「袖を摺合せる」ための距離は2メートル以内であることが必要でしょうから、今の状況が続くと「多生の縁」も結ぶ機会も減るんでしょうね。
あ、「他生の縁」とも言うんですね。
私、最近まで「多少の縁」と勘違いしてました。「多少」って「せっかくの出会いを大事にしようぜ!」っておねえちゃんを口説くときに使ってました。
「多生」って、道を行くとき、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるという意味から、どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に起こるのではなく、すべて深い宿縁によって起こるのであるという意味のことばなのだそうです。
一方「他生」はこの世から見て過去および未来の生をいう語で、「多生」とは本来は意味が異なるともありました。
モノを知らないということは本当に恥ずかしいことだと改めて反省しております。
「他生」か「多生」ではないかもしれませんが、私、業務の関係で今日初めて袖を擦り合わせた方がいました。
御年75歳の男性です。
地下鉄サリン事件の当日、都内某消防署の団長を務めておられ、事件一報に築地に一番乗りで駆けつけた時の凄惨な現場や救急隊員や医療関係者の大変だった状況を思い出すように語ってくれました。
消防士でおられたからでしょうか今の年齢でもがたいよく矍鑠としていらして、修羅場をいくつも乗り越えたからか穏やかな表情での語り口はとても素敵でした。
あ~ こんな爺さんになれたらいいなと思わせてくれた「多少」の出会いに感謝しています。