本日は日付ネタです。
最近、再掲写真が多めな気もしますが・・・
今回の写真も当ブログ初期の頃に投稿したもので、
あまり陽の目を見ていない思われるので・・・(汗)
7月2日=72ということで・・・
1978年9月28日、当時の小郡駅にて。
3両目で、一際異彩を放っています。
モハ72 684です。
他3両は中央東線からの、いわゆる『山スカ』の転属組。
何故かこのモハ72だけ呉線オリジナルの黄緑塗装で、
よく目立っていました。
この684号車は、この後、1979年6月に国鉄幡生工場で
クモヤ90 105へと改造され、JR西日本へも引き継がれたようですが、
2000年前後には廃車となってしまったようです。
最近、再掲写真が多めな気もしますが・・・
今回の写真も当ブログ初期の頃に投稿したもので、
あまり陽の目を見ていない思われるので・・・(汗)
7月2日=72ということで・・・
1978年9月28日、当時の小郡駅にて。
3両目で、一際異彩を放っています。
モハ72 684です。
他3両は中央東線からの、いわゆる『山スカ』の転属組。
何故かこのモハ72だけ呉線オリジナルの黄緑塗装で、
よく目立っていました。
この684号車は、この後、1979年6月に国鉄幡生工場で
クモヤ90 105へと改造され、JR西日本へも引き継がれたようですが、
2000年前後には廃車となってしまったようです。
スカ色の中に混じったウグイス色と言えば、1975年に仙石線から当時の長鉄局に来たモハ70124号車が思い出されます。
その後スカ色に塗り替えられましたが、ドアのガラスの半自動表示ステッカーに仙石線当時の大手旅館の広告が入っていたり、ベージュ色のペイントに座席の背もたれのフレームが木製のニス塗りという内装も文字通り異色でした。
その画像のモハ72684号車、3段窓をアルミ枠で戦前の電車や両隣の70系の様な2:1比率の窓に近代化されていますが、戸袋窓の2本の保護棒に面影が見られます。
当時全く事情を知らない関東の人が見たら、「横須賀線と山手線がつながってる」とでも言いそうですね(^^;)
このモハは、可部線へ行かなかったのですね・・・と思いつつ、よく考えてみたら同線はクモハとクハでしたね(汗)明日、関連する記事を投稿予定です(^^;
車両は「山スカ」でありましたが、呉線の風光明媚な瀬戸内海沿いを
走る光景は、スカ色が最も似合ったかもと思いました。「本家」
スカ色の横須賀線でも、海沿いを走る場所はほぼありませんから(横須賀の海上自衛隊基地の脇をほんの少し掠める程度で)・・・。
仙石線に3両居たというモハ70には大変興味を惹かれていますが、
その中の1両を実際にご覧になられているのは羨ましい限りです。
松本界隈では文字通り、異彩を放っていたのでしょうねぇ。
この684号車も色が珍しいため撮影していたように思います。
当時は、72系にはあまり興味が湧かなかったものですが、
いま思えば、勿体無いことをしていました(悔)
なかなかインパクトのある”混色編成”ですよね^^;
これだけは近くで撮りたいと思い、ホームにいた駅員さんにお願いして
近づくことが出来ました♪
仰るように呉線を往くスカ色は絵になった事でしょうねぇ。
走行写真も撮っていれば・・と、いつもながらの後悔をしつつ、
呉線と可部線での編成の使い分けなど、興味は尽きません^^
明日の『日付ネタ』御記事も楽しみにしております♪