おはようございます。
今日は前回の続きで、1979年3月28日の大阪駅の写真をUPします。
長駆、西鹿児島から到着した、『特急 なは』のクハネ581-7です。
この時は、ファインダー越しにも『なんかノッペリしているな~』と思っていましたが、
よく見ると、貫通扉が埋められていました。
間近で見ている少年ファン達も珍しげに眺めていますね(笑)
この車両は事故復旧の際に埋められたようですが、他にもすきま風防止のために
埋められた車両もあったようです。
こうして見てみると、平面の貫通扉に対して、前面下部は若干すぼまっている
微妙なライン構成だったのが、よく判ります。
こちらは、24系?ブルートレイン『あかつき』
この時間帯の大阪駅は、九州発の寝台列車群が続々と到着しては・・・
終着駅である新大阪・京都を目指して発車して行きました。
今日は前回の続きで、1979年3月28日の大阪駅の写真をUPします。
長駆、西鹿児島から到着した、『特急 なは』のクハネ581-7です。
この時は、ファインダー越しにも『なんかノッペリしているな~』と思っていましたが、
よく見ると、貫通扉が埋められていました。
間近で見ている少年ファン達も珍しげに眺めていますね(笑)
この車両は事故復旧の際に埋められたようですが、他にもすきま風防止のために
埋められた車両もあったようです。
こうして見てみると、平面の貫通扉に対して、前面下部は若干すぼまっている
微妙なライン構成だったのが、よく判ります。
こちらは、24系?ブルートレイン『あかつき』
この時間帯の大阪駅は、九州発の寝台列車群が続々と到着しては・・・
終着駅である新大阪・京都を目指して発車して行きました。
非貫通化された583系は、下部の貫通扉レールが取り外されていますね。
24系「あかつき」もステンレス帯が新鮮な時代で、風格がありました。
>下部の貫通扉レールが取り外されていますね。
言われてみて初めて気が付きました(汗)
上部の貫通扉レールは飾り帯代わりに残したということでしょうが、
もし撤去されていたら、余計ノッペリした顔になってしまっていたでしょうね(笑)