滅多に完動品とはお目にかかれないしっかりメンテ済みのRCA社の放送局仕様レコードプレーヤーと対面する。なんどか間近にあったNHK仕様のデノン製プレーヤーよりも背丈が低いせいかそれほど威圧されるほどの躯体ではない。さすがにアルミダイキャストの大型ターンテーブルは16インチとデカイ。日本では神話作りが下手ではったりもなかったせいかRCA社プレーヤーは、EMT(ドイツ)トーレンス(スイス)ガラード(イギリス)のようには名機種としての名声を確立していないようだ。
アナログプレーヤーでレコードをかけるとそのプレーヤーが奏でる再生音の良否をすぐに識別できるという名人のお宅で聴かせてもらった。戸外なのか室内なのか区分もつかない劣悪環境の俄か仕立てな場所だ。ソースは様々、45回転のEP,78回転のSP、33回転のLP、が一通り聴けるという名人の配慮は十分に整っている。入口はRCAだが、つないであるアンプ類、スピーカーも悪くはないけど良くもないミニなデジタルアンプ、松下製テクニクスのシスコンまがいなスピーカーを眺めるとこれで平気なのかいな?という不安がよぎるような適当という言葉にふさわしい組み合わせだ。その晩には調整も終わって名人の土間を立ち去るという希少なる幸運に出くわしたのだ。つないである機器間に耳を傾ける。あの一定間隔に聞こえるランブルゴロは聞こえていない。RCAプレーヤーは貧相な機器を通過したからといって一緒に貧相な音へ同化したりしない。軽々と豊かに音は音楽の輪郭や奥行に溶け込んでいて気持ちがよい。アメリカの50年代前期のレコード、コロムビア、キャピトル等のレコードを聞いているときと同じ、ものともしないという形容がふさわしい再生音質だ。
もう何十年も持っているのに聴いたことがないゲオルク・ショルティ指揮になるシカゴ交響楽団のベートーベン「エロイカ交響曲」を名人がかける。これはロンドンレコードのセカンドバージョンである。マニアならセカンドと聞いただけで嫌気がさすのだが、RCAプレーヤーはセカンドだろうと何だろうとお構いなしにオーケストラの力をグイグイと押し出してくる。同じショルティのレコードを渋谷の名曲カフェ「ライオン」あたりで聴いたらいつものベールを被った国内盤風ショルティということで帰結するのだが、やっぱりRCAはちがう。疾風怒涛!精神が漲っているショルティを現前化する。デルフォンプレーヤー、トーレンス124のいい状態に出会った時と同じ音がするから全く不思議である。この俄か試聴ではエディット・ピアフ、ダイナ・ショア、ディーン・マーティン、この辺は機器の貧相性を引いても文句ない再生だ。このプレーヤーでジェンセンのフィールドスピーカーを鳴らしたら最高だろうとは名人の弁である。78回転のSPレコードはシスコンスピーカーによる再生力に疑問が湧く領域だ。
それでもペギー・葉山の初期の声が聞けたことは僥倖にちがいない。キングレコードに吹き込んだSPの珍盤だ。キングという会社がなぜ文京区の音羽付近にあったのか、前から疑問に思っていた。袋には日本テレフンケンと印字がある。加えて「大日本雄弁会講談社」と印字がある。キングは同じ音羽にある「講談社」の資本系列だったらしい。ペギー・葉山は大橋巨泉がジャズを論じていた時代からのジャズ歌手でこのSPには「涙のワルツ」「愚かなりし我が心」等のスタンダード曲が入っている。後年の低い声に特徴のあるペギー・葉山ではなく音楽学校でグリークラブにでも所属しているような清楚な乙女風歌唱だ。それにしてもRCAプレーヤーは欲しくなるプレーヤーだ。名機で名高いEMT930みたいにプレーヤー付近の中空に音がベッタリと張り付いていない抜けのよさが魅力だ。名人との事後評では、お互いにもう一花咲かせてRCAプレーヤーでも買おうという結論になった。