今回は困った時の日付ネタです(汗)
10月23日という事で、EF10 23号機といきたいところですが、すでにストックもなく・・
ED75 1023号機となりました(汗)
1994年11月6日、長町機関区にて。
この時は友人と二人で、東北本線盛岡界隈の客車列車を撮影した帰りに寄ったと思われます。
始めは敷地外から撮影していたところ、先客さんでいらした地元の鉄道ファンの方に
『機関区事務所へ行って、見学許可を頼めば承けてくれますよ』と教えていただき、
お礼もそこそこに機関区事務所へ行き、快く見学許可を頂いて撮影しました♪
当時の長町機関区の主力はED75で、EH500が登場するのはそれから数年後の事でした。
10月23日という事で、EF10 23号機といきたいところですが、すでにストックもなく・・
ED75 1023号機となりました(汗)
1994年11月6日、長町機関区にて。
この時は友人と二人で、東北本線盛岡界隈の客車列車を撮影した帰りに寄ったと思われます。
始めは敷地外から撮影していたところ、先客さんでいらした地元の鉄道ファンの方に
『機関区事務所へ行って、見学許可を頼めば承けてくれますよ』と教えていただき、
お礼もそこそこに機関区事務所へ行き、快く見学許可を頂いて撮影しました♪
当時の長町機関区の主力はED75で、EH500が登場するのはそれから数年後の事でした。
国鉄時代は、交流電気機関車といえば「赤い電機」でしたよね。
同じED75でも、ヒサシの有無や側窓の形状(固定と引き戸)など細部が異なっていて興味深いですね。
コメントありがとうございます♪
1000番代は高速運転対応車で、嘗ては20系『ゆうづる』なども牽引していたようです。
一方の100号機は耐寒耐雪装備強化車ですので、側窓などもすきま風防止のために
固定化されていたのかもしれませんね。
(コメントいただくまで気付きませんでした・・汗)
長町ですか。
自転車で行ける距離に住んでいたのに非鉄時代だったため写真がありません。
もったいなかったです…
長町の近くにお住まいだったんですか。
この時、初めて仙台市内を車で走りましたが、その大都市ぶりに驚いた覚えがあります。
非鉄時代は自分も同じです・・
操車場で働いていたのに写真は1枚も撮っていませんでした(悔)