先日のblogに、昭和時代の大衆に人気のあった言葉に「巨人・大鵬・卵焼き」を記述しました。令和になって「翔平・聡太・大の里」と挙げてみましたが、いかがでしょうか。
スポーツで有名になった2人を言葉に入れてみましたが、「体育」は数多い学校の教科の中でも必修なのはこの科目だけで、苦手であっても、この科目だけは何とか楽しんで付き合うしかありません。
教育の3本柱「知育、徳育、体育」といわれてきました。ところが、親が学力を身につけること「知育」や「道徳」には熱心ですが、「体育」は生涯 健康で生きるための基本教育なのに、重要視しているとは思えません。
高校では普通教科として「保健・体育」が存在し、専門教科として「保健」は性教育や健康、環境、福祉、家族に関する教育が行われていて、「体育」は、スポーツ・武道などの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらい、自己の体のしくみなども学びます。
決められたルールで行われる「スポーツ」は、勝敗が付いて回ります。とかく成績を重視しがちですが、教育としてのスポーツは、負けた時のケアが大切です。勝負で負けを経験しなかった人は、自分の実力を知ることができません。
夏の全国高校野球選手権大会を例にとれば、全国から参加校3,441校、甲子園出場校49校、勝ち続けたのは「京都国際高校(初優勝)」の、ただ1校で、他の高校は全て、負けた経験をしているのです。
勝ち続けることができれば問題はないのですが、負けたときは、どの様に自分をコントロールするかを学び、初めて実力を知ることです。負傷して大会出場を見送るときなど、無理をしないで相手に勝ちを譲ることが、自分にとって次へ有利な結果に結びつくと判断するのは、負けた経験がものをいうときです。
スポーツほどキッパリ勝敗がつくことは他に少なく、一般の企業でも厳しさに直面する時は数多くあり、スポーツマンが就職試験で有利にはたらくことは大いに理解できます。