クリスマスといえば思い出すのは「血尿」というワードである。
今は知らねど私がヤングのころは、はじけたとはいえ、まだバブルの残り香がただよっていた。
なもんで、冬が到来すると、
クリスマスに予定がある=人生の勝利者
クリスマスに予定がない=地を這いずり回る、生きる価値もないくそ虫
などという一部男子の基本的人権などブン無視した価値観が、まかり通っていた。
しかも聖夜にはメチャメチャ高いホテルで、ぼったくりディナーとワインをいただく。
ブランド物のプレゼントはマストで、その後は夜景の見える高層階の部屋でエロいことをしなければいけないという、底の抜けた定跡が存在。
私の友人たちもコンビニの夜勤と、寒空の中での肉体労働などを掛け持ちし、10万円くらいする財布をプレゼントしたりしていたものだ。奴隷か。
他にも、クリスマスは電車に乗るな血を売ってでもタクシーに乗れ、いやそもそも外車を寄こせレンタカーは論外だぞとか、現金はダサいからカード払いで、イタリア製のスーツ着てこいとか。
今の若者は「女性専用車両」の存在や「メシをおごらない男はクズ」みたいな言い分に、
「女尊男卑やん!」
とか憤りの声を上げているそうだが、なーに、こんなのはいつの時代も大して変わらないのである。
そんな、広告代理店による搾取とアジテーションのイベントであった当時のクリスマスだが、時代というのはオソロシイもので、皆が結構「そういうもの」と疑問にも思わなかった。
現にナガノさんという私の先輩なども、まだ5月くらいから、梅田のホテルでクリスマスのディナーを予約して、悦に入っていた。
12月のイベントに、なんでゴールデンウイークごろから奔走するのか、と問うならば、
「阿呆やなあ。いざ本番が近づいて、彼女とクリスマスディナー言うても、どこのホテルも予約なんて取られへんのやぞ」
たしかに、そうだったかもしれないが、いくらなんでも5月は早すぎる気がする。
私など世の流行と無縁な太平楽なので、そんなときでも家で納豆とか食ってたりしてピンとこなかったし、なにより最大の問題点は、ナガノ先輩に彼女などいないということなのだ。
こんなもん、どう考えても12月に、ヒルトンかリッツ・カールトンかインコンあたりで、カップルに囲まれることになるだろう。ひとりで。
冷笑の目に耐えながら、夜景を前に何万もするワインをソロでたしなむという、恥辱プレイの未来しか見えない。
見た目が六角精児さんソックリで、趣味がエロゲーとミリタリーというスペックではそうなると、能力者ならずとも絶対的に当てる自信があったが、その通り。
ナガノ先輩は当然ながら12月になっても彼女ができず、鼻がもげそうなほどのキャンセル料を払って、
「羞恥のクリぼっち」
を回避する羽目になった。
われわれ後輩一同が、ニヤニヤしながら「どうでした?」と問うと、先輩は
「血の小便が出たよ……」
これは今でも、我らが母校である大阪府立S高校史上(ナガノ先輩はすでに大学生だったが)に残る名言と記憶されている。
私が「血尿」という言葉を聞くと思い出すのが、体育会系のしごきでも、過労のサラリーマンでもなく、領収書を手に氷のような表情でたたずむナガノ先輩の横顔である。
まあ、今思えば先輩は、クリスマスに向けて彼女がいなかったどころか、そもそもそのとき、まだ女の子と一回もつきあったことすらなかった。
そう思うと、まさに味わい深い蛮勇というか、ますます意味不明だが、そんな人でも、こんなことをしてしまうというのが、1980年代から90年代という時代だったのである。