で仕留められる。

 しかもその銀は、盤上に2枚落ちている。

 つまり羽生は、を渡さず、また▲82飛車の利きもキープしたまま、後手玉を寄せなければならないが、果たしてそんな手はあるのか。

 この超難解な局面での秒読みはシビれるが、ここで羽生が指したのがまた、ド肝を抜かれる勝負手だった。

 

 (続く

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「旅に出たい病」は不治の病 『世界の車窓から』『ヨーロッパの車窓だけ』編

2024年10月25日 | 海外旅行

 「旅に出たい病」は不治の病である。

 人には様々な持病というものがあり、腰痛とか胃カタルとか外反母趾とかそれぞれあるだろうが、私の場合これが、

 

 海外旅行したい!」

 

 という発作なのである。

 ヤングのころから、ヒマさえあればザック背中に世界へ飛び出すバックパッカーというやつだったが、ときにはがなかったり休みが取れなかったり、その野望をはばまれることもあるものだ。

 そんなときは、第二次大戦中のドイツ軍コーヒーの不足を補うために「どんぐりのコーヒー」を飲んでいたように、代用品で欲望を沈めることになる。

 そこで今回は、そんな「旅のどんぐりコーヒー」を紹介してみたいが、まず最初に出てくるのが『世界の車窓から』。

 旅行したい欲が吹き出すときに、ヨダレをたらしながら旅行記ガイドブックや『トーマスクック時刻表』をダラダラ拾い読みするのはよくあることだが、『世界の車窓から』もその一環。

 絵面は綺麗だし、旅番組によくある「仲良し芸能人のおしゃべり」みたいなものないし、時間も短いからお手軽なところもグッド。

 また、かかっている音楽も楽しみで、アフリカオセアニア東ヨーロッパ南米など、ふだんはなじみのない地域の曲がかかっていると、アマゾンYouTubeなどで検索してみたり、ワールドワイドな気分が味わえるのも良い。

 あと、似たようなのでBS12トゥエルビでやってた『ヨーロッパの車窓だけ』というのもある。

 これはすごい番組で、なんと本当に「車窓だけ」を流すというもの。

 ナレーションもなければ、観光名所グルメ情報もなし。カメラの切り替えすらないという、車窓オンリーのノーカットノー演出映像。

 つまりは、それこそがカメラを車窓の見える位置に置いて、そのまま無言撮影しただけの映像と同じなのだ。

 シュールというか、テレビやYouTubeなどでときどき「やらせ」が取りざたされる中、そんなもんしようのないストイックすぎる姿勢だ。企画したヤツ、気ィ狂ってるんちゃうか。

 てゆうか、だれが見るの? まあ、オレが見るんやけどさ。

 さすがに、ひとりでジーっと見てるのはしんどいけど、一杯やりながら友人と旅話に興じるには最高BGV

 ただガタゴトとレール音が鳴るだけの静かな画面は、昼寝のお供にもピッタリだ。起きたらパリプラハにでも着いてたらいいのに。

 

 


 (『世界の車窓から』あえて地味なルーマニア編)

 (『ヨーロッパの車窓だけ』ブダペストからザルツブルク) 

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暁の決闘 佐々木勇気vs藤井聡太 2018年 第1回アベマトーナメント決勝3番勝負 第1局

2024年10月22日 | 将棋・名局


 佐々木勇気が、タイトル戦初勝利をあげた。

 今期の竜王戦七番勝負第2局で、藤井聡太竜王(名人・王位・王座・棋王・王将・棋聖)に快勝し、1勝1敗タイに持ちこんだのだ。

 佐々木勇気と藤井聡太と言えば、なにかと因縁があり、
 
 
 「デビューから30連勝を阻止」
 
 
 をはじめとして、アベマトーナメント決勝や、NHK杯決勝で2年連続当たるなど、インパクトのあるところで戦っている。
 
 その後は、きびしい言い方をすれば、かなりがついてしまった両者だが、個人的に、
 
 
 「あれ? ちょっと勇気、藤井くんに勝つの大変?」
 
 
 と感じたのが、この勝負からであった。
 
 
 
  


 

 2018年、第1回アベマトーナメント決勝3番勝負。
 
 勝ち上がってきたのは藤井聡太七段と、佐々木勇気六段の2人だった。
 
 双方とも優勝候補で、一番期待していたカードともいえるが、この決勝戦も1勝1敗最終局に突入。
 
 「ニュースター」藤井聡太に期待がかかるのはしょうがないが、それゆえに佐々木勇気も負けるわけにはいかない戦いだ。
 
 将棋は佐々木先手で、雁木模様に。
 

 
 
 
 
 雁木はこの当時、かなり有力視されていた戦型だが、仕掛けるのが難しいということで、千日手になりやすいと言われていた。
 
 実際、この駒組ではが使いにくく、どちらも攻めにくい。
 
 先手は▲26角から▲45歩が見えるが、角が動いたときに△86歩から飛車先の歩を斬られるのはシャクだ。
 
 かといって、千日手にするわけにもいかないが、ここで佐々木が独特の打開策を見せる。
 

 

 


 
 
 

 

 ▲77金が力強い手。
 
 われわれの時代は、▲7757に行くのは悪形とされていた。
 
 こういう「足して偶数」のマスは桂馬の通り道で、それがモロに当たってねらわれやすいから。
 
 だから、矢倉でも美濃でも銀冠でも、基本的な囲いはすべてそこを避けるのだが(▲67▲78▲49▲58などに置く)、現代将棋はそんなもん気にしまへんと。
 
 それよりも、△86歩を防ぎつつ、かつ金銀の厚みを主張するということで、以下こういう形に。
 
 
 
 
 


 先手の攻撃陣も整ってきて、これ以上じっとはしていられないと、後手は△75歩から仕掛けていく。
 
 そこから玉頭でもみ合って、この局面。
 
 
 
 

 

 後手の猛攻で、先手陣は相当に乱されている。
 
 特に金銀▲85の上ずってスキが多く、また7筋が素通しなのも怖い。
 
 パッと見△72香とか打ちたいけど、藤井聡太のねらいは、そんな単調なものではなかった。
 

 


 
 
 

 △86歩と打つのが、不思議な感触の手。
 
 玉頭に拠点を作り、▲同金なら△53角の射程圏内に入って神経を使う。
 
 とはいえ先手も取るしかなく、またそれで不安定だった▲76ヒモがつくので、悪いことだけでもない。
 
 そこで後手はどう指すか。
 
 今度、を打つのは▲76がタダ取りできないし、角筋を生かそうと△65銀みたいな手でうまくいくとは思えない。
 
 どうやるのかなーと見ていると、後手の手はまったく違うところに伸びるのだった。
 
 

 


 
 
 


 △24香が、△86歩からの継続手。
 
 これで田楽刺しが決まって、しかもコンビニおでんとちがい、具が飛車の豪華版。
 
 先手が一杯食ったようだが、ここでスルドイ方は

 

 
 「あれ? これがあるから、しのげるんでね?」


 

 そう思われたかもしれない。
 
 その通り。この田楽刺しは見事なように見えて、完璧ではなかった。
 
 佐々木は▲25歩と打って、△同桂の利きをブラインドに入れてから、▲69飛とかわす。

 後手は△37桂成と、ふたたびを通すが、▲同角と手順にも逃げて、投げ槍を空振りさせた。
 
 だが、それも藤井聡太の読み筋で、ここで△74桂がきびしい。
 
 
 
 
 

 先の△86歩は、この手をねらってのものだったのだ。
 
 一見、▲同金で効果がないようだが、一転視線を右辺にやって、巧みに桂馬を入手すると、それを急所に打ちつける。
 
 局面だけ見れば、さほど働いていない△33が、△74ワープしたようなもので、うまく攻めるもんであるなあ。
 
 ▲96金に、△75銀と浴びせ倒して、▲67銀△77歩

 
 


 
 カサにかかったパンチの連打で、先手玉はいつ仕留められてもおかしくない。
 
 後手は△27香成と、こっちのもソツなく活用。
 
 ただ、佐々木も決死のねばりを見せ、徳俵でふんばり土俵を割らない。
 
 そうして、クライマックスがここだった。
 
 
 
 
 

 △77歩のビンタが強烈だが、ここをどう応じるか。
 
 ▲同桂か、を逃げるか。
 
 時間に追われた佐々木は、とっさに▲77同桂と取ったが、これが敗着になった。
 
 ここは▲88玉が、最後の勝負手だった。

 


 
 これも先手玉は危険極まりなく、△87飛成とかで寄ってるかもしれないが、どっちにしても、これしかなかった。
 
 終局後、佐々木勇気の第一声が、たしか、
 
 


 「▲88玉でしたか」



 
 
 だった記憶があるから、やはりポイントはそこだったのだ。
 
 もっとも、1手5秒の超早指し戦で、この形は選べないのもわかるところだが。
 
 ▲77同桂△97歩成とシンプルに成られ、▲同歩△同角成で突破されている。
 
 ▲88歩に、△87歩▲76銀左△87金と強引にカチこんで、以下後手が勝ち。
 
 佐々木勇気も力をふりしぼったが、最後は藤井聡太がそれを上回った。
 
 このときの結果がインパクトあって、
 
 
 「あれ? これちょっと、勇気の分が悪くね?」
 
 
 いわゆる「格付け」的なものが、少々見えてしまったような感じだったのだ。
 
 その予想は当たってしまい、その後公式戦でもアベマの大会でも連敗を重ね、昨年のNHK杯決勝まで、
 
 
 「藤井聡太に、なかなか勝てない」
 
 
 という周囲の声とともに、佐々木勇気は苦難の道を歩むことになるのだが、ここへきてNHK杯優勝に竜王戦挑戦と、大器がようやく爆発のきっかけをつかんだ。

 

 

 

 

 

 「少年」のイメージも強い勇気だが、年齢もいつの間にか30歳

 「負けても経験」「これからいくらでもチャンスがある」とは言いにくくなっている。

 伊藤匠叡王に続いて「佐々木勇気竜王」まで誕生すれば、ニューヒーローということで将棋界も、さらに盛り上がるはず。

 ここから一気に3連勝するくらいの勢いで、第3局以降もノッていってほしいものだ。
 
 

 (佐々木勇気と藤井聡太の大熱戦はこちら

 (その他の将棋記事はこちら

 

 

 
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「やあ、ラッキーぜんじろう!」と平成のボンクラ大学生たちは言った その2

2024年10月19日 | 若気の至り

 前回の続き。

 


 「おまえらが、センス見せようとしてるところが腹立つ」


 

 友人イチオカ君のメッセージは、ヤングのころ、お笑い芸人のぜんじろうさんを街で見かけたとき、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう!」

 「ABCお笑いグランプリ最優秀新人賞、おめでとう!」

 「相方の太平かなめは、どないしてん! 捨てたか?」


 

 と呼びかけたことを示していた。

 まず友人センヨウ君が、あえて「昔の芸名」で、しかも本人が「黒歴史」認定している名で呼ぶとは、そこには当然、

 


 「そんなマニアックなことを知っている、俺様のお笑い教養の高さ」


 

 を誇っているわけだ。

 ハッキリ言ってイタいが、まだまだ話は終わらず、私も追随して、「ABCお笑いグランプリ」を持ち出す。

 これもまた、センヨウ君から受け取ったバトンで、当時の感覚ではぜんじろうさんといえば、人気番組だった「テレビのツボ」にふれるべきである。

 カラんでいくなら、当然そこで

 


 「おまえがやってるテレツボ、全然おもんないわー」


 

 などと行けばいいのだろうが、そんな中学生レベルのものが、ゆるされるわけない(?)のは自明の理。

 あえて、もう5年以上前(当時)の栄冠であるABCのタイトルを持ち出すあたり、そこはかとない「はずしてねらう」感がかもしだされている。

 今でいえば、オズワルド空気階段のふたりに話しかけるとき、М-1キング オブ コントのことはいっさい無視して、

 

 ラフターナイト優勝」

 

 にしか、ふれないようなものであろう。

 やはり、自分は

 

 玄人のお笑いファン」

 「メジャーになる前からチェック済みの情報強者

 

 なことを見せつけたい願望が、アリアリである。

 しまいには、エサカ君の「太平かなめ」発言。

 太平かなめとは、ぜんじろうさんのコンビ時代の相方さんで、それこそABCの優勝は「かなめぜんじろう」で獲得したものなのである。

 言うまでもなく、私の「ABC」に対する受け言葉

 昔、岡田斗司夫さんが声優岩男潤子さんと仕事をしたとき、アニメのことそっちのけで、岩男さんが過去に所属していたアイドルグループで、おそらくは黒歴史であろう、セイントフォー時代のことしか質問しなかったようなもの。

 当然ながら、すごい嫌がられたそうだけど、そりゃそうであろう。

 キーワードは「あえて」であり、

 

 「あえて、ラッキーぜんじろう呼ばわり」

 「あえて、今の輝きでなく、昔のローカルな栄光を呼び覚ます」

 「あえて、セイントフォー

 

 有名人にからんでいくときというのは、少なからず

 

 イラッとさせたい」

 

 という熱い想いがあると思うが、このときのわれわれは、完全に「大喜利のノリ」で、それをやっていた。

 

 「こんなお笑いファンはイヤだ。どんなお笑いファン?」

 

 それを、芸人かぶれの酔った学生が、

 

 「見てくれ、オレたちの教養ワードセンス

 「おまえなんかよ、俺らの方が全然オモロイ」

 

 みたいな顔しながらカマしてくるんだから、まったく地獄以外のなにものでもない。

 なんかまあ、淡々と書いているようで、今の私は恥ずかしさで転げまわりそうです。踊りでも踊ったろかしらん。

 もちろんのこと、こんな「かぶれ」の若者など、本人は「オモロイ」つもりだが、受ける方からすれば、しょせんは使い古された「あるある」にすぎない。

 実際、吉本新喜劇でも活躍された小藪一豊さんも、

 


 「【小藪さん、ビリジアンの時代から応援してます】とか、やってたコンビ名出して、濃いファンですアピールしてくるヤツ、マジでうっとうしいわ」


 

 なんて怒っており、

 

 「もうそれ、ボクですわ、すんませーん!」

 

 なんて裸足で逃げ出したくなるのである。ビリジアンのテニスのネタ、好きでしたよ!(←そういうとこだよ)

 いや、これねえ、おチャラけて書いてるようですけど、こっちはホンマに痛いツライ

 有名人にカラんだのもさることながら、さっきから再三言っているよう、そのワードセンスとかが、またアレだ。

 

 「俺たちお笑いのプロ

 「芸人なんかより、全然センスある

 

 とか思われたいのが、全体からにじみ出ており、そこを的確に刺してきたイチオカ君の性格の悪……感度の高さは、さすがである。

 昨今、ネットを通じた芸能人へのウザがらみや、誹謗中傷が問題になっているが、私はできるだけそういうものを減らしたいと考えている。

 それはもちろん芸能人の人権を守り、日本人の持つ倫理観民度の高さを復活させたいから、とかではなく、のちのちシャワーあびてるときや、布団の中とかで、

 

 「ギャ! また思い出してもうた!」

 「若かったんやー、阿呆やったんやー、もうゆるしてー」

 

 と悶絶する「負の遺産」を心の中に残さないようにするためである。

 いや、マジでハズいッス。

 なので、やめましょう、こういうことは。人生の先輩の、ありがたいお言葉。

 

 

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「やあ、ラッキーぜんじろう」と平成のボンクラ大学生たちは言った

2024年10月18日 | 若気の至り

 「おまえらの、センス見せようとしてるところが、腹立つわー」


 

 先日、ケータイにそんなメッセージが届いてきた。

 差出人は友人イチオカ君で、

 


 有名人に、あんなからみ方したら、アカンでマジで」


 

 なんでも、こないだ私が若いころ、お笑い芸人ぜんじろうさんにヤカラを入れたことに憤っているようのだ。

 怒っている友には申し訳ないが、それは誤読というものである。

 たしかに私は友人と酔って、ぜんじろうさんにからみはしたが、すでに反省しているし、相手方にも

 

 「アナタが寛容な心をもって、どうしてもわれわれのことを許したいと切望するなら、それを受け入れるにやぶさかではないが、いかがかな?」

 

 心の広いところを見せているのだ。

 それを理解せずキレるなど、サムネやネットニュースの見出しだけ見てアンチコメントを書く、そそっかしい連中と同じではないか。

 そう友を諭すと、

 


 「いや、ぜんじろうなんか、どうでもええねん」


 

 われわれと変わらぬ、豪快に失礼な返事が返ってきたうえで、

 

 


 「それより、おまえらが、ヤカラの中にセンスを見せようとしてるところが、もうムカついてムカついて!」


 

 さすがは友人。イチオカ君は実にいいところを見ている。

 こないだの記事について、私は自分のをさらしたつもりだが、実はそこにかくし味として、もうひとつの「恥ずかし反省ポイント」が忍ばせてあるのだ。

 整理すると、大学生のころだから、今からウン十年前の1990年代後半くらい。

 大阪の繁華街である難波で、朝まで呑んでいた私と友人一同は、そこで当時『テレビのツボ』という深夜番組で大ブレイクしていた、ぜんじろうさんを見かける。

 そこですかさず、われわれ泥酔ボンクラ学生は、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう!」

 「ABCお笑いグランプリ最優秀新人賞、おめでとう!」

 「相方太平かなめは、どないしてん! 捨てたか?」


 

 典型的な「有名人にヤカラを入れる愚かな若者」であり、今なら炎上

 まだ荒っぽさの残る当時なら、

 

 「なんやコラ」

 「なめとったら、承知せんぞ!」

 

 ケンカになっても、おかしくないかもしれない。

 まあ、ぜんじろうさんも、こんな阿呆集団にいちいち、かまってられないだろうが、今思い返しても、われわれは実に愚昧である。

 さらには、ただでさえ痛いヤングなところに、もうひとつ同世代くらいの方々は上のセリフに、さらなる「自意識過剰」を発見し苦笑するのである。

 たとえば、

 


 「おい、ラッキーぜんじろう!」


 

 という友人センヨウ君の発言。 

 ラッキーぜんじろうとは、ぜんじろうさんがデビューしたころの芸名

 ふつうに、「おい、ぜんじろう」でいいところを、わざわざの芸名で呼ぶ。 

 こまかい情報であるが、センヨウ君からすれば、

 

 「自分はそんなマニアックなことを知っている」

 

 という「お笑い偏差値」の高さをアピールしているわけだ。

 さらにはのちに「ラッキー」を取ったと言いうことは、この芸名を気に入っていなかったわけだから、わざわざ、そこをつくという手のこんだ嫌がらせで、

 

 「オレは芸人に、【アホ】【おまえなんか、全然おもんないんじゃ】みたいな、ベタなヤカラを入れるような、低俗なお笑いファンではない」

 
 という「意識高い系」であることへの、こだわりでもあるのだ。なんという教養

 今でいえば、オードリーを見かけたときに「お、ナイスミドル若林や」。

 ライセンスのお二人に「おい、ちゃらんぽらん」と呼びかけるようなものであろうか。

 そこにあるのは、そんなことも知っているという、まさに選ばれし「情報エリート」という自負であるのだ。

 ちなみにセンヨウ君は南海キャンディーズMー1グランプリでブレイクし、山里さんが売れっ子になったころ、

 

 「ほう、イタリア人って今、結構がんばっとるんやな」

 

 とかコメントしており、相変わらずの激イタ

 どうも我々の辞書には「成長」「大人への階段」という文字は無いようなのであった。

 

 (続く

 

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緻密流と見せかけて野蛮 佐藤康光vs羽生善治 1993年 第6期竜王戦 第4局

2024年10月15日 | 将棋・名局

 佐藤康光の将棋は野蛮である。

 というと今のファンからは

 

 「そんなの知ってるよォ」

 

 なんて笑われるかもしれないが、佐藤をデビュー時から知っている身としては、そのイメージはけっこう意外なものだった。

 もともと、見た目も言動も優等生的で、ニックネームも「緻密流」。

 さらにプライベートではバイオリンが特技とくれば、これはもうまごうことなき正統派の「エリート」。

 今で言えば、キャラクターも将棋も伊藤匠叡王のような感じだったのだ。

 とはいえ、仲の良い先崎学九段はよく

 

 「緻密って、そうかなあ。彼の将棋はもっと大ざっぱで乱暴ですよ」


 

 いぶかしんでいたし、また亡くなった村山聖九段が、なぜか佐藤康光をあまり認めていなかったのは佐藤自身も認める有名な話。

 その理由として、若くして亡くなった村山への追悼文に佐藤が、

 


 「彼は即興の将棋は嫌っていた。私の将棋は多少、そういう面を持っている」


 

 との分析を表していた。

 「即興」というのも、これまたピンとこなかったが、「感性重視のアイデア」と取れば、今の姿と、つながるところはあるやもしれない。

 そんな佐藤康光が「野獣」としての本性をあらわしてくるのは早かった。

 強くそれを感じ取れたのは、タイトル獲得となった1993年の第6期竜王戦

 当時、「七冠ロード」を走り、飛ぶ鳥落とす爆発力で棋界を席巻していた羽生善治五冠(竜王・棋聖・王位・王座・棋王)を相手に、すさまじいパワーを見せつけるのだ。

 見事な将棋で先手番ブレークした第5局もすごかったが(→こちら)、そのひとつ前の第4局もまた、剛腕が炸裂しまくっていた。


 羽生竜王の2勝1敗リードでむかえた本局は、ガッチリ組み合う相矢倉に。

 佐藤の棒銀を、羽生は△22銀型で受け流そうとし、むかえたこの局面。

 

 


 

 

 後手の羽生△65と打ったところ。

 先手はこの局面、一瞬は金得だが、銀取りに対応する手がむずかしいところ。

 どう指すか注目だが、ここから佐藤康光が本領を発揮する。

 

 

 

 


 ▲33飛成△同金▲34歩が佐藤流のハードパンチ。

 銀取りに▲77と逃げると、△76歩と追撃され、▲同銀には△44角王手飛車で「オワ」。

 「両取り逃げるべからず」のように、受ける手がないときは受けなければいいのである。

 そこで飛車を切ってドン。

 ▲34歩のタタキに△32金と逃げていては、▲33桂とかガンガン攻められてあっという間に押しつぶされるから、△同銀と取って、▲同銀△同金

 そこで▲43角が痛烈な王手金取りで、△32歩▲22歩と一回王手して、△同玉▲34角成

 

 

 次に▲44馬から▲34桂と打たれると、ほとんど詰みだが、次の手が、おぼえておきたいカウンター。

 

 

 

 △79銀が、この形の手筋。

 王様のどちらで取っても、飛車打ち王手馬取り▲34が抜ける。

 ▲79同玉△39飛▲88玉△34飛成で急場を脱したが、そこで▲35歩とタタいて、なかなか振りほどけない。

 

 

  

 とにかく先手は持駒が豊富だし、の守備力は強いが「玉飛接近すべからず」で、むしろ攻撃の目標にされているのがツライ。

 △同竜▲43銀とからまれたところで、後手は待望の△66歩

 次に△67歩成とできれば勝つチャンスもあるが、この一瞬が甘いと佐藤は▲34金

 羽生は△33銀と必死の防戦だが、▲42銀打と組みついて、とうとう受けるスペースがなくなってきた。

 △42同銀▲同銀不成△同飛▲35金を取る。

 

 

 


 カナメのをはずして、後手玉は風前の灯火。

 次に▲34桂からの一手スキで、△33歩のような力のない受けでは、▲34歩などわかりやすく攻められて一手一手

 後手はなんとか一手しのいで、△67歩成を実現させたいが、ここで羽生が魅せるのだ。

 

 

 

 

 

 


 △34銀と打つのがハッとする勝負手
 
 ▲同金詰めろがほどけるから、その瞬間△67歩成で危険きわまりない。

 ビール瓶でなぐりかかるような気狂いじみた猛攻を、後手もなんとかワザでしのごうとするが、佐藤は奇手を食らっても落ち着いていた。

 一回▲61飛と先着して、△41銀とさせてから▲34金と取る。

 後手は待望の△67歩成だが、そこで▲同飛成と取れるのが、▲61飛と打った自慢だ。

  

 

 

  これが冷静な組み立てで、盤面右側しか目がいかなそうな場面で、実に落ち着いたものである。

 これで先手玉が格段に安全になって、以下は佐藤勝ち

 「野蛮」と「緻密」を見事に融合させた指しまわしで、ここから3連勝とダッシュ。

 宿敵である羽生から、初タイトルとなる竜王を獲得するのだ。

 


(佐藤康光のスゴイ詰みはこちら

(佐藤康光のとにかく剛腕はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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