ショッポーの趣味部屋

鉄道・旅行・散歩・・たまにグルメ?の、のんびりブログです。

車両の顔 Vol.70

2014-03-24 20:41:35 | 旧 車両の顔100選
車両の顔の第70回です。


今回のお顔は・・・


イメージ 1
EF10 22号機です。


EF10、『車両の顔』何回目の登場でしょうか^^;


デッキの向かって左側、一段上がっているのは
関門時代の重連総括用ジャンパ栓を装備していた名残り。
これは以前にUPしたEF1024号機と同様です。


先日、KATOから発売されたNゲージのEF103次形は
形態的にこの22号機が近いようですが、デッキの段違いまで
再現されていたのには驚きました^^;




1977年8月27日、飯田線 中部天竜支区にて撮影。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車両の顔 Vol.69

2014-03-03 20:21:57 | 旧 車両の顔100選
車両の顔の第69回です。


今回のお顔は・・・


イメージ 1
B面で失礼します^^;


手書きのナンバーが書かれていますが、これがなかったら
形式さえも分からないような、マイナーなお顔です。


ちなみにA面はこちらです。


1978年6月18日、高崎機関区にて。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車両の顔 Vol.68

2014-02-17 19:34:22 | 旧 車両の顔100選
車両の顔の第68回です。


今回のお顔は・・・


イメージ 1
クハ68017です。


この車両は複雑な経緯を辿っていますので、
今回は簡単に紹介したいと思います。


1934年3月、クロハ59013として製造。(2扉クロスシート
1942年2月、クハ68033へと改造。  (3扉セミクロスシート化)
1944年8月、クハ55147へと改造。  (3扉ロングシート化)
1953年6月、クハ68017へと改造。  (3扉セミクロスシート化)


その後、初配置の宮原~高槻~豊橋~中部天竜~豊橋~中部天竜~沼津と渡り歩き、
1975年3月、終の住処となった北松本支所へと転属。
1981年10月に廃車となるまで使用されました。


お顔の方も、各窓がHゴム化され、原形を見る影もありませんが、
これは、この車両が歩んで来た歴史の一部。
人間でいえば、皺といったところでしょうか^^


本人も、『な~に、左右で大きさの違うヘンテコリンな
窓じゃなかっただけマシさ』と思っていたかもしれません(笑)




1978年7月25日、北松本支所にて。










コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車両の顔 Vol.67

2014-01-20 18:09:52 | 旧 車両の顔100選
車両の顔の第67回です。


今回のお顔は・・・


イメージ 1
クハニ67901です。



元はクハ55093として1941年3月に製造。
東鉄管内で使用され、1955年12月にクハニへと改造されました。
その後、転入時期は判りませんが、豊橋機関区へとやって来て、
1978年11月4日に廃車となりました。
  

という事で、900番台を付番してはいますが、試作車ではありません。
改造時には原型のクハ二67が存在していたため、クハ55から改造されたグループは
900番台とされたようです。


1955年(昭和30年)当時は、未だ900番台=試作車という図式は
成り立っていなかったのでしょう・・・たぶん・・・(汗)



米 余談ですが、原型のクハニ67の内、006が1969年7月まで
中野電車区に在籍していたようです。
中央・総武緩行線で使用されていたのでしょうね。
先頭に立っているシーンを見てみたかったぁ!





それにしても、100番台、200番台でも良いと思うのですが、
なぜ900番台まで飛んでしまったのでしょうね??




1978年11月23日、西富士宮にて撮影。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車両の顔 Vol.66

2014-01-06 22:37:18 | 旧 車両の顔100選
車両の顔の第66回です。


今回のお顔は・・・
お陰さまで50,000アクセス到達出来ました記念に・・


イメージ 1
クモハ50002です。


1934年2月、モハ43021として製造され、初配属は当時の東鉄。
1952年8月、横須賀線で70系と併結するためモーターと歯数比を変更し
モハ43805へと改番。
その後の形式称号改正でモハ53003へと再び改番。
1964年3月には通勤ラッシュに対応するため3扉化され、クモハ50002となりました。
が・・・
3扉化されたものの、1966年頃には横須賀線の113系化により、
飯田線豊橋機関区へと転属。


1978年の戦前型旧国置き換えまで使用されました。


様々な改造を受けはしましたが、改造箇所が走り装置と側面だけだったため
顔はモハ43そのもので、古豪の貫禄充分でした。




1978年11月23日、疎開留置されていた西富士宮電留線にて撮影。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする