再び1978年11月の富士宮電留線です。
今回は飯田線の代表的な電動車を紹介します。
まずは・・
クモハ51019です。
数少ない中部天竜支区所属の車両でした。
こちらはクモハ51の出力増強型、クモハ54008です。
オリジナルのクモハ54は、わずか9両の少数派でした。
こちらは改造車のクモハ54121です。
このグループはロングシートのクモハ60をセミクロスシートに改造して
クモハ54の100番代としました。
オリジナル車と見比べると、乗務員扉の後ろの窓の大きさや、ドア間の窓の数などに
違いがみられます。
飯田線の疎開留置車両の紹介も残り少なくなってきました。
マニアックな記事に、もうしばらくお付き合いくださいね(笑)
今回は飯田線の代表的な電動車を紹介します。
まずは・・
クモハ51019です。
数少ない中部天竜支区所属の車両でした。
こちらはクモハ51の出力増強型、クモハ54008です。
オリジナルのクモハ54は、わずか9両の少数派でした。
こちらは改造車のクモハ54121です。
このグループはロングシートのクモハ60をセミクロスシートに改造して
クモハ54の100番代としました。
オリジナル車と見比べると、乗務員扉の後ろの窓の大きさや、ドア間の窓の数などに
違いがみられます。
飯田線の疎開留置車両の紹介も残り少なくなってきました。
マニアックな記事に、もうしばらくお付き合いくださいね(笑)
このあたりになると違いがわかりませんね。
「陸蒸気からひかりまで」とか見れば出ていたかなぁ?
子供の頃のバイブルでしたが今は手元にありません…
>このあたりになると違いがわかりませんね。
SL-10さんが正常だと思います(笑)
自分でもパッと見は・・・ですから(笑)
『陸蒸気からひかりまで』は、自分では持ってはいませんでしたが、
何処かで見た覚えがあります。
小学校の図書館だったか、友達の家だったか・・
飯田線ではついつい合いの子、47,42など2ドア車に目が行きますが3ドア車もいろいろあったんですよね。68も相当バリエーションがありましたよね。51と54の違いは外観上はあるんでしょうかね?
確か大糸線には仙石線から来たガラベンの54がいたように記憶しています。飯田線のはあまり記憶にありませんね・・・。
51とオリジナル54は主電動機が違うだけで、あとは全く同一のようです。
ガラベン改造の54は007が1台いましたが、自分も撮ってなかったと思います。
合の子は、飯田線では見る事さえ出来ませんでした(涙)
辛うじて撮る事が出来た大糸線のクモハ43810も、ほとんど失敗写真となっており、
自分は合の子とは縁がなかったようです・・・(泣)