昨日のM51編成のラストランにより、国鉄時代から続いた
伝統の『特急色』が消滅してしまいました。
そこで惜別の意味を込めて、何回かに分けて歴代の特急色車両を
振り返ってみたいと思います。
再掲画像も多々含まれますが、ご了承ください。
まずは直系の
クハ181-65。
1976年5月、上野駅にて。
その後継
183系0番代。
家族旅行で松本まで乗車した『あずさ』
右側には一緒に撮っている親父の姿も。
1976年3月29日、松本駅にて。
さらに進化形の
183系1000番代。
1978年11月4日、上野駅にて。
189系。
1976年4月、上野駅にて。
次回も直流車両を。
伝統の『特急色』が消滅してしまいました。
そこで惜別の意味を込めて、何回かに分けて歴代の特急色車両を
振り返ってみたいと思います。
再掲画像も多々含まれますが、ご了承ください。
まずは直系の
クハ181-65。
1976年5月、上野駅にて。
その後継
183系0番代。
家族旅行で松本まで乗車した『あずさ』
右側には一緒に撮っている親父の姿も。
1976年3月29日、松本駅にて。
さらに進化形の
183系1000番代。
1978年11月4日、上野駅にて。
189系。
1976年4月、上野駅にて。
次回も直流車両を。
クハ181-65のロングスカート?と赤帯の組み合わせ
いま見ると、意外とスマートに見えます。まだこの頃は
「こだま」の残党が稼動していたのですね。
2枚目のお写真の、「スト権奪還、動力車・・・」のスローガンに
時代を感じてしまいました;;
この当時は『こだま型』残党の60番代クハが数両見られました。
欲を言えば、65号車転入時の赤帯のない姿も見てみたかった
ものですが、
有れば有ったで引き締まって見えますよね。
スト関連のスローガンも、特急色と同じく日本各地で見られましたね^^;
クロハ改造のクハ181-60番台は、当時61~65の5輌が残っていたと記憶しています。中でもお写真のロングスカートの65と、細長のタイフォン穴が中央に寄った64が好きでした。優美な大窓を持つパーラーカー、1両ぐらい保存されても良かったのではと今でも思っております。
お詳しいですねぇ!
自分では62号車以外は、なんとか記録出来ました。
64号車も含め投稿済みなのですが、再スキャンを兼ねていずれ近いうちに
再掲載させて頂いちゃいましょうか^^;
クハ181は、-1と-45が保存されてはいますが、仰るようにパーラーカーの
優美な姿も、実物を目の当たりにしてみたかったものですね。