昭和52年(1977年)、私が高校2年生の時、極真会館新潟支部主催の「裏日本空手道選手権大会」が初めて開催されました。当時、極真会館の大会と言えば、「全日本空手道選手権大会」以外、ほとんど行われていない時代でした。
極真会館の本格的な地方大会は、当時の秋田支部主催の「北日本空手道選手権大会」が最初だったと記憶しています。新潟支部主催の「裏日本大会」は、北日本大会の次くらいに開催された地方大会だったと思います。(あくまで私個人の記憶です。違っていましたらご容赦ください。)
祈念すべき第1回大会を制したのは、尊敬するU先輩でした。裏方として雑務をこなしながら、先輩方の試合を見ていた私は、自分もいつか試合に出てみたい、と思うようになりました。
私の初めての試合出場は、すぐにやってきました。それは第1回裏日本大会の翌年、昭和53年(1978年)、私が高校3年生の時でした。
その大会とは、新潟市秋季市民体育祭の空手道大会でした。現在では信じられないでしょうが、その年の新潟市秋季市民体育祭の空手道大会は、伝統派ルールの部と極真ルールの部が、それぞれ行われたのです。
どういう経緯でそのような大会が行われたのかはわかりませんが、伝統派と極真会館が協力して大会を開催したのです。その後、同様のことが行われたことはなく、最初で最後の、夢のような大会(伝統派とフルコンが手をつないだらどんなに空手界が発展するかと思っている、私のように人間にとって)でした。(こちらも、あくまで私個人の記憶です。これ以外にも、当時伝統派と極真会館が協力して開催した大会がありましたらご容赦ください。)
実は、私はこの大会に選手としてエントリーしていませんでした。当日は運営の手伝いと応援の予定だったのです。ところが、朝会場に行ったら、選手が欠場したか何かで急遽「お前出ろ」ということになったのです。当時、先生や先輩から何かを命じられたら、「押忍」と言って受諾するしかありませんでした…。
対戦相手はI先輩でした。必死に戦いましたが、結果は判定負け、ほろ苦い試合デビューでした…。ちなみに、この大会を制したのも、第1回裏日本大会チャンピオンのU先輩でした。
その翌年、「第2回裏日本空手道選手権大会」が開催されました。「裏日本大会」は、2年に一度の開催だったのです。今回は私も最初からエントリーし、大会に向けて自分なりに稽古を積んで出場しました。私は緑帯になっていました。
現在行われている大会の多くは、段・級位や体重等によって細かくクラス分けされていますが、当時の大会はすべて全日本大会同様で、段・級位は関係なし、体重無差別、サポーター類もファールカップ以外は禁止でした。
1回戦は新発田支部のT先輩でした。実力的には、かなうはずはないと思いましたが、とにかく動き回り技を出し続け、終わってみたら何と判定勝ちを収めることが出来たのです。「試合で勝つことが出来た。」当時の私にとっては、本当に夢のようでした。
2回戦はS先輩。私と同じように小柄な先輩でしたが、きれいな動きをする先輩で、自分もS先輩のような動きが出来るようになりたいと密かに憧れていました。結果は判定負け。しかし、技ありを取られることなく、最後まで試合場に立っていられたことで、自分に少し自信を持つことが出来ました。
この第2回大会もU先輩が優勝され、二連覇されました。前年の伝統派との合同大会も入れれば、大会三連覇です。大山倍達総裁は「三連覇してこそ真のチャンピオン」とおっしゃっていましたが、U先輩は真のチャンピオンと呼ぶにふさわしい、素晴らしい先輩でした
私は、この二度の試合経験から、「試合に勝ちたい」「大会で入賞したい」「チャンピオンになりたい」という気持ちが強くなり、「競技としての空手」に傾倒して行くようになったのです。 第2回裏日本大会。試合を終えて
19歳の頃。極真空手道の師 関川博明先生と
19歳の頃。現極真館新潟県支部長 都築教靖先生と
最新の画像[もっと見る]
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
-
空手道新武会 新潟道場 令和7年(2025年)稽古始め 2日前
コメントありがとうございます。私もブログを書きながら、昔のことを懐かしく思い出しています。
第2回裏日本大会には、都築先生も出場(まだ高校生でした)され、準優勝したS選手と初戦で当たり、ほぼ互角の好勝負を演じていました。惜しくも僅差の判定で敗れましたが、関川先生始め諸先輩方が、「あいつ(都築先生)はいいものを持っている。将来絶対伸びる。」とベタぼめしていました。