イージスの盾 三浦弘行vs飯塚祐紀 2005年 棋聖戦 森内俊之vs羽生善治 2005年度 第63期名人戦 第2局

2025年01月15日 | 将棋・好手 妙手

 見事な「受けの決め手」は楽しい。
 
 将棋の棋風というのはザックリ2つに分けられて「攻め将棋」と「受け将棋」。
 
 どちらを選ぶかは特技好みで分けられるが、私は「受け将棋萌え」である。
 
 あざやかな詰み必至もいいけど、どう見ても寄っているようにしか見えない玉が、最後ピッタリしのげている図などを見ると、もうウットリしてしまうのだ。
 
 
 


 2005年の棋聖戦
 
 三浦弘行八段飯塚祐紀六段の一戦。
 
 相横歩取りの激しい戦いから最終盤、先手の飯塚▲24歩とタラしたところ。
 
 
 

 

 後手玉は次に▲32竜から簡単な詰み
 
 一方、先手玉にはまだ詰みはなく、後手陣にこれといった受けも見当たらない。
 
 かといって△12銀とか受けるようでは、先手玉への攻めなくなり苦しそうだが、ここは三浦が読み切っていた。
 

 


 
 
 
 

 △12香と上がるのが受けの決め手
 
 と言われても、見ている方にはなんのこっちゃだが、これで後手はを渡さずに必至をかける手段がない。
 
 たとえば、さっきのように▲32竜とするのは△同銀▲23金△11玉(!)。

 

 

 ▲32金必至をかけても飛車を渡してしまったから、△58竜▲同玉△38飛から詰まされる。
 
 ▲23歩成△同金▲同金△同玉▲31竜とこちらからせまるのも、今度はを渡すから△56桂から詰む。

 


 
 身動きの取れなくなった飯塚は▲42金とするが、そこでもやはり△11玉ともぐるのが決め手。
 
 
 
 

 ▲23歩成は詰めろでないし、▲32金と取っても△同銀で、これが自動的に先手玉への詰めろになるから▲同竜と取れない仕組みだ。

 

 


 
 ここで飯塚は投了
 
 早逃げで、

 

 を渡さずに詰めろや必至をかけられない」

 

 という局面に誘導する「ゼット」の応用編のような高等手筋だった。
 
 


 もうひとつは大舞台での受けの妙手を。
 
 2005年度の第63期名人戦七番勝負。
 
 森内俊之名人羽生善治三冠(王位・王座・王将)との第2局
 
 一手損角換わりから、大駒が乱舞する展開で終盤戦へ。
 
 
 
 
 後手が優勢の戦いだったようだが、羽生が△45歩角道を遮断したのが良くなかった。
 
 △67成銀をねらっているが、次の手がピッタリの受けだったからだ。
 
 
 
 
 
 ▲48金と寄るのが、森内の力を見せたしのぎの技。
 
 △39竜と取るのは▲57金で受け切り。
 
 
 
 
 かといって本譜の△48同成銀では、攻め駒がソッポに行かされて、スピード勝負で明らかに負ける。
 
 以下、▲66香と設置して、△39竜▲63香成△83玉▲75桂と殺到して先手が勝ち。
 
 
 
 
 成銀僻地へ飛ばされ、先手玉にまったく寄り付きがないから、後手はどうしようもない。
  
 こんな手を3筋で遊んでいたはずの金銀で食らわせるなど、森内からすればガッツポーズでもしたくなったことだろう。
 
 これで1勝1敗のタイに持ちこんだ森内は勢いに乗って、4勝3敗のフルセットの末に名人を防衛
 


(三浦の終盤力を見せた大熱戦と言えばこれ) 

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一歩千金 中原誠vs大山康晴 1981年 第22期王位戦 第7局

2025年01月09日 | 将棋・好手 妙手

 「一歩千金

 とは、よく言ったものである。

 将棋において、というのは最弱の駒だが、持ってないと困るケースというのは枚挙に暇がない、という不思議な存在でもある。

 序盤仕掛けをはじめ、中盤で敵陣にアヤをつけたり、攻めとか、その用途は無限

 終盤だと玉頭戦などで、がないと選択肢がグンと狭まってしまうのだ。そう、

 

 「歩のない将棋は負け将棋」

 

 なので、プロのみならず、われわれレベルのアマチュアでも「歩切れ」というのは本当にイヤなもの。

 今回はそんな一枚が、勝負を決めた将棋を紹介したい。

 


 

 1981年の第22期王位戦

 中原誠王位と、大山康晴王将との七番勝負。

 シリーズ前半は中原がペースをつかみ、3勝1敗防衛に王手をかけるが、大山もそこからねばり腰を見せ、2番返して3勝3敗のタイに追いつく。

 決戦となった最終局

 先手の大山が三間に振ると、中原は天守閣美濃で対抗。

 タイトルの行方を決めるにふさわしい大熱戦となり、ものすごいねじり合いが展開される。

 大山有利で展開し、中原も苦戦を自覚しながらも、懸命の食いつきを見せる。

 

 

 △59角の王手に▲48銀打の受けなど、すごい形。

 △同歩成とボロっと取れるが、▲同銀引で強引に先手を取る。

 が逃げれば▲31竜で勝ちだから、後手も見捨てて△42金上と手を戻すしかなく、▲59銀に(▲21竜△22金ではじかれてしまう)△32銀と受ける。

 以下、▲75角△53桂▲31竜△22銀▲91竜△99と▲93角成でこの場面。

 

 

 


 先手も急場は脱したが、後手もその間にペタペタと自陣に駒を埋め、容易には手がつかない形に。

 中原の談話によると、先の▲48銀打では、▲48銀上のほうが良かったようだが、かなり怖い手でもある。

 なんにしろ激戦であって、先手がまとめるのも大変そうだが、後手もとにかく歩切れが痛い。

 大駒がないこともあって、よほどうまく攻めないと、切れてしまいそう。

 そうなれば、「受けの大山」が力を発揮しそうだが、ここで中原が見せたのが、ちょっと思いつかない一手だった。

 

 

 

 

 

 △98と、と引くのが、驚愕の一手。

 ねらいはもちろん、次に△97と、で歩切れを解消しようとするものだが、それにしたって、こんな橋の向こうに転がっているような、と金を使うという発想が信じられない。

 だが、この牛歩より遅そうなの歩みが、先手陣を攻略するのに、もっとも速い攻めだというのだから恐れ入る。

 次に歩を取って△36歩激痛で、こうなると後手の攻めが切れない。

 先手は▲96歩みたいな手で逃げようにも、しつこく△97と、とひっつかれて無効

 ▲93がいるから、この鬼ごっこは▲94の地点で、あわれ捕まってしまうのだ。

 

 

 

 

 まさか、弾切れ寸前の戦線の、こんなところに補給物資が埋まっていたとは、だれも思いつくまい。

 大山は▲64歩と攻め合いに活路を見出そうとするが、△33桂▲47香△97と▲63歩成

 そこで△36歩と、ノド元にチョップが入って後手勝ち

 

 

 

 以下、▲同桂△同桂▲同玉△44桂と王手で押さえる。

 ▲37玉に、△55香と退路を塞いで、▲57歩△45桂右で、あざやかに決めた。

 

 

 これが大山のディフェンス網を突破するために磨き上げた、

 

 「中原の桂」

 

 ▲45同歩△同桂▲同香と取らせると▲47の地点が開くのがポイント。

 単に△36金と打つと、▲48玉△37金打▲58玉から左辺に逃げられるが、△36金打△47金打と追えばそれができない。

 そのまま寄せ切って、中原が王位防衛を果たすのである。

 


(中原の軽やかな桂使いと言えばこれ

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ソフトは囁く 先崎学vs南芳一 1999年 第58期B級1組順位戦

2024年12月20日 | 将棋・好手 妙手

 「え? ソフトにかけたら【先手必勝】ってどういうこと?」


 

 目が点になったのは、ある将棋の終盤戦検討していたときのことだった。

 昨今、将棋ソフトを使った研究は当たり前になっているが、私はそのへんに、あまりくわしくないほうである。

 ここで将棋の記事を書いているときも、ソフトの候補手などは、中身を理解できないし、パソコンのスペックもヘボいので、原則としては取り上げず、過去の雑誌の解説を参照することにしている。

 ただ、ひとつ例外なのが終盤戦で、最後の詰みの確認や、「これで受けなし」という局面が本当にそうなのかなどは、一応ソフトにかけることにしている。

 やはり「詰む詰まない」に関しては、ソフトは相当頼りになる存在で、長手順の詰みでも瞬時にはじき出してくれたりするから、これは本当にありがたい。

 しかも詰みや必至は結論が100%なので、議論になりがちな、人間とソフトの大局観の差など関係なく、取り上げやすいというのもある。
 
 もっとも、終盤戦は分岐が山ほどあって検討するのも「模範解答」つきでも大変
 
 これを人力でやるって、やっぱすごいよなあと、あらためて将棋の強い人へのリスペクトが高まったり。

 ということで、今日も今日とて難解な終盤戦をアレコレ掘っていたのだが、そこで手が止まることとなった。

 なにやら、評価値がおかしな数値をはじき出したからで、急遽取り上げてみたい。

 


 

 それは前回1999年、第58期B級1組順位戦、3回戦。

 南芳一九段と、先崎学七段の一戦。

 

 

 

 

 実戦はこの△85歩絶妙手で、後手の勝ちが決まったのだが、それがそうでもないと。

 ウチで使っているフリーの「GPS将棋」によると、この局面は1000くらい先手優勢

 「技匠2」では300くらい後手が優勢と分かれるのだが、△85歩▲68金と取って、△86歩としたところでは、ともに25003200で「先手勝勢」あるいは「先手勝ち」だというのだ。

 

 

 

 えー? どういうこと?

 2人プロ検討陣が、「先手に受けなし、後手必勝」と結論付けた局面で、なんとソフトは「先手必勝」。

 まったくの結果が出てしまった。

 詰みや必至の確認には問題ないから、フリーの古いソフト使ってるけど、そのせいなのかな?

 ホンマかいなというか、そんなもん現実に△86歩の局面は必至に見える。

 ▲同金△88金

 ▲77金△87金で、どちらも初心者でもわかる詰みで、しかもそれは、どうもがいても、さけられない運命なのだ。

 では、異議申し立てたソフト先生に、ここでどう指せばいいのかと問うならば、それが▲69飛と打つ手。

 

 

 なんじゃこりゃ。

 まあ、王手角取りなのはわかったけど、それを受けたときに、△87歩成があるから、▲79飛とは取れないではないか。

 どういうことでしょうと読み筋を拾っていくと、やがて「えー!」と声が出ることとなる。

 はー、なるほどー、たしかにそっかー。

 ひとりで納得していては、読んで方も「はよ続き言えや!」とイライラするでしょうから解説すると、▲69飛に後手は受ける手がないというのが、ソフト先生の読みなのだ。

 具体的には、王手を受けるのは合駒するか逃げるかだが、合駒なら後手は△39金しかない。

 そこで先手はを取るのではなく、▲77金と、ここでかわす。

 

 

 さすれば、を使わされた後手は△87金が打てず、攻めは頓挫すると。

 と、ここで私と同じく、

 

 「いやいや、それ△68角成▲同飛△87金でどっちにしろダメじゃん!」

 

 そう思われた方も多いだろうし、当時解説記事でもそう書いてあったが、△68角成の瞬間に▲19金と打つのが、きわどい返し技。

 

 

 

 △同と▲39飛△同玉▲19竜として、△29金▲49金と、この位置で「送りの手筋」を使う。

 △同玉▲29竜の「一間竜」から、△39金の合駒に▲58銀打とねじこんでいく。

 

 

 

 △同馬▲同銀△同玉▲67角と打って、△47玉▲49香から詰む。

 なので▲19金には△38玉と逃げるしかないけど、ならそこで▲68飛王手を取れるのだ!

 


 △47玉▲56銀詰み

 △48と▲28金から詰み

 △48金は、やはり△87金が消えるから、▲56角などからゆっくり攻めて勝ち。

 △58歩とか、その他の受けでも悠々▲88歩と受けられて、後手の攻めは完切れ

 つまりは、どうあがいても先手勝ちになる仕掛けなのだ!

 ふたたび「えー!」である。

 すごい手があるなあ。

 かといって、を温存して▲69飛△38玉と逃げても、▲49金△27玉▲39桂△同と▲19桂

 

 

 

 △36玉▲16竜△26金▲25銀△45玉▲56銀△44玉▲71馬(!)

 

 

 

 △53歩▲43成桂△同玉▲13竜△52玉▲53竜△41玉▲42香打まで、作ったようにピッタリ詰む

 

 

 

 最後に、あの働いていないように見えた、▲81が使えるというのだから、まるで江戸時代の古典詰将棋のよう。

 ラストも打ち歩詰めに見せかけて、作ったようにが一本残ってるとは、なんとも美しい手順ではないか。

 その他、変化はあるけど、どれもこれも、ちゃんと詰む

 すげぇや。まあ、完全に尻馬だけど。

 将棋には色々な可能性があるなーと感動してしまったが、たぶんこれだけでなく、過去名局と呼ばれるものも、さらに掘っていけば意外結末絶妙手が埋まっているものなんでしょう。

 ぜひ見てみたいので、だれか最高級のソフト使ってにしてくれないかしらん。

 


(その他の将棋記事はこちらから)

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ニードルS80 先崎学vs南芳一 1999年 第58期B級1組順位戦 米長邦雄vs田辺一郎 1977年 早指し選手権

2024年12月17日 | 将棋・好手 妙手

 「どくばり」という武器は、おそろしい威力を発揮することがある。

 最近リメイク版が話題のゲーム『ドラゴンクエスト3』から登場したアイテムで、攻撃力は貧弱だが、一定の確率で相手を即死させるという特性がある。

 なので、HPの高い敵や、経験値をたくさんもらえる「はぐれメタル」を一撃で倒した日には、そのカタルシスたるや、たまらないものが。

 将棋の世界で、この「どくばり」といえば、これはもう急所に刺さったにとどめを刺す。

 そこで今回は、針のひと突きがダムを決壊させるというスペクタクルを見ていただきたい。

 


 1999年の第58期B級1組順位戦、3回戦。

 南芳一九段先崎学七段の一戦。

 昨年、B級2組1期で突破した先崎は、当然ここB1でも連続昇級をねらっており、ここまで2連勝と好発進。

 一方の南は、定位置だったA級から落ちてからは不調が続いていたが、それでもタイトル7期の実績は伊達ではない強敵である。

 将棋の方は相掛かりのスタートから、ガッチリした組み合いに。

 から手をつけたのがうまく、先手の先崎がうまく攻めているようだが、南は手に乗って上部脱出を目指し、ついに入玉

 ならばと、先崎もを取って体力勝ちにシフトチェンジを図ろうかと言うところだが、なんとここで南は一転、寄せをねらって先手玉にラッシュをかけてきた。

 

 

 

 図は、南が△79角と王手して、先崎が▲98玉と逃げたところ。

 この局面、先崎は自分が勝ちだと思っていた。

 さもあろう、後手はで攻めてきているが、がその両方に当たっていて、どちらかは取れる形。

 入玉形において、大駒の「5点」はとんでもなく価値が高く、先崎からすれば、この一瞬さえ耐えきれば、それで勝ちが決まる。

 そして、金銀の数が多い先手玉に、寄りはなさそう。

 たとえば△86香は、取れば△88金で詰みだが、▲77銀打とガッチリ受ける。

 

 

 

 △87香成には、▲同玉で耐えている。

 これで受け切ってる思った先崎だったが、次の手を完全に見落としていたのだった。

 

 

 


 △85歩と打つのが、見事な決め手。

 といっても、このいそがしそうな局面で、ずいぶんのんびりしているようにも見えるが、あにはからんや。

 なんとこれで、先手玉に受けはないのである。

 ▲85同歩△86歩と打たれ、▲同金△88金で詰み。

 △85歩に無視して▲68金を取るのは、△86歩と取りこまれてしまう。

 

 

 

 ▲同金△88金まで。
 
 ▲77金△87金で簡単に詰む。

 その他、あれこれともがく手はあるが、そのどれもが受かっていない。

 信じられないことだが、先手玉はこの△85歩とボンヤリ合わせた手で、すでに必至になっているのだ。

 まさかの展開に、目の前が真っ暗になったであろう先崎は、▲88桂と埋めてねばるが、△86歩から自然に攻められて、を取られる形では、やはり受かっていない。

 あの局面から、△85歩1手でおしまいとは、おそるべき「どくばり」である。

  


 

 もうひとつは、1977年の第11回早指し選手権

 米長邦雄八段と、田辺一郎五段の一戦。

 田辺の振り飛車穴熊に、米長は手厚く銀冠で対抗。

 

 

 

 

 7筋のを切ってから、▲76金と上がっているのが、米長の工夫。

 次に▲75銀△同金▲同金と盛り上がっていくねらいで、後手が右辺で飛車角をさばいている間に、玉頭から押しつぶしてしまおうということだ。

 だが、この構想は疑問で、ここはではなく、▲76銀とするべきだった。

 先手からすれば、ここでを上がると、将来をさばいたときに、▲86空間ができるのが気になるところ。

 後手はいずれ、飛車を成りこんで右辺の桂香を取ってくるだろうから、そこで△86桂△86香を警戒しながらの戦いは、なにかと神経を使う。

 そこで、銀冠の好形を維持しながらの前進となったのだが、これがまさかの大ポカ

 ここで先手陣には、信じられないような大穴が開いており、田辺の目がキラリと光るのだった。

 

 

 

 

 


 △67歩と打つのが軽妙手。

 なんとこれで、先手から△68歩成とする手に受けがない。

 ▲同金しかないが、銀冠の側面装甲を無力化されて、守備力が大激減

 すかさず突いた△46歩が、また「筋中の」という手。

 

 

 

 

 振り飛車党からすれば、これ以上なく指がしなる手で▲同歩△36飛とさばいて絶好調。

 以下、△38飛成▲97玉と逃げた形は、厚みにするはずだった6筋、7筋の金銀がうわずって、なんの役にも立たなくなっている。

 

 

 

 それこそ、最初は10の固さだった銀冠が、▲76金くらいになってるとしたら、△67歩を喰らってからはくらいまで下がっていることだろう。

 プロレベルの将棋で、こんな愚形など、そう見られるものではなく、なんともめずらしい場面。

 将棋の方は、このあと米長が「泥沼流」でねばり倒して、まさかという大逆転勝ちをおさめるのだが、田辺の見せたの明るさが印象的な一局だった。

 

 ……と、今回はこの2局を紹介してお終いのはずが、後日ソフトで検討してみると、とんでもない結論がはじき出されたので、それに関しては次回に。

 

 


 ★おまけ

(軽妙な歩の決め手と言えばこちら

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スローカーブを、もう一球 佐藤康光vs屋敷伸之 有吉道夫vs谷川浩司 2013年&1995年 A級順位戦

2024年12月06日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋というのは

 

 「優勢なところから勝ち切る

 

 というのが大変なゲームで、手こずっているうちに、あせりから逆転をゆるしてしまう。

 ガックリ肩を落としながら、

 

 「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」

 

 今回は、そういうときに参考になる将棋をご紹介。

 


 

 2013年、第71期A級順位戦

 佐藤康光王将と、屋敷伸之九段の一戦。

 相矢倉から、両者らしい力戦調の将棋になり、難解な戦いに。

 

 

 

 

 

 図は屋敷△33歩とキズを消したところだが、次からの佐藤の構想がうまかった。

 ヒントは、屋敷が△86歩と突き捨てたのが疑問で……。

 

 

 

 

 


 ▲26歩が、攻めに厚みを増す好着想。

 以下△55歩に、またも▲25歩(!)と伸ばしていく。

 

 

 

 

 じっとをしぼられ、息苦しさの増した後手は△45銀打▲79馬△56歩とするが、そこで▲24歩△同歩▲25歩△同歩▲24歩

 


  

 

 三歩持ったら、ツギ歩タレ歩

 

 格言通りのリズミカルな攻めが、見事に決まっている。

 後手からすれば△86歩▲同歩の突き捨てが、「筋中の筋」という反撃の常套手段だが、ここではその一歩がたたってしまった。

 以下、佐藤が玉頭の拠点を生かして勝ち。

 ジッと▲26歩

 強い人は急がないのだ。

 



 もうひとつは、1995年の第53期A級順位戦最終局。

 谷川浩司王将と、有吉道夫九段の一戦。

 この将棋は「将棋界の一番長い日」らしく、谷川は勝てば名人挑戦プレーオフに望みをつなげる。

 一方の有吉は、まだ2勝で負ければ即降級

 勝っても競争相手に勝たれると、落ちてしまうという瀬戸際だった。

 勢いは谷川だろうが、59歳(!)有吉はここでキャリア後期の名局ともいえる将棋を披露する。

 むかえた最終盤。

 谷川が△55角と打ったところ。 

 

 

 

 

 ここではすでに先手勝勢だが、放っておくと△88角成からのトン死があるため、気を抜けない。

 勝ち方は色々ありそうだが、次の一手が参考になる着想だった。

 

 

 

 

 

 ▲77銀と引くのが、落ち着いた一着。

 ここでは先手を取りたくて、私などつい▲66銀打としてしまいそうだが、それでは攻めの戦力がけずられて、もつれてしまうかもしれない。

 そこを、働いてない駒をジッと活用しておく。「大人の手」だ。

 攻めが封じられ、進退窮まった谷川は、なんと△14玉と前進。

 

 

 

 

 なりふりかまわぬ入玉ねらいで、格調の高さが売りである谷川ほどの男が、こんなの中をはい回る手を指す。

 これが、順位戦最終局というものだ。

 まさかの手に、一瞬あわてそうなところだが、有吉は冷静に▲34銀とシバる。

 ▲66銀打とせず、1枚温存した効果がハッキリと出た手。

 谷川も執念2連発で△13角と引く。

 
 
 

 

 ここで▲22銀不成が見えるが、それには△同角右△55の方で取るがある。

 将棋の終盤戦は本当に怖いが、有吉はどこまでも動じなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▲66銀引が、腰のすわった決め手。

 遊び銀をヒラリ、ヒラリと自陣に投下。パラシュート部隊がピッタリ間に合って、これで先手玉は鉄壁に。

 とうとう手段のなくなった後手は、力なく△28角成とするが、そこで今度こそ▲22銀不成で谷川が投了

 この場面で2度銀引は、その手自体の有効性もさることながら、実際に指せるというのがすさまじい。

 なんといっても、A級からの陥落がかかっているのだ。

 なら、優勢となれば少しでも早く勝ちたい、この重圧から開放されたい、になりたいと思うのが人情である。

 それを、静かに2枚の銀を、軽やかに、それでいて慈しむ様に活用してゆっくりと勝つ。

 修羅場での戦い方のお手本のような勝ち方で、競争相手の塚田泰明八段が敗れたこともあって、有吉は見事

 

 「60歳A級

 

 の偉業を成し遂げるのであった。

 


 (1手ゆるめる達人は有吉の師匠であるこの人

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毒ヘビは急がない 屋敷伸之vs谷川浩司 2013年 第71期A級順位戦

2024年11月30日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋というのは

 

 「優勢なところから勝ち切る

 

 というのが大変なゲームで、手こずっているうちに、いつのまにかおかしくなり、あせってあわてて、ついには逆転

 ガックリ肩を落としながら、

 

 「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」

 

 今回は、そういうときに参考になる将棋をご紹介。

 


 

 2013年の、第71期A級順位戦最終局。

 谷川浩司九段屋敷伸之九段の一戦は、世にいう

 

 「将棋界の一番長い日」

 

 で行われた戦いだ。

 順位戦最終局というと、それだけでも大きな戦いだが、この一番はそれにも増してドラマの要素をはらんでいた。

 それは、

 

 「谷川浩司、ついにA級から降級か」

 
 という話題でファンの注目を集めていたからだ。

  谷川といえば、十七世名人の資格を持つ大棋士だが、年を重ねるごとに常連だった挑戦権争いから、少しずつを見る戦いも経験するようになってくる。

 この期の谷川は、ここまでわずか2勝

 それでも、勝てば残留だが、負けると順位下位の2勝者2人とも負けてくれないと落ちてしまう。

 つまりは、ほとんど勝つ以外ないような状況だったが、ここで対戦相手の屋敷が見せた指しまわしが、すばらしいものだった。

 戦型は後手の谷川がゴキゲン中飛車を選ぶと、屋敷は居飛車穴熊にもぐる。

 中央でもみ合いがはじまり、むかえたこの局面。

 

 

 

 屋敷がを作っているが、谷川ものハンマーをぶん回して対抗。

 勝負はこれからに見えたが、ここから見せた屋敷の構想がうまかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ▲66歩と打つのが、気づきにくい好手。

 飛車の利きを止めてしまうため、一目は筋悪だが、これが形にとらわれない着想。

 △76金とかわしたところで、▲35歩を遮断。

 後手は△65歩と合わせるが、いかにも重い攻めで、そこを軽やかに▲28飛

 

 

 

 これでの行くところがない。

 これが▲66歩△76金の交換を入れた効果で、後手はを取られると▲85角痛打になって、とてももたないのだ。

 谷川は△66歩と攻め合いに活路を見出すが、さわやかに▲26飛タダ取り。

 それでも△67歩成と、と金を作って相当に見えるが、そこで待望の▲85角

 後手は両取り逃げるべからずで、△68とと食いつく。

 

 

 

 この局面、が取れそうな先手優勢だが、後手も穴熊のカナメである▲79をけずり、自陣も無傷で、まだ戦えそうに見える。

 ▲52角成▲76角でも先手が勝つかもしれないが、王手すらかからない穴熊からの「光速の寄せ」をねらう後手に、素直にターンを渡すのは相当に勇気がいるところ。

 だが、ここで屋敷はさすがという決め手を放つ。

 

 

 

 

 ▲29飛と引くのが、すばらしい落ち着き。

 遊び駒を活用する、まさに指がしなる手で、私もテレビで見ていて「ピッタリやなあ」と思わず声が出たものだった。

 


 「この手を発見して手応えを感じた」


 

 屋敷本人も自賛するが、それに値する局面だ。

 ここを単に▲76角△79と▲同銀△69飛成で、まだむずかしい。

 ▲29飛以下、△67飛成▲76角△同竜▲68金と局面をサッパリさせて先手勝勢

 

 

 

 

 こうなると、先手陣にイヤミがなくなって、後手の銀損だけが残る展開。

 下段飛車の守備力もすばらしく、これにはいかに谷川でも、どうしようもない。

 まさかの結果に、

 

 「谷川時代も終わりか?」

 

 騒然としたものだが、同じ2勝で順位下位高橋道雄九段と、橋本崇載八段が敗れたことによって、辛くも降級まぬがれたのであった。

 


(落ち着いた勝ち方に置いて、この巨人に勝る人はいない)

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「ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり」 内藤國雄vs米長邦雄 1977年 名将戦

2024年11月10日 | 将棋・好手 妙手

 「ヘボ将棋、王より飛車をかわいがり」

 

 という格言には、苦笑とともに深くうなずかされるものである。

 これは本当で、飛車をいじめられて逃げ回っているうちに、いつの間にかがお留守になって、気がついたら寄せられてたなど、よくある話。

 どっこい、強い人というのは、そういうときの対処法も心得ており、今回はそういう将棋を。

 


 

 1977年名将戦

 内藤國雄九段と、米長邦雄八段の一戦。

 決勝3番勝負の第1局は、後手番になった内藤が三間飛車に振ると、米長は銀冠に組んで対抗。

 米長が後手の飛車を責めつつ、右辺にを作ると、内藤もその飛車を軽く転換し、玉頭戦に持ちこむ。

 むかえた、この局面。

 

 



 △85歩の玉頭攻めに、強く▲66桂と打ち返す。

 米長はこれで指せると見ていたそうで、実際、飛車の逃げ場所がむずかしそうだが、ここからの内藤の構想が見事だった。

 

 

 

 

 

   

 

 △86歩▲74桂△同金で、後手優勢。

 飛車取りにかまわず、玉頭を取りこむのが好判断。

 そもそも、後手は飛車を逃げようにも場所がないわけで、△84飛は、▲85歩、△同飛、▲86歩で受け止められるが、私みたいなヘボが指していたら、そうやってしまうかもしれない。

 そこを、「飛車? どうぞ、どうぞ」と、さわやかに、あげてしまう発想にシビれた。

 私がこの将棋を知ったのが、米長の書いた『米長の将棋』という本で、その「振り飛車編」の開口一番が、これなのだ。

 子供のころには、飛車桂交換後手優勢と言うのが、どうしても信じられず、何度も並べ直したものだ。

 たしかに今見ると、△74同金に本譜▲76銀と逃げても△87銀と打ちこむ追撃がきびしく、後手がいいんだろうけど(とはいえ私レベルじゃ勝ちきれませんが)、やっぱりすごい手だなあと感心する。

 △87銀以下、▲同金△同歩成▲同玉△86金▲78玉△48角成

 

 

 

 流れるような攻めで、まさに「自在流」内藤國雄の名調子だ。

 この局面、なんと先手が飛車丸得なのだが、安全度や駒の働きと、なにより勢いが違う。

 特に先手は▲43▲26飛車が、取り残されているのが哀しすぎ、やはり後手を持ちたいところであろう。

 米長は、なんとか逆転のタネをまこうと、とりあえず▲83歩とタタいて反撃。

 

 

 

 これまた、ぜひともおぼえておきたい手筋で、△同銀でも△同玉でも、が乱れていやらしい。

 このタタキ▲62歩とかを突き捨てるとか、とにかく苦しめのときは、で嫌がらせをするのが逆転のコツだ。

 本譜は△83同銀に、▲75歩△76金▲同金△75金▲同金△同馬

 そこで▲66金とふんばる。

 

 

 

 米長も得意の「泥沼流」でねばりにかかるが、そうはさせじと後手も△76金とへばりつく。

 ▲75金を取るのは、△67銀と先着されて、▲69玉△75金で寄せられるから、▲67金打と再度がんばる。

 後手は△66金と取って、▲同金△76金で同じ形が続く。

 

 

 

 ここでもう一回▲67金打なら千日手コースだが、そうなれば内藤は手を変えて、するどく踏みこんでくるかもしれない。

 それは危険だし、なにより勢いを重視する米長将棋では、あまり考えたくないところなのだ。

 そこで打開を検討したいわけだが、ならやはり、ここはぜひとも「あの駒」を活用したくなるものではないか。

 

 

 

 

 

 ▲36飛と取るのが、これまた寿命を半分に削ってでも、身につけておきたい感覚。

 この将棋は、ここまで後手の攻め駒が目一杯働いてるのと対照的に、先手は▲26飛車が、長らくボケたままであった。

 なので、ここはもうぜひとも、それこそ最後は負けたとしても、なんとかこれを活用したいと考えるのは、将棋を強くなるのに大事な感覚なのだ。

 実際、米長も苦戦を意識しながら、この手に関しては、

 


 「ある程度の清算」


 

 はあったので、思い切ってループを打開したのだ。

 勝負の方は、米長の気合に押されたのか、内藤が寄せを逃して逆転してしまう。

 といっても、具体的になにが悪かったのかはわからず、それだけ難解な上に、米長の勝負術が際立っていたということだろう。

 それにしても、おもしろい将棋で、米長もおどろかされた、飛車取りを放置して△86歩と取りこむ感覚に学びがある。

 最後の最後▲36飛と眠っていた獅子を活躍させようと「ねらっている」センスの良さとか。

 「強い人の将棋」って、こんなんなんやーと、目からウロコが落ちまくり。

 こんなもん一発目に見せられたら、そら『米長の将棋』に夢中になるわけで、もう暗記するほどに、むさぼり読んだものでした。カッケーわー。

 


 (米長が見せた飛車捨ての名手はこちら

 (森安秀光が米長に喰らわせた飛車捨ての珍手はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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大駒は近づけて受けよ 中原誠vs谷川浩司 1985年 第33期王座戦 第2局

2024年11月04日 | 将棋・好手 妙手

 将棋の格言というのは色々あるもの。

 

 「王手は追う手」

 「長い詰みより短い必至」

 「金底の歩、岩よりも固し」

 

 など実戦で大いに役に立つものもあれば、

 

 「55の位は天王山」

 「銀は千鳥に使え」

 「三桂あって詰まぬことなし」

 

 といった、ほとんど死語になったようなものもある。

 むずしいのは、将棋の変遷によって、かならずしも当てはまるとは限らないケースが出てくることで、

 

 「居玉は避けよ」

 「玉の囲いは金銀三枚」

 「桂馬の高跳び歩のえじき」

 

 このあたりは、

 

 「たしかにそうだけど、現代将棋ではケースバイケースだよね」

 

 くらいな感じになっているところはある。

 そんな中、地味な格言に意外と使えるものが残っているもので、今回はそういうものを。

 


 

 1985年の第33期王座戦は、中原誠王座(名人・王将)に谷川浩司前名人が挑戦した。

 この期、春の名人戦で中原は谷川から名人を奪い取り

 

 第二次中原時代の幕開き」

 

 と上げ調子であったころ。

 一方、無冠に転落した谷川からすれば、復讐に燃えての勝ち上がりで、まさに新旧頂上決戦であったのだ。

 ちなみに谷川「前名人」という聞きなれない肩書は、当時は名人を失って無冠になると、気を使って「前名人」と呼ばれるマヌケな習慣があったせい。

 谷川はこの罰ゲーム(にしか見えないよな)を嫌い、色紙などには「九段 谷川浩司」と書いていた。当然だよねえ。

 それはともかく、五番勝負は開幕局を谷川が制して、むかえた第2局

 相矢倉で後手は7筋、先手は中央から駒をぶつけていく形で、中盤戦のこの場面。

 

 

 


 大駒をさばきあって、先手がを作っているが、後手も香得して形勢はバランスが取れている。

 手番をもらった後手は、当然反撃したいところで、となればまずはここに指が行きたいところだ。

 

 

 

 

 △86歩が、まずは筋中の

 これは格言にこそなっていないが、矢倉戦ではとにもかくにも、この歩をいいタイミングで突き捨てたいところ。

 応用編として、△86桂△86香と打ちこんでいく筋もあり、ここをイジっていく形は、居飛車党なら絶対におぼえておきたい感覚だ。

 これを▲同歩と取るか、それとも▲同銀と取るかは悩ましく、これまた居飛車党の永遠のテーマだが、▲同歩△87歩のタタキがいやらしい。

 ▲同銀△84香や、場合によってはいきなり△86同飛▲同歩△87歩みたいな特攻で一気に寄せられてしまうこともあり、そう簡単には選べない2択なのだ。

 このゆさぶりに、強気の谷川はなんと、放置して▲71竜

 △86歩になんと手抜きという、第3の選択を披露した谷川に、飛車を逃げるようでは攻めが切れてしまうと、中原は△87歩成▲同金△同飛成と特攻。

 ▲同玉△86歩もまた筋で、▲同銀△85歩

 

 

 

 

 飛車を切ってしまった以上、後手は足が止まったおしまいである。

 次々パンチをくり出すにしくはないと、▲85同銀△86香とカマす。

 ▲同玉△53角王手飛車なので、▲78玉△89香成

 先手玉も相当うすめられているが、飛車持駒も超強力で頼もしいということで、すかさず▲82飛と打ちおろす。

 

 

 


 「鬼より怖い二枚飛車

 

 この格言通り、後手陣にはいきなり詰めろがかかっている。

 次に▲31角と打たれてはお陀仏だ。

 なにか受けなければいけないが、普通にやる前に、まずは一工夫しておきたいところ。

 

 

 

 

 

 


 △51歩と打つのが軽妙な一着。

 ▲同竜と取られて、一見なんのこっちゃだが、そこで△31金打とガッチリ埋めるのが継続手。

 

 

 

 単にで守るより、こうすれば次に△73角両取りがあり、がどいたことで△75桂の反撃も可能になった。

 また△31金打▲81飛成みたいな手なら、どこかで△42銀と引いて、▲71竜右に、またが入れば△51歩底歩を打つ守りができる。

 これで後手玉はほぼ無敵になるなど、わずか歩1枚でこれだけ手が広がっていくのだ。

 この△42銀を生んだ△51歩は、まさに

 

 「大駒は近づけて受けよ」

 

 であり地味ながら、かなり役に立つ格言であるのだ。

 谷川は△31金打▲81竜とするが、すかさず△75桂痛打で攻守所を変えた。

 

 

 

 

 以下、▲76角の攻防手にも△42銀と落ち着いて受け、▲55桂△64角から飛車を奪って後手が勝ち。

 これでタイに戻した中原は、第3局第4局連勝し、谷川の「前名人」という不名誉な称号の返上を阻止したのである。

 

 


 (中原が谷川から名人をうばったシリーズで見せた「近づけて」がこちら

 (中原が谷川相手の名人戦で披露した歴史的大ポカはこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

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マッハパンチ 米長邦雄vs内藤國雄 1982年 王将リーグ 中村修vs佐伯昌優 1991年 棋王戦

2024年10月01日 | 将棋・好手 妙手

 「一撃」で決まる将棋は感嘆を呼ぶ。
 
 終盤戦で、まだむずかしそうなところから、アッというパンチが飛び出して、見事に決まる。
 
 これには「ええもん見たなー」という気になるし、なにより私がここで紹介するとき、検討とかしなくていいからですばらしい。
 
 


 

 1982年の第32期王将リーグ
 
 米長邦雄棋王内藤國雄王位の一戦。
 
 内藤得意の相掛かりに、後手の米長が中央から戦いを挑む。
 
 むかえたこの局面。


 
 


 
 内藤が▲69飛と、▲64から引いたところ。
 
 次に▲64歩のねらいがあり、歩切れの後手はそれを受けにくい。
 
 先手はがうすいのが気になるも、それは▲93金を取れば相当に緩和されるから、なんとかなりそう。
 
 後手からすれば、ここでいい手がないと苦しいが、米長はひそかにねらっていたのだ。
 
 

 

 


 
 
 
 
 △56角と打つのが、「次の一手」のような一撃。
 
 取りと△47銀の両ねらいで、これがメチャクチャにきびしいが、先手に適当な受けがない。
 
 しかも、△78角成飛車取りとなれば、先手の▲69飛をとがめられた形で、後手からすれば痛快この上ないではないか。
 
 これをウッカリしていた内藤は▲68金と寄り、△47銀▲59玉△66角▲48桂とふんばる。
 
 
 
 

 

 顔面パンチをモロに喰らいながらも、そこでなかなか倒れないのがトップ棋士の強さ。

 控室の検討では、これでまだむずかしいと見ていたようだが、次の手がまた好手。

 
 
 

 

 

 △55銀で、攻めが振りほどけない。
 
 ▲56歩△48角成詰み
 
 ▲56桂も、△同銀と取られて、やはり▲同歩と取り返せず先手に受けはないのだ。
 
 感想戦で内藤は▲69飛が悪く、▲68飛なら自分がやれると言ったが、米長が言うことには、それには△39角(!)と打つ予定だったと。
 
 
 
 
 んなアホなという手だが、▲同玉△57角成とすると、角損でも後手が指せるという結論に。

 


 

 すごい手があったもんだが、米長の剛腕がこれでもかと発揮された将棋であった。

 

 


 

 続いて、もうひとつ、1991年の棋王戦。

 佐伯昌優八段中村修七段の一戦。

 「師弟対決」となった一局は、両者が早めにをつき合ってから角換わり模様になるという、めずらしい将棋に。

 むかえた最終盤。

 

 

 

 パッと見えるのは、△77角成▲同桂△89飛のような攻めだが、を渡すと後手玉も相当怖い形。

 だがここで、実にカッコイイ決め手があるのだ。

 

 

 

 

 

 △88飛が「次の一手」のような絶妙手。

 次に、△77角成▲同桂△68銀までの詰めろ

 かといって、▲同銀とは取れないし、▲同金△77角成から△68銀で詰み。

 ▲69玉△77角成で左辺に逃げこめず、見事な必至。

 ここで佐伯は投了

 若き日の中村らしい、さわやかな締めくくりであった。
 
 以上、「一撃」がふたつ。
 
 あー、オレみたいな阿呆でも、一目でわかるって、ステキやなあ。
 
 

 (島朗、米長邦雄、羽生善治の「一撃」はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 
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必殺! 流星キック 島朗&米長邦雄&羽生善治 登場

2024年09月25日 | 将棋・好手 妙手

 一撃で決まると爽快である。

 将棋の特に終盤戦で、あざやかな寄せが決まったり、見事なカウンターで投了に追いこんだりする手があると、「ええもん見たなあ」と満足感を感じられるものだ。

 なにより、前回紹介した「羽生▲52銀」のように、私がなーんも検討とかしなくていいで、その意味でも楽チンですばらしい。

 

 


 1996年王座戦挑戦者決定戦

 谷川浩司九段島朗八段の一戦。

 谷川が四間飛車から藤井システムにすると、島も十八番の居飛車穴熊に展開。

 激しい攻め合いになって、この局面。

 

 

 

 

 先手玉は穴熊のハッチが閉まって、を渡さないかぎりは相当に詰まない形。

 なので、この一瞬でラッシュをかければ勝ちが決まるが、具体的にどう決めるかはむずかしそう。

 後手は飛車の横利きの守備力と、△41から△32への逃走ルートも開けている。

 控室の検討陣もいい手が見つけられず、先手があせらされているようだが、ここで島が見事な決め手を放つ。

 

 

 

 

 

 ▲62飛成、△同銀▲74角まで先手勝ち。

 スパッと飛車を切るのが明快で、の利きがすばらしく、これできれいな必至

 ▲61金までの詰めろに受けがなく、△61飛とむりくり埋めても、▲43桂△同飛▲52金まで。

 「光速の寄せ」のお株をうばう見事な一撃で、島が羽生善治王座への挑戦権を獲得した。

 


 

 島のさわやかな寄せに続いて、今度は豪快な寄せを。
 
 1993年の第11回全日本プロトーナメント(今の朝日杯)。
 
 決勝五番勝負を戦ったのは、米長邦雄九段深浦康市四段
 
 2勝1敗深浦が優勝に王手をかけての第4局
 
 相矢倉から、激しい攻め合いになってこの局面。
 
 

 


 
 先手玉もせまられているが、まだ詰めろではない
 
 なら、さっきの島と同じく仕留めるチャンスで、またここからの手が、いかにも米長邦雄という組み立てだ。

 

 


 
 
 
 
 


 
 ▲13角成△同桂▲33香がカッコイイ踏みこみ。
 
 ドーンとを切り飛ばしてから、手に入れたこめかみにぶっ刺す。
 
 これで後手玉は寄っているのだ。

 私は少年時代、名著『米長の将棋』がバイブルだったので、この寄せには「米長流やなー」と感動したもの。
 
 以下、△同角▲同歩成△同金▲42角△71飛▲38飛が気持ちよすぎる活用。
 
 

 


 
 △34歩▲31銀△同飛▲同角成△同玉に、▲34飛フライングソーセージが決まった。

 

 

 


 
 あざやかな舞でタイに持ちこんだ米長だが、第5局深浦が制して優勝を遂げたのだった。

 


 最後に1992年B級1組順位戦

 羽生善治王座棋王青野照市八段の一戦。

 羽生はデビューから各棋戦で高勝率を上げていたが、順位戦ではなぜかC2C1B21期ずつ足止めを喰らい(といっても、すべて8勝2敗の好成績での頭ハネだが)不思議がられていた。

 ようやく、たどりついたB1では、今度こそ「早く名人に」という期待に応え、6勝1敗独走態勢に。

 この青野戦でも終盤に勝勢になって、この局面。

 

 

 


 後手玉は裸にむかれて受けがない形だが、先手陣も△78飛一手スキがかかっている。
 
 うまく一手空けば勝ちだが、なにか駒を打ったりしても、△67歩成△77桂成で、かえって速くなる可能性もある。

 だが若き日の羽生は、その課題を見事にクリアしてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 


 ▲78角と打つのが、カッコいい切り返し。

 △78に打つ空間を埋めながら、これが遠く△23をにらんだ攻防の一手。

 △67歩成▲同角王手になるうえに、そのあと△78飛には▲同角とバックで取れるから、先手玉は絶対に詰まない

 青野は観念して、素直に△67歩成と取り、同角△56銀▲34歩投了

 将棋には、いい手があるもんですねえ。

 

 


 (渡辺明による「一撃」はこちら

 (その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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「歴代名人」なで斬り▲52銀 羽生善治vs加藤一二三&西川慶二 1989年 NHK杯 1991年 B級2組順位戦 村山聖vs森雞二 1997年 B級1組順位戦

2024年09月19日 | 将棋・好手 妙手

 「なんで、こんなメンドイことしてるんや!」

 

 パソコンの前で思わず声を上げたのは、不肖このであった。

 このところ数回、「詰むや詰まざるや」な将棋の終盤戦を紹介してみた。

 私はここで将棋のことを書くとき、ネタ探しみたいなことはせず、風呂の中や散歩中に

 

 「あー、なんかあんな将棋あったなー」

 

 唐突に思い出したり、またのタイトル戦など観戦中に

 

 「お、これなんか、昔に似たような形あったよな」

 

 なんてアンテナが反応したりと、行き当たりばったりな感じで書いている。

 なので、連想が連想を呼んで、こないだは「終盤の難解詰み」をリンクしていったら、もうこれが、すんげえ大変で。

 


 まずは、谷川浩司vs南芳一戦、超絶技巧の「限定合」。 

 続いて、久保利明vs羽生善治の、これまた「限定合」がからんだ「トリプルルッツ」。

 さらに加えて、「伝説の三段」こと立石径さんによる藤井聡太七冠クラスのウルトラ実戦詰将棋


 

 ネタ的に書いていて楽しかったけど、そのあまりの高度な手順に「検算」するのが大変。

 もちろんソフトにも頼ってますが、それでも気になる変化を全部つぶしていると、頭がおかしくなってくる。

 似たような局面が多いので、本当にこんがらがるのだ。

 もう、こんな生活イヤ

 ダメ男に尽くしてきた健気な女のごとく叫び声をあげた私は、もう検算のない世界へ行きたいと「一撃」な将棋を思い出してみることにした。

 私と同じく「実戦詰将棋」で頭がウニになった皆さまも、「一目でわかる」ホームランで、心をいやされてくだいませ。

 


 1989年NHK杯準々決勝。

 羽生善治五段加藤一二三九段の一戦。

 角換わり棒銀から激しい攻め合いとなって、この局面。

 

 

 

 次の手が有名すぎるほど有名な一打で、先手の勝ちが決まる。

 

 

 

 

 ▲52銀が見事な一撃。

 △同金▲14角△42玉▲41金で詰みだが、後手は受けがない。

 △42玉と逃げるも、▲61銀不成で左辺に逃げこめず勝負あり。

 私も当時リアルタイムでテレビ観戦しており、むずかしそうなところから一瞬で終わって「あらー」とビックリした記憶がある。

 
 「羽生くん(当時はまだそう呼んでいた)って、やっぱすごいんやなー」 
 
 
 子供ながらに感じたもので、その通り、この期の羽生はトーナメントで大山康晴加藤一二三谷川浩司中原誠という「歴代名人」を次々と破って優勝
 
 その強さとともに、「こういうドローを引き当てるスター性」でも話題になった。

 ここから私は、30年以上にわたって彼の将棋を追いかけることになるのだ。

 


 

 続いても羽生の将棋。
 
 1991年B級2組順位戦
 
 西川慶二六段との一戦は、羽生が先手で「中原流」の相掛かりに。
 
 


 
 
 


 図は西川が△82飛と引いたところ。
 
 私レベルだとここは▲85歩と打って、▲86飛から▲84歩と伸ばす。
 
 △83歩と受けさせれば満足だし、▲96歩▲95歩と伸ばして、▲94歩△同歩▲92歩△同香▲91角をねらう。

 それくらいが、ふつうだと思うが、羽生の発想はそのはるかを行っていた。
 
 次の手で将棋はお終いである。


 
 
 
 


 
 ▲71角升田幸三流に言えば「オワ」。
 
 △72飛には▲86飛とまわって、△71飛▲82飛成飛車金両取り。


 

 


 
 
 △62角とむりくり受けても、▲84歩とタラすくらいで、駒を全部取られて負かされるだけ。
 
 △83飛とでも逃げるしかないが、▲84歩△同飛▲85歩△83飛▲86飛


 
 
 
 


 

 これでもう、どうやっても後手の飛車は助からない。

 △95角▲96飛△94歩▲95飛△同歩▲72角まで、解説も必要ない明快な手順で羽生勝ち。

 

 


 

 トリをつとめるのは羽生のライバルであった村山聖九段の将棋。

 1997年の第56期B級1組順位戦の4回戦。森雞二九段との一戦。

 

 

 図は先手の森が、▲44飛を取ったところ。

 後手の穴熊は手数を伸ばすような受けが見当たらず、一方の先手玉は△36桂と王手しても▲17玉でつかまらない。

 森は勝利を確信していたろうが、ここからわずか3手投了に追いこまれる。

 

 

 

 

 

 △17角がまさに必殺の一撃。

 ▲同香△36桂

 ▲同玉△16香から、やはり△36桂で詰み。

 本譜の▲18玉にも、△16香と打って必至

 

 

 このときの村山は、前期A級から陥落

 しかも持病の悪化により、まともに将棋を指せる状態でないと医者から宣告されるという、非常にきびしい状態であった。

 本来なら休場して回復にあてるべきなのだが、それを拒んだ村山は、8時間以上におよぶ大手術に耐え復帰。

 再起にかけるB級1組順位戦でも、伝説的ともいえる丸山忠久七段との死闘こそ敗れたものの、その後も白星を重ねて見事1期での復帰を果たす。

 それにしても、あざやかな決め手。

 書いているだけで、さわやかな気分になれるし、なによりなーんも検討とかしなくていいのがすばらしい!

 

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回転木馬のデッドヒート 中村修vs田中寅彦 1998年 B級1組順位戦

2024年08月11日 | 将棋・好手 妙手

 「景色が変わる」

 

 なんて表現が、将棋を見ているとたまに出てくる。

 悪形を強いられていた駒がきれいにさばけたり、押さえこみを喰らっていた陣形がそれを見事に突破したり。

 また、単純に不利だった局面が数手のやり取りの後、有利になったりと、そういうとき使ったりするもの。

 他にも、大駒が大きく躍動したりすると、この表現が似合ったりして、今回はそういう将棋を。

 

 


 1998年B級1組順位戦

 中村修八段と、田中寅彦九段の一戦。

 矢倉模様から、後手の中村が左美濃右四間飛車の積極策で仕掛ける。

 中央で競り合って、田中も後手陣の弱点である2筋を突破し、むかえたこの局面。

 

 

 

 後手が桂得だが、歩切れでもあり、放っておくと▲25桂から駒損を回復されて困る。

 後手陣のまとめ方もむずかしいが、ここから中村が意表の勝負手を発動し、周囲をおどろかせる。

 

 

 

 

 

 

 △22桂と打つのが、独特が過ぎる指しまわし。

 に当てるのはいいとして、これでなにもなければ、この▲23歩で簡単に取られてしまうし、そもそもの丸い桂を自陣で、受けに使うという発想がない。

 さすがは、

 

 不思議流

 「受ける青春

 

 とのキャッチフレーズを持つ中村修で、一筋縄ではいかない発想だ。

 ただ、これで先手が悪くなるイメージもなく、田中寅彦は▲25竜と逃げ、△55桂の反撃には▲同角と喰いちぎって、△同金▲23歩

 

 

 

 

 があれば△24歩という受けもあるかもしれないが、ないため、の利きを止められない。

 放っておけば▲22歩成と取って、再度の▲23歩から▲22銀とバリバリ攻められて困る。

 またも受けがむずかしそうだが、中村は次の手が桂打ちからの継続手だった。

 

 

 

 

 

 

 △34銀と打つのが、驚愕の一手。

 またもにアタックをかけた手だが、これは△22土台になっているため、▲22歩成と取られると、タダで取られてしまう。

 当然、田中はを取るが、それこそが中村のねらいだった。

 ▲22歩成には、△同飛と取るのが返し技。

 ▲34竜と、ボロっとを取られるが、この2枚を犠牲にし、勇躍△29飛成と成りこんで勝負形。

 

 

 

 


 △62飛車△65歩のような反撃に、あるいは横利き受けに使うというのがふつうの考え方であろう。

 そこを、銀桂を犠牲に大転換とは、そのスケールの大きさには、いやはや恐れ入りました。

 まさに、「景色が変わる」とはこのことであろう。

 将棋の方はその後も熱戦が続き、田中が制したが、この一連の手順は中村の明るい発想力をあらわしていると言えるだろう。

 


(飛車の大転換と言えば佐藤康光のこれ

(その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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ゆっくり、急げ 飯塚祐紀vs武市三郎 2001年 第59期C級2組順位戦

2024年07月21日 | 将棋・好手 妙手

 「ここで1手、落ち着いた手を指せれば勝てましたね」

 

 というのは、駒落ちの指導対局で負けたときなどに、よく聞く言葉である。

 将棋で難しいと感じる場面と言えばよく出るのは、序盤なら定跡が覚えられないとか。

 終盤詰みが読めないなどあるが、中盤戦では地味ながら、こういうのもあるもの。

 

 「作戦勝ちから、うまくリードを奪ったものの、そこから具体的にどう勝ちにつなげるかが見えない」


 
 将棋というのは

 

 「優勢なところから勝ち切る

 

 というのが大変なゲームで、こういうときに手が見えず、焦ってつんのめって、いつのまにか逆転されるなんてのは、よくあること。

 

 「ここで1手、落ち着いた手を指していたら……」

 

 今回は、そういうときに参考になる将棋を紹介してみたい。

 


 2001年の第59期C級2組順位戦

 飯塚祐紀五段と、武市三郎六段の一戦。

 ここまで7勝2敗の飯塚は、自力昇級の権利を持っての大一番。

 ここ3年は、8勝2敗7勝3敗7勝3敗の好成績を残し、昇級候補のひとりであった飯塚だが、すでにC2生活は泥沼の9期目

 また昨年度は、同じく勝てばC1昇級という最終戦で、豊川孝弘五段に敗れてしまったこともあって、今度こその想いは強かったことだろう。

 戦型は後手番の武市が、急戦向い飛車に組むと、飯塚はガッチリと左美濃で迎え撃つ。

 むかえたこの局面。

 

 

 

 

 おたがいにを作って桂香を拾い、筋も通って、このあたりは互角の駒さばき。

 ただ、後手は△43△32がはなれているのが痛く、先手持ちの形勢であろう。

 とはいえ、決めるにしては先手も歩切れが痛いところで、まだここから一山と思わせるところだが、次の手が落ち着いた好手だった。

 

 

 

 

 


 ▲86歩と、ここを突きあげるのが、すばらしい感覚。

 薄い後手の玉頭に、ジッとをかけながら、受けては△85桂から△33角という、王手竜取りの筋を消している。

 武市は△51香と「底香」を打って、ねばりにかかるが、1回▲21竜△29竜がキメのこまかい手順。

 この交換を入れて、相手の大駒を使いにくくしてから、やはりジッと▲35歩

 ▲21竜の効果で、これを△同角とは取れないのは、いかにもつらい。

 これで自陣に憂いはなくなり、△22歩の受けに、またも▲85歩

 

 

 

 この牛歩戦術で、武市はまいった。

 まさに真綿をギリギリと締めあげられる恐ろしさ。

 飯塚はトドメとばかりに▲87香と、さらに万力にをこめ、空気を求めて暴れようとする武市を冷静に押さえ、そのまま圧倒。

 

 

 

 

 ついに念願だった、C1昇級を決めたのだった。

 この▲86歩から▲85歩は、手の感触のよさもさることながら、人生のかかった勝負で、急がずこういう手を選べるところにシビれた。

 飯塚の地に足をつけた強さを、大いに感じるところで、こういう感覚は見習いたいものだ。

 


(大山康晴の「ゆるめる」好手はこちら

(渡辺明の落ち着いた勝ち方はこちら

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飛行士たちの話 羽生善治vs南芳一 1991年 第16期棋王戦 第4局

2024年07月14日 | 将棋・好手 妙手

 「絶妙手を生む駒はが多い」

 

 というのは、なにかで読んだ記憶がある一文である。

 歴史に残る妙手と言えば、

 

 升田の△35銀

 「中原の▲57銀

 「谷川の△77桂

 「藤井聡太の(多すぎて絞れないので略)」

 

 などがパッと思い浮かぶが、実はその多くにが絡んでいるとかいないとか。

 具体的なデータまではわからないが、「天野宗歩遠見の角」や、また数多の絶妙手を生み出してきた升田幸三九段が、を好んだことからついたイメージかもしれない。

 

 

 天野宗歩による「遠見の角」。
 好手かどうかは微妙だが、宗歩はうまい手順で▲63角成と成りこむことに成功する。

  

 

 たしかに射程距離が長く、ななめのラインというのはちょっと錯覚を起こしやすいため、うまく使えば相手の意表をつく手は出現しやすいのかも。

 そこで今回は、そんな「角の妙手」が乱舞する将棋を見ていただこう。

 


 1991年の第16期棋王戦は、南芳一棋王羽生善治前竜王(昔は名人か竜王を失冠して無冠になった棋士を「前名人」「前竜王」と呼ぶマヌケな習慣があった)が挑戦。

 羽生の2連勝スタートから、南も意地を見せ1番返し、むかえた第4局

 相矢倉から、南が△24歩と自分の玉頭の歩を突く工夫を見せ、そこから激しい戦いに。

 タイトル戦にふさわしい、力のこもった将棋になったが、終盤もまたエキサイティングだった。

 

 

 


 双方が、相手玉にせまりくる形となったこの場面。
 
 先手玉はかなりの危険にさらされているが、ここは羽生がねらっていたところであった。

 この前から、漠然とではあるが「こうなったらいいなあ」と、頭の中で描いていた局面が、本当に実現してしまったからだ。

 

 

 

 


 ▲67角と打つのが、攻防の絶妙手。

 先手玉は裸だが、大駒3枚が見事な配置で遠くから援護しており、これですぐの寄りはない。

 2枚角の使い方が、羽生の好きなチェスのビショップのようで、おもしろい形だ。

 飛車が逃げると、▲31銀△同玉▲23角成で必至だから、南は△66金と、しぶとくからみつく。

 これには▲76角△同金▲72飛△32歩

 

 

 

 

 ここで▲76飛成を取り払ってしまえば良さそうだが、その瞬間△55角王手飛車を食らって、これは先手が勝てない。

 プレッシャーをかけられているが、手はあるもので、羽生はまたもひねり出す。

 

 

 

 

 

 

 ▲44角が、絶妙手の第2弾

 △55角の王手飛車を防ぎながら、△同銀なら▲34桂から詰む。

 本人も

 


 「読みの裏付けはないけれども盤上この一手という確固たる自信」


 

 は感じたようで、このギリギリの戦いで、よくいいところにが行くものである。

 南は△41銀と辛抱し、足が止まったら負けの羽生も▲42銀と追撃していく。

 まだ形勢は難解だが、妙手2発で流れは先手であろう。 

 

 

 


 少し進んだこの局面で、羽生は勝ちを確信していた。

 △42歩と受けても、かまわず▲同飛成とつっこんで、△同銀はやはり▲34桂詰むから無効。

 後手に受けがないように見えるが、ここでは南に大きなチャンスがめぐってきていたのだ。

 なんと、羽生が必勝の確信で打ったはずの▲43金は、とんでもなく危ない手だった。

 たしかにこれは、次に▲32飛成からの一手スキだが、ここで△55角王手飛車を放ち、▲77歩△28角成と取っておく手があった。

 

 

 これなら詰ましに行ったとき、▲24飛と飛び出す筋がなくなるから、後手玉への詰めろが消えて、先手が負けになるのだ。

 金打ちでは▲38飛と、詰めろで王手飛車を回避しておけば、難解ながらも先手に分がある戦いだった。

 

 

 「簡単に詰み」と思いこんでいた羽生が、まさかの精査を欠いた形だが、将棋の終盤戦は本当に怖い

 羽生にとって幸運だったのは、指している間はそのポカに気づいていなかったこと。

 本人も言うように、ポカがあったときや詰みを探しているとき、自分が気づくと、以心伝心で相手もそれを察知する。

 これは高度な世界の「将棋あるある」なのである。

 なので、ここでしれっと胸を張れたのは、結果的には良かったわけで、南は相手のウッカリを見破れず△33金と指して、以下敗れた。

 最後は幸運も手伝って、羽生が棋王位を獲得。

 ▲67角▲44角に、幻でもあったが△55角など角の乱舞が目立った派手な将棋。

 羽生のポカもあったりと、にぎやかで楽しい一局であった。

 


(羽生による遠見の角はこちら

(大内延介の遠見の角はこちら

(その他の将棋記事はこちら

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運命は勇者に微笑む 羽生善治vs谷川浩司 2002年 第43期王位戦 鈴木大介vs久保利明 2003年 B級1組順位戦

2024年05月12日 | 将棋・好手 妙手

 「いい手」というのは連鎖するものらしい。

 将棋において、いわゆる「インフルエンサー」になるのは、新手や新戦法を開発した人である。

 「藤井システム」や横歩取りの「青野流」「勇気流」。

 また最近では「エルモ囲い」など、AIなどの手でも、優秀なら皆が参考にするわけだが、それのみならずインパクトのある「好手」もその流れにある。

 かつては、受けがむずかしい局面を検討していた棋士たちがよく、

 

 「大山先生(康晴十五世名人)だったら、どう指しただろうか」

 

 とつぶやいていたそうだが、今なら

 

 「藤井聡太なら」

 「AIなら」

 

 同じように考えて手を読む人も、多いのではあるまいか。

 そこで今回は、そういう谷川俊太郎「朝のリレー」のような「好手のリレー」を見ていただきたい。 

 


 2002年の第43期王位戦

 羽生善治王位(竜王・王座・棋王)と谷川浩司九段の七番勝負から。

 挑戦者谷川の3連勝を受けての第4局

 後手になった羽生は、谷川の十八番である角換わり腰掛銀を受けて立つ。

 むかえたこの局面。

 

 

 


 これは当時、課題局面のようになっていた図であった。

 ふつうは△32金とか逃げるところで、以下▲41角△74角▲28飛△42飛▲11銀という前例があるそうだが、羽生はここで意表の新手をくり出した。

 

 

 

 

 

 

 


 △24金と出たのが、話題を呼んだすごい手。

 歩越の金は形が悪く、

 

 「金はななめに誘え」

 

 という格言もあるほどだが、そのを行くのが羽生らしいといえば、らしい。

 一見、これで守備力が激減してしまったようだが、上部が厚く、△13から△14に玉を収納するルートが、思った以上に攻めにくいのだ。

 以下、▲53桂成と成捨てて、△同金▲71角△52飛▲61銀がこの形の手筋で、△51飛▲62角成で後手が困っていそうだが、それにはぺちっと△42銀で受けておく。

 

 

 

 

 

 いかにも気が利かない手だが、これで先手から有効な攻めがない。

 ▲51馬△同銀▲71飛と打ちこむも、△38角▲39飛△74角成で後手が猛烈に手厚い。

 

 

 

 以下、谷川の食いつきをしのいで、羽生がカド番をひとつ返す。

 シリーズは1勝4敗で敗れるが、大きなインパクトを残した形となった。

 


 その「羽生新手」が、いかに他の棋士たちに影響をあたえたのかと言えば、大きな一番で現れたのが、この将棋。

 2003年の第61期B級1組順位戦

 鈴木大介七段と、久保利明七段の一戦。

 この期、久保はすでに昇級を決めており、この一局は消化試合だったが鈴木はキャンセル待ちの一番手につけており、絶対に負けられない勝負。

 戦型は「振り飛車御三家」にふさわしく、相振り飛車となり、むかえたこの局面。

 

 

 

 

 後手が△25桂とせまったところだが、この流れから見れば、正解はおわかりでしょう。

 

 

 

 

 

 


 ▲26金と出るのが、力強い好手。

 ふつうは▲38金だが、△37歩の追撃や、が薄いのも気になるところ。

 なので、歩打ちを先にかわしながら端攻めにも備えて、これで耐えているというのだから、鈴木大介もいい度胸をしている。

 以下、△43馬▲69飛△16歩手抜き▲55桂の反撃で、鈴木が熱戦を制する。

 

 

 

 

 ▲26上部に厚くて、端攻めがまったく怖くないのだ。

 自力昇級の権利を持っていた井上慶太八段が、高橋道雄九段に敗れたため、鈴木は初のA級に。

 このとき、▲26への金上がりについて鈴木は、


 


 「羽生さんの△24金を、イメージして指した」


 

 羽生は升田幸三賞を取るような「画期的新戦法」こそ残していないが、有形無形の様々な形で、数えきれないほどの戦法や勝負術にその影響をあたえている。

 それこそ「藤井システム」などにもであって、この金上がりも、またそのひとつ。

 そう考えると羽生の、いやその他多くの棋士たちの目に見えない「升田幸三賞」が、きっと山のようにあるに違いないのだが、われわれのようなただのファンには、それが見えないのが残念だ。

 


(鈴木大介の渾身の勝負手はこちら

(その他の将棋記事はこちらから)

 

 

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