クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

少しだけ時計を戻せたらいいのに

2018年03月05日 | ちっちゃいおっさん
この数年、賀状をやりとりしている故郷の幼馴染から喪中葉書が頓に届くようになりました。

それは両親の逝去のお報せで、
私にとっては昔からよく知る近所のおじさん・おばさんの訃報に、その都度、自身と比較的元気な両親の年齢を数えながら、
郷愁を覚えていました。

自分の足元を見ると、多少無理の効かなくなったとはいえ、この年齢ですから、自分の娘や息子はまだ親が亡くなるという考えは
ないのでしょう。

それと同じように私は老いた両親でもずっと元気でいるという錯覚の中に安心を見出そうとしていました。

便りがないのは良い報せでした。

母の場合は認知が進行しすぎて食欲が湧かなくなるということがあるようで、今や点滴にて栄養を補給している状態です。

これも老衰の一種とすれば寿命ということなのでしょう、昨日、見舞った弟に言わせればそんなに先長くないようです。

されば治る見込みのない治療なら苦しまない選択を施してあげたいと話し合っています。

振り返ると何やら後悔ばかりです。

私は18歳に故郷を離れて暮らして今年で38年になります。 

盆暮れに帰れたとしても1年で5日間も両親に会っていなかったと思います。

トータルすると190日程度しか会えていなかったのでした。

この期に及んで母を見舞って出てくる言葉は、もっと一緒にいてあげられなくてごめんね、です。 

それに対して母は昔からずっとそうなのですが、
それでも数か月前なら、子の健康と仕事の成功、家族の平安をいつも祈ってくれていて、それだけが母の気にするところと言ってくれていました。

どうして親はいつまでも子供を想うのでしょう。それに引き換え、それに甘えて私はずっと見て見ぬふりをしていたのでしょう。 

後悔しかありません。

今週末に帰省します。

もう私の事が分からなくなった寝たきりの母の手を取って、おだやかな時間を過ごしてきたいと思います。