クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

朴竜と佐藤師匠の愛おしき日々 8 おもてなし

2020年10月07日 | ちっちゃいおっさん


四半世紀前のつまらないお話!



英国からの一時帰国の期間は10日ほどだったでしょうか、本社に顔を出した後に佐藤師匠に電話しました。


佐藤師匠は当時上野支店長でした。


「師匠!只今帰国しました。娘さんに土産もあるし、夜どうっすか?」


「お、朴ちゃん。帰ってきて直ぐに連絡くれるなんて嬉しいね~。まあ、俺が偉くしてやったから当たり前だけどね。ま、いいや何喰いたい?」


「ありがとうございます。では、美味い寿司喰いたいっす。」と銀座とか築地とかを期待して吹っかけると。


「分かってるよ~朴ちゃん。では、エリートの朴さんに最高級の寿司をご馳走しますから19時にJR大塚駅の改札で!」


と電話が切れました。


「え~ 大塚?もしかして、師匠の昔のお客さんで、回転寿しだったりして。」と昔によく付き合わされたお店を思いました。


さて、約束通りに大塚で待ち合わせ、歩みを進めていくうちに辿り着いたのは予想通りに師匠の昔のお客さんの回転寿しのお店でした。


「お、大将!こいつのこと覚えてる?俺が偉くしてやった朴君。大将!美味しいとこ握ってやってよ!」


「朴ちゃん。どんどん食えよ~‼︎


まあ、気持ちの問題ですから、それはそれでよしです。ありがたい限りでした。


問題はですね。


例えば、我々ふたりの上司、小淵さんが亡くなった時の葬儀のお浄めや、その流れで行った飲み屋で、


「朴ちゃん、昔、一時帰国した時に銀座の寿司を喰わせてあげたら、涙流して美味い美味いと食ってたよなあ。あの時、ご馳走になったの忘れてはいないよね?」


また、今もたまに電話があり、何かと思うと


「お~!稼いでるか?朴ちゃん、外資系で働けるくらい鍛えられたのは誰のお陰でしょう? お前、年収いくら? え?言わない?言わないんじゃなくて、言えないくらいもらってるんだろ? 


「あ~ 昔、一時帰国した時に銀座で寿司を喰わせたら、俺、北海道生まれだからこんな美味い寿司初めてですと泣きながら食ってたのは忘れてないよね?」


四半世紀前のことですよ。それも銀座じゃないし。


「師匠!すんません。今、忙しいんで。用件はなんすか?」


「馬鹿!用件なんかねーよ。暇だからかけたんだよ。お前、散々俺に世話かけたんだから、たまには奢れよ!」とか


「あ~。偉くなっら昔の恩も忘れちゃうんだあ。そんな教育したつもりないんだけどなあ」


とかぐちぐちいうんですよ。


多分照れ隠しなんでしょうね。

あと寂しいんですよね。

たまに僕もそうですから。


じゃあ、ふたりで大塚行きましょう。

いつでも言って欲しいなあ。


僕がとびきり美味い寿司をご馳走させて頂きます。大塚です!

大塚咲ではありません。


その店まだあるといいですね。




僕もこうありたい写真!



疲労度DX

2020年10月07日 | 哀しき酔客

DXってデラックスって読むんじゃないらしいね。

 

ホントに辛いよね。

どうしてみんな逃げちゃうんだろ。

何より驚きなのは、

ちょうど1年前に生きている実感が

沸いていたことだね。

後で読んでみよ。

 

昨日だったか、三重県について投稿した。

私は三重県には縁もゆかりもない。

 

学生時代にひとり旅で足を運んでから、

不思議なことに何故か毎年のように

行くようになった。

理由なんてなく、気に入ったんだよね。

 

そもそもは伊勢神宮に行く予定が、

近鉄を乗り間違えて鈴鹿に行ってしまったんだよね。

あれは焦ったよね。

鈴鹿サーキットってのは聞いたことあっても

F1興味ないから、何県なのか知らねえし。

あれわけわからんよ。

京浜急行なみよ。

私は京急で育ったから何も思わないけど。

 

とりあえず四日市に戻ってレンタカーを借りた。

そう言えば四日市は想像以上に都会だったね。

鈴鹿の同年代の若者は、

何故かこぞってスリッパ履いていたよ。

どんなファッションセンスなんだと思ったが、

彼らからしたら、私も当時流行っていた雪駄だったから、

どっちもどっちかな。

でもスリッパってねえ。

 

そして「ザめしや」を知る。

翌年には焼肉屋の「一升びん」を知る。

伊賀上野では、組紐の携帯ストラップを

当時の彼女に土産として買った。

その彼女ってのは、多分大倉山の女だ。

女が実在するならね。

 

「伊勢戦国時代村」の安土城再現度の低さは笑えた。

「パルケエスパーニャ」の猛牛コースターで吐いた。

夏の「赤福氷」、正月の「赤福ぜんざい」も捨てがたいが、

でも普通の「赤福」は、私史上No. 1銘菓。

へんば餅は、他県の銘菓より上かもしれん。

 

会社の同僚と男2人で夫婦岩に行った。

「来年は彼女と来よう」

2人でそんな誓いを立てた。

私はその直後に今の妻と出会ってしまった。

悲劇の始まりだ。

 

10年くらい前に妻と行ったのを最後に、

三重県には足を踏み入れていない。

 

今年は行こう。

まだ道は覚えているだろうから車で行こう。

いつ行こうかな。

今行ったらもう帰ってこないだろう。

その時は、忍者に俺はなる!

 

函館も捨てがたい。

 


2020/10/07

2020年10月07日 | 日記
特に誰も投稿がないようなので繋ぎをひとつ。

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去年の今頃、私は相変わらずダルそうで、朴さんはライナー乗客が気になって、ジョビ君は生きてる実感が沸いていたようです。

来年の今頃は何を書いているのか?