Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

弟の訃報から

2022-05-19 15:35:09 | ラジオ亭便り

深夜、下の妹からラインメールが届く。末期癌を患っていた弟が担ぎ込まれた緊急病院で息を引き取ったと書き込んできた。腸に穴が開いて手遅れだったらしい。癌の治療薬も弱っている臓器へ相当に悪さを加えたに違いない。カースト的には、思想家、吉本隆明のカテゴライズに喩えると横浜旧市街地的「都市下層庶民」の出自、現業公務員の下級的一生を送っている。酒、煙草、仲間宴会が大好き、貧乏しても大損しても類縁者には度のすぎるお人好しを重ねていたので、人に忌避される道理はなかった。

自分も年子なので同じ幼少の空気を吸ったが、違う人生を歩んでしまった。太宰治の小説渦中の箴言的フレーズの影響を青春時期に擦り込んだ所為である。「家庭の幸福は諸悪の根源。。」こういう突っ張った逆説が含む両義性の味を知ってしまうと、その後の人生に陽が指す道理はなくて弟とは一生、融和の瞬間というものが得られることはなかった。家族行事の打ち合わせで会っても、必要最低限の世間話しか交わすことがなかった。もっと仲良くしておけば良かったが、人生は後戻りができないようにできている。

弟との回想で良きシーンが残っている。勤務先の西谷浄水場へ出かける折だった。ルンペンバイト先に出かけようとする自分を買ったばかりの通勤バイクの後部座席へ乗せてくれた。ホンダのドリームという当時としては傑出した4ストローク250ccの単車である。加速の滑らかさ、サスペンションを伝わる振動の夢心地。その時に味わった感覚が忘れられずに、3〜40代にはスズキのGS400、ホンダのGBクラブマン、シルクロードのような中型単車を次々に乗り換える契機になった。もっとも酒好きの弟は、自分がバイクに乗る時期にはバイクから離れて市中酒宴をハシゴする日々になっていた。

昔、吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」の路地入口にいた時である。寺島さんの横を80代後期の老紳士が通過した。寺島さんは複雑な表情で顔を背けた。顔貌察知では寺島さんに劣らない鋭いセンサーを 保持する自分は、すかさず「お父さんか?」と尋ねる。顔相における不機嫌と上機嫌の領域が曖昧な寺島さんの顔が曇っている。「親父とはとうとう氷解というものが無かった」と一言。自分も弟は他界したが、心の層に沈澱している弟との時間を遡及する機会はこれからも増えると思って告別に臨むことになりそうだ。