あの地震の後、劇団 浮狼舎は炊き出しに参加したそうな(当時はまだ入団してないんで)。私は神戸からかなり離れた所にいたので、ボランティアで1日参加した程度だった。物理的に稽古場に来られない者も多かったと聞く。今日、あの日を思わない関西人はいないのではないだろうか、特に西に住まいしていた者は。
3・11の時は公演の仕込みの日だった。皆で、自分たちは芝居してていいのかと自問した。結論は「芝居屋は芝居するべき」。飯屋は飯を作る、物書き屋はきっちり書いて伝える、芝居屋は芝居する。1995年当時、県立ピッコロ劇団が被災地をまわり、被災した皆さんに芝居を見せた。あれが芝居屋のあるべき姿だ!と唸ったことを覚えている。頭が下がる。それぞれにやれることがある。我々は芝居だ。
この思いを伝えねばと思う。客を楽しませることは神を楽しませること。だから舞も芝居も奉納する。どんなときも忘れてはいけない、自分が何者なのかを。