人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

御言葉選集2(16,17)

2023年12月02日 16時47分08秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 2 - 16. 
天国を占める民となろう (1957年 6月 2日)
1957年 6月 2日(日), 前本部教会
聖書拝読:マタイによる福音書  21:33-46


<祈祷>
 親愛なるお父様!
一週間にわたり、様々な面で私達を導いてくださったお父様の前に、自分のすべての事情を持ってきた次第でございますので、お許しいただけますようお願い申し上げます。
 尊厳あるお父様、お辞儀するたびに自分が不足している様子を感じざるを得ないため、慈悲深いお父様、この時を通して全体を統括していただき、私達それぞれの心に常にお父様が臨んでくださり、お父様の意向に従って生きていけるように許して下さい。
 私達は、あらゆる欲望を捨て、本来の心に従い、本性の根源となる犠牲となるようお許しいただきたいと切に願っております。
 一週間にわたり、闇の罪と戦って疲れておりますので、慈悲深いお父様、お現れいただき、私達を抱えていただき、私達を戒めていただき、私達が死の領域を越えて、はっきりした目標に向かって進む事ができるようにして下さい。この仕事が喜ばれ、お父様が私達と一緒におられる事を心より願っております。
 愛するお父様! ここに集まったすべての子供達を、この時間一つ一つをお父様が統括してくださるようお願いいたします。この時間ごとにお父様が見極めてくださり、お父様が望まれない条件を除去していただき、あなたが喜ばれる様な身と心となり、あなたを拝む事ができる全体の群れとなれるように許して下さい。
 お父様!私達を呼び寄せてくださったお父様の労苦の意向の前に、私達が謙遜している事を感じておりますので、お父様、この時を慈悲深く見て下さい。あなただけが私達の友となり、あなただけが私達を信じてくださり、永遠の意向に忠誠を尽くす事ができる美しい息子娘達となるように許して下さい。
お父様! 私達を集めるためにお労しいただいたお父様の尽力の前に謙遜しておりますので、お父様、お望みのままにはっきり示して下さい。
従順な意向を実現するために努力されているお父様、私達があなたの孤独を慰める愛らしい息子娘達となるように許して下さい。すべてを一掃して、ただあなたの意向のためだけに戦い、駆け巡る事ができる息子娘達となるように許して下さい。お父様、切にお願いいたします。
今日も、この国を代表して集まっている多くの祭壇に祝福を与えて下さい。そして、この国があなたの定めた計画の前に唯一無二の心で対処できるように、喜びに満ちた祝福の御恩を急いでこの国全体と代表する多くの祭壇に現して下さい。
 そして、あなたが選ばれた国として、選ばれた宗派として、終わりの見えないこの地球の24億人の人々に委ねられた責任を果たし、それでもなお残る使命があるように許して下さい、愛するお父様、切に願っております。
私達には様々な事情がありますが、それらすべてをお父様に告げ、従順で従う事ができる犠牲の形となるように許して下さい、お父様、切に願っております。
 この一時、お父様に敬意を表したいと思いますので、三位一体が全体に働きかけ、それぞれの身体と心を統括して下さい。私達がお父様の意向に逆らわず、聖霊の感動を通してこの一時間がお父様の全体の意向の前に動く事ができるように許して下さい、お父様、切に願っております。
お父様よ!この時間、地方に広がり拝んでいる家族達にも同様に働きかけ、勝利の意向、お父様が立てた意向が喜びに満ちた祝福として実現できるように許して下さい、お父様、切に願っております。

 この一時、すべてをあなたに委ねました。三位一体が支配し、主の御名によってお祈りを捧げました。アーメン。

<御言葉>
皆さんと一緒に考える言葉の題目は「天国を占める民となろう」です。『天国を占める民となろう』というタイトルを持って、しばらくの間お話しいたします。
 腐敗した私達にとって、誰もが望む世界が天国である事を、皆さんはよくご存じです。この天国は腐敗した人間だけが望むものではありません。神様も創造以前に存在していた本来の愛を中心に、全人間と永遠の富豪の関係を結び、永遠に楽しむ事ができる、その天国の実現の時を望んでいます。これまで三位一体を通して、神様もまたこの歴史的な道のりを通じてその時を待ち望んでいる事も、皆さんもよくご存じでしょう。

 今日、私達が真に望んでいる天国、この天国は人間の願望だけでなく、神様の願望でもあります。そのため、この天国を実現できる概念は、個人を経て世界的かつ宇宙的で、天倫に適合するものでなければなりません。それによって、この天国をこの地上に築かない限り、神様の救済計画は完結できず、私達の信仰目標も完結しないものです。

したがって、この天国は人間を創造された創造主としての責任がある神様が責任を持ち、腐敗した人間達もすべてを犠牲にしてでも責任を持って求めて実現しなければならないものです。

こうした事を考えると、神様はこの天国の概念を実現し、人類を代表して誇りに思える一人がこの地上に現れる事を、長い歴史の過程を経て望まれていますが、今までこの地にその一人は現れていない事がわかります。

 そのため、創世以降今日まで神様が人間を通して探し求める天国概念は一つの個体の概念で終わるものではなく、個体の概念となると同時に世界的で宇宙的な概念として、万物が追い求める永遠の概念であるべきです。その様な概念が築かれる時を望む神様は、6千年にわたる忍耐の道、労苦の道、苦難の道を通ってこられた事を、皆さんは再び心に留めておかなければなりません。

では、神様と人間はどのように縁を結べるのでしょうか?それは天国概念を中心に縁を結べる事です。天国が築かれるその基準で人間の概念が達成され、神様の創造概念が達成されるという事です。
 したがって、アダム以降4千年の長い歴史を経て、神様が一時的に人物を立てて、全体的な神様の内面的な感情を伝え、外部の概念を通してきた一時期があったのです。

その様な中心的存在として築かれた方は、イエス・キリストでした。ですから、神様はイエス・キリストをこの地に送る前に選んで立てた洗礼ヨハネを通じて、イスラエルの人々に対して「悔い改めよ、天国は近づいた」と予告されました。しかし、その天国がどのようにして成就されるかというと、洗礼ヨハネを通してではなく、イエス・キリストを通して成就されるのです。

そのため、洗礼ヨハネには全イスラエルの民を結びつけてイエス様の前に導く責任がありました。しかし、洗礼ヨハネはその責任を果たせなかったため、彼が叫んでいた天国の概念はイエス様とは何の関係もなくなりました。そのため、洗礼ヨハネが「悔い改めよ、天国は近づいた」と叫んでいたその叫びは、当時だけの適用される天国概念で終わるものではなく、洗礼ヨハネ以降の歴史の中で、いつの時代でも洗礼ヨハネ的な使命を持つ人を通じて予告される天国の概念として残り、そのために神様の労苦の手が継続的に沸騰していなかったのです。

また、イエス・キリスト以降の2千年間、多くの預言者が神様を紹介するために尽力してきた事を忘れてはなりません。洗礼ヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と叫びましたが、その天国を実際に紹介し、具現化するために来られたイエス・キリストは十字架にかかってしまいました。その後も今日まで、神様と人間の永遠の希望である天国概念は、人間を通して地上と天上に築かれなかったのです。

イスラエルの人々がイエス様を失った事は、結局、洗礼ヨハネが予告していた天国概念を失った事と同時に、イスラエルの人々が直面する平凡な試練に打ち勝つための天国の主人公すらも失った結果である事を理解する必要があります。ですから、イエス様が再び来て、失われたその天国概念を取り戻し完成させなければなりません。

神様が望む天国は霊的な領域だけで成就される天国ではありません。神様が望む天国はまず地上で成就された後に、霊的な領域でも成就される天国です。人間が死んだ後に形成される霊的な体達による霊的な領域と、この地上の世界は互いに分離できないため、皆さんは勝利的な実体を備えて天国の概念を実現するためには、天倫の前に立つ事ができると同時に、人倫の前にも立つ事ができなければなりません。そして、天倫と人倫を通じて天国の概念を皆さんの生活領域を通じて示さなければなりません。

そして、その天国の概念は個人的なものだけでなく、家庭、社会、国家、世界、そして神聖な概念としても存在する必要があります。この様な天国の概念は、あなた達自身を通じて現れるべきです。そうでなければ、ヨハネが荒野で「悔い改めよ、天国は近づいた」と叫んでいたにもかかわらず、その言葉を理解しなかっただけでなく、聞こえないままになって、イスラエルの民が天国の概念を実現できなかったように、今日のこの時代においても天国の概念を予告する人が現れても、その言葉を聞く事ができなくなるでしょう。
それだけでなく、天国の実体的な概念を築くための3年間の共生の試練の中で、山を下り山を登る中で民衆の前で叫ばれたイエス・キリストの新しい福音の言葉を受け入れなかったイスラエルの民と同じ立場に立たなければなりません。

したがって、何度も言いますが、あなた達が天国の概念を本質を通じて全ての人々に紹介し、多くの教派を通じてヨハネの様な新しい概念を予告できるように、天の歴史的な事情を感じ、そして一緒にその天国の概念をあなた達の生活領域に引き込んで、その言葉に動いて生きる事ができない場合、あなた達が望む希望の天国、神が探し求める希望の天国の概念は絶対に実現できないという事です。

今日まで人々が知っている天国は、もともと神が求めていた創造の理想の天国ではありません。イエス・キリスト以降、今日まで霊的な天国の構築のために努力してきた2千年の歴史を振り返ってみると、イエス・キリストが構築できたものは天国ではなく楽園でした。

したがって、イエスを信じてきた人々が望む天国の理想も楽園であり、今日の人々が持つ天国の理想は、神と人間が同時に受け入れる事のできる理想的な本来の天国ではなく、神の天国建設への進行中の条件的な天国である事を理解する必要があります。そのために楽園という名詞が使われるようになったのです。

したがって、あなたが真にイエス・キリストの天国の理想を実現する天国の中核として任命されたと言うなら、イエス・キリストを楽園の主人公としてだけ見なさず、霊的な領域の全ての霊的な存在と地上に住むすべての人々が協力して楽園の扉を開き、イエス・キリストが天国の主人公としても存在できるようにしなければなりません。

そして、イエス・キリストを天国の主人公として立てる責任は神にはなく、イエス自身や聖霊にもなく、この地上の全人類にあるという事です。しかし、残念ながら、人々がこれを知らないという事実があります。これを考えると、復帰の旅を進む人々にとっての進むべき道は遥かで難しいものです。

そして、人々が歩む他のどんな悲しい道があろうとも、これ以上悲しいものではありません。なぜなら、この道は先駆者達の悲しみを私達の悲しみに共感し、彼らの戦いの歴史を私達が再び歩まなければならない帰還の道だからです。多くの先駆者達がこの地に来て乗り越えた険しい山々やゴルゴダの十字架の道であっても、私達は彼らが歩んだすべての困難な歴史を超える生活をしなければ、絶対にイエス様が歩まれた道を追いかける事はできません。

今日のあなた達が歩む道、あなた達の信仰生活は簡単なものではありません。あなた達の人生はあなた達自身のためだけのものにはできません。あなたがたが生きているのは楽園にいる霊的な存在のためであり、さらにはあなた達には地上で天国を達成する使命があります。あなた達があなた達個人の生命のために悲しみをたくさん経験し、誓いをたくさん立てたでしょうが、個人の生活のためだけでは絶対にあなた達個人の意志すら達成する事はできません。

この地はあなたがたが歩む道をただ放っておきません。なぜならこの地は人間が堕落によってサタンに支配された地になったからです。だから六千年間、神と敵対してきたサタンはあなたがたが歩む道を妨げているのです。

こうした困難の中で私達が進むべき道はどの様な道でしょうか? ゴルゴダの険しい坂を越え、サタンに支配されたこの地を解放し、天国を築く道です。しかし、この道を進むためにはこの道を一貫して望んできた人類が実質的な歴史的過程で無数の探悟の歴史を歩んできたように、あなた達も探悟の道を歩まなければならないため、選ばれた私達人々ならば大きな覚悟をしなければなりません。

神が望まれる天国もあなた達も望み、また一生を捧げてその天国を築く仕事に責任を持ち努力しているとしても、セヨハンのように思うのであれば、あなた達もセヨハンのように30年以上惜しむ事なく天国の概念を叫び続けたけれども結局は破れてしまったであろうと思います。

洗礼ヨハネが望んで彼が進んできたその道では、彼が個人を中心に据えていたために破れてしまったのです。あなた達が同じ轍を踏まないようにするには、あなた達の行動があなた達個人を対象にするだけではなく、あなた達が生きる目的は他ではない事を心がける必要があります。

あなた達には天が望んでいる理想的な道を歩む事を阻むために、あなた達自身の事情だけを考慮して生きていく様な日常や一生を支配して、天の道に反対するサタン的な性格がある事です。あなた達がこの事実を骨の髄まで感じない限り、いけない事です。

天国の実現の道は、私達が進まなければならない、宇宙的な運命の道であり、創造の理念に残された天倫(天の道)の運命とも言えるでしょう。しかし、私達はこの道を自分のものだけとして考えてはなりません。神は歴史的な運命を負っており、永遠の天倫の運命を準備してきました。

 これは神の内面から、イエスと聖霊の心情を通して多くの先知達が歩んできた歴史的な努力と、あなた方とのつながりを作ろうとするものです。そして、過去に数えきれないほどの預言者達が、あなた方の一声に応え、イエスと聖霊も歓迎し、6,000年にわたって労苦してきた神が、あなた方がサタンとの闘いで勝利するための場を整えて助けてくださる事が、神のあなた方に対する意志です。だから、こうした神の意志に先立って呼び出されたあなた方は、自分達の責任と使命が重大である事を自覚し、責任を果たさなければなりません。

 終末に迎えるこの時に、もしこうした事をあなた方が責任を取らないならば、これまでの神とイエスと聖霊の歴史的な悲しみを誰が引き受けるでしょうか? これらの神の悲しい事情は、人間達が引き受けなければなりません。

このために神は世界の多くの民族の中で哀れなこの一民族を選ばれました。しかし、私達はここで、イエスの時代においてもイスラエルの民がイエスの意志を受け入れず不信仰により異邦でキリスト教を中心に新たな出発をする事を思い起こさなければなりません。

 そして今、私達の前には世界的な苦難の時代が迫っています。迫害と反対の時代が私達に迫っています。そして、この世界のすべての宗教が終焉を迎えるべき時期に臨んでいるのです。こうした時こそ、私達はこの民族が与えられた世界的な歴史的な使命を果たすため、全力を傾けなければなりません。

 将来、宗教を持つ人々はイデオロギー的な対立によって恐怖に直面する事になるでしょう。そして、6千年にわたり神に対抗してきたサタンが最後の挑戦で皆さんを攻撃する事になります。皆さんは常に、皆さんの命を狙っているサタンと悪霊達が皆さんのそばにいる事を知るべきです。これらの侵略は皆さん自身の力だけでは防ぎようがありません。

 皆さんがこれらとの戦いで勝利し、過去の歴史と現実、未来を代表する勝者になるためには、歴史を支配してきたサタンの本質、現実を支配しているサタンの本質、未来に対するサタンの意図を理解する必要があります。そのためには、イエスがイスラエルの民を代表してゲツセマネの山に登り祈り、生涯を捧げて天の意志に立ちはだかるサタンと対決し、歴史と現実、未来を代表する苦難の基準を築かれた様な道を皆さんも歩まなければなりません。皆さん一人一人の進む道にこれらの試練が残されています。

 私達がキリストの代理となり、自身の怨みを解き放ち、さらに神の怨みも解き放たなければならない責任があります。イエス・キリストがこの地に来られた目的を達成し、数多くの先知達の願いをかなえなければなりません。私達がこの責任を果たす事で、彼らが喜ぶ事ができ、その様な業績が天上の造物主である神の前、この地のすべての生きとし生けるものの前、そしてサタンの前にも明らかにされるとき、私達は長い間サタンの支配から解放され、天倫の中で応える事ができる環境となるでしょう。

そして、私達が永遠に安息できる勝利の土地である天国を見つけなければ、これまで私達が信じてきた神やイエス、従っている牧者や天使達もすべて、サタンによる苦しみから逃れる事はできません。

 天と結びついた皆さんは、父の前でどの様な存在として立つべきか、そして自分にどの様な時代的な使命があるかを知る必要があります。私達は神の前で立つ事ができる無限の天的な価値を持っています。

 したがって、皆さんは人間とすべてのものを代表して、一つの勝利的な天国観を備え、6千年にわたる神の多くの内的な苦悩、イエスと聖霊の苦悩も引き継ぎ、歴史的なすべての苦悩を克服できる勝者にならなければなりません。神は6千年間、この様な勝者を求めていました。したがって、皆さんがその様な勝者にならない限り、神が次々と見つけようとしている天国観を見つける事はできません。

 今日、怨みの地上でどんな一存在が天と地を代わり、人間を代わりにして天国観をこの地上に築く事ができれば、その価値は神の苦労やイエスと聖霊、そして多くの先知や聖者達の総合的な苦労の目的を結実させ、代わりにできる価値ある存在となるでしょう。その価値ある存在こそが、これまで神を裏切ってきた多くの先祖を救い出し、現在罪悪の世界で生きる多くの人類を罪悪から救い出すと同時に、永遠の神の天国を築くでしょう。

 歴史を超越して人間が探し出した天国、神がイエスをこの地に送り、実現する事を望まれていた天国、また未来の人々もその天国を完全にこの地上に実現できる価値ある一存在が現れる事を望み、神とイエスと聖霊、そして多くの先知や聖者達がその価値ある存在の出現のためにこれまで努力してきたのです。

 その様な存在がこの地に現れれば、神はその存在を永遠に守ってくれる責任を与えられます。これが原則です。その様な個人を中心にして永遠の国家、世界がこの地に実現されなければなりません。可哀想な私達の一民族、振り返れば私達の民族には何もありません。誇るべきものは何もありません。世界に披露できる様などんな価値も持っていません。

しかし、私達が国家と民族を超えて数多くの人類のために心を尽くす事ができるなら、アメリカやイギリス、あるいはどの国からも天国が先に成し遂げられるのではなく、私達は哀れな民族として神の前に進み、だれよりも先に天国を私達のものにする事ができます。そうなれば、天国を求める多くの民族はこの民族を経由しなければ神の前に進む事ができません。

 では、私達がこの天国を築くためには、どの様な使命と役割を果たさなければならないでしょうか? 長い歴史が進む中でこれまで戦いの道、死の道を踏みつけてきた中で、「天国よ、早くおいで下さい!」と訴えてきたその天国がまさに私達を通じて実現されるよう努力しなければなりません。

 もしも個人的にその様な天国を築いたならば、言い換えれば父が承認できる個人的な天国が実現されたならば、次には家庭的にも天国を築かなければならず、さらには社会・国家・世界・宇宙的な天国に拡大させていかなければなりません。皆さんはまず、この様な天国を築くという責任感を感じる人々にな らなければなりません。

 今日までの歴史の過程では数多くの聖者や先知が来ては去りましたが、神は今まで彼らを通じて適切にあなたの内的な事情を人間に教えてくださらなかったです。

 しかし、神の内的な事情を完全に明らかにし、天国の中でも最も中心に位置する宮殿にある宝箱まで開ける事のできる天国の鍵を所有している人物がこの地に現れるならば、それによって神はこの地上に再び留まらない理由がなくなるでしょう。

 それでは、今日ここに集まった皆さん、苦難の道、十字架の道を覚悟し、生死を顧みずに天の御旨のために立ち上がった皆さん、6,000年にわたり人間に告げられなかった神の事情を求めて立ち上がった皆さん! 皆さんは本当に神の忠実な息子娘になるために立ち上がりましたか? 忠実な女中になるために立ち上がりましたか? 皆さんが真にその様な人となるためにこの意志の道を歩んできたならば、今まで何を見つけ、何を感じ、そして神に何を示しましたかという事が問題になります。すべてはここに収束されるのです。

 この立場から見ると、皆さんは皆、イエス・キリストの後継者にならなければならないのです。この地に中心があったとしてもイエス・キリスト以上の中心がなかったし、困難な環境を乗り越える中でイエス・キリスト以上に難しい環境を乗り越えた人物はいませんでした。

 イエス・キリストは人間のために乗り越える難しい死の頂を超えながらも、「父よ、彼らの罪を彼らに返さないで下さい!」と祈った方でした。この道は今まで誰もが行かなかったイエス・キリストだけの独自の道です。

また、イエス様は当時の聖書の見解に基づいて神の御心に対処しようとはせず、イスラエルの民族を中心に神の御心に対処しようともしませんでした。イエス様は常に新しい主張を持ち、新しい神の御心に対処するために備えてきたのです。

 それによって人々に個人的な真理の道を教え、新しい生死観を悟らせてくださったのです。イエス様が歩まれた道は個人的には悲しい道でしたが、地上の人々が体験できなかった神の愛を体験しながら歩まれた道でした。
また、イエス様は習慣的な信仰態度を持って生きていたユダヤ民族によって、宇宙を創造された神様が宇宙の主として栄光を楽しんでいない事を嘆かれました。

 ご自身が人間と万物を造り、万宇宙の主であるにもかかわらず、神様は人間と万物に対して御心通りに命じる事ができず、支配する事ができない立場にいらっしゃいます。今日、多くの信者が神様は全能であるために自由に人間と万物を支配されると考えていますが、それはできない立場であるという事です。では、誰がこの様な神様を創造原初の理想の神様として、全人類から栄光を受ける事ができるようにしてくださるのでしょうか?

 人類の祖先であるアダムとエバが堕落した事により、神様は造物を完全に支配できない立場になったため、これを回復していかなければならない責任が人間にあるのです。そのためにイエス様は人間を代表して歴史的なあらゆる支配と思想を代表する立場で、人間を堕落させたサタンの侵入条件を取り除かなければならない岐路に立たれたのですが、人間の不信心のためにその御心は実現されませんでした。そのために神様は完全に造物を支配できる立場を回復できないまま、悲しんでおられるのです。

 終末に臨む皆さんが神様の願いと異なる天国、すなわち神の御心を実現するためにイエス・キリストが30年以上にわたり戦いの道を歩かれた事実を理解すれば、皆さん自身もイエス様の勝利を受け継ぎ、神の前に立つ事ができるように、神の威厳と名誉を懸念できる真のクリスチャンにならなければなりません。今日この地には多くの人々と民族がいますが、真に神の名誉と威厳を懸念する人々はいません。

 こうした時、神様の内的な心情を感じ、神の威厳と名誉を回復し、懸念し、懇願できる民族があれば、神様はその視線をその民族に向けて回されるでしょう。そして、神様は今日でもイエス・キリストの内的な心情を持った皆さんご自身を立てて、サタンの支配を打ち破りたいとお考えになるでしょう。

 イエスは神の義として、民族が裏切り、世界が裏切っても、善は滅びない事を知り、変わらぬ信念で悪魔と戦い、神の栄光を確立する責任を果たすために、この地で悪魔と戦ったのでした。

 それ故に、神の誇りを失った悪魔の罪を暴き、彼を攻撃する使命をイエスが引き受け、聖霊が担っていたのです。そしてそれだけでなく、人間が神の栄光と誇りを確立できる天国を築こうとしていたのでした。

 もともと神と人間との関係は、死んでも共に死に、生きても共に生きる永遠に変わらない父子の関係でしたが、人間達は堕落のために4,000年間、神との父子関係を結べずに生きてきました。

 この事実を誰よりも悲しんだのがイエスでした。彼は神と完全な父子関係を結び、この地に来て神の旨を成し遂げ、人間を救おうとしました。したがって、イエスは私達人間の父であり、祖先でもあります。あなた方はこれらのイエスの誇りと品位すらも守らなければなりません。

 すべての人間が神と父子の関係を完全に結ぶべきである事は天倫の因縁です。しかし、この地上で誰かがこれを最初に達成しなければ、人間は神と父子の関係を結ぶ事ができなくなります。今私達はその様な方に出会い、神を親とし、神の悲しみを私達の悲しみとし、お父様の苦しみを私達の苦しみとし、お父様の冤屈を私達の冤屈として感じなければなりません。そうすれば私達は神と父子の因縁を結ぶ事ができます。

言葉で結ばれる親子の関係、予約だけで結ばれる親子の関係は必要ありません。心を尽くし、力を尽くして父の意志に従い、骨身に染みる苦しみの中でも忍耐強く勝利する時、私達は神と親子の関係を回復する事ができます。
そして、父の栄光のために父の尊厳と面目を立て、父の栄光のためにイエスが十字架を背負い、ゴルゴダの頂を越えた事と同様に、世界的なゴルゴダの道も越える事ができるようになるべきです。そうでなければ、皆さんは6千年間、神の天国の理念を裏切ってきた天使長と同じ立場に立たされる事になります。
神は皆さんと近くにおられ、誰よりも一人一人を心配しておられる方である事を知っていただく必要があります。世の中では肉親の愛が最も大きいと思われていますが、神の愛はそれよりも大きく深く、世のあらゆる人間的な愛よりも深く大きい事を皆さんは知っておくべきです。
この様な神の愛の中で「父」と呼ぶ事のできる皆さんになり、「父の悲しみを私が理解します」と言える立場から、神の内面の気持ちを思いやる真の息子娘になるべきです。
その様な息子娘になり、神を模倣した天国を所有すれば、その天国は誰にも奪われる事がありません。次には神の苦しみを皆さんが引き受け、解決できる立場であるべきです。そして、神が苦しむ中での憤りを持つ事ができるべきです。
イエスが4千年間、神を悩ませてきたサタンに対して憤りを抱き、4千年の苦しみ以上の苦しみも乗り越える覚悟を持っていた事を知っていただく必要があります。 イエスは神の意志に逆らい、意志に逆らわない人々まで引き連れて歩き、歴史と現実を新たにし、「父よ、私が貴方の苦しみを引き受けていますので、心配せずに摂理の苦しみを解いて下さい!」と言える立場でした。 そして、イエスは神が天上と天下を通して感じている苦しみまでも共感しようとする心を持っていました。
ですので、4千年間希望を抱き、神の意志を担ってきたイスラエル民族の子孫達がイエスをゴルゴダの死の道に追い込むとき、イエスは死にゆく息子を見つめながら不当で悲しい心情を抱きながらも、自らの苦しみを忘れ、父を抱きしめて慰める事ができたのです。

それ故に、4千年間希望を抱き、神の意志を担ってきたイスラエル民族の子孫達がイエスをゴルゴダの死の道に追い込むとき、イエスは死にゆく息子を見つめながら不当で悲しい心情を抱きながらも、自らの苦しみを忘れ、父を抱きしめて慰める事ができたのです。

したがって、皆さんの中にもイエス様と同じように困難な状況でもむしろ父を慰めるために父を呼び求める人がいれば、その様な人は天国を築き進め、その様な人達が進む道は誰も阻止できないでしょう。

歴史的な神の労苦と苦悩に対して責任を持つと心に決めたイエス様だったからこそ、神様が復活の力を発揮してイエス様を蘇らせても、サタンは嘲笑する事ができませんでした。これに続く責任を負うためには、皆さんもイエス様と同じように6千年にわたる神の労苦と怨み、人間の不信仰に対する神の怒りの鞭を人間を代表して受け入れる覚悟を持つ事が求められます。今がその様な聖徒達に必要な時であると言えます。

もし皆さんの中でこの国の苦しみはもちろん、人類の苦しみや6千年間の神の苦しみと悲しみまでをも引き受け、人類に対する神の裁きの鞭をひとりで背負う覚悟がある聖徒が現れるならば、神はその方を通して第二のキリストの復活を許されるでしょう。それが実現すれば、この地には自然に天国の理念が結びつくでしょう。

今や私達は、イエス様が4千年の帰還歴史を代行し、神を休ませた事と同じく、2千年間サタンと戦い抜いたイエス様に対して、「主よ、これからは休ませて下さい。あなたの仕事を私達が責任を持って行います」と言える聖徒達とならなければなりません。これによって私達は今まで頑張ってこられたイエス様の仕事を代わりに引き受ける段階に入ったのです。

言い換えれば、地上のすべての聖徒が神の苦しみと悲しみ、そしてイエス様や聖霊の苦しみと悲しみを代わりに引き受けなければならない時が来たという事です。

また、私達は6千年間神に対抗してきたサタンの侵略に立ち向かい、帰還の任務を引き受けなければならず、人類のすべての罪を贖罪し、神聖な環境を創り出さなければなりません。その様な環境を整える事によって、イエスと聖霊がその場所に戻り、神がそこに戻ってこられるようになり、初めて創世以来神と人間が望んできた天国がこの地に建設される事ができるという事を皆さんは理解すべきです。

しかし、今日の皆さんは自分達がこうした重要な存在である事に気づいていないようです。過去と現在と未来がつながり、皆さんは祝福の機関となると同時に災いの機関ともなり得る事を理解しなければなりません。

したがって、皆さんが祝福の機関となるためには、神と聖霊が人類を救うために苦労されてきたその仕事を代わりに引き受け、サタンを制圧できる勝者とならなければなりません。皆さんは現在、天国の構築過程にとどまっているので、あらゆる分野で神が信頼できる存在であるとなり、個人の天国を経て地上の天国まで構築するのに適していなければなりません。

皆さんがこの内容を理解していれば、皆さんは誠実に理論的な使命を果たす事ができなければなりません。また、皆さんはゲツセマネの園で国民を代表してサタンと戦っていたイエス様と同じように、世界が反対し、世界的な苦難が訪れてもそれを乗り越えられる、歴史において優れた忠臣、孝子の中の孝子、女性の中の女性にならなければなりません。

皆さんがこの様な価値を持つ存在となり、サタンを統制できる神の真の子供となって、神がサタンの前で皆さんを誇りに思え、サタンも天の前で皆さんを認める様な姿にならないかぎり、天国の基準はこの地に立てられる事はありません。

父様がこの様な姿が現れる事を望まれると言うならば、イエスと聖霊が神の名誉と威厳を立て直すために苦しみながら父を呼ばれたように、皆さんも神と断てない祝福の関係から抜け出し、神の名誉と威厳を立て直すために苦しみながら神の代理を果たす事ができなければなりません。

もしその様な人物が世界中で他のどの民族よりも多く現れるなら、不信心なユダヤ民族を捨て、イエスの12弟子を中心に第2のイスラエルを形成したように、神は韓国民族を中心にして第3のイスラエルを創り上げ、地上天国の実現に成功するでしょう。

さらに、この民族がキリストの心情を受け継ぎ、神の心情を受け継いで神の意志を世界の人々に伝えるために誠心を尽くし、神の意志を達成する責任を果たすと、この民族は天国の祝福を受ける事になります。

今日まで人類は見える物質だけを追求してきたため、20世紀には物質文明が形成されました。しかし、見える物質の世界だけを研究し、その価値だけを追求する事は、人間の本来の欲望ではありませんでした。

物質の世界を超越した見えない世界と無形の神が存在するという事実を教えてくれるのが宗教です。したがって、この様な宗教のイデオロギーによって、見えない神の前に立ち去り、神の意志を求めていく一団があり、その様な民族、国家、人類があれば、彼らを中心にして20世紀の物質文明を超越した新しい神の世界、見えない世界が価値の中心となる新しい世界が築かれるでしょう。

物質の世界を追求していくと、物質の根本原因である力の世界を経て見えない世界に到達する事ができず、究極に至っては見える世界を支配する神の世界に到達する事になります。このようにして見える世界は見えない世界と相応する関係を結びながら存在しています。そのため、私達の民族が世界中のどの民族よりも熱心に祈り、誠心を尽くして見えない世界を代わりにして神の胸中に隠れている深刻な内面の心情を察し、イエスと聖霊の心情を感じるようになれば、どの民族よりも早く天上のすべての秘密を知り得るでしょう。

将来の人類の歴史は宗教的な立場を経る事なくはすまなくなっています。物質を追求している科学においても、単に平面的な問題、陸地と海などの物質の世界を研究する段階を離れ、今や立体性を持ち、物質の世界よりも前の根源的な本質の世界を研究する段階に入っています。

これから残されているのは何かと言えば、実質的な宗教の分離と闘争を経た後に迫る霊的な世界での戦いです。現代の物質世界で核融合によって最大の力が発見されたように、今後は霊的な世界でもその様な力が発見されるでしょう。

それは現在の自然科学の水準では知りえない力です。この力は超越的であり、超自然的な世界から発せられるものですが、その力がこの宇宙の秩序に影響を与える事ができるのは、必ずしも人間を中心において可能であるという事です。この様な作用がなければ、人間の希望も成就できず、理想的な天国も実現できません。

したがって、皆さんは皆さんを通して霊的な世界の包括的な思想を物質世界に表現しなければならず、宇宙のどの存在よりも価値のある自己である事を誇りに思い、さらには天的な力の実体とならなければなりません。皆さんがそうした人物になり、造物主を賛美できる環境を作り出すと、より大きな力が小さな力を引き寄せるように、皆さんのその天的な力の前にはサタンが従ってくるでしょう。

これまで私達の民族は、どの民族よりも熱心に宗教を信仰してきました。私達の民族がこのように世界的な最大の門を抜けていく過程には、さまざまな宗教の形態が生まれてきた事です。今後も多くの奇妙な形態の宗教が生まれるでしょう。これを私達が補完し、この地に主が来られる基準を築き、天敵の力とつなげる事ができなければなりません。

したがって、皆さんの心情を中心にした生活領域から始まり、天国を形成し、天的な天国まで形成しなければ、皆さんと神が望む造りの理想的な天国は皆さんを通じて成就されないばかりか、皆さんとこの民族を通じて世界人類の前にその様な天国思想を植え付ける事はできないという事を皆さんは心に留めておかなければなりません。

<祈祷>
お父様を通して心から動く無限の世界が恋しいです。この世界はすべて不信仰に沈んでおり、仇恨が結ばれた世界です。父よ、今日この時間まで私達を導いてくださった父の愛の前で自らの無面目さを感じていますので、許して下さい。貴方が託してくれた使命が大きい事を知っていますし、父の使命が大きい事を感じるほどに自分が低く、弱い事を知ります。父よ、大いなる力で導いて下さいと切に願います。

貴方がお託けくださった使命が大きい事を知っており、父のご分担も大きい事を感じるほどに、私達自身が卑しい事、弱い事を知るようになりました。父よ、大いなる権能で導いてくださる事を切に願い、望みます。

今、私達がサタンの権限を取り除く事ができる民、天国で求められる天の子供として許しを請いたい。父の心情を通して、イエス様の心情を感じ、サタンの侵略を打ち破ったイエス様の天敵に対する勝利の光景を私達も追い求めるために、父の恩寵を許して下さい。

それによって、貴方が望まれる創造本来の理想に向かって、一つの勝利に導かれ、同時に宇宙の前で立派に立つ事ができ、父の前でも尊く立つ事ができる貴方の子供達になれるように許して下さい。

父様は私達の父であるからこそ、今や全人類が貴方を父として迎え入れる事ができるように、サタンと戦い勝利する事で、天倫の意志を全宇宙の前に示せるように、父様の力を私達の心と魂に注いで下さい。父よ、切に願い、望みます。

今日ここに集まった私達全員を、貴方が真にお預かりいただき、お導きいただく事を心からお願い致しまして、全ての言葉、主のお名前によって祈りました。アーメン。






文鮮明先生の言葉集 2 - 17. 
故郷エデンを求めて私たちが歩む道 (1957年6月9日)
1957年6月9日(日)、前本部教会
聖書拝読:ペテロの手紙Ⅰ 4:7-19


<祈祷>
愛するお父様!
エデンの楽園を失ったアダムの悲しみが、私達の悲しみであり、天の怒りであることを知っております。また、エデンの楽園の理想を楽しむべき人間の先祖がその理想を楽しむことができなかったことが、天の怒りであることも知っております。


お父様!
堕落の逆境に立つ私達の責任は重いため、私たちを再び明確な立場に置いて、再創造の手を広げてくださらない限り、私たちと同じく哀れな者はいないと知っております。愛のお父様!慈悲の手を伸ばしてください!


私たちの心と体をこの時、あなたに捧げたいと願っておりますので、受けてください。そして、父の性相に従って形作り、あなたの御心を受け入れられるように私達を許可してください。


お父様! 孤独な息子娘たちが四方からあなたの名を呼んでいることを、私たちは知っており、彼らに共にしてください。人間の力だけでは何も成し遂げられないことを私達は知っており、お父様、この日に集まった私達の心と体を導いてください。

彼らが躓かないようにするべく、進むべき道で迷子にならないように許可してください。戦いの場で敗北する者にならないように許可してください。永遠にあなたの栄光を歌い、あなたの愛を誇りに思える息子娘達になるように許可してください。

環境が厳しいとしても、その環境を克服できるように許可してください。戦いの場で倒れることがあっても、私達を呼ぶ父の声を聞いて立ち上がることができる息子娘になるように許可してください。愛する私の父よ、切望しており、願っております。

お父様、この日、民族を代表して集まった多くの祭壇に祝福を与えてください。アベルの祭壇をこの地に備え、私たちが集まることができるように許可してください。そして、聖所に入り、父の前で不和だった先祖たちの罪を負い、贖うアベルの祭壇の子どもたちに導いてください、愛するお父様、切望しております。

お父様、この時間、地方に散らばっている孤独な祭壇の子どもたちが礼拝の時間を持っていることを知っております。この一時間でも、あなたが共にしてくださり、孤独な祭壇に属していても勝利の盾を持ってしっかりと戦い勝てる天の戦士へと導いてください。


一元的な恩寵と一元的な歴史を示してください。そして、終わりに呼ばれた者たちが忠誠を果たせるように導いてください。普段から真実な生活を送る息子娘になるように許可してください、お父様。切望し、望みます。


この場に集まった家族を一つに結びつけ、あなたが授ける言葉に従って従順でき、あなたに礼拝できる息子娘になるように許可してください。悔い改めて、神聖な生けるいけにえとして父にささげることができるこの時を許可してください、愛する父よ。切望し、望みます。


一週間を過ごす中でサタンから傷ついた息子娘がいるでしょうか? お父様、この時、彼らの心と体を導いてください。新しい天の喜びと栄光を許可してください。また、自分達が父の前で喜びの祭壇を築いて栄光をたたえることができるこの時を許可してください、愛するお父様、切望し、望みます。

今、集まりましたので、私達が持っていた性格や意識、概念をすべてあなたの前に差し出し、サタンの中傷的な条件から解放されるこの時を許可してください。お父様! 何百万ものサタンが中傷しているので、一つの命でも彼らの中傷的な条件にかからないように保護してください。

ただし、誠実な心と体をもって、生けるいけにえとして差し出します。お父様、お導きいただき、すべての家族に行き渡り、栄光を示してください。切望しつつ、すべての言葉で主の名によって祈ります。アーメン。




<御言葉>


本文の中で、「ただし、あなたがたがキリストの苦難に共感することによって喜びなさい。これは、彼の栄光が現れる時に、あなたがたが喜び、喜んで喜ばしむためである。」ペテロの手紙Ⅰ 4:13)という言葉を中心に、「本来のエデンを求めていく私たち」というタイトルで語ります。


皆さんは、創造の原初の楽園であるエデンの園について、聖書を通じて多くのことを知っていることでしょう。また、堕落する前にアダムとイブがエデンの園で神と交わり、協議しながら生活していたことも理解されているでしょう。しかし、アダムとイブの堕落により、神がアダムを通じて実現させたエデンの園の希望も完全に実現されなかったことも理解されているでしょう。

そのため、私たちが今探し求めるべき本来のエデンの園は、堕落とは無縁の世界であり、同時に神が創造以来求めている希望の世界です。

人を通じてエデンの園で理想的な栄光を見ることを望んでいた神が、人を失うことでその希望のエデンの園も失ってしまいました。そのため、神にとってもその園は今日まで希望の園として残っているのです。

また、堕落の血統を受けた私たち人間も、生涯を通じて、歴史を通じて、永遠の希望としてこの園を求め出ています。しかし、もし私たち人間がこの園を見つけられなければ、人間が享受すべき真実な幸福、人間が求める真実な生命、人間が持つべき真実な愛、人間が持つべき真実な理念とは何の関係も持てないことを皆さんは良く理解されています。

では、神が私たちの存在を立て、苦労と労働の目的は何でしょうか? それは皆さんを中心にエデンの園を再び形成することです。皆さんはこれを感じなければなりません。神はあなただけが楽しむエデンの園だけでなく、皆さんを通じて楽しむことのできるエデンの園を望まれ、長い間、約6千年にわたってサタンと戦ってこられたことを理解されるべきです。

私達は堕落によってこのような希望の土地を失ってしまったため、私達はその希望の土地を描きながら再び探しに行く運命の道に立たされています。そして、その運命の道は進むべきでも進むべきでない、天倫的な道であり、人倫的な道でもあるのです。


皆さんは、自分が生活する中で表れる全てが自分の個体だけを通じて関係することを望んでいますが、それが現れる全てが自分自身だけに留まるのではなく、全体と繋がらなければなりません。そして、これが再び人倫的な法則や天倫的な法則とも繋がり、創造主の思想とも繋がることができるよう努力しなければなりません。


今日、私達は歴史と宇宙を代わりにし、父に無限の幸福と栄光を返す責任を負っていると同時に、無限の命と愛を持ち、父に栄光を返す責任もあります。もしこのような責任を知らないでいれば、皆さんは望む本来のエデンの土地とは何の関係もなくなり、また神とも何の関係も持つことができなくなることを理解するべきです。


それでは、その本来の土地、創造の理想として人を通じて表れるべきその本来の土地はどのような土地だったでしょうか?  その土地は神が楽しむことができ、同時に人間が楽しむことができ、すべての被造物が一緒に楽しむことができる土地でした。したがって、その土地は幸福の土地でした。

今日の人々が求めているものは何でしょうか? それは幸福です。では、その幸福は私達人間に何を保証できるでしょうか?  その幸福は永遠の喜びを保証できると同時に、永遠の感謝を保証できなければなりません。

また、本来のエデンの土地はどのような土地でしたか?  その土地は生命の土地でした。そして、ある特定の時間枠内に滞在するだけの生命の土地でなく、永遠を中心に表れる生命の土地でした。

こうしてその生命の楽園がこの地に実現されていたなら、人々は生命を持つ存在として神の生命の賜物に対する感謝と永遠の喜びを持っていたことでしょう。その次に、本来のエデンの楽園は人間がすべての生命の主として生命の光を示せる世界でした。つまり、その世界では各々の生命が神の前で永遠の希望の実体として現れつつ、無限の価値ある存在として光を放つことができたのです。

そして、本来のその楽園は愛の楽園であり、同時に平和の世界であり、神の愛を中心に互いに和合し、すべてが一つになる統一の世界でした。

したがって、私達はこのような本来の楽園を築き、私達の幸福、生命、そして愛を通して神に栄光を返さなければなりません。その栄光は私たちの誠実さと努力を通じて、6千年にわたる歴史と運命の中で、どの個人よりも優れた美の実体として現れたときにのみ、神によって歓喜の中で迎え入れられる栄光なのです。したがって、私達すべての人間が神にそのような栄光を返すためには、このような美の実体として現れなければならないということです。では、その美はどのような美でしょうか?

それは笑顔と歌と踊りで示せる美であり、神に栄光を返すことのできる永遠の価値としての美なのです。本来のエデンの楽園はまさにこのような美の世界でした。

こうして私達が求める本来の楽園は幸福の楽園であり、神に讃美と感謝を返さなければならない世界なのです。そして、その世界は生命を中心にした希望の世界であり、生命と愛を中心にした平和の価値と統一の価値が具現化された世界なのです。

そして、それらの人間のすべての価値が結びついて美として表れる世界であり、すべての存在が歌と笑顔と踊りによって神の生命と永遠の愛を讃える世界です。さらに進んで、人間が動くままに全ての創造物が共に動き、静まり、調和する世界です。神はこのような創造の本来の世界を人を通して実現しようとされたのです。

これは神の理想的な世界が、人間の先祖の堕落によって阻まれ、砕け散ってしまったことです。それでは堕落の枷を振り払えずにいる私達は今日どんな世界に置かれているのでしょうか?  幸福な世界ではなく、不幸な世界に置かれ、喜びの世界ではなく悲しみの世界に置かれ、感謝して生きる世界ではなく、恨みを抱いて生きる世界に置かれています。これに気づくべきです。そして、あなたがそのような不幸な世界を乗り越えなければ、幸福は二度と訪れないでしょう。

では、どのようにしてあなたが不幸な自分であることを知ることができるでしょうか?  それはあなたの心を通して知ることができます。あなたの心の中に取り除けない悲痛な心がありませんか? これがまさにサタンが私達の先祖であるという証拠です。また、あなたは他人を嫌い、恨む気持ちがありませんか? これは本来のエデンの楽園に向かって進むことを妨げ、サタンが私たちの心に鉄格子をかけたものと同じです。

そして今日の人々が生きている世界はどんな世界でしょうか? 生命のない死の世界であり、絶望と暗黒の世界です。本来、人間は生命の価値を讃えながら生きるべき立場にあり、生命を中心にして永遠の神の理想と調和できるはずでしたが、今日の人々は神の理想の前に立つ希望が断たれたまま、絶望の中で生きています。

人間が絶望の中に置かれると神も絶望の中にいることになり、地上で人間がサタンに捕らわれると天上にもサタンが支配する暗黒の世界が残ることになります。ですから、主に従い、天性の理念を求めるあなた方なら、悪の世界に現れる要素、つまり神の理想の本質と配置される要素をあなた方の存在から戦って識別しなければなりません。これを識別しないでおくと、あなた方は本来の楽園とは何の関係もないことになります。

そしてこの地は堕落した地であり、不幸な地であり、サタンの地であり、希望のない地であり、アバの永遠の理想を歌うことのできない地であり、生命の光のない地であるということです。

あなた方の中で計り知れない絶望のどん底に囚われた者がいますか? あなた方の中でそのような人がいるなら、彼は理想の世界とは何の関係もない人です。また、暗黒の中で前後左右上下を識別せず、無秩序な混迷の中で中心を忘れ、天倫の法度を蹂躙する位置に立っている人がいますか?  このような人もまた、天性の理念の土地とは何の関係も結べないものです。

そして、神の愛に満ちた理想の土地とは対照的な存在であるこの世界は、実際には分裂と紛争が絶えず続く世界です。言い換えれば、平和の理念が実現された真理の世界ではなく、サタンが優越し、天倫を破壊する世界であり、嫉妬と妬みによって争いと分裂が絶え間なく起こっているということです。天性、すなわち本来の理想の土地を求めるあなた達の心に嫉妬と妬みがありますか? また、争いと分裂の心がありますか? もしそれらが残っているなら、本来の理想の土地を見つけることはできません。

その後、この地はどのような世界でしょうか? 神の栄光が現れていない世界であり、絶望と嘆きのため息、苦しみと悲しみの涙で満ちた世界です。もともと人々は神の永遠の理想の土地で神の栄光を称賛し、共に喜びながら生活するべきでしたが、そのできない状態となっています。

今日のサタンの世界が理想の土地とは対照的な形で形成されていることを念頭に置いて、あなた達は本来の理想の土地に向かって天敵的な幸福と結びつき、さらには天敵的な生命と愛と栄光、結びつきを築かなければなりません。そうでなければ、本来の土地が現れたとしても、それはあなたたちとは何の関係もないことを覚えておかなければなりません。これらの両方の世界、つまりサタンの世界と創造本来の世界との架け橋となるために、この地に来られた方は誰でしょうか? それはまさにイエス・キリストでした。

それでは、イエス様はこの地に来て何のために戦われたのでしょうか? イエス様は天国的な幸福、理念、愛、生命、栄光を実現するために戦ったというよりも、これを妨げている悪の要素と戦われ、またその戦いにおいて先駆者として責任を持ち苦労されたことをあなたたちは知るべきです。

さらに、あなた達はイエス様が自らの幸福を願う前に、サタンの支配を攻撃し、そしてその世界に縛られている不幸な人々を神の支配の世界に導くために一人で立ち向かい、天敵的な責任を持って戦われたことを知るべきです。

したがって、イエス様は不幸や悲しみ、恨みに苦しむ人々に対して訪れ、より高い神の幸福の心を持たせ、その幸福の心を持っていれば、より大きな不幸にも耐えられる条件を整えてくださったのです。このような条件が天国の幸福の要素として残ることができたので、あなたたちはイエス様を通じて、不幸を克服して幸福の条件を整え、さらに永遠の神の支配の中で生命、愛、栄光の条件も整えることができるのです。

したがって、今日この地上に住む多くの人々は不幸や悲劇、恨みに苦しんでいるのは、何故でしょうか? それは自分の個人的な利益のためだけに生き、その結果が生まれたものです。国や国家、または世界のために生きるのではなく、自分自身だけのために生きようとすることがサタンの世界の本質です。つまり、サタンの世界の本質は自分を中心に置き、すべてを自己中心的に結びつけることです。そのため、堕落した人間たちは不幸な立場に陥るたびに、自分を中心に据えて悲しみ、他人を責め、生きているのです。

しかし、イエス様は不幸な状況に直面した際に、自分が不幸だとは考えず、神の心を代わりにし、この世界を憂いながらその不幸な立場を克服されました。もしイエス様が恨みを持っていたとすれば、それはこの邪悪な世界に対する恨みであったということです。したがって、人間の恨みとイエス様の恨みは本質的に異なる方向を持っていたことを理解する必要があります。

したがって、悲しみと恨みの世界を経て、不幸の扉を開き、本来の幸福の理想郷を探し求める私達が最初に行うべきことは、イエス様と神聖なものを求めることです。つまり、イエス様は自分が悲しんだり、神の意志を代わりにしたり、さらにはサタンの世界を恨むことなく不幸な立場にあったため、あなたがたが本当にイエス様の状況を理解しているなら、すべての神の意志を代わりにし、イエス様のすべての望みを代わりに受け入れられるようにならなければなりません。それができるとき、あなた達は永遠の本来の幸福の天国に入ることができるでしょう。

イエス様は死に直面した世界を救い、神の希望をこの地上に実現するために、「もしできるなら、この杯をわたしかから取り去ってください。しかし、わたしの思い通りでなく、御心どおりになさってください」と熱心に祈りました(マタイ26:39)。また、「わたしの神、わたしの神、なぜわたしを見捨てられましたか?」(マタイ27:46)と嘆かれました。

彼が人間の世界で誰よりも神の大きな祝福を受けると思っていたにもかかわらず、彼は拒絶され、30年以上の生涯の最後には絶望的な状況で十字架を背負わなければなりませんでした。しかし、イエス様はそのような絶望的な状況の中でも、それが彼個人の一身の結果ではなく、全世界の人類を代表する立場から受ける試練と苦しみと考え、それらを克服しました。

さらに、イエス様は神が自分自身で絶望するのではないかと心配しました。そして、イエス様は嫉妬や嫉妬などの悪の要素を抑制し、つまり、天の本質である愛に対抗するサタンのすべての要素を抑制するために、無限の犠牲の贄となり、敵のために祈りました。

もう一度言いますと、イエス様は自身の心の奥深くに、人々が計り知れないほどのサタンへの憎しみと、地上の敵を裁く願望があったかもしれませんが、それらを赦し、憎しみや裁きの心を踏み越えて昇りましたということです。

イエス様は十字架の死を覚悟しながら、罪深い状態にあえぐ人々の苦しみと悲しみを解放するため、十字架の苦しみや人々のあざけりを乗り越えることができ、全人類に対するサタンの中傷の条件を防ぐことができました。

また、イエス様はサタンの世界のどの誰よりも憐れみの心で全てに打ち勝ち、天国への心と宇宙への心が極めて高かったため、神はあなたの悲しみを代わりに負ってくれたイエス様をよみがえらせたことを理解すべきです。

これからも私達はイエス様の後を追い、十字架の苦悩を超えて神の本質的なエデンの園に向かって進むために、自らの不幸な状況はもちろん、世界的な不幸にも責任を持ちながら進まなければならないということです。

ですから、皆さんは自分を犠牲にして難しい道や不幸な状況に直面しても、その場で悲しみやサタンの誘惑に囚われた者になってはいけません。

皆さんがたとえ不幸な立場にいたとしても、喜びと楽しさ、感謝の心を持っているべきです。そして、その感謝と喜びの心が一時的で個別的であってはならず、永続的で全体的なものでなければなりません。言い換えれば、永遠に世界的に感謝し、喜ぶことのできる環境を築くために、犠牲的な態度を持たなければなりません。皆さんが神の幸福の園を全体的なものとして築くためには、この事実を心に留めておく必要があります。

もしもこの地上に父の気持ちを慰め、父に笑顔と楽しみと喜びを返す存在が現れたなら、父は喜ばれるでしょう。ですから、皆さんは絶望とため息の中でも、天敵に打ち勝つことや天敵に対する希望や全人類の光の価値を示すことができなければなりません。嫉妬や争い、分裂が激しいこの地上で、神の愛を中心に平和と統一の使者とならなければなりません。

そして、怨みと嘆きとため息と誹謗と涙に苦しんでいるこの地上で、万物を代わりにして神の栄光を賛美するために笑顔と喜びで歌詠(頌詠)できる皆さんがなければなりません。このような人になれない場合、皆さんはサタンの世界から抜け出せなくなることを知らなければなりません。

ここに出席している皆さんの心の中に、まだ新しいエデンのイデオロギーとは対照的な邪悪なサタンの性格を持っている人はいませんか?私たちが父の前に現れるときは喜びの姿で現れなければなりません。歴史上誰もが喜ぶことのなかった最高の喜びを持ち、感謝の姿で現れることを神は望んでおられるのです。

今、皆さんが希望を持つために、また生命と愛と栄光を成し遂げ、その価値を示すために、サタン側の人々が決して追いつけない歴史的に最高の位置に立つときがきました。ですから、皆さんは十字架を背負っても最高の十字架を背負わなければなりません。

そして最悪の不幸な状況でも、天国の栄光を歌うことができる能力を持つ覚悟を経なければ、サタンもそれを嘲笑うことができなくなります。むしろサタンの前に立ち、サタンの権威と地上のすべての邪悪な要素を嘲笑えるようにならなければ、神の愛に触れている人だと言えるでしょう。パウロが「キリスト・イエスの内にある神の愛から、だれがわたしを引き裂こうか。」と言ったように、地上のすべての邪悪な要素を嘲笑うことができなければなりません。

また、苦難の過去、現在、未来を代わりにし、全宇宙を代わりにして、本来の人間の姿として本来の幸福、愛、栄光を歌うことができ、"神よ、私のためにあなたの6千年の悲しみを忘れてください。"と言うことのできる存在がこの地上に現れなければなりません。そのような存在が現れない限り、キリストの十字架の怨みはこの地上で永遠に解決されないでしょうし、キリストがこの地において悲しまれたその全ての気持ちを解消できません。

それでは、これからは本来のエデンを探して進む皆さんは、どのように生きるべきでしょうか? イエス様を手本にすべきです。イエス様を手本にして、宇宙的で天的な幸福の要素を見つけ、神の前に栄光を実質的に示すと同時に、皆さんが滞在する場所ごとに神の幸福、愛、生命、栄光を紹介できる真の人間にならなければなりません。多くの人々に感謝を返すよう教育できる皆さんにならなければなりません。

これらすべては何によって現れるのでしょうか?それは言葉によって現れます。堕落も言葉を信じない結果として現れ、生命の復活も言葉を通して現れます。したがって、天性(天城)、つまり本来のエデンの園を求めていく皆さんは、初めに神から授かった言葉を守り、その言葉で天的な幸福を紹介でき、天的な愛と生命と栄光を紹介できる人にならなければなりません。

今日、皆さんが地上で生きている中で、言葉一つ誤ることで不幸な人をより不幸にし、悲しみに直面している人をより悲しませ、憎しみに沈んでいる人をより憎ませたことが多かったでしょう。また、絶望に沈んでいる人をより絶望に追い込み、混乱に陥っている人をより混乱に陥れたことが多かったでしょう。この世界のどの誰もがこれらのカイン的な遊びをすることが多いですが、これらはすべてサタンが行っている証拠です。

したがって、皆さんはこのような世界を刺激し、その反対方向に進むことができなければなりません。さらに、このような世界を正すためには真の生活を送る必要があります。どの人を扱ってもその人が良くなることを望み、その人が天的な幸福を持ち楽しむとき、自分も一緒に楽しむことができる心を持たなければなりません。そして、父の前で感謝しながら新しい希望を持つことができる心を持つだけでなく、光の栄光を見つめることができる心と平和の心を起こすことができる心を持たなければなりません。そしてさらに進んで、すべてが一つになるように、そのような心を生活を通して示さなければなりません。

もし皆さんがこれらすべてを生活を通じて、生涯を通じて示さなければ、あの国に行って神の栄光を歌うことはできません。したがって、皆さんが天国に行って神の栄光を歌うためには、最初に地上にいるとき、神の御心を伝え、実践しなければなりません。

そして皆さんは神に代わって地上にいる人々を愛さなければならず、死の権威の中で引き寄せられている人々を神の生命権威で引き上げなければなりませんし、キリストを代わって真理を宣言しなければなりません。そして神の希望の御心を達成するために協力する者たちとならなければなりません。そうでなければあの国に行って神の栄光を歌うこともできず、天性の遺産を永遠の遺産として継承することもできません。

したがって、皆さんは神の本来の園を紹介する生活、天的な生命と愛と栄光を歌う生活をしなければならず、さらにはすべての人々にそのように生きさせなければなりません。つまり、創造主である神を代わって皆さんが再創造の歴史を行わなければなりません。

また、皆さんは地上で生涯を捧げ、神に忠誠を尽くし、平和な世界だけでなく邪悪な世界でも愛することができる人になり、本来の理想を歌うことができなければなりません。その時、皆さんは神の創造理想を具現化する真の子女となり、永遠の神の愛と栄光の中で神と共に永遠に共にすることができるでしょう。これを皆さんは確実に知っておかなければなりません。


<祈祷>

愛のお父様!
私たちの心の畑にあなたの幸福が蒔かれるように許してください! あなたの生命が蒔かれるように許してください、そして、あなたの愛が蒔かれるように許してください、そして、あなたの栄光が蒔かれるように許してください!

お父様の幸福と生命と愛と栄光が私たちの永遠の心の基盤となって地上の不幸なすべてを踏み越えて上昇するように許し、暗闇の世界を踏み越えて上昇するように許し、分裂と闘争が激しいこの世界を踏み越えて上昇するように許してください。


ためいきや陰口や涙を踏み越えて昇ることのできる息子娘になり、幸福を多くの人々に移せる人々にならなければなりません。不足している私たちを導いてください。

お父様、今日私の一日がお父様の前で真の子女として立たなければならないことを知り、悪の立場から幸福を楽しむか、私を中心にして幸福を楽しむことはしてはならないことを知ります。また、キリストがこの地に来て生活したのも自分を中心とした生活ではなかったことを知ります。

ですから、お父様、自分が幸福になる前に兄弟姉妹が先に幸福になれるようにしてください。自分が喜ぶ前に兄弟姉妹が先に喜べるようにしてください。

自分を超えて天宙的な生涯の道を歩むことができる心を持たせ、キリストの生涯の道を見習って真の兄弟姉妹同士が善でだけに対処し、お互いに愛することができるように許してください。そして、神の幸福と生命と愛と栄光を得られるように許してください。真の兄弟姉妹の結びつきを中心にして引き裂かれない唯一の中心を築いてください。愛する父よ、切に願います。

実際に他の人を愛する人がいれば、本来の園はその人を通じて永遠の価値を示すでしょう。今日ここに出席した子供たちよ、どうかどうか、お父様の愛の権威の中でお父様が望まれた天国の子女になり、恥じることなくお父様の栄光を歌うことができるように導いてください。

お父様の前で、私たちは個別の価値を示し、感謝と栄光で礼拝できるように許してください。そして、どうか永遠の勝利の子供たちになることを許してください。私たちはこれを熱望し、私たちの全てをお任せします。この時間を主導してくださり、感謝いたします。
あなたの御名によって祈ります。アーメン。



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