鉄コレの流電を購入したのを記念して?、
1977年11月、初めて流電を撮りに行った時の写真をUPします。
まずは顔のアップから!
クモハ52 003+サハ75+サハ75+クモハ52の4連です。
この時の、もう一つの目的車が左端に写ってますが、
そちらは、次回以降という事で・・・
このコマだけ、何故か発色が違います・・・?
反対側先頭のクモハ52005です。
こちらは両側を車両に挟まれていて、退いた写真が撮れませんでした。
ラストは、流電と半流型機関車の並びです。
撮影日は、1977年11月23日です。
1977年11月、初めて流電を撮りに行った時の写真をUPします。
まずは顔のアップから!
クモハ52 003+サハ75+サハ75+クモハ52の4連です。
この時の、もう一つの目的車が左端に写ってますが、
そちらは、次回以降という事で・・・
このコマだけ、何故か発色が違います・・・?
反対側先頭のクモハ52005です。
こちらは両側を車両に挟まれていて、退いた写真が撮れませんでした。
ラストは、流電と半流型機関車の並びです。
撮影日は、1977年11月23日です。
この画像のクモハ52003は、1976年3月に中央東線442Mに乗り東京都内へ夜行日帰りで行く途中、辰野駅で実車を見た記憶があります。同駅で本当にクモハ52を見れるとは思っていませんでしたから感激しました。しかしスマートな外観とは裏腹に、内装はカリントウ状のニス塗りとなっているのが車内の照明から窺われ、当時でも老朽化の事実は争えないのだろうなとも思いました。
中間に旧1等格下げのサハ75形100番代が2輌、最後部は窓の狭い1次形のクモハ52と、これは当時の飯田線では随一の“豪華編成”だったわけですね。
それにしても当時の“山スカ”115系300番代は座席が狭いので、新車とはいえ長距離の夜行にはどうにも快適とは言いかねる乗り心地でした。
コメントありがとうございます♪
クモハ52は見た目の流麗さばかりに気を取られていましたが、経年による劣化は
防ぎようがなかったのですねぇ。
中央東線の夜行では、165系『アルプス』と旧客『臨時アルプス』に
乗車した事はありましたが、115系は未体験でした。
たしかに115系での長距離夜行は、キツそうですよね(汗)
旧客の『臨時アルプス』の山男達のように、シートを床に置いて寝る!
などという事も出来なさそうですし・・・