文鮮明先生 御言葉選集 1-1
1956年4月8日(日)前本部教会
聖書拝読 :テモテ 2:1-13
<祈り(Ⅰ)>
聖書拝読 :テモテ 2:1-13
<祈り(Ⅰ)>
お父様、堕落前に持っていた本性の命が注入されるこの一時となる様にお許しください。お父様の愛があふれる生命の祭壇になることをお許し下さい。
死の塀を前にしている事をこの時間、私達が体の心で感じることができる様にしてください。そうして復活の賜物を受けて栄光の祭壇を築き、乱れたすべての祭壇に新しいろうそくを掲げることができる私達となれる様にお許し下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。
心に傷ついた人がいますか? 気をつけてください。体にサタンに捕まった痕跡が残っているならばそれを除いてください。そうして堕落前の本然の姿を表せる様に許して下さる事を、愛のお父様、切にお願い申し上げます。
お父様、能力を御言葉として現われるようにしてください。私達の全てを投入し、再創造の歴史を起こして下さる事を愛するお父様、切に請い願うもので御座います。
難しい環境で私達を呼び集めて下さいましたので、今私達はこの試練と困難の峠を越えてまいります。もう残された戦いで勝利の凱歌を上げなければならない時になりましたので、お父様が、我々に更にお力を加えてくださり、能力に更に力を加えてくださり、復活の力を現わしてください。
死の塀を前にしている事をこの時間、私達が体の心で感じることができる様にしてください。そうして復活の賜物を受けて栄光の祭壇を築き、乱れたすべての祭壇に新しいろうそくを掲げることができる私達となれる様にお許し下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。
心に傷ついた人がいますか? 気をつけてください。体にサタンに捕まった痕跡が残っているならばそれを除いてください。そうして堕落前の本然の姿を表せる様に許して下さる事を、愛のお父様、切にお願い申し上げます。
お父様、能力を御言葉として現われるようにしてください。私達の全てを投入し、再創造の歴史を起こして下さる事を愛するお父様、切に請い願うもので御座います。
難しい環境で私達を呼び集めて下さいましたので、今私達はこの試練と困難の峠を越えてまいります。もう残された戦いで勝利の凱歌を上げなければならない時になりましたので、お父様が、我々に更にお力を加えてくださり、能力に更に力を加えてくださり、復活の力を現わしてください。
1
闇に閉じ込められていた心霊達が解放される様に許してくださり、希望の炎で復活させてください。真理で埋め尽くされた園として下さり、悪が主管していたこの世、6千年のお父様の恨みの跡を明らかにして下さり、お父様の命の炎が残される様にお許し下さる様に、私のお父様、切にお願い申し上げます。
新しい歴史はお父様を中心として始まることを知っております。そして、歴史の基準を天に置かなければ、全体的な歴史の基準になることができなかったのが歴史的な事実であった事もわかりました。
私達のお父様!
私達を呼び集め立てて下さったので、新しい歴史を成就することをお許しくださり、新しい時代に天の精兵を立ててご覧頂き、新しい園を建設して歓喜の栄光をお父様にお返しできる様に賜物を許してください 。愛するお父様、切に請い願い申し上げます。
戦いの障壁を乗り越えて、先知先列が行った同じ道を探して参りました。難しい道という道を探して来たのです。振り返らず戻れない道におります。一つの目標に向かって主体的な勇気を持って戦わなければならない時となったことを知っております。最後の情熱をすべて傾けてサタンに対して先頭に立って、他の人より先に旗を持ってサタンに向かって突進できる天の精兵になる様に許してください。
戦いの障壁を乗り越えて、先知先列が行った同じ道を探して参りました。難しい道という道を探して来たのです。振り返らず戻れない道におります。一つの目標に向かって主体的な勇気を持って戦わなければならない時となったことを知っております。最後の情熱をすべて傾けてサタンに対して先頭に立って、他の人より先に旗を持ってサタンに向かって突進できる天の精兵になる様に許してください。
2
お父様、残された戦いの祭壇を勝利の祭壇として収め、父の安息の祭壇、栄光の祭壇として収拾できるまで、お父様、私達が行く道を守ってくださり、私達が留まる所を聖別してください。お父様、嬉しい勝利の白い旗をこの民族と24億人類の前に差し込んでも残れる様に導いて下さる様に、お父様、切に請い願い申し上げます。
お父様、残された戦いの祭壇を勝利の祭壇として収め、父の安息の祭壇、栄光の祭壇として収拾できるまで、お父様、私達が行く道を守ってくださり、私達が留まる所を聖別してください。お父様、嬉しい勝利の白い旗をこの民族と24億人類の前に差し込んでも残れる様に導いて下さる様に、お父様、切に請い願い申し上げます。
お父様、この時間少数の家族も心集めて父の愛に浸るために集まりました。愛なるお父様、この一時だけでも隠された父の愛に浸ることができる様にお許しください。
6千年間閉ざされた天の愛と真理の歴史を示してくださり、復活の歴史を示してくださり、心から、体から自由の解放を受け、お父様の「私の子」になることを許してください。勝利の歓喜でお父様にお会いすることができ、勝利の栄光でお父様を奉じることができる子供達として立ててください。
6千年間閉ざされた天の愛と真理の歴史を示してくださり、復活の歴史を示してくださり、心から、体から自由の解放を受け、お父様の「私の子」になることを許してください。勝利の歓喜でお父様にお会いすることができ、勝利の栄光でお父様を奉じることができる子供達として立ててください。
この日は聖なる日となります。3千万民族に代わって集まる祭壇達に、お父様、成らせてくださいませ。死んでいる祭壇があるなら、命の歴史をお示しください。時、環境、処所を問わず、お父様、復活の歴史をお示しください。
眠っていた命の炎を起こしてくださり、良心的な子供達、父に従う子供達を通して新しい命の旗を持って出て行くことができる様にお許しくださり、隠された祭壇を守ることができる子供達が多くなる様にお許しください。お父様、切に請い願い申し上げます。
この時間集まりましたので、お父様、私達の心霊を聖別して下さり、自我を中心とした観念や罪悪の要素、浄化できなかった暗い恨が残っているなら、お父様の炎のような聖霊の働きとして現れて、導いてください。お父様、懇切にお願いを申し上げます。
眠っていた命の炎を起こしてくださり、良心的な子供達、父に従う子供達を通して新しい命の旗を持って出て行くことができる様にお許しくださり、隠された祭壇を守ることができる子供達が多くなる様にお許しください。お父様、切に請い願い申し上げます。
この時間集まりましたので、お父様、私達の心霊を聖別して下さり、自我を中心とした観念や罪悪の要素、浄化できなかった暗い恨が残っているなら、お父様の炎のような聖霊の働きとして現れて、導いてください。お父様、懇切にお願いを申し上げます。
3
私達に任せてくださった使命を不足することなく遂行し、この一つのみ旨のために心を捧げて千千万聖徒達とその国の家族の前に面目を立てることができる、使命を果たす息子娘になる様にお許しくださる様に切に請い願い申し上げます。
この時間、最初から最後の時間までサタンの讒訴条件にかかる者がいなくなる様に守ってくださり、一命でもさらに復活の賜物に感激し、新しい命の歓喜を味わって、新しい命の賜物を受ける様に許してください。そうして、新しい命が復活の栄光をお父様に返すこの時間になる様にお許し下さる様、愛するお父様、切に請いお願い申し上げます。
もう全てを委ねますので、生命の根源的な歴史が最初から終わりまでに現れる様に許してくださり、喜びの内容だけが現れる事をお許して下さる様にお願い申し上げます。
私達に任せてくださった使命を不足することなく遂行し、この一つのみ旨のために心を捧げて千千万聖徒達とその国の家族の前に面目を立てることができる、使命を果たす息子娘になる様にお許しくださる様に切に請い願い申し上げます。
この時間、最初から最後の時間までサタンの讒訴条件にかかる者がいなくなる様に守ってくださり、一命でもさらに復活の賜物に感激し、新しい命の歓喜を味わって、新しい命の賜物を受ける様に許してください。そうして、新しい命が復活の栄光をお父様に返すこの時間になる様にお許し下さる様、愛するお父様、切に請いお願い申し上げます。
もう全てを委ねますので、生命の根源的な歴史が最初から終わりまでに現れる様に許してくださり、喜びの内容だけが現れる事をお許して下さる様にお願い申し上げます。
主の御名によってお祈り申し上げます。アーメン。
<祈り(Ⅱ)>
お父様、今日も不足なる罪の多い者が参りましたから、父の聖なる前に少数の家族が復活しました。
今まで預言者達を立てて伝えられ、聖霊を通して伝えられ、キリストを通して伝えられたので、まだお父様が親しく伝えられて来なかったことを知っています。親しく分からなかったお父様のこの御言葉がここに現れる様に許してください。そうして聖霊を通して、イエス・キリストを通して成し遂げようとされていたお父様の意志がここに現れる様にお許しください 。
今まで預言者達を立てて伝えられ、聖霊を通して伝えられ、キリストを通して伝えられたので、まだお父様が親しく伝えられて来なかったことを知っています。親しく分からなかったお父様のこの御言葉がここに現れる様に許してください。そうして聖霊を通して、イエス・キリストを通して成し遂げようとされていたお父様の意志がここに現れる様にお許しください 。
4
お父様が喜びの意志を成し遂げようとすることを知っています。お父様の御意の前に、私達は不十分な誠心であったとしても捧げたいと思っております。
私達の手足にはサタンの矢の跡が残っていて、私達の体には戦いの傷が残っています。
お父様が喜びの意志を成し遂げようとすることを知っています。お父様の御意の前に、私達は不十分な誠心であったとしても捧げたいと思っております。
私達の手足にはサタンの矢の跡が残っていて、私達の体には戦いの傷が残っています。
愛のお父様!
あなたの手を差し伸べてください。お願い申し上げます。一言の新しい御言葉を望んでいますので、お父様、語ってください。切に請い願い申し上げます。心と罪が属していたすべての心情を除いてくださり、属してひたすらお父様を傷つける堕落の心情をお許しください。
お父様、呼び集めてくださって、私達に命じてください。お父様が知ってほしい摂理の中心が何かを知る様にしてくださり、お父様が知りたい天倫の中心が何かを解る様にしてください。お父様、この時間降臨してください。私達は穏やかで、お父様が私達に下された御言葉に答えるためにひたすらに待ち望んでおります。お父様、切に請い願い申し上げます。
この時間すべてを、お父様、主管してください。いま御心の前に訪れてきた私達、命で結実しなければならないことをお父様、終わりが近づいているこの時、お父様、命の手を差し伸べてお許しください。世の中と歴史は変わっても父の命は変わらないことを、お父様、永遠の命、不変の標準に向かって走ることができる様にお許しください。
あなたの手を差し伸べてください。お願い申し上げます。一言の新しい御言葉を望んでいますので、お父様、語ってください。切に請い願い申し上げます。心と罪が属していたすべての心情を除いてくださり、属してひたすらお父様を傷つける堕落の心情をお許しください。
お父様、呼び集めてくださって、私達に命じてください。お父様が知ってほしい摂理の中心が何かを知る様にしてくださり、お父様が知りたい天倫の中心が何かを解る様にしてください。お父様、この時間降臨してください。私達は穏やかで、お父様が私達に下された御言葉に答えるためにひたすらに待ち望んでおります。お父様、切に請い願い申し上げます。
この時間すべてを、お父様、主管してください。いま御心の前に訪れてきた私達、命で結実しなければならないことをお父様、終わりが近づいているこの時、お父様、命の手を差し伸べてお許しください。世の中と歴史は変わっても父の命は変わらないことを、お父様、永遠の命、不変の標準に向かって走ることができる様にお許しください。
この時間、その一つの標準の前に合わなかった子ども達がいる様に、この日を分かってくださり、能力の手を差し伸べて許してくださり、お父様の性相に似た歴史となる様にしてください。お父様、切に請い願い申し上げます。聖なるお父様と聖者と聖霊の前に集まりましたので、彼らの主観的な観念を除いてくださり、命の歴史作る事をお許しください。お父様だけが彼らの心の中心になり、集まった全体の中心になって頂き、勝利の盾になってくださって 喜びのこの一時になる様にお許しください。
5
この日から見られる命の要素として永遠の命の血を成し、永遠の勝利の盾を造成して、サタンと正面衝突をしても傷つかない子供達として立ててください。すべてを委ねますので主管してください。
この日から見られる命の要素として永遠の命の血を成し、永遠の勝利の盾を造成して、サタンと正面衝突をしても傷つかない子供達として立ててください。すべてを委ねますので主管してください。
主の御名によって祈り申し上げました。アーメン。
<御言葉>
今日ささげる御言葉は、 「勝利する神様の傭兵になりましょう。」と言うこのようなタイトルを持ってしばらく話をします。
精兵という言葉は本来からあった言葉ではありません。人間が堕落したときに初めて生まれた言葉です。つまり、戦いが残っているので、神様の代わりに戦いを余儀なくされる息子娘が必要だったから生まれた言葉です。
精兵という言葉は本来からあった言葉ではありません。人間が堕落したときに初めて生まれた言葉です。つまり、戦いが残っているので、神様の代わりに戦いを余儀なくされる息子娘が必要だったから生まれた言葉です。
こういう息子娘を立ててある時期まで戦いの過程を経なければ神様の御心が完成することができないので、このような息子娘を選ばれたので、変わる歴史を重ねて6千年という長い歳月を神様が親しく地に対してサタンと戦ってくださったのです。
しかし、神のこの戦いの働きを代わりに責任を持って第一線に出て、実際の戦いをしなければならない責任者はどんな存在ですか。神様が直接戦うのではなく、イエス・キリストが直接戦うのではなく、聖霊が直接戦うことでもありません。イエス・キリストと聖霊と神様を背景によく信じる聖徒達が、この戦いの直接的な責任を担っていることを皆さんがよく知っています。
しかし、神のこの戦いの働きを代わりに責任を持って第一線に出て、実際の戦いをしなければならない責任者はどんな存在ですか。神様が直接戦うのではなく、イエス・キリストが直接戦うのではなく、聖霊が直接戦うことでもありません。イエス・キリストと聖霊と神様を背景によく信じる聖徒達が、この戦いの直接的な責任を担っていることを皆さんがよく知っています。
6
この戦いは必然的に終わらなければなりません。ところが、イエス・キリストがやってきて2千年が過ぎたのに、まだこの戦いは終結していません。この私がこの戦いの範囲を広げ、勝利の土台を作らなければならないが、この責任を負う存在は誰なのか? まさに何もない私達だということです。これを考えてみると、神様の希望は神様自体にあるのではないことが分かるのです。そして、イエス・キリストの願いもイエス・キリスト自体にはなく、聖霊の望みも聖霊自体にはありません。他ではなく、今日この地上に残っている私達だけにあるということです。
それでは、地上の皆さんを天が呼んでいます。神様は6千年の摂理の全体を通して皆さんを召されておられるのです。ですから、皆さんは6千年、さらには億千万年の間続けてきた人類歴史を勝利で終結させなければならない責任を負っていることをよく知る必要があります。
この戦いは必然的に終わらなければなりません。ところが、イエス・キリストがやってきて2千年が過ぎたのに、まだこの戦いは終結していません。この私がこの戦いの範囲を広げ、勝利の土台を作らなければならないが、この責任を負う存在は誰なのか? まさに何もない私達だということです。これを考えてみると、神様の希望は神様自体にあるのではないことが分かるのです。そして、イエス・キリストの願いもイエス・キリスト自体にはなく、聖霊の望みも聖霊自体にはありません。他ではなく、今日この地上に残っている私達だけにあるということです。
それでは、地上の皆さんを天が呼んでいます。神様は6千年の摂理の全体を通して皆さんを召されておられるのです。ですから、皆さんは6千年、さらには億千万年の間続けてきた人類歴史を勝利で終結させなければならない責任を負っていることをよく知る必要があります。
そしてこの様にお父様が私達を呼んでおられるということをよく知らなければなりません。それだけでなく、時代を担当し、歴史を担当し、永遠の摂理を担当する天の真の精神にならなければなりません。偉大な摂理の運命を直接開拓していくのもイエス・キリストがしなければならないことではなく、聖霊がしなければならないことではなく、神様がすべきことではなく、まさに私達がしなければならないことです。
私達はこの様に大きな使命を背負っている自分を置き、第三者の立場から批判してみることができなければなりません。お父様が親しく現れて質問しても、素晴らしく答えられる私になったのか考えてみなければなりません。摂理の全体を責任を持って戦うことができる、勇気と誇りと信念を備えた天の傭兵になったのか? とお父様が尋ねても、はい!成りましたと。 だからこそ、うっすらと答えることができる私になったのか…。神様は素晴らしく答えられるそういう存在を探しています。
それでは、このような精兵になることができる条件は何ですか? 私達自体では、天の精兵になることができる条件を探すことはできません。それでは、私達はどうすれば天の傭兵になることができますか? 私達が天の精兵になるには、すでに代表的な天の精兵として現れた人、つまり私達が信じているイエス・キリストに似なければなりません。
私達はこの様に大きな使命を背負っている自分を置き、第三者の立場から批判してみることができなければなりません。お父様が親しく現れて質問しても、素晴らしく答えられる私になったのか考えてみなければなりません。摂理の全体を責任を持って戦うことができる、勇気と誇りと信念を備えた天の傭兵になったのか? とお父様が尋ねても、はい!成りましたと。 だからこそ、うっすらと答えることができる私になったのか…。神様は素晴らしく答えられるそういう存在を探しています。
それでは、このような精兵になることができる条件は何ですか? 私達自体では、天の精兵になることができる条件を探すことはできません。それでは、私達はどうすれば天の傭兵になることができますか? 私達が天の精兵になるには、すでに代表的な天の精兵として現れた人、つまり私達が信じているイエス・キリストに似なければなりません。
イエス・キリストの降臨の背景から、彼の生涯と彼の理想すべてはサタンについて誇ることができる内容です。そして私達が天の精兵になるためには必ず通らなければならない内容であり条件です。皆さんはこれを留意する必要があります。彼の言葉も同様ですが、彼が亡くなって見せてくださった十字架の痕跡も同様であり、彼が残した復活の痕跡も同じです。 これらすべては、私達が歴史的なすべての戦いを終結させ、天の精兵になるために必ず備えなければならない絶対的な条件であり、法の道なのです。私達はこれらの条件を備えなければなりません。
4
しかし、ここで私達が知っておくべきことは、イエス・キリストも天の傭兵が備えなければならないすべての条件を備えるまで、30年以上の生涯にわたって準備し、努力し、苦しんだということです 。一日で出来たわけでもなく、一瞬で出来たわけでもありません。30余年という長い試練の過程を経なければならなかったということです。それでは、イエス・キリストがこの地に来て歩んだ路程は何ですか?
天の精兵として地上でサタンに対して勝利するには、越えなければならない試練の条件、試練の路程を見せてくださったのです。イエスは十字架上で働いた、と言われましたが、これは十字架でのみなされたので、そう言われたものではありません。天の精兵として備えなければならない条件を十字架に至る前にすべて成し遂げたので、そう言われたのです 。そして天の精兵としてしなければならない使命を果たしたという意味でそう言われたのです。
不足のない天の精神を持たれたイエス様であったので、十字架に戻り、神様はイエス様を復活させることができました。それでイエス様の復活以来、イエス様は天から、聖霊は地上にて働き、2千年間サタンと戦いをしてきたのです。今、天から呼ばれた私達が守っていかなければならない試練の路程が残っています。イエス・キリストの30余年の寿命の路程を計ってみると、30年の個人の人生の愛の路程を歩き、3年の公生涯の愛の路程を経て、3日の墓中期間に試練を終結させたのです。
私達の一人一人が十字架の道をたどり、復活の道をたどるのはもちろんです。
イエス・キリストが十字架にて亡くなってから復活の賜物を受けたのです。一日に受けられたこの賜物ではなく、数時間にて受けられた賜物ではありません。長い4千年の歴史を経られた神様の心情とイエス・キリストの心情が合わさって、30余年の生涯苦難の道を歩んで勝利してなされた道理であることを皆さんが知らなければなりません 。
私達は信仰生活をしており、聖書を読んでいますが、聖書をそれぞれの思いどおりに翻訳してはいけません。よく信じる人々は、十字架の道理が 十字架上でのみなされたことを知っていますが、そうではありません。30年余りの生涯でよく食べることができず、よく着ることができずに、知らない苦難の生活を経た末の十字架であることを皆さんは知らなければなりません。そしてイエス様は、残された天の精兵の条件を完備した神様の一人子であることを皆さんは知らなければなりません。
今、私達はイエス・キリストの一生が与える教訓が何かを分析し、イエスを信じ始めてからキリストの苦難の路程を再び行かなければなりません。皆さんも試練の過程を経なければなりません。イエス・キリストの試練の過程を経ている間には戦いもあります。そして10年でも20年もなく、30年間戦われたキリストを模倣し、死ぬことも恐れないイエス・キリストの不変の心情を模倣しなければなりません。 今、私達が知る必要があるのは、残された苦難の道と死の道を余儀なくされ、十字架を守り、十字架の道理を守っていく人が皆さん自身であるということです。
イエス・キリストがやって来た後、イエスがこの地上に積み重ねた十字架の城を守り、激戦の第一歩を踏み出す責任が使徒達にありました。今、残された十字架の生を守る責任が終わりの聖徒達にあることを皆さんは知るべきです。
最後の決戦で勝敗を決めなければならない時となったのですが、ここに残ることができる精兵になったのか、キリストが亡くなって復活したかの様に私も再び蘇ることができる、第2の復活の歴史を起こすことができるのかということが重大な問題だということです。
イエス様は霊界に行っても戦いを展開しておられます。数多くの善い聖徒達を代表してサタンと戦っておられるということです。霊界で戦うイエス様を模倣して地上で戦いを展開するために来られた方が聖霊です。その聖霊の協力を得て、実際に戦わなければならない責任が私達にあるということです。つまり、実際にその戦いを引き受け、余裕のある空の精兵にならなければならない私達だということです。
不足のない天の精神を持たれたイエス様であったので、十字架に戻り、神様はイエス様を復活させることができました。それでイエス様の復活以来、イエス様は天から、聖霊は地上にて働き、2千年間サタンと戦いをしてきたのです。今、天から呼ばれた私達が守っていかなければならない試練の路程が残っています。イエス・キリストの30余年の寿命の路程を計ってみると、30年の個人の人生の愛の路程を歩き、3年の公生涯の愛の路程を経て、3日の墓中期間に試練を終結させたのです。
私達の一人一人が十字架の道をたどり、復活の道をたどるのはもちろんです。
イエス・キリストが十字架にて亡くなってから復活の賜物を受けたのです。一日に受けられたこの賜物ではなく、数時間にて受けられた賜物ではありません。長い4千年の歴史を経られた神様の心情とイエス・キリストの心情が合わさって、30余年の生涯苦難の道を歩んで勝利してなされた道理であることを皆さんが知らなければなりません 。
私達は信仰生活をしており、聖書を読んでいますが、聖書をそれぞれの思いどおりに翻訳してはいけません。よく信じる人々は、十字架の道理が 十字架上でのみなされたことを知っていますが、そうではありません。30年余りの生涯でよく食べることができず、よく着ることができずに、知らない苦難の生活を経た末の十字架であることを皆さんは知らなければなりません。そしてイエス様は、残された天の精兵の条件を完備した神様の一人子であることを皆さんは知らなければなりません。
今、私達はイエス・キリストの一生が与える教訓が何かを分析し、イエスを信じ始めてからキリストの苦難の路程を再び行かなければなりません。皆さんも試練の過程を経なければなりません。イエス・キリストの試練の過程を経ている間には戦いもあります。そして10年でも20年もなく、30年間戦われたキリストを模倣し、死ぬことも恐れないイエス・キリストの不変の心情を模倣しなければなりません。 今、私達が知る必要があるのは、残された苦難の道と死の道を余儀なくされ、十字架を守り、十字架の道理を守っていく人が皆さん自身であるということです。
イエス・キリストがやって来た後、イエスがこの地上に積み重ねた十字架の城を守り、激戦の第一歩を踏み出す責任が使徒達にありました。今、残された十字架の生を守る責任が終わりの聖徒達にあることを皆さんは知るべきです。
最後の決戦で勝敗を決めなければならない時となったのですが、ここに残ることができる精兵になったのか、キリストが亡くなって復活したかの様に私も再び蘇ることができる、第2の復活の歴史を起こすことができるのかということが重大な問題だということです。
イエス様は霊界に行っても戦いを展開しておられます。数多くの善い聖徒達を代表してサタンと戦っておられるということです。霊界で戦うイエス様を模倣して地上で戦いを展開するために来られた方が聖霊です。その聖霊の協力を得て、実際に戦わなければならない責任が私達にあるということです。つまり、実際にその戦いを引き受け、余裕のある空の精兵にならなければならない私達だということです。
今、最後の戦いが行われましたが、今日、あなたはあなたが戦う戦いがあなたのための戦いではないことを知る必要があります。その戦いは、天から聖霊を通してあなたに繋がった戦いであることを知る必要があります。そしてその戦いの目的はサタンを追放する事です。ですから、今、私達は戦いの頭を越えて本郷まで行く、残された キリストの十字架を担当する精兵となり、歓喜のお叫びをするべきです。6千年の恨みを解いてしまい、6千年の願いを成就した勝利の精兵、歓喜の精兵にならなければなりません。
キリスト以後残された十字架の生を担当した、代表的な精兵として現れた群れが12使徒でした。12使徒は死を越えて十字架の城壁を守り、体と心を全部捧げ、血を散らしながらも錆びずに十字架の城壁を守りました。神様はこのような傭兵を探しています。預言者達は福音の道を歩き、散りばめられた血の跡が十字架の城壁に残っています。そしてこの地は、先祖達の恨みと血が難しい地であり、血の訴えが残っている地です。
5
この恨みを解く人が誰なのかというと、まさに私達だということです。イエス・キリストの死も恥ずかしいことですが、預言者達の死も恥ずかしいことです。皆さんは,イエスの死とあわせて,預言者達の死も恥ずかしいことを知っておかなければなりません。今、私達は恨みを持つ時が来たことを知る必要があります。6千年の間、我慢していた天の恨みを解き放たなければならない時になりました。この時に必要なのが天の精兵です。この時代に求められているのは天の精兵です。
お父様! 6千年の恨みを私を通して爆発してください! と言える神様の我慢の子にならなければなりません。こういう我慢の子が三千万民衆の中に多くなると、三千万民衆の暮らしが開かれるでしょう。また、そのような人々が祭司長になって十字架の城壁を守り、戦う精兵になれば、この民族は滅亡しない でしょう。今日、神様を信じる人々はこの様に天の精兵にならなければなりません。
この地に来て十字架で亡くなられたイエス・キリストは霊界で勝利の神殿を築き、その神殿を広げました。あなたが霊界を通して見るとわかりますが、堕落の暗やみが神の御座の下にまで迫っていたことがわかります。戦いを重ね、時間に時間を加えることでイエス様以来初めて一つの基盤が設けられました。さらに、この戦いを広げるための戦いが今日まで続き、地上でもサタンとの戦いが続けられました。今、この戦いを終えることができる天の精兵が出てくるのを天は望んでおられるということです。
今、私達は怒らなければなりません。イエス・キリストは、30年以上の生涯、この地に来て死の十字架の頭を越えるまで苦労し、戦われただけでなく、2千年間の戦い続けたということです。この戦いを知らない無知なる人間達…。あなたはあなた自身に訴えなければなりません。民に訴える前に、家庭や社会、そして世界と地に訴える前に、皆さん自身に訴えなければなりません。
皆さんは,2千年間の神様のみ旨のために戦ったイエス・キリストを真似て、神様のみ旨のために戦わなければなりません。それで天で勝利し、地で勝利して天と地が答え、神様の心情に代わって、創造本然の美を現わせなけれ ばなりません。これが神様が6千年間摂理された目的であり、イエス・ キリストを送られたのです。
お父様! 6千年の恨みを私を通して爆発してください! と言える神様の我慢の子にならなければなりません。こういう我慢の子が三千万民衆の中に多くなると、三千万民衆の暮らしが開かれるでしょう。また、そのような人々が祭司長になって十字架の城壁を守り、戦う精兵になれば、この民族は滅亡しない でしょう。今日、神様を信じる人々はこの様に天の精兵にならなければなりません。
この地に来て十字架で亡くなられたイエス・キリストは霊界で勝利の神殿を築き、その神殿を広げました。あなたが霊界を通して見るとわかりますが、堕落の暗やみが神の御座の下にまで迫っていたことがわかります。戦いを重ね、時間に時間を加えることでイエス様以来初めて一つの基盤が設けられました。さらに、この戦いを広げるための戦いが今日まで続き、地上でもサタンとの戦いが続けられました。今、この戦いを終えることができる天の精兵が出てくるのを天は望んでおられるということです。
今、私達は怒らなければなりません。イエス・キリストは、30年以上の生涯、この地に来て死の十字架の頭を越えるまで苦労し、戦われただけでなく、2千年間の戦い続けたということです。この戦いを知らない無知なる人間達…。あなたはあなた自身に訴えなければなりません。民に訴える前に、家庭や社会、そして世界と地に訴える前に、皆さん自身に訴えなければなりません。
皆さんは,2千年間の神様のみ旨のために戦ったイエス・キリストを真似て、神様のみ旨のために戦わなければなりません。それで天で勝利し、地で勝利して天と地が答え、神様の心情に代わって、創造本然の美を現わせなけれ ばなりません。これが神様が6千年間摂理された目的であり、イエス・ キリストを送られたのです。
今、私達は天の傭兵になり、十字架の城壁を守らなければなりません。皆さんはこの様に天の精兵にならなければなりませんが、皆さんは自分がどの隊列に属している精兵であるのかを分別することを知らなければなりません。 地の歴史は天の歴史を形状的に展開する歴史であるため、天に12使徒を中心とした12隊列の傭兵達がいるのと同様に、地上にもイスラエル12支派のような12教派と無数の支派的な隊列があるのです。
2千年の歴史を経てこのような隊列が形成されましたが、皆さんはどの隊列に属しているのかを知る必要があります。小隊や中隊と大隊、連帯、 師団などで編成されている世界軍隊と同様に、組織的に編成された空軍隊のどの部隊に属している自分なのかを皆さんは知る必要があるということです。そして今、あなたはどんな使命を中心に命じられているのかを知る必要があります。
さて、戦いの過程を経た後に一つの中心を中心として全被造世界が喜ぶことができる時を迎えなければなりません。その中心は誰かとすれば、私達が信じているイエス・キリストと聖霊なのです。空の精兵の究極の目的は何ですか?サタンとの戦いを完結させ、神様とキリストから賞を受けるのです。戦いで勝利をして、地上で天の賞を受けるのです。
今、戦いは各方面で行われています。世界どこでも起きています 。また天地全体に摂理の意志が展開されています。皆さんは個体的な戦いで勝利し、家庭的な戦いで勝利し、社会、国家、世界的な戦いで勝利し、天地で起こる戦いで勝利する精兵にならなければなりません。
イエス・キリストは天地で起こっている戦いを終結させることはできません。そのため、皆さんは各方面の部署を守護し、各方面の戦いを終結させる精兵にならなければなりません。キリストを頭にした部隊として勝利して持って、体と心が一つになった後に天の前に崇拝させなければ、天地万物が嘆き悲しむというのです。
2千年の歴史を経てこのような隊列が形成されましたが、皆さんはどの隊列に属しているのかを知る必要があります。小隊や中隊と大隊、連帯、 師団などで編成されている世界軍隊と同様に、組織的に編成された空軍隊のどの部隊に属している自分なのかを皆さんは知る必要があるということです。そして今、あなたはどんな使命を中心に命じられているのかを知る必要があります。
さて、戦いの過程を経た後に一つの中心を中心として全被造世界が喜ぶことができる時を迎えなければなりません。その中心は誰かとすれば、私達が信じているイエス・キリストと聖霊なのです。空の精兵の究極の目的は何ですか?サタンとの戦いを完結させ、神様とキリストから賞を受けるのです。戦いで勝利をして、地上で天の賞を受けるのです。
今、戦いは各方面で行われています。世界どこでも起きています 。また天地全体に摂理の意志が展開されています。皆さんは個体的な戦いで勝利し、家庭的な戦いで勝利し、社会、国家、世界的な戦いで勝利し、天地で起こる戦いで勝利する精兵にならなければなりません。
イエス・キリストは天地で起こっている戦いを終結させることはできません。そのため、皆さんは各方面の部署を守護し、各方面の戦いを終結させる精兵にならなければなりません。キリストを頭にした部隊として勝利して持って、体と心が一つになった後に天の前に崇拝させなければ、天地万物が嘆き悲しむというのです。
皆さんは今、かつての使徒達が残した血の跡を経て行かなければなりません。 さらに、イエス・キリストと聖霊が負われている責任を取って代わるべきです。
(天の精兵の究極の目標)
天は地上に戦いの土地が残ることを望まないし、地で願いが結ばれた繋がれた地で勝利して恨みを解かなければ、イエス・キリストの戦いが終結し、キリストが再び来られる事ができないのです。再び来た後は何をしますか?6千年間行われて来た戦いを終結させ、神様から祝福を受けるのです。神様が親しく双手を挙げて祝福されお祝いされるのです。勝利の精兵達が集まって一緒に祝福される祝宴が子羊の祝宴ですが、この子羊の祝宴をされるというのです。
皆さんは、総司令官である神様がくだされる御言葉を直接受けなければなりません。皆さんはイエス様に代わって、神様の命令を直接受ける場所まで進まなければなりません。
ヨハネの黙示録14章に「また、私が見ると、見よ子羊がシオン山に立って彼と一緒に十四万四千人が立ったが、その額に子羊の名前とその父の名前が書かれている」。(1節)と記されている様に、皆さんはお父様の祝福を受けなければならないということです。
これまで、皆さんは聖霊の導きを受け、イエス・キリストの導きを受けてきましたが、これがすべてではないということです。お父様の祝福を受けてこそ、 地上だけでなく天国に行っても永遠に無窮な精兵になるということです。その場まで進まなければならないことに留意してください。皆さん個人がこのような精兵になった後に全人類がこのような精兵になる様にしなければなりません 。
皆さんはすべての戦いで勝利してキリストの精兵になると同時に、神様が喜ばれる本然の人間、創造理想を完成した息子・娘にならなければなりません 。そんな天の精兵達が返すホサナの勝利の雄叫び全地を振動させる時が来れば、サタンに対する神の恨みが一時に解放されることになります。これを皆さんは確かに知る必要があります。まだ戦いは残っています。ですから、皆さんは最後の攻撃を敢行し、戦いの先頭に立って神様の印を受け、神様の前にサタンを屈服させられる精兵にならなければなりません。そうしてこそサタンとの戦いが終結するということです。
聖霊の前にサタンを屈服させ、イエス・キリストの前にサタンを屈服させても戦いは終わりません。神様の前にサタンを屈服させなければ、戦いが終結しないのです。
このような勝利の精兵を作るために、6千年の摂理歴史を経ながらお父様が苦しんだのです。こういうお父様を知って皆さんが勝利の天の精兵にならなければなりません。
天は地上に戦いの土地が残ることを望まないし、地で願いが結ばれた繋がれた地で勝利して恨みを解かなければ、イエス・キリストの戦いが終結し、キリストが再び来られる事ができないのです。再び来た後は何をしますか?6千年間行われて来た戦いを終結させ、神様から祝福を受けるのです。神様が親しく双手を挙げて祝福されお祝いされるのです。勝利の精兵達が集まって一緒に祝福される祝宴が子羊の祝宴ですが、この子羊の祝宴をされるというのです。
皆さんは、総司令官である神様がくだされる御言葉を直接受けなければなりません。皆さんはイエス様に代わって、神様の命令を直接受ける場所まで進まなければなりません。
ヨハネの黙示録14章に「また、私が見ると、見よ子羊がシオン山に立って彼と一緒に十四万四千人が立ったが、その額に子羊の名前とその父の名前が書かれている」。(1節)と記されている様に、皆さんはお父様の祝福を受けなければならないということです。
これまで、皆さんは聖霊の導きを受け、イエス・キリストの導きを受けてきましたが、これがすべてではないということです。お父様の祝福を受けてこそ、 地上だけでなく天国に行っても永遠に無窮な精兵になるということです。その場まで進まなければならないことに留意してください。皆さん個人がこのような精兵になった後に全人類がこのような精兵になる様にしなければなりません 。
皆さんはすべての戦いで勝利してキリストの精兵になると同時に、神様が喜ばれる本然の人間、創造理想を完成した息子・娘にならなければなりません 。そんな天の精兵達が返すホサナの勝利の雄叫び全地を振動させる時が来れば、サタンに対する神の恨みが一時に解放されることになります。これを皆さんは確かに知る必要があります。まだ戦いは残っています。ですから、皆さんは最後の攻撃を敢行し、戦いの先頭に立って神様の印を受け、神様の前にサタンを屈服させられる精兵にならなければなりません。そうしてこそサタンとの戦いが終結するということです。
聖霊の前にサタンを屈服させ、イエス・キリストの前にサタンを屈服させても戦いは終わりません。神様の前にサタンを屈服させなければ、戦いが終結しないのです。
このような勝利の精兵を作るために、6千年の摂理歴史を経ながらお父様が苦しんだのです。こういうお父様を知って皆さんが勝利の天の精兵にならなければなりません。
御言葉選集1-2 神様の誇りとなったイエス・キリスト (1956.05.16)
1956年5月16日(水)元本部教会。
聖書拝読 コリント第8:16-24
<祈り(Ⅰ)>
愛するお父様、今日は万民に贖罪の賜物を許された日です。戦う歴史を経ていく中で、この足跡を残しながら摂理を進めて来られたお父様の路程と先に行った先賢達の殉教の足跡をこの時間忘却しない様にお許しください。
この日、この一時にお父様の前に崇拝する事がアベルが血の訴えをした様に、懇切に供物を差し上げる時間となる様にお許しください。腐敗する体を中心に集める姿にならない様に導いてくださり、聖別の祭壇になってアベルがお父様と全体の万物の前に香る生け贄になった様に、僅かな少数の群れでも三千万の民に代わって アベル的な祭壇を築くことを許可してください。
是非、集った人達がアベルが血を流された事を踏まえて、カインの立場で自分自身を誇る為に立たない様にお許し下さる様、愛する私のお父様、懇切にお願致します。
天心に対する心情と血の訴えの心情を供える事が出来る様にお許しください。この地上にはまだ多くの民が残っていて、愛すべきこの地上であり、億千万年の嘆息の足跡が残されたこの地ですから、このためにお父様の前に喜びの供え物として現れて感謝の礼拝を捧げることができる子供達として三千万の民衆の中にその様な心情を持つ多くの人が現れる様にお許しください。24億人類の中から多くの人が現れる様にお許しください。
億千万年の積み重ねられた罪悪の塀を壊して歓喜の園を成し、お父様を喜びと 栄光の中で享受できる子どもの群れが防房曲曲に現れる様にして下さる様に、愛するお父様、切に請い願い申し上げます。
天が私を訪ねる下さる時、私を立てるために6千年の間に苦労した御跡が残っていることを私達は今日まで忘却して生きてきました。私が今日快適に暮らすことができ、快適に信じることができるのは私がうまくいっているからではありません。その様に考える事の無い様にしてください。
穏やかで謙遜な一つの供物として、捧げられる一つの供物として、捧げられる一つの喜びの供物として、お父様に崇拝できる子供達として立ててください 。
お父様、眠っているこの聖なる民衆を目覚めさせてください。暗闇の中で方向を知らずに迷っているこの民族を哀れに見てください。このために立てるべき天の子供達が早く立つ様にしてください。天に向けた中心を立てて全体に代わることができる愛の祭壇として、一早く成し遂げることが出来る様にお許しください。
この民族全部が勝利出来る様にしてくださり、全てに感謝し、聖光のために賛美できる様に導いて下さる様に、愛するお父様、切にお願い申し上げます。
お父様、今日少数の群れがこの場に集まりましたので、御前に委ねますので、主管してください。各個人の心情をお父様が洞察してくださり、自分で立てた心の中心が、自我の心情が自分で始まり、自分で終わる事の無い様にお許しください。自己に対する認識と観念を通じて、自分の理念を形成し、自己満足に陶酔する者にならない様にお許しください 。
自分のすべての観念や注意、主張を正直に出して、親の心情の前に優しく謙虚な供え物になることを許してください。尊厳のある父親の前に自分の不足を痛感し、自分のすべてをお父様に根本的にお捧げするこの時間になることをお許し下さる様に、愛するお父様、お願い申し上げます。
1956年5月16日(水)元本部教会。
聖書拝読 コリント第8:16-24
<祈り(Ⅰ)>
愛するお父様、今日は万民に贖罪の賜物を許された日です。戦う歴史を経ていく中で、この足跡を残しながら摂理を進めて来られたお父様の路程と先に行った先賢達の殉教の足跡をこの時間忘却しない様にお許しください。
この日、この一時にお父様の前に崇拝する事がアベルが血の訴えをした様に、懇切に供物を差し上げる時間となる様にお許しください。腐敗する体を中心に集める姿にならない様に導いてくださり、聖別の祭壇になってアベルがお父様と全体の万物の前に香る生け贄になった様に、僅かな少数の群れでも三千万の民に代わって アベル的な祭壇を築くことを許可してください。
是非、集った人達がアベルが血を流された事を踏まえて、カインの立場で自分自身を誇る為に立たない様にお許し下さる様、愛する私のお父様、懇切にお願致します。
天心に対する心情と血の訴えの心情を供える事が出来る様にお許しください。この地上にはまだ多くの民が残っていて、愛すべきこの地上であり、億千万年の嘆息の足跡が残されたこの地ですから、このためにお父様の前に喜びの供え物として現れて感謝の礼拝を捧げることができる子供達として三千万の民衆の中にその様な心情を持つ多くの人が現れる様にお許しください。24億人類の中から多くの人が現れる様にお許しください。
億千万年の積み重ねられた罪悪の塀を壊して歓喜の園を成し、お父様を喜びと 栄光の中で享受できる子どもの群れが防房曲曲に現れる様にして下さる様に、愛するお父様、切に請い願い申し上げます。
天が私を訪ねる下さる時、私を立てるために6千年の間に苦労した御跡が残っていることを私達は今日まで忘却して生きてきました。私が今日快適に暮らすことができ、快適に信じることができるのは私がうまくいっているからではありません。その様に考える事の無い様にしてください。
穏やかで謙遜な一つの供物として、捧げられる一つの供物として、捧げられる一つの喜びの供物として、お父様に崇拝できる子供達として立ててください 。
お父様、眠っているこの聖なる民衆を目覚めさせてください。暗闇の中で方向を知らずに迷っているこの民族を哀れに見てください。このために立てるべき天の子供達が早く立つ様にしてください。天に向けた中心を立てて全体に代わることができる愛の祭壇として、一早く成し遂げることが出来る様にお許しください。
この民族全部が勝利出来る様にしてくださり、全てに感謝し、聖光のために賛美できる様に導いて下さる様に、愛するお父様、切にお願い申し上げます。
お父様、今日少数の群れがこの場に集まりましたので、御前に委ねますので、主管してください。各個人の心情をお父様が洞察してくださり、自分で立てた心の中心が、自我の心情が自分で始まり、自分で終わる事の無い様にお許しください。自己に対する認識と観念を通じて、自分の理念を形成し、自己満足に陶酔する者にならない様にお許しください 。
自分のすべての観念や注意、主張を正直に出して、親の心情の前に優しく謙虚な供え物になることを許してください。尊厳のある父親の前に自分の不足を痛感し、自分のすべてをお父様に根本的にお捧げするこの時間になることをお許し下さる様に、愛するお父様、お願い申し上げます。
お父様、あなたが彼らを集め、彼らを立てて、すでにこの聖なる中心に新しく警鐘を鳴らされたので、お父様は全体的な責任を負って下さる様お願い致します。全体的な使命を果たさなければならない事を知って、全体的な仕事を引き受けなければならないので、彼らが来てこの時代を踏まえて上がらせてくださり、お父様、先峰に立って進んで戦うことができる天の精兵達になる様にお許しください。
この三千万民衆に代わることができる精兵達として、千千万聖徒達の前に立ち、天の天使達の前に立ち、この地の聖徒達の前に立っても不足のない姿で立ててください。切にお願い申し上げます。
3日間を過ごす中で私は一つの事だけを考えた時間が多かったし、一つ事を愛するために使った時間も多く、一つ事を現わすために多くの時間を費やしました。しかし、私を忘れてお父様を探すために、私を忘れてお父様の願いを叶えるために、お父様の全体的な価値を示すために、私を超えて行く為に動じ、静ずる、お父様が望む場所で生きなければならないことをお許しください。
この時、お父様を訪ねてきた人には、観念的な信仰姿勢で祝福されるという心だけを持って出てきた姿にならない様にお許しくださり、恵みを受けるという心だけを持つ者にならない様にお許しください。「生かしてほしい」という訴えの歴史が6千年を経過したので、私を受け取ってください。祈りの泣き声が地から聞こえて天に達する時となったので、「父よ、私を受け取ってください」、「私のすべてを差し上げますので、お受けください」と祈ることができるこの時間になることをお許しください。
私達自体がお父様にふさわしい贈り物になったのか、自分で反問できる様にしてくださり、賢くなったお父様の聖体の前に立つたびに自分の不足を切実に感じ、自ら罪人であることを感じ、お父様に頭を下げて崇拝できる様にお導きください。この時間、私達を目覚めさせてくださり悔い改めの心が起きる様にしてくださり、善の本性と善の実体を感じて、お父様の栄光に代わって崇拝できるこの時間となる様にお許しください。
このことが天が願うことであり、この一つの意味のために天が動員されていることを知っているので、三位神が動いてくださって聖霊の働きを現わしてくださり、全体を主管されて全行事を、お父様、主管してくださる様にお願い致します。お父様の意を逸脱した観念や認識を持たず、ひたすら全体を父様に捧げる聖徒の祭壇と成ることができる様に導いて下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。
この時間孤独な群れが天に向かって悔やみ切なる訴えをあげた全てを祝福してください。平坦な道も、逆境の道も、ゴルゴダの山程も気を付けずに行くと誓い、現わした子供達を保護してください。
難しい道を行く人の後に従う者達も難しいでしょう。彼らをお父様の代わりに供えてくださって、最後には許される様、お父様の心情と愛の賜物を許してください。
喜びの中で眠り、お父様の喜びを感じられる直接的な主観の歴史が、それぞれの心の上に一緒にあってくださり、彼らが置かれている所ごとに環境の十字架に囚われない様に、親しく臨んで慰めてくださる様にお願い致します。
この三千万民衆に代わることができる精兵達として、千千万聖徒達の前に立ち、天の天使達の前に立ち、この地の聖徒達の前に立っても不足のない姿で立ててください。切にお願い申し上げます。
3日間を過ごす中で私は一つの事だけを考えた時間が多かったし、一つ事を愛するために使った時間も多く、一つ事を現わすために多くの時間を費やしました。しかし、私を忘れてお父様を探すために、私を忘れてお父様の願いを叶えるために、お父様の全体的な価値を示すために、私を超えて行く為に動じ、静ずる、お父様が望む場所で生きなければならないことをお許しください。
この時、お父様を訪ねてきた人には、観念的な信仰姿勢で祝福されるという心だけを持って出てきた姿にならない様にお許しくださり、恵みを受けるという心だけを持つ者にならない様にお許しください。「生かしてほしい」という訴えの歴史が6千年を経過したので、私を受け取ってください。祈りの泣き声が地から聞こえて天に達する時となったので、「父よ、私を受け取ってください」、「私のすべてを差し上げますので、お受けください」と祈ることができるこの時間になることをお許しください。
私達自体がお父様にふさわしい贈り物になったのか、自分で反問できる様にしてくださり、賢くなったお父様の聖体の前に立つたびに自分の不足を切実に感じ、自ら罪人であることを感じ、お父様に頭を下げて崇拝できる様にお導きください。この時間、私達を目覚めさせてくださり悔い改めの心が起きる様にしてくださり、善の本性と善の実体を感じて、お父様の栄光に代わって崇拝できるこの時間となる様にお許しください。
このことが天が願うことであり、この一つの意味のために天が動員されていることを知っているので、三位神が動いてくださって聖霊の働きを現わしてくださり、全体を主管されて全行事を、お父様、主管してくださる様にお願い致します。お父様の意を逸脱した観念や認識を持たず、ひたすら全体を父様に捧げる聖徒の祭壇と成ることができる様に導いて下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。
この時間孤独な群れが天に向かって悔やみ切なる訴えをあげた全てを祝福してください。平坦な道も、逆境の道も、ゴルゴダの山程も気を付けずに行くと誓い、現わした子供達を保護してください。
難しい道を行く人の後に従う者達も難しいでしょう。彼らをお父様の代わりに供えてくださって、最後には許される様、お父様の心情と愛の賜物を許してください。
喜びの中で眠り、お父様の喜びを感じられる直接的な主観の歴史が、それぞれの心の上に一緒にあってくださり、彼らが置かれている所ごとに環境の十字架に囚われない様に、親しく臨んで慰めてくださる様にお願い致します。
お父様。 長き戦いの中でも、残った者達が更に進軍できる様に直接的な勧告の歴史が彼らの上に一緒にある様に、お父様、切にお願い申し上げます。
この時間、お父様にお会いするために心を結んで訪ねて来てくださり、崇拝の時間を持ちたいと願いましたから、初めてから終わりまで愛の保護と愛の心の賜物として全体の集まりを主管してください。お父様が望む賜物の供え物になれる様に祝福して下さる様に、愛する主の御名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
この時間、お父様にお会いするために心を結んで訪ねて来てくださり、崇拝の時間を持ちたいと願いましたから、初めてから終わりまで愛の保護と愛の心の賜物として全体の集まりを主管してください。お父様が望む賜物の供え物になれる様に祝福して下さる様に、愛する主の御名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
<祈り(Ⅱ)>
創造の園は善の園であり、愛の園であり、一つの園であり、煌めく華東の園であることを知っています。神様の愛に沿って善がなければならないのが私達の責任であり、一つでなければならないのが私達の責任であり、和動しなければならないのが私達の責任であることを知っております。
一日の生活も善くなければならず、天の御意に対して、喜び勇んで華動して進むべき子どもの路程が残されています。お父様! この時間を聖別して下さり、許されたこの道をすべて歩くことができる様に、戦いで疲れず行ける様に導いてください。
お父様の心情の標準に外れない様にして下さい。お父様、堕落の子孫なので、私達には力がなくて嘆息していますので、天に隠しておいた完全さをお示しください。万物が喜び活動、華動できる様に許してくださり、将来には被造物が愛を通して父の前に栄光をお返しできる一つの本来の姿を立ててください。
天の恨みが人間に結ばれており、万物の恨みも人間に結ばれており、億千万民の嘆息がクリスチャンに結ばれていることがわかります。ですから、今自分の個体の価値を完成し、天輪の嘆息を取り除かなければならない責務が彼らにありますので、お父様、彼らを立てて本来の価値を完成する姿に成れる様にしてください。
彼らに望む愛の全体の理念をお許しくださり、彼らが失ったお父様の全体の価値を大切に出来る様にしてください。隠されていたお父様の心中を開いて下さり、彼らに現れて相談できる様にして下さる様に、愛するお父様、切に請いお願い申し上げます。
私達のお父様! 穏やかな群れを集めておられるのに苦労されたその苦労のすべてを知りたいので、お父様! 再び現れて傷ついた心を握ってくださる様にお願い申し上げます。
億万サタンが戦いを歩んでくる過程で、彼らが天の恨みを代わりに背負う者達になる様に許してくださり、天の道を歩むことにおいて全体の志の前にひたすら一線を中心に一つになることをお許し下さい。お願いし、お父様の立てられた意志を中心に、和動できるこの時間になる様にお許し下さる様、 愛するお父様、切に請い願い申し上げます。
今私達の心が疲れてきましたでしょうか? 体が疲れておりますでしょうか? 心に神様の愛の炎を許してくださり、体に神様の心情の熱気を加えてくださって、私達の心と体が動いて、天にある天軍天使とすべての霊が動いて、地にある全体の存在が動く事ができる様に許してください。
そうして万物に対して一つの中心を復帰し、全被造万物の前に神様の息子娘として現れることに不足がない様にお導きください。そして6千年間お疲れになったお父様の前に、億千万のサタン達の前に自慢の存在として出てくることを許してください。
死に捕らえられ嘆息している群れと悲しみの場を抜け出せない哀れな群れがありますので、お父様が掴んで知ってくださり、天輪を扱うことができる中心的な心をお許しくださり、知恵と信仰の活動をお許しください。懇切にお願い申し上げます。
三千万民族に代わって天の祭壇を築かなければならない時になり、善いお祝いの供え物を捧げなければならなかったし、合わせて一つの群れにならなければならなかったので、今日この場に集まったあなたの息子娘に、お父様、臨んでくださって、彼らの心情を主管してくださり、彼らの心を主管してくださり、彼らの全体を主管してください。
そうして過去の悪の要素が残らない様に、愛の神様、能力の神様、全能の神様、炎のような目で現れて熱い天の聖霊の力と命の火で彼らの心を見てください。懇切にお願い申し上げます。
お父様、今日も行くことを知らず、生き方を見つけることができず、脆いガラスの様にさまよう多くのあなたの子供達がいます。彼らのために命の祭壇を築き、涙を流した者がおりましたでしょうか? お父様、速やかに彼らを見つけて立ててください。お願い申し上げます。
歓喜の知らせを握り、この民族の前に残ることができる実践の祭壇をたくさんお許しくださり、懇切に誠意を築く群れが多くなる事をお許しくださり、この民族が闇の苦難を乗り越えて世界に満てる光になることができ、愛の光を放つことができ、お父様のお許しされた意思を受けて出て行ける様に働いて下さる様に、お 父様、切にお願い申し上げます。
愛するお父様、今日この時間、私達のお父様の賜物を望んで参りましたので、まずは私達をご覧下さい。これまでの私達の観念を除き、ひたすらお父様の御心の前に捧げられた供え物であり、現わされた一つの要素としてのみ残る様に許してくださり、本性の美の姿で温柔謙遜に私達の体の心に現れることができ、お父様が私達を中心に再創造の歴史を起こすことができる様に、お父様の愛の歴史がこの時間現れて許して下さる様、お父様、切にお願い申し上げます。
私のお父様! この民族、信仰を持っている子ども達が困難な環境と十字架の道を乗り越えてこの時間訪れましたので、この一時だけでも6千年間隠しておかれたお父様の愛の御意を見せてくださって、お父様に崇拝するこの時間、億千万金を与えても変えられない大きな喜びになる様に許してくださり、この日の愛なる賜物として生涯を開拓し、生活を開拓し、千輪の大道を明かすことで私達にお父様の御意の前に感謝することができる供物になることをお許しください。
私達がこの場所にいるとしても、お父様が呼ぶなら、いつでもその場所に向かって行く覚悟をしておりますので、お父様の心が動く標準としてあなたの愛の標準を通してくださり、またあなたの心を通して私達が心からの善を成し、その善が種になり、私達の体から栄光の善の園を成し、それが家庭、教団、社会、国家にまでなせる様にお許しください。
そのような全体的な責任が私達にあることを知っておりますから、お父様の残された使命を担当し、サタンと戦わなければならない責任が私達にあることを知っておりますので、私達が疲れていても、お父様、力を与えてください。
穏やかな時も、お父様、勧告してくださり、倒れる時に起こしてくださり、分かってくださって最後の障壁を乗り越えて行き、勝利の群れを導き、お父様の前に出て感謝して栄光をもてるその時間まで導いて下さる様に、私のお父様、切にお願い申し上げます。
お父様、今日も三千万民族に代わって築いている数多くの祭壇の上に、父の愛と恵みの炎を一緒にしてください。彼らが無知で6千年の意志を見分けられないとしても、それで天の祭壇を恨む 場所に立たない様に許してください。
イエスがエルサレムの神殿を握って泣いていたという意味がなされる時となりました。石の一つも石の上に残さない様に言われた御言葉が今日教会と 教団の中に現れているので、心を一つに縛ることができない現実的な過程に置かれている祭壇を、お父様、握って注視し、再度悔い改め、天の命につなげて下さる様に懇切にお願い申し上げます。6千年の歴史に代わってキリストの十字架の苦難を代わりに背負って栄光を歌うことができる祭壇になるまで、お父様、一緒にしてください。
お父様、元からのすべてを直接主管し、私達に父の国を起こすことができ、父が祝福することができる勝利の使命者として立ててください。今日、この時間までもサタンが打って出てきてるので、お父様! 疲れ果て倒れた者にならない様に許してください。最後まで背後に立って祭壇を守り、暗いサタンの矢を防ぐ供物になって、例えおられずとも感謝できる群れとなる様にお許しください。お父様!切にお願い申し上げます。
お父様、この時間すべてを委ねますので、私達が父を傷つけず、父の愛を傷つけず、生涯を捧げ、父の道に従う者となる様にお許しください。父の意義ある基準を失わない様に許してくださり、天の終わりまで成すことができる天倫の意が人間の中に現れる様に許してください。不足無く共に飲食する友達の様に愛として現れ、親しい父として現れ、保護者の姿で現れてください。
人間が本来の姿を失った姿で、お父様は6千年の間、孤独であり、私一人を立てるために、私自身を探すために苦労されたことを私達は知りませんでした。ですので、お父様、私達の手を握ってくださり、私達が悔い改める賜物の時間を持つ様に許してください。お父様が私達を握んで、首を抱きしめることができる賜物をお許しください。不足な自分達が父の愛に感謝しながら涙して反省し、悔い改める賜物がこの時間、それぞれの心と体と全体の頭の上に満たされる様にしてください。
この時間に出席した全体の群れは、お父様の前に愛として現れることを望んでおりますので、悪の条件にかかる姿にならない様に許してください。ここにこぼれた群れがあなたの希望を代わりに担当することをお許しされ、サタンの非難と罠に落ちる者にならない様に導いてください。最後までお父様の愛の前に謙虚に崇拝できる子ども達でいる事のできるこの時間としてくださり、お父様、握って下さるよう切にお願い申し上げます。
許された賜物が全体の心の体の上に現れる様に許して下さるよう願いながら、愛する主のみ名によってお祈り致しました。アーメン。
お父様、今日も三千万民族に代わって築いている数多くの祭壇の上に、父の愛と恵みの炎を一緒にしてください。彼らが無知で6千年の意志を見分けられないとしても、それで天の祭壇を恨む 場所に立たない様に許してください。
イエスがエルサレムの神殿を握って泣いていたという意味がなされる時となりました。石の一つも石の上に残さない様に言われた御言葉が今日教会と 教団の中に現れているので、心を一つに縛ることができない現実的な過程に置かれている祭壇を、お父様、握って注視し、再度悔い改め、天の命につなげて下さる様に懇切にお願い申し上げます。6千年の歴史に代わってキリストの十字架の苦難を代わりに背負って栄光を歌うことができる祭壇になるまで、お父様、一緒にしてください。
お父様、元からのすべてを直接主管し、私達に父の国を起こすことができ、父が祝福することができる勝利の使命者として立ててください。今日、この時間までもサタンが打って出てきてるので、お父様! 疲れ果て倒れた者にならない様に許してください。最後まで背後に立って祭壇を守り、暗いサタンの矢を防ぐ供物になって、例えおられずとも感謝できる群れとなる様にお許しください。お父様!切にお願い申し上げます。
お父様、この時間すべてを委ねますので、私達が父を傷つけず、父の愛を傷つけず、生涯を捧げ、父の道に従う者となる様にお許しください。父の意義ある基準を失わない様に許してくださり、天の終わりまで成すことができる天倫の意が人間の中に現れる様に許してください。不足無く共に飲食する友達の様に愛として現れ、親しい父として現れ、保護者の姿で現れてください。
人間が本来の姿を失った姿で、お父様は6千年の間、孤独であり、私一人を立てるために、私自身を探すために苦労されたことを私達は知りませんでした。ですので、お父様、私達の手を握ってくださり、私達が悔い改める賜物の時間を持つ様に許してください。お父様が私達を握んで、首を抱きしめることができる賜物をお許しください。不足な自分達が父の愛に感謝しながら涙して反省し、悔い改める賜物がこの時間、それぞれの心と体と全体の頭の上に満たされる様にしてください。
この時間に出席した全体の群れは、お父様の前に愛として現れることを望んでおりますので、悪の条件にかかる姿にならない様に許してください。ここにこぼれた群れがあなたの希望を代わりに担当することをお許しされ、サタンの非難と罠に落ちる者にならない様に導いてください。最後までお父様の愛の前に謙虚に崇拝できる子ども達でいる事のできるこの時間としてくださり、お父様、握って下さるよう切にお願い申し上げます。
許された賜物が全体の心の体の上に現れる様に許して下さるよう願いながら、愛する主のみ名によってお祈り致しました。アーメン。
<祈り(Ⅲ)>
愛するお父様!
パウロがディドを一つの改革者に立てるために切実なる心で訴え、彼の心を感動させた切実な内容のある事を知りました。このパウロの天に向かった切なる心情を知る時、既にその心が無くなったのではなく、地上に痕跡に残って祭壇を築くことが背後に映された神様の働きであることをこの時間、私達は感じております。
お父様!
新しい御意のために新しい世界を眺め、歴史的な複雑なすべての障壁を越えて天輪の前に立たなければならなかったのです。私達自身が複雑な過去を清算し、複雑な現実を超えて天が取ることができる愛の心情の中で、安心して父親に対して崇拝できる心で定着するまで、お父様、導いてください。
死んでも残された6千年の恨みの盾として最後の勝利の栄光を父の前に回復し、それによる歓喜を迎える事ができる様にお許しください。お父様のご指導の中で、私達が力を集めてこのみ旨を成し遂げる様に許して下さる様、お父様、切にお願い申し上げます。
今日、私達が御意に対して、お父様の前に悔い改めることができ、お父様の前に近づいて依頼することができ、お父様の前にもっと身近に自分自身を現わして誇りを受ける心を持てる様に、お父様、この時間をお許しください。この心情で、キリストの聖像の前ですっきりとした姿を模倣し、再び望む再創造の世界を整えることに不足がない様にしてください。そうしてすべてをお父様の御心の前に任せ、お願いし、父の前に素直な供え物になる様に祝福してください 。
この時間に集まった子供達を覚えて下さい。この時は多くの御言葉が必要ないことを知っておりますので、一言にも心が動く様にしてくださり、体で風合いを許し、歓喜することができる憐れみの賜物と感動の歴史をお許しください。
愛するお父様!
パウロがディドを一つの改革者に立てるために切実なる心で訴え、彼の心を感動させた切実な内容のある事を知りました。このパウロの天に向かった切なる心情を知る時、既にその心が無くなったのではなく、地上に痕跡に残って祭壇を築くことが背後に映された神様の働きであることをこの時間、私達は感じております。
お父様!
新しい御意のために新しい世界を眺め、歴史的な複雑なすべての障壁を越えて天輪の前に立たなければならなかったのです。私達自身が複雑な過去を清算し、複雑な現実を超えて天が取ることができる愛の心情の中で、安心して父親に対して崇拝できる心で定着するまで、お父様、導いてください。
死んでも残された6千年の恨みの盾として最後の勝利の栄光を父の前に回復し、それによる歓喜を迎える事ができる様にお許しください。お父様のご指導の中で、私達が力を集めてこのみ旨を成し遂げる様に許して下さる様、お父様、切にお願い申し上げます。
今日、私達が御意に対して、お父様の前に悔い改めることができ、お父様の前に近づいて依頼することができ、お父様の前にもっと身近に自分自身を現わして誇りを受ける心を持てる様に、お父様、この時間をお許しください。この心情で、キリストの聖像の前ですっきりとした姿を模倣し、再び望む再創造の世界を整えることに不足がない様にしてください。そうしてすべてをお父様の御心の前に任せ、お願いし、父の前に素直な供え物になる様に祝福してください 。
この時間に集まった子供達を覚えて下さい。この時は多くの御言葉が必要ないことを知っておりますので、一言にも心が動く様にしてくださり、体で風合いを許し、歓喜することができる憐れみの賜物と感動の歴史をお許しください。
聖霊の炎で私達を主管してください。 お父様の賜物の働きを、私達の一人一人が感じ、一つの御心の前に動くことができ、授受できる貴重な雰囲気を、お父様、お許しくださり、お父様が許される場に立ててください。
残されたこの時間主管してください。主の御名によってお祈り申し上げました。アーメン。
残されたこの時間主管してください。主の御名によってお祈り申し上げました。アーメン。
「御言葉」
聖書拝読「だからあなたがたは多くの教会の前で、あなたがたの愛と、あなたがたに対する私達の誇りの証拠を私達に見せなさい」。(ココ 8:24)
聖書拝読「だからあなたがたは多くの教会の前で、あなたがたの愛と、あなたがたに対する私達の誇りの証拠を私達に見せなさい」。(ココ 8:24)
今日は「神の誇りとなったイエス・キリスト」というタイトルでお話しします。
天地万物を造られた神様はアダム・エバを天地万物に対する神様の誇りの実体として造られました。またアダム・エバを天使世界に対する神様の誇りの実体として造られました。そしてアダム・エバが万物の前に立つと、万物はアダム・エバに崇拝しなければなりませんでした。
こうして建てられた被造の園が人間の堕落で変わってしまったのです。つまり人間の堕落で人間の前に誇らなければならなかった万物の価値がきちんと現れず、無形世界の価値の中心として現れた人間がその資格を喪失する様になり、神様の誇りの意味として、神様の代わりに万物の前に現れ、被造万物の中心としての栄光を受けなければならない人間の位置が根本的に変わってしまいました。
ですから、人間の堕落から6千年が経過した今日まで、神様が訪ねて来た標準は何だったのでしょうか。神様の心に代わって、形状に代わって、 神様の性格に代わって、天倫の行事に代わる全体の代表者、神様が誇れる一人の代表者を訪ねてきました。
また、これまでこの一つのみ旨のためにイエス・キリストも働いてきました。それではアダムとエバの堕落以来、4千年ぶりにこの地に来られたイエス・キリストはどのようなお方でしたか。彼は神の内的心情に代わり、外的形状に代わった方でした。それで神様はこの創造の理念で立てた誇りの基準をイエス・キリストを通して示そうとしたのです。これがイエス・キリストが遂行しなければならなかった本来の使命でした。
ですからイエス・キリストは、彼の生活を通してどんな事においても神の心情と形状に代わる神の子として現れなければならない重大な責任者の場に立っていたことを知るべきです。
この様に、イエス様は神様が自慢できる実体として現れなければなりませんでした。最初に万物の前に誇ることができなければならなかったし、その後はサタンの前に誇ることができなければならず、千千万聖徒達の前に誇ることができなければなりませんでした。そして神様がアダム・エバを中心として喜んで栄光を味わおうとしていたことを復帰する一日を迎えなければなりませんでした。これが中心存在であるイエスを立てて、働きながら摂理された神様の御心でした。
神様はイスラエル民族にイスラエルの国を建設させ、その中に中心となるべきイエス・キリストを送られたのです。ですから、イスラエル民族が一つになってイエス・キリストを讃え、神様が誇りたいと思われたその基準で感謝の心情でイエス・キリストと共にあった人々の様であるならば、歴史的な悲しみが6千年まで延長されなかったでしょう。
天地万物を造られた神様はアダム・エバを天地万物に対する神様の誇りの実体として造られました。またアダム・エバを天使世界に対する神様の誇りの実体として造られました。そしてアダム・エバが万物の前に立つと、万物はアダム・エバに崇拝しなければなりませんでした。
こうして建てられた被造の園が人間の堕落で変わってしまったのです。つまり人間の堕落で人間の前に誇らなければならなかった万物の価値がきちんと現れず、無形世界の価値の中心として現れた人間がその資格を喪失する様になり、神様の誇りの意味として、神様の代わりに万物の前に現れ、被造万物の中心としての栄光を受けなければならない人間の位置が根本的に変わってしまいました。
ですから、人間の堕落から6千年が経過した今日まで、神様が訪ねて来た標準は何だったのでしょうか。神様の心に代わって、形状に代わって、 神様の性格に代わって、天倫の行事に代わる全体の代表者、神様が誇れる一人の代表者を訪ねてきました。
また、これまでこの一つのみ旨のためにイエス・キリストも働いてきました。それではアダムとエバの堕落以来、4千年ぶりにこの地に来られたイエス・キリストはどのようなお方でしたか。彼は神の内的心情に代わり、外的形状に代わった方でした。それで神様はこの創造の理念で立てた誇りの基準をイエス・キリストを通して示そうとしたのです。これがイエス・キリストが遂行しなければならなかった本来の使命でした。
ですからイエス・キリストは、彼の生活を通してどんな事においても神の心情と形状に代わる神の子として現れなければならない重大な責任者の場に立っていたことを知るべきです。
この様に、イエス様は神様が自慢できる実体として現れなければなりませんでした。最初に万物の前に誇ることができなければならなかったし、その後はサタンの前に誇ることができなければならず、千千万聖徒達の前に誇ることができなければなりませんでした。そして神様がアダム・エバを中心として喜んで栄光を味わおうとしていたことを復帰する一日を迎えなければなりませんでした。これが中心存在であるイエスを立てて、働きながら摂理された神様の御心でした。
神様はイスラエル民族にイスラエルの国を建設させ、その中に中心となるべきイエス・キリストを送られたのです。ですから、イスラエル民族が一つになってイエス・キリストを讃え、神様が誇りたいと思われたその基準で感謝の心情でイエス・キリストと共にあった人々の様であるならば、歴史的な悲しみが6千年まで延長されなかったでしょう。
神様の誇りとして現れたイエス・キリストが目に見たものと、イスラエル民族が願っていたものとは異なっていたということです。つまり、神様の復帰摂理の御心を出てきた兄としてのイスラエル民族は自ら神様の善民であることを誇っていた立場の姿と、神様の復帰摂理の御心を受けながら戦っていたイエス・キリストが、神様の御心のためにと願った兄の姿とは異なりました。それでイスラエル民族は、神様に代わって御言葉を語られるイエス様の前に出て、イエス様を自分達がそれまで立ててきた民族的な誇りを捨てて信じなければならなかったのです。
自分達の習慣を捨て、神様の御心に代わって新たな御言葉を持って現れたイエス・キリストの前に、穏やかに謙遜になっていたならば、十字架の厳しい関門がイエス・キリストの前に現れる事はなかったでしょう。 キリスト教の歴史に十字架の道ということはなかったでしょう。イエス様の言葉を聞くことによって、救われたという言葉はあっても、十字架の信仰によって救われたというこういう言葉はなかったでしょう。
今日、私達はイエス・キリストの死を祝福し、十字架に贖罪の権利があると信じていますが、それがすべてではありません。今日、キリスト教徒はイエス・キリストが生きて語っておられたみ言葉に贖罪の権限があったことを忘れています。私達が知る必要があるのはもちろんキリストの十字架を信じることで霊的な贖罪が可能ですが、イエス様が生きて語られた御言葉を信じてみ言葉どおりに実践したならば、繁栄と共生が成されたでしょう。
それでは、イエス・キリストはこの地に来て、まず何を語らなければなりませんでしたか。アダムとエバは堕落することで神様の御言葉を立てることができませんでした。御言葉を信じませんでした。それで、人間が神様の御言葉を信じることができずに堕落し、4千年間にわたって摂理歴史が延長されたので、イエス・キリストがこの延長された4千年の歴史を取り戻すためにサタンの前に立てた一つの中心が何と言えば信仰でした。つまりイエス様は信仰の王としてこの地に現れたのです。
イエス様はどんな方ですか? またイエス様は、神様の誇りで立つことができる一つの価値の基準をどこで立てたのでしょうか。4千年の歴史が流れてくる過程で、誰も信じられず、神様の御心を知らなかった全人類の前に、イエス様は信仰の王として現れたのです。それで神様がイエス・キリストの信仰を信じることができたのです。
多くの人々が神を信じると言われていますが、そのような信仰としては、神の天輪の心情を通じた上下の内的な関係を結びつけられないということです。また、数多くの預言者が来て行きましたが、彼らが信じて従ったことを通して、神様の中に有る愛の原則を知ることはできません。さらに、イエス・キリストは、多くの聖徒達が歩んできたその歴史的な信仰の過程全体を引き受け、単身ですべてのサタンの歴史を断ち切ろうとしました。4千年の信仰を総結実する立場のイエス・キリストは、宇宙の中でただ一人、信仰の主人公として来ていきました。
この一つの基準のために、神はイエス・キリストを信仰の王として立てられました。イエス・キリストは神のご意志に代わって神の言葉を宣べ伝えました。旧約聖書を持って信じたものではありません。預言者達が言って預言したその一つの権利内で信じたものではありません。言い換えれば、イエス様はイスラエル民族が信じて出てきた旧約聖書の言葉圏内でのメシアの思想を持っていませんでした。
イエス・キリストはどのような信仰を持っていたかというと、旧約聖書にない、それまでの歴史上になかった信仰、それまで現れなかった新しい信仰、世界のどんな環境、どこにも現れなかった信仰を持った信仰の代表でした。ですから、旧約の歴史がイエス・キリストの前で終わらなければならないということです。
それでは、神の誇りとして建てられた信仰の王イエス・キリストを信じている私達は何を知る必要がありますか? 私達は、私達がある限界内で イエス・キリストを見れば、イエス・キリストが降臨する前の4千年の歴史と、イエスの30年以上の生涯と永遠の未来に及ぶ彼の価値を知ることができなかったことを知る必要があります。
自分達の習慣を捨て、神様の御心に代わって新たな御言葉を持って現れたイエス・キリストの前に、穏やかに謙遜になっていたならば、十字架の厳しい関門がイエス・キリストの前に現れる事はなかったでしょう。 キリスト教の歴史に十字架の道ということはなかったでしょう。イエス様の言葉を聞くことによって、救われたという言葉はあっても、十字架の信仰によって救われたというこういう言葉はなかったでしょう。
今日、私達はイエス・キリストの死を祝福し、十字架に贖罪の権利があると信じていますが、それがすべてではありません。今日、キリスト教徒はイエス・キリストが生きて語っておられたみ言葉に贖罪の権限があったことを忘れています。私達が知る必要があるのはもちろんキリストの十字架を信じることで霊的な贖罪が可能ですが、イエス様が生きて語られた御言葉を信じてみ言葉どおりに実践したならば、繁栄と共生が成されたでしょう。
それでは、イエス・キリストはこの地に来て、まず何を語らなければなりませんでしたか。アダムとエバは堕落することで神様の御言葉を立てることができませんでした。御言葉を信じませんでした。それで、人間が神様の御言葉を信じることができずに堕落し、4千年間にわたって摂理歴史が延長されたので、イエス・キリストがこの延長された4千年の歴史を取り戻すためにサタンの前に立てた一つの中心が何と言えば信仰でした。つまりイエス様は信仰の王としてこの地に現れたのです。
イエス様はどんな方ですか? またイエス様は、神様の誇りで立つことができる一つの価値の基準をどこで立てたのでしょうか。4千年の歴史が流れてくる過程で、誰も信じられず、神様の御心を知らなかった全人類の前に、イエス様は信仰の王として現れたのです。それで神様がイエス・キリストの信仰を信じることができたのです。
多くの人々が神を信じると言われていますが、そのような信仰としては、神の天輪の心情を通じた上下の内的な関係を結びつけられないということです。また、数多くの預言者が来て行きましたが、彼らが信じて従ったことを通して、神様の中に有る愛の原則を知ることはできません。さらに、イエス・キリストは、多くの聖徒達が歩んできたその歴史的な信仰の過程全体を引き受け、単身ですべてのサタンの歴史を断ち切ろうとしました。4千年の信仰を総結実する立場のイエス・キリストは、宇宙の中でただ一人、信仰の主人公として来ていきました。
この一つの基準のために、神はイエス・キリストを信仰の王として立てられました。イエス・キリストは神のご意志に代わって神の言葉を宣べ伝えました。旧約聖書を持って信じたものではありません。預言者達が言って預言したその一つの権利内で信じたものではありません。言い換えれば、イエス様はイスラエル民族が信じて出てきた旧約聖書の言葉圏内でのメシアの思想を持っていませんでした。
イエス・キリストはどのような信仰を持っていたかというと、旧約聖書にない、それまでの歴史上になかった信仰、それまで現れなかった新しい信仰、世界のどんな環境、どこにも現れなかった信仰を持った信仰の代表でした。ですから、旧約の歴史がイエス・キリストの前で終わらなければならないということです。
それでは、神の誇りとして建てられた信仰の王イエス・キリストを信じている私達は何を知る必要がありますか? 私達は、私達がある限界内で イエス・キリストを見れば、イエス・キリストが降臨する前の4千年の歴史と、イエスの30年以上の生涯と永遠の未来に及ぶ彼の価値を知ることができなかったことを知る必要があります。
また、私達は神様のご意志を知らず、反対する側に立っていても、私はその意志一つだけを知る必要があります。誰も信じないことですが私は信じます、といえる信仰の基準が立てられてこそ、イエス様が万民の救い主、信仰の王として立てられたという事実を知らなければなりません。
それでは、今日私達が信じているイエス・キリストは生きている間にみ言葉を語ってくださったのでしょうか。もしみ言葉を全部話てしてくださっていなかったら、私達にはまた来る主が下さるみ言葉が必要なのです。イエス様はアダムとエバの堕落以来、4千年ぶりにサタンの前でも、すべての被造世界の前で誇ることができた信仰の王であり、神様が求めようとした信仰の王でしたが、ユダヤ民族の不信により彼を敵に渡すしかなかったのです。
それでは、今日私達が信じているイエス・キリストは生きている間にみ言葉を語ってくださったのでしょうか。もしみ言葉を全部話てしてくださっていなかったら、私達にはまた来る主が下さるみ言葉が必要なのです。イエス様はアダムとエバの堕落以来、4千年ぶりにサタンの前でも、すべての被造世界の前で誇ることができた信仰の王であり、神様が求めようとした信仰の王でしたが、ユダヤ民族の不信により彼を敵に渡すしかなかったのです。
それで、イエス・キリストがこの地に再び来て被造物の前に誇れる基準を持って来て、皆さんに新しい御言葉を与えて下さる様になっているのです。イエスは信仰の代表者であり、信仰の王として旧約聖書になかった新しい言葉を発表しました。その言葉は新約聖書の言葉として今日私達に伝えています 。
今私達が踏まえるべきは、今日この時代は新しい時代であり、今後栄光の時代が来るのですが、その栄光の時代に残ることができる信仰を持てなければなりません。イエス・キリストの希望と信仰は、人間が4000年にわたって信じてきたレベルの信仰ではありませんでした。彼の一代を経て遠い後代、すなわち永遠まで及ぶ信仰や神様が考えられず、その当時に現れなかった愛と善を表した信仰でした。
それでイエス・キリストは、歴史上になかった信仰の王であり、神様が誇ることができる方でした。イエス様と同様に、皆さんもこの信仰を持たなければなりません。
それから2番目に、イエス・キリストを神が誇ることができたのは、多くの人が何千年もの間サタンと戦ってきましたが、イエス・キリストが愛で天の勝利の王として立つことができたからでした。それで、イエス・キリストを神様が誇ったのです。
4千年間、多くの祖先がこの地に来てサタンと戦いました。メシアを送ろうとする神様の御心のために、数多くの預言者達が来てサタンと戦いました。しかし、彼らはサタンを屈伏させることができませんでした。4千年間サタンと戦ったがサタンを排除できず、サタンを屈服させることはできなかったが、イエス・キリストはこの地に来て、すぐにサタンを主管して屈服させた。
イエスは何を持ってサタンを屈服しましたか。天の愛の原則を持って屈服させました。皆さんはそれを知らなければなりません。今日、私達キリスト教の人々が知っておくべきことは、サタンを屈服させることは愛の原則でなければならないという事実です。
愛の原則はどんな原則でしょうか? イエス・キリストは万民の前で亡くなりました。また、この地上に数多くの人々が来て行きましたが、イエス・キリストは神様が極めて愛された一人の子であるということです。ですから、イエス・ キリストの約30年の生涯の生活を見ると、いずれかの部分、孝行者の生活ではない部分はありません。
今私達が踏まえるべきは、今日この時代は新しい時代であり、今後栄光の時代が来るのですが、その栄光の時代に残ることができる信仰を持てなければなりません。イエス・キリストの希望と信仰は、人間が4000年にわたって信じてきたレベルの信仰ではありませんでした。彼の一代を経て遠い後代、すなわち永遠まで及ぶ信仰や神様が考えられず、その当時に現れなかった愛と善を表した信仰でした。
それでイエス・キリストは、歴史上になかった信仰の王であり、神様が誇ることができる方でした。イエス様と同様に、皆さんもこの信仰を持たなければなりません。
それから2番目に、イエス・キリストを神が誇ることができたのは、多くの人が何千年もの間サタンと戦ってきましたが、イエス・キリストが愛で天の勝利の王として立つことができたからでした。それで、イエス・キリストを神様が誇ったのです。
4千年間、多くの祖先がこの地に来てサタンと戦いました。メシアを送ろうとする神様の御心のために、数多くの預言者達が来てサタンと戦いました。しかし、彼らはサタンを屈伏させることができませんでした。4千年間サタンと戦ったがサタンを排除できず、サタンを屈服させることはできなかったが、イエス・キリストはこの地に来て、すぐにサタンを主管して屈服させた。
イエスは何を持ってサタンを屈服しましたか。天の愛の原則を持って屈服させました。皆さんはそれを知らなければなりません。今日、私達キリスト教の人々が知っておくべきことは、サタンを屈服させることは愛の原則でなければならないという事実です。
愛の原則はどんな原則でしょうか? イエス・キリストは万民の前で亡くなりました。また、この地上に数多くの人々が来て行きましたが、イエス・キリストは神様が極めて愛された一人の子であるということです。ですから、イエス・ キリストの約30年の生涯の生活を見ると、いずれかの部分、孝行者の生活ではない部分はありません。
神様の前における一日の生活は、夜でも昼でも何の時間も切り離せない、神様の心にふさわしい生活でした。神様がご覧になるとき、「この地上にあなたは一人しかいないのです」といわれるほど、孝子の生活をしたということです。
イエス様は自分の一生のすべてが消えても、ひたすら神様のための心だけでした。自分の肉身は無視されても、万民の救い主としての使命を果たすという心しかなかったということです。お父様! 私は私が消えて、あなたが4千年間にわたって訪れた愛の代わりに存在し、あなたの愛を受ける息子としてその愛の代価を返すことができる孝行者になります。というこの一つの心以外何もありませんでした。
それで、億千万民がイエス・キリストを神様の子ではないとしても、神様はそうしてこそそうできなかったということです。天地の中心に結ばれた、神様の愛に引き寄せられた天輪の力は、誰も防ぐことができません。イエス様はいかなる困難の中でも環境に屈しませんでした。ゴルゴダ山上の孤独な場所でも十字架を持っていました。イエス様はその場に神様のご意志があることを知り、4千年の間楽しみにされた神様の愛の心情をよく知っておられたのです。
ですから、神様の意志が変わらない限り、父の愛を受けることができる息子としての誇りは永遠です。神様はイエス・キリストを独身者として、神様の変わらない愛の化身体として来られた被造万物の前に誇りました。サタン世界の前に自慢しました。
今日までの6千年の歴史上には、自分を産んだ両親に孝行を尽くした人が多いです。サタン世界の中での孝子孝女は多いということです。しかし、神様がイエス・キリストを誇り、イエス様の前に神様の愛を受けることができるためには、歴史上のすべてのサタン圏内の孝子孝女を合わせた以上の価値と実績がなければならないというのです。そうしてこそ、神様はこれは私の愛する息子と言え、天上天下で唯一天倫に代わる孝行者になることができるということです 。
こういう基準を持ってイエス様が数多くの群衆を眺める様になった時、子どもがいなかったということです。そのようなイエスの心情だったので、自分の価値とその価値の間に天地の違いがあることを感じました。ですから、イエス様は、自ら凛々しく天の前に彼らのために祈ることができたというのです。
また、神様と愛で結ばれた関係から出てくる力によって、サタンまで滅ぼすことができたということです。なぜなら、サタン圏内の多くの人々がサタンに同調することと、イエス・キリストが神に仕えて愛する基準とは比較にならないからです。イエス・キリストが神様の愛を持って現れるそこには、敵の前に撤退のような盾になったのです。それで、イエス様を中心に集まる各所ごとにサタンを屈服させることができるのです。
イエス様は、4千年の間に先祖達が勝利したことと敗れたもののすべてを合わせて、自分の足場とすることができる一つの基準を勝ち取ったので、神様が誇ることができました。今日私達が考えるべきことは何ですか? これまで人類が6千年間サタンと闘ってきたのですが、どうしてイエス・キリストが4千年の間に多くの預言者達が勝利したことをすべて合わせた価値以上の勝利の実績を収めることができたのかを皆さんは考えてみなければなりません。
イエス様は自分の一生のすべてが消えても、ひたすら神様のための心だけでした。自分の肉身は無視されても、万民の救い主としての使命を果たすという心しかなかったということです。お父様! 私は私が消えて、あなたが4千年間にわたって訪れた愛の代わりに存在し、あなたの愛を受ける息子としてその愛の代価を返すことができる孝行者になります。というこの一つの心以外何もありませんでした。
それで、億千万民がイエス・キリストを神様の子ではないとしても、神様はそうしてこそそうできなかったということです。天地の中心に結ばれた、神様の愛に引き寄せられた天輪の力は、誰も防ぐことができません。イエス様はいかなる困難の中でも環境に屈しませんでした。ゴルゴダ山上の孤独な場所でも十字架を持っていました。イエス様はその場に神様のご意志があることを知り、4千年の間楽しみにされた神様の愛の心情をよく知っておられたのです。
ですから、神様の意志が変わらない限り、父の愛を受けることができる息子としての誇りは永遠です。神様はイエス・キリストを独身者として、神様の変わらない愛の化身体として来られた被造万物の前に誇りました。サタン世界の前に自慢しました。
今日までの6千年の歴史上には、自分を産んだ両親に孝行を尽くした人が多いです。サタン世界の中での孝子孝女は多いということです。しかし、神様がイエス・キリストを誇り、イエス様の前に神様の愛を受けることができるためには、歴史上のすべてのサタン圏内の孝子孝女を合わせた以上の価値と実績がなければならないというのです。そうしてこそ、神様はこれは私の愛する息子と言え、天上天下で唯一天倫に代わる孝行者になることができるということです 。
こういう基準を持ってイエス様が数多くの群衆を眺める様になった時、子どもがいなかったということです。そのようなイエスの心情だったので、自分の価値とその価値の間に天地の違いがあることを感じました。ですから、イエス様は、自ら凛々しく天の前に彼らのために祈ることができたというのです。
また、神様と愛で結ばれた関係から出てくる力によって、サタンまで滅ぼすことができたということです。なぜなら、サタン圏内の多くの人々がサタンに同調することと、イエス・キリストが神に仕えて愛する基準とは比較にならないからです。イエス・キリストが神様の愛を持って現れるそこには、敵の前に撤退のような盾になったのです。それで、イエス様を中心に集まる各所ごとにサタンを屈服させることができるのです。
イエス様は、4千年の間に先祖達が勝利したことと敗れたもののすべてを合わせて、自分の足場とすることができる一つの基準を勝ち取ったので、神様が誇ることができました。今日私達が考えるべきことは何ですか? これまで人類が6千年間サタンと闘ってきたのですが、どうしてイエス・キリストが4千年の間に多くの預言者達が勝利したことをすべて合わせた価値以上の勝利の実績を収めることができたのかを皆さんは考えてみなければなりません。
また、わたし達の先祖達がどの様にサタンに対して勝利できたのかを考えてみることを知らなければなりません 。天が今、この地上の聖徒達に願うことは何でしょうか。イエス・キリストだけがサタンを屈服するのではなく、今日終わりの日には全ての聖徒達がすべてサタンを屈服させ、イエス・キリストの愛を通して神様の愛を感じることです。
イエス・キリストは30年以上の生涯勝利の生活をしました。イエス様は勝利できない言葉は避けたということです。勝利できない言葉は避けました。イエス様が負けてサタンが近づいてくる言葉は避けたということです。男としては一人の人でしたが、一旦全体を責任を持てば、彼の言葉や行動や希望は全体を勝利の期待の上に載せることができる言葉と行動と希望でした。
今日、皆さんはイエス様がこんなに苦労し、固めた勝利の足場の上に立っています。皆さんはイエス様からこのような賜物を受けているということです。今、皆さんがイエス・キリストがこの地上で勝利して成し遂げられた勝利の足場の上に立って、どうすればさらに高く上がるかというのが問題です。皆さんは天が皆さんのためにこの地に降りてきたことを知って、天に上がるまで勝利の汗を流さなければなりません。
私達は私達の心に神の愛を満たさなければなりません。イエス様と聖霊の愛を感じ、天の愛を体験しなければなりません。イエス様は個人的に勝利しましたが、十字架にては霊的にのみ勝利の期待を拭きました。それで、2千年の歴史を終結しなければならない私達は、イエスの霊的な期待の上に立って、イエス様の体に代わって勝利の場を成しておかなければならないのです。また、私達には霊的な救いを完成させてくれる新約聖書の次元を超えて、実体的な救いを完成させてくれる新たな御言葉を天がこの地に宣言することになると、サタンがこれを反論するのですが、これまで責任を負います。戦って勝つ責任があるということです。
また、次にイエス・キリストはどんな条件によって神様の愛を受けることができましたか。イエス様は責任を持つ王子になったので、神様の愛を受けることができました。イエス・キリストは、生まれた縁からヨセフの家で大工の働きをしましたが、責任を果たすために努力しました。ヨセフの家庭で大工の仕事を手伝いながら親が引き受けている家族の生計を助けてくれるこのような生活をしましたが、イエス様の心にはそれだけが生活の全部ではなかったということです。また大きな意志を心に抱くと同時に、小さなことにも責任を果たされたイエス様でした。このようなイエス様であったことを皆さんは忘却してはいけません。
イエス様の生活はすべて自分の責任と使命を果たす生活でした。彼は永遠に残ることができる責任を地上に果たしたということです。イエス様の30年以上の生涯の生活は永遠不変の実績、責任を果たした実績をこの地上に成し遂げた生涯でした。ですから、イエス・キリストの御言葉が、キリストの信仰の福音が残っている以上、彼の生涯も残るのです。
イエス様は自分一代においては言うまでもなく、歴史的な面でも責任を負ったというのです。そして、神様が4千年間働いてくださった御心に対しても一人で責任を負ったというのです。イエス・キリスト以外に、神様の責任に代わって出る者は、この地上には一人もいなかったということです。イエス様は単身で責任を果たしたことを皆さんは知らなければなりません。
イエス様は、自分が一人で神様の御意に責任を負うことについて孤独でしたが、より大きな責任を感じました。それでイエス様の一日一日の生活は、全体的な責任を果たすための足場を置く生活でした。そして30年の準備時代と3年の実践時代、3日間の完成時代まで、イエス様の視線の前にはサタンを屈服させることと、その土台の上に神様の御心を成就させることしか考えませんでした。この責任を減らして生きようとか、イエス様は、ある瞬間にもこの責任を忘れたことがなかったのです。
また十字架をもってゴルゴダの判定に出る時も、全万民が誹謗してサタンが嘲笑するそのような最後の瞬間にも、イエス様は引き受けた天輪の責任を一人で持って行くいう心は変わりませんでした。イエス様が責任完成の一念を持って十字架の峠を超えたため、復活の歴史を起こすことができたというのです。そして地上に残っている弟子達を再収拾しなければならない責任があったので、イエス様は天国に行ってから再び降りてきて、神様の力に頼って復活の働きを起こすことができたというのです。
イエス様は死んでも散らばった弟子達を心配し、墓中の3日間にもこの弟子達を永遠に守ろうという気持ちを持っていたので、復活された後にガリラヤ等様々な場所にいる弟子達を訪ねられました。
今日私達が人間的に考えてみると、責任感がなかった彼らについてイエス様が何故そうできたのかと考えやすくなります。難しい場所で排斥した弟子達ですが、イエス様は復活後にまずガリラヤを訪れて、自分の責任を果たし始めました。この様に死の峠を越えた時に変わらない弟子達として立ててくれたイエス・キリストの人格こそ、今日私達が学ばなければならない人格です。
それだけではありません。当時の弟子達とそれ以降の数多くの聖徒達や2千年が経過した今日にいる私達にまで責任を持っていたことを知る必要があります。救いの歴史は全体の歴史でした。天の意志は全体を救うことなので、イエス様は全人類まで責任を持っているということです。
それではイエス様はどのような責任を負っていますか。イエス様は世の中のことに対する責任を負っておられるのではなく、よく生きることの責任を負っておられるのでもありません 。私達の命を担当しておられるということです。皆さん、この世には難しいことが多いのですが、これ以上難しいことがないということです。生死の問題を担当したので…。
今日、信仰者達は厳しいとすれば、難しいとすれば生死が行き来するという路に立っています。刃のようなギリギリな線上に立っている人々をすべて救い出す責任をイエス様は負っているということです。この様にイエス・キリストは昔30余年生涯を過ごした時もそうであり、死の道に入った時もそうであり、いつの時代にも同じ心でした。人間はこういう責任感と使命感を感じることができなくても、イエス・キリストはこの責任と使命、この一意を成し遂げるために今も活動しておられるということです。
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イエス・キリストは30年以上の生涯勝利の生活をしました。イエス様は勝利できない言葉は避けたということです。勝利できない言葉は避けました。イエス様が負けてサタンが近づいてくる言葉は避けたということです。男としては一人の人でしたが、一旦全体を責任を持てば、彼の言葉や行動や希望は全体を勝利の期待の上に載せることができる言葉と行動と希望でした。
今日、皆さんはイエス様がこんなに苦労し、固めた勝利の足場の上に立っています。皆さんはイエス様からこのような賜物を受けているということです。今、皆さんがイエス・キリストがこの地上で勝利して成し遂げられた勝利の足場の上に立って、どうすればさらに高く上がるかというのが問題です。皆さんは天が皆さんのためにこの地に降りてきたことを知って、天に上がるまで勝利の汗を流さなければなりません。
私達は私達の心に神の愛を満たさなければなりません。イエス様と聖霊の愛を感じ、天の愛を体験しなければなりません。イエス様は個人的に勝利しましたが、十字架にては霊的にのみ勝利の期待を拭きました。それで、2千年の歴史を終結しなければならない私達は、イエスの霊的な期待の上に立って、イエス様の体に代わって勝利の場を成しておかなければならないのです。また、私達には霊的な救いを完成させてくれる新約聖書の次元を超えて、実体的な救いを完成させてくれる新たな御言葉を天がこの地に宣言することになると、サタンがこれを反論するのですが、これまで責任を負います。戦って勝つ責任があるということです。
また、次にイエス・キリストはどんな条件によって神様の愛を受けることができましたか。イエス様は責任を持つ王子になったので、神様の愛を受けることができました。イエス・キリストは、生まれた縁からヨセフの家で大工の働きをしましたが、責任を果たすために努力しました。ヨセフの家庭で大工の仕事を手伝いながら親が引き受けている家族の生計を助けてくれるこのような生活をしましたが、イエス様の心にはそれだけが生活の全部ではなかったということです。また大きな意志を心に抱くと同時に、小さなことにも責任を果たされたイエス様でした。このようなイエス様であったことを皆さんは忘却してはいけません。
イエス様の生活はすべて自分の責任と使命を果たす生活でした。彼は永遠に残ることができる責任を地上に果たしたということです。イエス様の30年以上の生涯の生活は永遠不変の実績、責任を果たした実績をこの地上に成し遂げた生涯でした。ですから、イエス・キリストの御言葉が、キリストの信仰の福音が残っている以上、彼の生涯も残るのです。
イエス様は自分一代においては言うまでもなく、歴史的な面でも責任を負ったというのです。そして、神様が4千年間働いてくださった御心に対しても一人で責任を負ったというのです。イエス・キリスト以外に、神様の責任に代わって出る者は、この地上には一人もいなかったということです。イエス様は単身で責任を果たしたことを皆さんは知らなければなりません。
イエス様は、自分が一人で神様の御意に責任を負うことについて孤独でしたが、より大きな責任を感じました。それでイエス様の一日一日の生活は、全体的な責任を果たすための足場を置く生活でした。そして30年の準備時代と3年の実践時代、3日間の完成時代まで、イエス様の視線の前にはサタンを屈服させることと、その土台の上に神様の御心を成就させることしか考えませんでした。この責任を減らして生きようとか、イエス様は、ある瞬間にもこの責任を忘れたことがなかったのです。
また十字架をもってゴルゴダの判定に出る時も、全万民が誹謗してサタンが嘲笑するそのような最後の瞬間にも、イエス様は引き受けた天輪の責任を一人で持って行くいう心は変わりませんでした。イエス様が責任完成の一念を持って十字架の峠を超えたため、復活の歴史を起こすことができたというのです。そして地上に残っている弟子達を再収拾しなければならない責任があったので、イエス様は天国に行ってから再び降りてきて、神様の力に頼って復活の働きを起こすことができたというのです。
イエス様は死んでも散らばった弟子達を心配し、墓中の3日間にもこの弟子達を永遠に守ろうという気持ちを持っていたので、復活された後にガリラヤ等様々な場所にいる弟子達を訪ねられました。
今日私達が人間的に考えてみると、責任感がなかった彼らについてイエス様が何故そうできたのかと考えやすくなります。難しい場所で排斥した弟子達ですが、イエス様は復活後にまずガリラヤを訪れて、自分の責任を果たし始めました。この様に死の峠を越えた時に変わらない弟子達として立ててくれたイエス・キリストの人格こそ、今日私達が学ばなければならない人格です。
それだけではありません。当時の弟子達とそれ以降の数多くの聖徒達や2千年が経過した今日にいる私達にまで責任を持っていたことを知る必要があります。救いの歴史は全体の歴史でした。天の意志は全体を救うことなので、イエス様は全人類まで責任を持っているということです。
それではイエス様はどのような責任を負っていますか。イエス様は世の中のことに対する責任を負っておられるのではなく、よく生きることの責任を負っておられるのでもありません 。私達の命を担当しておられるということです。皆さん、この世には難しいことが多いのですが、これ以上難しいことがないということです。生死の問題を担当したので…。
今日、信仰者達は厳しいとすれば、難しいとすれば生死が行き来するという路に立っています。刃のようなギリギリな線上に立っている人々をすべて救い出す責任をイエス様は負っているということです。この様にイエス・キリストは昔30余年生涯を過ごした時もそうであり、死の道に入った時もそうであり、いつの時代にも同じ心でした。人間はこういう責任感と使命感を感じることができなくても、イエス・キリストはこの責任と使命、この一意を成し遂げるために今も活動しておられるということです。
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