戸隠の中社訪問は41年ぶりである。そのときは付近にある「小鳥が池」で持参の釣りざおで鮒釣りをした記憶がある。ミミズ餌を使ってウキ釣りをしたがウキ下の調整が図星だったせいか小型の真鮒が数十匹という入れ食いになった。こんな標高のある場所で真鮒釣りはないだろうと思ったが、入れ食いの楽しさにしばらくうつつをぬかしたものである。しかしこれは持って帰る魚ではないから、池に再放流して社員団体旅行からの一時的逸脱を楽しんだという想い出だ。そのときは池の周りを囲む明るい林では「ホトトギス」が鳴いていた。
今回は中社付近の横道を散策して掘辰夫、立原道造、等と並ぶ病弱・高原派の昭和10年代御三家抒情詩人、津村信夫の石碑なども初訪問する。石碑には津村信夫の戸隠を讃えるエッセイの一節が刻んである。内容は戸隠に長期滞在中の津村が地元の宿坊でいそいそと働いている乙女に年齢を尋ねる挿話だ。きっと津村好みの純情そうな美人だったのだろう。乙女の受け答えは二十歳を過ぎてからの女は年をとっていく時間が早いので教えることができないという含みに満ちたものである。津村信夫はこういうさりげない会話の隙間にも戸隠の抒情を見出していて、乙女の挙措も戸隠の花鳥・風物と等価な風景画に仕上げているのだと、その雨の雫を光らせている夏草に覆われた石碑を眺めながら思った。飯綱から戸隠への舗装された快適道路の山間には「戸隠古道」というガイダンス看板をよく見かた。いつか歩いてみたいよい表情の高原の道だ。
それにしても中社入り口にある「鶉(うづら)屋」という戸隠名物の蕎麦店の繁盛ぶりに驚く。店前は長蛇の予約客だ。まだ昼になっていないのに、予約分で品切れとのことで諦めて付近の普通店で天ざるを食べる。注文を受けてから仕上げるという誠実な手打ち蕎麦だ。普通に美味い信州蕎麦である。どこかでいまや蕎麦は信州名物ではなく東京名物という皮肉を聞いたことがあるが、今回もやはりその思いを強くする。
付近にあるコッテージ風のカフェ、「十輪」でコーヒーを飲んでから山田温泉のある須坂市の奥地高山村に向かう。戸隠バードライン、長野市内、国道18号というルートだ。果物の街須坂市の郊外から万座や草津へ抜ける山道があることを初めて知った。やはり古い話だが信越本線の上野発夜行列車で南志賀の山田牧場付近をハイキングしたことがあった。その時の記憶があって、今回はそのぼやけた記憶をほぐす為の須坂行だ。松代、真田を巡る前に寄ったことのある公衆浴場風の源泉掛け流し温泉がどこだったかのかを確認してみたい。
須坂市内に入って地元スーパー「ツルヤ」で「ワッサクイーン」という硬くて果肉の鮮やかなネクタリンと普通桃の掛け合わせ品種を買う。信州では常識の各種「おやき」も見つけた。これを持って記憶の立ち寄り温泉を目指す。高山村には「子安温泉」や「山田温泉」があってさらに山道を登ると「五色温泉」「七味温泉」等の山間の宿が点在する。今回訪ねてみて記憶の温泉は「山田温泉」の「大湯」ということがわかった。建物は改装されているが勢いに満ちた高温の硫黄泉と浴槽に浮かぶ湯の華が当時のままである。当時はあったのか想い出せないが外の休憩スペースには足湯などのブースもあって訪問するお客もけっこう多い。ぬるま湯の浴槽と高温の浴槽へ入れ替わり浸かる近在爺さんの湯治気分だ。
しばし温泉に浸かって休憩所では「ワッサ・クイーン」を丸かじりしたり「おやき」の茄子、玉ねぎ入り等を賞味する。1個200円で買った「ワッサ・クイーン」はリンゴと並ぶ須坂地方特産の新顔桃だが、関東地方ではお目にかからない珍種だ。ネクタリンの酸味と桃の甘みがバランスよく硬い果肉に納まっている。こうした果実が林檎園と共存してたわわに実っている須坂の明るい田舎道のファンになってしまった。夕闇が迫ってきて当日の宿が近在でとれないようなら深夜にかけて甲州路経由で座間へ戻るつもりもあってクルマを上田方面に走らせることになった。
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