前回の続き。
「それ、おまえの世界すぎるってぇ!」
アダルトDVDを観て、思わずそうツッコミを入れたのはお笑いコンビ、ママタルトのひわらさんだった。
プロのお笑い芸人も思わずあきれる、その動画の設定というのが、
「はじめて彼女ができたから、それにそなえて、幼なじみの女の子にセックスの練習をさせてもらう」
創作でしかありえない展開かと思いきや、高校時代のクラスメートであるナガオ君は男女逆のシチュエーションで、まったく同じことをお願いされていたのだ。
中学時代からの友達であるワサコちゃん曰く、
「彼氏に子供っぽい女だと思われたくないから、あなたでセックスを練習して済ませておきたい」
たしかに「おまえの世界すぎる」お願いであり、なかなかビックリな流れではある。
当初これを「幼なじみとのステキな恋バナ」としてキャッキャ聞いていた、われわれボンクラ男子だが、突然の急カーブに当惑することしきり。
いきり立ったのは、硬派な熱血漢のナカモズ君。
「その女、ちょっとおかしいんちゃうか? その彼氏にも、ナガオにも、失礼すぎるやろ!」
たしかにナガオ君もビックリだが、彼氏の方からしても「なんでやねん」であろう。
男の立場からすれば、「そんな練習いらん」のではないか。
相手の経験値は知らんけど、むしろウブいままで、いてほしいのではないか。
まあ、このあたり
「初めての男になるのは重いからイヤ」
という人もいるから、何とも言えないがそこはロマンチストのカナオカ君に言わせると、
「それ絶対、ホンマはナガオのこと、好きなパターンやん。なんで、気づいてやれへんのよ」
ふつうに「好き」「抱いて」で充分である。ちょっとアクロバティックすぎる。
一方で、現実主義者のキタハナダ君は
「ラッキーやん。まさに据え膳。タダやで、タダ。お金払わんでええねんで。めっちゃええやん。最高やん」
むちゃくちゃに即物的ではあるが、まあリアルではある。
かくいう私はそのころ、クリエイター志望の友人たちとミニコミを作ったり、お芝居の脚本を書いたりしていたので、
「その子、インタビューさせてくれへん? どっから出た発想? 文学やん。記事のネタに使えそう。自主映画シナリオでもええな」
なんて能天気に考えたものだった。
実際のところ、ワサコちゃんがどういう経緯でそういうことを言いだしたのかは不明であり、ナカモズ君の言うような「痛い」女なのか。
それとも、カナオカ君の言う「健気」な女の子か、それともキタハナダ君の言うように「ラッキー」と取るのか。
はたまた、私のように「そんなオモロイ話は、ぜひ続編を聞かせてくれ。あと、コントのネタにしていい?」と、ある意味俯瞰で見るべきなのか。
よくはわかんないけど、一番ふつうというか、物語的におさまりがいいのは、カナオカ君の提唱する
「彼女は本当はナガオ君が好き」
ここなのは間違いない。
これなら、だれも傷つかないし。友人がハッピーエンドでおさまれば、それに越したことはない。
だがこれは、ナガオ君の態度からしても、
「なんか、そんな感じやなかったのよ。終わった後も、余韻もへったくれもない雰囲気で」
こりゃまた、ずいぶんドライなノリだ。
「気まずかったのも、あるかも知らんけど、ロマンチックな感じは、ぜんぜんなかったなあ」
うーん、なんか本人の口から聞くと生々しいけど、たしかに、「本当は好き」なんて甘ったるいこと、男が「思いたい」だけかもしれないしねえ。
しかも、そこまで味もそっけもないと、なんだか気持ちが盛り上がらないのもわかるところで、ナガオ君も、
「ラッキーなんかなあ。なーんか釈然とせんというか。変な感じやねんなあ」
まあ、これが男女を逆にしたら、とんでもなくゲスイ男の話になっちゃうわけではある。
男が「本命」の彼女の前でイキりたいから、他の子に「練習させて」って、裁判なしにギロチン台送りになっても、文句は言えまへん。
なるほど、そう考えるとナガオ君が「釈然としない」ってのも、わかんなくもないか。
そう言うと彼は、
「なんかなー。愛ってなんなんやろ。マジで軽くトラウマなりそうやわー」
ちなみにワサコちゃんは、その後もふつうにナガオ君と「友達」として過ごし、彼氏の方とも、うまくいっていたようなのだ。
結局、その後ナガオ君とは疎遠になったから、真相はわかんないままなで特にこれと言ったオチもないんだけど、青春ってキラキラしてるばかりのもんじゃ、ないんやねえ。
とか、ガラにもないことを思った、19歳のころのお話でしたけど、大人になって思うにこの問題の本質は、たしかにキタハナダ君の言う
「タダやで、タダ!」
これが案外、一番正解な気もするが、どうか(←サイテーの結論だよ、この人)。