『〇〇年前の今日』シリーズ。
今回は、いまから24年前の今日、1994年7月31日です。
この当時、大糸線非電化区間のキハ52は『大糸色』と呼ばれるアイボリーベースの
塗色となっていましたが、その中に・・・
文字通り『紅一点』がいました。
キハ52 140です。
1992年頃に米子から転属して来た非冷房車で、夏場は歓迎されなかったようですが、
塗色は国鉄時代から変わらずの『首都圏色』。
この数ヶ月後には他のキハ52と同じく『大糸色』へと塗り替えられ・・・
1996年2月、大糸線不通による芸備線への出稼ぎ運用で出会った時や・・
1998年3月、再び大糸線へと戻って運用に着く姿は、すっかり大糸線の
一員として馴染んでしまっていましたが・・・
キハ52最後の”本物”の首都圏色を纏っていたのは、この140号車だったのでした。
今回は、いまから24年前の今日、1994年7月31日です。
この当時、大糸線非電化区間のキハ52は『大糸色』と呼ばれるアイボリーベースの
塗色となっていましたが、その中に・・・
文字通り『紅一点』がいました。
キハ52 140です。
1992年頃に米子から転属して来た非冷房車で、夏場は歓迎されなかったようですが、
塗色は国鉄時代から変わらずの『首都圏色』。
この数ヶ月後には他のキハ52と同じく『大糸色』へと塗り替えられ・・・
1996年2月、大糸線不通による芸備線への出稼ぎ運用で出会った時や・・
1998年3月、再び大糸線へと戻って運用に着く姿は、すっかり大糸線の
一員として馴染んでしまっていましたが・・・
キハ52最後の”本物”の首都圏色を纏っていたのは、この140号車だったのでした。
国鉄時代は殆ど見向きもせず、残り少なくなると有り難がる・・・
自分も含め、それが”鉄ちゃん”の王道のようにも思います(苦笑)
国鉄型の地域カラーも初めのうちこそは抵抗がありましたが、色々と
撮り溜まってくると、集める事に楽しさを見出したように思います^^;
新製時からこの色のキハ40系はともかくとして、旧型車のタラコ色は好きになれず、ほとんど撮ってませんでした。もっと大人になって寛大な気持ちであるべきでしたが、地域カラーになってからはますます疎遠になっていったことを後になって悔やむのでした。