「いい手」というのは連鎖するものらしい。
将棋において、いわゆる「インフルエンサー」になるのは、新手や新戦法を開発した人である。
「藤井システム」や横歩取りの「青野流」「勇気流」。
また最近では「エルモ囲い」など、AIなどの手でも、優秀なら皆が参考にするわけだが、それのみならずインパクトのある「好手」もその流れにある。
かつては、受けがむずかしい局面を検討していた棋士たちがよく、
「大山先生(康晴十五世名人)だったら、どう指しただろうか」
とつぶやいていたそうだが、今なら
「藤井聡太なら」
「AIなら」
同じように考えて手を読む人も、多いのではあるまいか。
そこで今回は、そういう谷川俊太郎「朝のリレー」のような「好手のリレー」を見ていただきたい。
2002年の第43期王位戦。
羽生善治王位(竜王・王座・棋王)と谷川浩司九段の七番勝負から。
挑戦者谷川の3連勝を受けての第4局。
後手になった羽生は、谷川の十八番である角換わり腰掛銀を受けて立つ。
むかえたこの局面。
これは当時、課題局面のようになっていた図であった。
ふつうは△32金とか逃げるところで、以下▲41角、△74角、▲28飛、△42飛、▲11銀という前例があるそうだが、羽生はここで意表の新手をくり出した。
△24金と出たのが、話題を呼んだすごい手。
歩越の金は形が悪く、
「金はななめに誘え」
という格言もあるほどだが、その逆を行くのが羽生らしいといえば、らしい。
一見、これで守備力が激減してしまったようだが、上部が厚く、△13から△14に玉を収納するルートが、思った以上に攻めにくいのだ。
以下、▲53桂成と成捨てて、△同金に▲71角、△52飛、▲61銀がこの形の手筋で、△51飛に▲62角成で後手が困っていそうだが、それにはぺちっと△42銀で受けておく。
いかにも気が利かない手だが、これで先手から有効な攻めがない。
▲51馬、△同銀、▲71飛と打ちこむも、△38角、▲39飛、△74角成で後手が猛烈に手厚い。
以下、谷川の食いつきをしのいで、羽生がカド番をひとつ返す。
シリーズは1勝4敗で敗れるが、大きなインパクトを残した形となった。
その「羽生新手」が、いかに他の棋士たちに影響をあたえたのかと言えば、大きな一番で現れたのが、この将棋。
2003年の第61期B級1組順位戦。
鈴木大介七段と、久保利明七段の一戦。
この期、久保はすでに昇級を決めており、この一局は消化試合だったが鈴木はキャンセル待ちの一番手につけており、絶対に負けられない勝負。
戦型は「振り飛車御三家」にふさわしく、相振り飛車となり、むかえたこの局面。
後手が△25桂とせまったところだが、この流れから見れば、正解はおわかりでしょう。
▲26金と出るのが、力強い好手。
ふつうは▲38金だが、△37歩の追撃や、端が薄いのも気になるところ。
なので、歩打ちを先にかわしながら端攻めにも備えて、これで耐えているというのだから、鈴木大介もいい度胸をしている。
以下、△43馬、▲69飛、△16歩に手抜きで▲55桂の反撃で、鈴木が熱戦を制する。
▲26の金が上部に厚くて、端攻めがまったく怖くないのだ。
自力昇級の権利を持っていた井上慶太八段が、高橋道雄九段に敗れたため、鈴木は初のA級に。
このとき、▲26への金上がりについて鈴木は、
「羽生さんの△24金を、イメージして指した」
羽生は升田幸三賞を取るような「画期的新戦法」こそ残していないが、有形無形の様々な形で、数えきれないほどの戦法や勝負術にその影響をあたえている。
それこそ「藤井システム」などにもであって、この金上がりも、またそのひとつ。
そう考えると羽生の、いやその他多くの棋士たちの目に見えない「升田幸三賞」が、きっと山のようにあるに違いないのだが、われわれのようなただのファンには、それが見えないのが残念だ。
(鈴木大介の渾身の勝負手はこちら)
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