文鮮明先生 御言葉選集 3-21 神の選民である選ばれたイスラエルになろう 1958年2月9日(日)
1958年2月9日(日)、前本部教会。
聖書拝読 : 創世記 32:1-28、使徒行伝 1:6-11
1958年2月9日(日)、前本部教会。
聖書拝読 : 創世記 32:1-28、使徒行伝 1:6-11
<祈祷>
この時間、この場所に伏しているこの息子娘たちが、自分の心が暗闇にあるのか、自分の体が暗闇にあるのか、自ら調べることができるように許してくださり、自分を中心とする心や疑う心を持たないように導いてください。
ただ私たちを探しに来られたお父様の心情と、私たちの哀れな体を抱こうとする内なるお父様の心を慰めることができる真の息子娘となれるように許してください。
私たちが悲しみを感じるならば、6000年の歴史の悲しみを感じさせてください。私たちが苦しみを受けなければならないならば、6000年の苦しみを代わりにさせてください。お父様! 私たちがこの地上に住む間、あなたを裏切ることがないように許し、私たちの体がサタンの鎖に縛られて悲しみの条件を作ることがないように許してください、愛するお父様、切に願い求めます。
今、あなたの息子娘たちが集まりました。そして、ここの主人はあなたです。この時間、彼らの心が勝手な心にならないように許し、彼らの体が勝手な体にならないように許してください。ただ父を頼り、お父様の憐れみの心に満たされ、お父様の愛の懐に抱かれることができるこの時間を許してください、切に願い求めます。
今、朗読された言葉を通してヤコブが私たちの信仰の標準となることを知りました。一つの意志のために生涯を捧げて努力してきたヤコブの信仰心を私たちが見習うことができるようにし、その心情を体感できるように許してください。私たちの足跡、私たちの心がお父様の意志を代行し、お父様の道を守ってお父様に栄光を捧げることができるように許してください、愛するお父様、切に願い求めます。
お父様が命じた言葉に従うことでお父様の力を現すことができるようにし、不足な私たちをお父様の前にさらけ出します。どうか目のような光で見守ってください。足りないところがあっても、お父様、許してください、切に願い求めます。
暗闇の中に捕らえられているこの民族の中には、行く道を知らず、命の道を知らずにさまよう息子娘たちが多くいることを知っています。どうか彼らを導いてください。最後に許される恵みを許し、命の言葉を民族の前に証しすることができる私たちを許してください、愛するお父様、切に願い求めます。
そして、哀れなこの民族を通して世界のすべての人々がお父様の前にひざまずくことができるようにし、サタンをこの地上で頭を下げさせ、サタンに対して勝利した感動と喜びで満たされるように許してください、お父様、切に願い求めます。
ただお父様が主観してくださり、お父様の貴い言葉であらゆる罪悪を清算し、命の道を見つけるこの時間を許してください。そして、心と体を完全にお父様が直接主観してくださるように切に願いながら、主の名によってお祈り致しました。アーメン。
<説教>
皆さんとしばらく考えてみようと思う説教のタイトルは「神の選民である選ばれたイスラエルになろう」です。「神の選民である選ばれたイスラエルになろう」というタイトルでしばらくお話しします。
創世記にはヤコブが厳しい努力の道を歩んだ後にも天を代わって試みを受けた内容が記録されています。
ヤコブはその試みの過程で自分がイサクから祝福を受けた選民であることを心に抱いており、その意志を阻もうとする天使と最後まで戦いました。それで勝利し、神が許された選民の権利に入ったことを私たちは知っています。ヤコブが神の意志を中心にあらゆる逆境と戦って勝利したことから神が許したのがイスラエルという名前です。今日私たちはイスラエルという言葉を多く使っています。
しかし、これは単なる名前に留まるものではありません。この言葉は歴史的な命を代弁する名前であり、天と地を復帰するために、アダムからヤコブまでの2000年の歴史を終結させることができる勝利の名前であることを忘れてはなりません。また、神がヤコブを立ててイスラエルという祝福を与えたとき、神に喜びがあっただけでなく、反対に悲しみもあったという事実を私たちは悟らなければなりません。
ヤコブを苦しめた神の意志
神がヤコブを探し出し数千年の間努力し摂理したのはヤコブの祖先であるアダムが堕落したからです。アダムが堕落したことで神が与えた祝福を失いました。その祝福を取り戻すためには言い難い悲しみがありました。ヤコブにイスラエルという名前を祝福する神にはこのような悲しみの心があったことを知るべきです。
神がイスラエルという祝福の言葉を与えたのは、ヤコブの一代にだけ許された言葉ではなく、創造の理念と理想を代弁する言葉であり、神の全体の心情がこの一言に込められていることを知るべきです。
それゆえにラバンの家で数十年間苦労して疲れ果てたヤコブ、神が許したカナンの地を築くために困難な生涯を歩んだヤコブはイサクの手を上げて祝福した天の意志を実践する中で財産を含む自分が持っているすべてを失いながらエドムの地のエサウを訪ねました。
しかし訪ねた故郷は自分の一代に幸福をもたらす故郷ではなく、喜びの場ではありませんでした。慣れ親しんだ故郷と兄を訪ねながらも心配しなければならない状況に置かれていました。これはヤコブ一人だけが経験した状況ではなく、すべての人類が歩まなければならない道であることを忘れてはなりません。
故郷に向かうその前にはヨルダン川が横たわっておりヤボク川が横たわっていて、許された祝福の地を前にして一晩中眠れず涙を流して祈らなければならなかった状況は、先祖が残した状況であり、天倫の摂理を運営するお父様の状況であったことを、ヤコブは誰よりも痛感していたことを知るべきです。
このような状況はヤコブの一代だけが経験したものではありません。選民イスラエル民族が歩んできた歴史の道のりでも、神の意志に従って現れたすべての先知先烈たちは、すべてこのような心情を抱いてお父様の懐に帰るために暗闇の壁を前にして戦いの峠を越えなければならない状況に置かれていたことを心に留めておくべきです。
ヤコブがハランで家族を築き成功を収めたが、次に越えなければならない峠、すなわちヤボク川での天使との戦いがありました。これをヤコブの子孫たちは知りませんでした。つまりヤコブの子孫たちはエジプトに入って400年間、ファラオの手の中で民族的な試練を経験しなければならなかったのです。
この時、モーセが現れ、イスラエル民族を再び集め、昔ヤコブから約束されたカナンの地を回復しなければならない責任を負いました。
ヤコブの一代で築かれた勝利の基盤と同じような民族的勝利の基盤を、イスラエル民族はエジプトで築かなければなりませんでした。つまり、イスラエル民族はエジプトで疲れ果てた状態で、ヤコブがヤボク川で天使と戦い勝利した基盤を敵の国で築かなければならなかったにもかかわらず、これを築くことができませんでした。言い換えれば、イスラエル民族は団結して民族的な天の試練を通過しなければならない立場にあったことを忘れていたのです。
このような立場にあった民族を再び集めるために、天はモーセを立て、民族を代表してファラオの宮殿で40年間準備させ、ミディアンでの40年間の牧羊生活の道を歩ませたのです。選民イスラエルの祖先であるヤコブがかつてヤボク川で成し遂げたその祝福を、エジプトにいるイスラエル民族が成し遂げていなかったため、これらを再び集めるためにモーセはヤコブのような民族的な道を歩むために荒野に向かうことになりました。
ヤコブがエサウの祝福を代わりに受けてハランの荒野に向かったのと同じように、モーセもイスラエル民族を代表して神から再び祝福を立てなければならない責任を負いました。このようなモーセは同胞が団結せずに争うのを見て憤り、また民族が異邦人の前で不当な扱いを受けるのを見て、その異邦民族に対抗して命を賭けて戦いました。
このようなモーセの後を追ってエジプト民族に対抗して戦わなければならないイスラエル民族が、むしろモーセを追い出す立場に立ちました。これはちょうどヤコブが神の祝福を受けて故郷を離れたのと同じ立場でした。また、ヤコブが祝福を受けるべき家庭を離れ、サタンの家庭に行ったのと同じように、モーセも祝福を受けるべきイスラエル民族をエジプトに残し、ミディアンの荒野生活40年の道を歩むことになりました。このようにモーセが荒野に向かった事実は、モーセ自身にのみ該当する問題ではありませんでした。
ではなぜモーセはこのような道を歩まなければならなかったのでしょうか。それはヤコブが神の心情を代行して築いた勝利の基盤が失われたからです。そしてこの基盤を民族的に再び築かなければならない責任を、誰よりも痛感したのがモーセでした。敵の手で苦役を経験しているイスラエル民族のために、誰よりも切に祈ったモーセ、1日1時間でも苦役の道を歩んでいるイスラエル民族を忘れたことのないモーセの心情を、皆さんは骨身に染みて感じるべきです。
牧羊者として荒野で孤独な生活を送る自分の事情が悲惨であっても、自分の悲惨さを忘れ、エジプトの地で敵に苦しめられながら苦労しているイスラエル民族を見て同情の涙を流したモーセであったことを皆さんは知るべきです。このようなモーセの孤独な事情と心情が天に通じ、モーセが天のために心配し、選民のために代表的な姿で現れたため、神はモーセを再び呼び、ファラオの宮殿に派遣したのです。
これはちょうどヤコブがエサウを恐れて21年間ラバンの家で苦労し、その後すべての財産を持ってエサウのいる場所に向かう道と同じです。このようにモーセもヤコブと同じ困難な道を歩んだことを皆さんは知るべきです。こうして3つの奇跡を示し、言葉を代行するアロンとミリアムを立て、天が命じたファラオの宮殿に向かうことになりました。
しかし、ここで何が起こったのでしょうか。モーセの道は神が後援する立場ではなく、寝ているモーセを殺そうとする事態が発生しました。これもまたヤコブが歩んだ道と同じです。ヤコブがヤボク川で天使と格闘しているとき、腰の骨が折れるのも気づかずに戦ったその事情を通らなければならないモーセの立場だったため、モーセもまた神の前で同じ立場に立たされました。モーセはこの試練を無事に越えた後、選ばれたイスラエル民族に再び会い、神と民族を代行して民族的なイスラエルの祭壇を築くことができたのです。
モーセに対するイスラエル民族の責任
さて、ここで私たちが知っておくべきことは何でしょうか。私たちの祖先であるヤコブとモーセだけがこのような道を歩まなければならず、このような責任を負ったのかと言えば、そうではありません。ヤコブだけがこの責任を果たすのではなく、ヤコブの家族全員もヤコブ以上に切実な心情を持って天の前に訴え、責任を果たさなければならない立場にあったのです。しかし、ヤコブに従っていたその家族はこの事実を知りませんでした。これが天の悲しみだったのです。実際にはヤコブよりも家族がもっと切実に感じるべきでした。
イスラエル民族を探しに出たモーセ、神がミディアンの荒野で天地は変わってもあなたの約束は変わらないと仰せられた言葉を信じて進んだモーセは、固い覚悟と決意を持ってイスラエル民族の前に再び現れました。このような立場にあったモーセには神の試練だけでなく、ヤコブがエサウから受けた反対と同じファラオの宮殿の反対がありました。皆さんが原理を学んでよく知っているように、ヤコブが十回騙されたことを蕩減する10の災いをエジプトに下してファラオを屈服させることで、イスラエル民族は二度目の民族的な祭壇を築いたのです。
では、神に悲しみがあったとしたら、それは何だったのでしょうか。それは敵による悲しみではありません。また、神に悲しみがあったとしたら、それは敵が悪かったからではなく、神の苦労の道を追っていたイスラエル民族の祭壇が崩れたことが神の悲しみであり、人類の悲しみであることを知るべきです。
60万の民を率いてカナンの地に入らなければならなかったモーセには、また別の試練が立ちはだかっていました。それが紅海の道と荒野の道です。これは何を意味するのでしょうか。それは、モーセが個人的に歩んでいた試練の荒野の道を、民族としても経験しなければならないことを意味します。このような運命にイスラエル民族を追いやったことを皆さんは知るべきです。
荒野でイスラエル民族はモーセが手を挙げれば自分たちも手を挙げ、モーセが座れば自分たちも座り、モーセが行けば自分たちも行かなければなりませんでした。つまり、60万の民が全員第2のモーセとなって、モーセと神を代行しなければならなかったのですが、彼らはそれを忘れていたのです。言い換えれば、神がファラオの宮殿から彼らを引き出したときには感謝し、自分たちを愛する神だと認識し、固い約束が残っているのでカナンの地まで導いてくれると思っていたイスラエル民族だったのです。
では、なぜこの民族は荒野で倒れてしまったのでしょうか。それは、40年間の荒野での放浪生活と牧羊者の生活を送りながらも、神が愛する選民のために節操心を持って戦い続けていたモーセの心を持たなかったからです。イスラエル民族がその心を少しでも持っていたならば、荒野で倒れることはなかったでしょう。
民族を代表して民族的なイスラエルの祝福を築こうとする神の願いは、民族を代表するモーセとその民族が一つになることでした。しかし、二つに分かれたために民族を代表するモーセも崩れ、民族を導くモーセが崩れるとイスラエル民族も崩れたのです。これを皆さんは知るべきです。
それでは、荒野に出て空腹を覚えたときにうずらを与え、マナを降らせて食べさせた神が、なぜアマレク族を通してイスラエル民族を攻撃することを許されたのでしょうか?これは、人間が天倫の意志に反逆したために、人間が天倫の意志を追い求めようとするときに、神も反対の立場から試練を与える摂理的な条件が残っているため、アマレク族を通してイスラエル民族を攻撃せざるを得なかったのです。このような天の切ない心情があったことを皆さんは理解しなければなりません。
この試練に通過できなかったために、死ぬはずのなかったモーセが死に、死ぬはずのなかった民族も滅んでしまったことを知っておくべきです。このとき、モーセには民族の指導者としての責任があったため、モーセ自身の過ちはなかったものの、不信の民族を代表してシナイ山に上り、食べ物もなく、衣服も着ずに倒れそうになるイスラエルを見つけるために、40日間の贖罪の祭壇を築きました。
もしイスラエル民族に選民の資格があったならば、モーセがシナイ山に上り、切に祈っているときに、その山を囲んで60万人が眠らず、食べずに天に向かって「神よ、私たちの指導者モーセを下してくださいますように」と祈ったはずです。しかし、そのような人は一人もいませんでした。
モーセが飢え、祈らなければならなかったのは自分自身のためではなく、民族のためだったのに、民族はそれを夢にも思わなかったため、滅びるしかなかったのです。モーセはヤコブがヤボク川で祈ったのと同じような難しい局面に立たされましたが、モーセに代わってイスラエルの60万人を導く人がいなかったのです。もしそのような人が一人でも現れ、民族を導いていたならば、彼らは困難な立場に置かれることなく、安らかな場所にいたでしょう。しかしそうならなかったため、サタンが民族を弄ぶことになったのです。このような歴史の道を私たちの祖先が歩んできたのです。
試練と試練の意味
このようにして再びモーセに代わる指導者としてヨシュアとカレブを立て、2世たちを引き連れてカナンの地に入ることになりました。イスラエル民族はカナンの地に入ってからは聖殿の理念を実現し、聖殿と一体となるべきでした。しかし、この立場に立つことができなかったために、イスラエル民族は倒れてしまいました。このように、言葉を中心に一つになれない民族は、時が来る前に必ず神から見放されるのです。
アダムとエバが全被造物の主人公になることができなかったのですが、この被造物は言葉を中心に6期間を経て作られたため、万物復帰の民族的な峠を越え、世界的な峠を越えるときには、必ず6数の過程を経て神の言葉を立てるか立てないかの試験、つまり天使長がアダムを攻撃するということが起こるのです。
そのため、イエスが来る6世紀前にイスラエル民族は旧約の言葉を守るか守らないかの試験を受けました。つまり、天がイスラエル民族に使命を世界に広めるべき時が来たときに、民族が試練を受けるのです。これがイスラエル民族がバビロンに捕らえられた期間なのです。過去に神を裏切ったこの民族が再び言葉を裏切るか、裏切らないかの重要な岐路に立たされました。
天を裏切った民族だったため、天に代わってこの民族が新しい6数の出発点を越えるときには、サタンの攻撃と打撃を許さざるを得なかったのです。そこでバビロンにイスラエル民族を占領させる時があったのです。
そのとき、イスラエル民族はどうするべきだったのでしょうか?神が与えた言葉を握りしめ、モーセが荒野をさまよいながらも神を敬い民族を愛したその心情を持ち、敵国であるバビロンに行き、最後まで戦ってこの言葉を守らなければなりませんでした。そのような民族でなければならなかったのに、そうならなかったため、イスラエル民族は崩れ去ったのです。
旧約聖書を中心に二度目の民族的な言葉の基準を復帰しなければならなかった歴史的な道のりに立ったイスラエル民族が、神の選民としての節操を持っていたならば、たとえバビロンに捕らえられたとしても、モーセのような新しい指導者が現れ、彼らを導いたことでしょう。
しかし、6世紀が過ぎた後にどのような形が現れたでしょうか?使命があってヤコブがエサウの直系を無視し、モーセが選んだイスラエル民族を無視したのと同じように、イエスが地上に来られて使命があってエサウの立場にいたイスラエル民族がエサウ的な言葉である旧約を無視して進み出たとき、歓迎されるべきエサウの立場にいたイスラエル民族がイエスを歓迎しなかったため、世界的な死の権を形成したのです。
それでは、このイスラエル民族はどのような形でしょうか?エデンの園でアダムとエバを試した天使長の形に似ているのです。そして、今から500年前には新約聖書を攻撃することがありました。つまり、人本主義思想を中心とした文芸復興によって、今日のキリスト教を中心とした封建社会が根本的に崩壊したのです。
教皇庁の主権が崩れ、フランスの攻撃によってアヴィニョンの捕囚期間を経る運命にありましたが、これは何を意味するのでしょうか?復帰の道においてこのようなイスラエル民族を代わる第二イスラエル民族がイエスの時代に形成されるべきでしたが、第二イスラエル民族を代わる新しい使命を担ったキリスト教が使命を果たさなかったため、キリスト教を世界的に攻撃することになったのです。これを皆さんは原理を通してよく知っています。
そこで教皇は天の前に悔い改めるべきであり、神が立てた節操を持つべきであり、最後までこの意志を継承して今日に至るべきでした。それでは最後の時にどうするべきでしょうか?そのときに残された既成の言葉と既成の教団はエサウの立場にあり、イスラエル民族の立場に立っていることを彼らは知るべきです。
キリスト教信者に対する神の願い
それゆえに、神に願いがあるとしたら、その願いは何でしょうか?堕落によって失われたこの世界の人類を代わって見つけられた選民イスラエルを復帰することが神の願いであることを皆さんは知るべきです。イスラエル民族を復帰しようとする天の摂理の意志を皆さんが理解すべきです。
ヤコブを通して、モーセを通して築かれたイスラエル民族は、2000年前にどこへ行ったのでしょうか?彼らはイエスの前に敵となりました。イスラエル民族とユダヤ国家を世界復帰の足場として立て、この足場を中心に世界的なカナン復帰の電撃戦を展開しなければならなかったイエス・キリストの道のりでしたが、イエスが亡くなられたことで、イエス様はモーセと同じ状況に置かれました。それで今日までキリスト教は荒野時代にあるのです。主人を失ったイスラエル民族と同じく、荒野の道に留まっていることを皆さんは知るべきです。
それでは、イエス様はこの地に来られて選ばれた第2イスラエルを回復し、ユダヤ民族はイエスを中心に世界的なカナンの地を復帰しなければならなかったのですが、この責任を負ってイエスの前に立った選ばれたイスラエル民族はどこに行ったのでしょうか?また、ユダヤ教はどこに行ったのでしょうか?イスラエル民族が消え、ユダヤ教団が消え、イスラエルの家庭が消え、ヤコブやモーセのような個人的なイスラエルも消えたため、哀れなイエスが死んでいったのです。
イエスは死にたくて死んだのではありません。今日の既成の神学者たちは、イエスが死ななければならなかったと誤解しています。民族と教団の前に追い詰められ、家庭から追い出され、12弟子に裏切られ、最後には3弟子にまで裏切られ、行く先は死ぬ場所しかなかったのです。
イエスが30余年の生涯を哀れに過ごすことが、神がイエスを送った目的ではありませんでした。イエス様は天の皇太子であり、一人で創造の理念を代行できる天下の主人公として送られたのです。神が愛する独り子イエスが地上に来て苦難を受けたのは、イエスが間違ったからではありません。民族と教団が理解せず、社会と家庭が理解せず、イエスは苦難の道を歩んだのです。
このようにイエスを殺した歴史的な罪を犯した我々にとって、イエスが探し求めたイスラエルはどこにあるのでしょうか。心から訴えなければなりません。また、イエスが探し求めたイスラエルの教団はどこにあるのでしょうか。心から祈らなければなりません。イエス様が2000年前にこの地に来られてイスラエル民族と教団を探されたことを、皆さんは知るべきです。
イエスはこの地に来られ、選ばれた第一イスラエルが反対したために亡くなられました。そのため、イエスを信じるキリスト教徒たちを失った第一イスラエルに代わる第二イスラエルとして立て、世界に広め、再び再編成しておられるのです。今がまさにその時です。
そこで今日、世界中に広がってイエスを信じるキリスト教信者にはどのような使命があるのでしょうか。イエスを裏切って十字架にかけることで、最初に選ばれて立てられたイスラエルを失ったので、これに代わる第二イスラエルを建設しなければならない道が、今日のキリスト教信者に残されているのです。
今日、世界中に広がっているキリスト教信者は、どのような立場にあるのでしょうか。それは、イエスの12使徒のような人物を中心に、またはイエスの3弟子のような人物を中心にして一つの教派として団結しなければならない時なのです。しかし、そのような組織を失っているキリスト教は危機に瀕しています。モーセの前にいた60万人の民は、12部族の長と70人の長老を中心とした組織の中でそれぞれの位置が定められていたため、荒野の道を進むことができました。しかし、今日の第二イスラエルとしての使命を負った世界のキリスト教徒たちには、そのような組織がありません。
イエスの前に12使徒と3弟子が責任を果たさなかったため、イエスが亡くなったのです。したがって、世界中のキリスト教は、世界を代表する教派を中心に12教派の形を整えて結束しなければならない時期が迫っていることを知るべきです。
イエスは今、何をしているのでしょうか。イエス様は天の意志をこの地で成し遂げられなかったため、ヤコブやモーセが牧羊生活をしていたのと同じように、今もイエスはあの世で牧羊生活をしています。霊界に行って休むことなく、皆さんのために祈っているのです。これが牧羊生活です。
それと同時に何をしているのでしょうか。イエス様は今までの2000年の歴史の中でイエスを信じて進んできた人々、すなわちイスラエルとなるべき人々を集め、霊界で失われた第二イスラエルの形を作り上げたのが楽園です。イエスを殺そうとした第一イスラエルを失ったため、蕩減復帰の原則によってイエスの前に現れた聖徒たちを集め、イエスが復活した後に霊的に第一イスラエルを復帰した形が今日の楽園の世界です。
地上天国の主人公の資格
楽園の世界はどのようになっているのでしょうか。楽園の世界に行った霊人たちも、第一イスラエルの祝福を受けてイエスを迎える足場を地上に築かなければならない条件が残されているため、天上にいるすべての霊人たちは地上に再臨し、現在生きているクリスチャンを第二イスラエルの祝福を代行できる立場に立たせ、彼らと一体となって第一イスラエルがイエスを反対したことを蕩減復帰するために活動しなければならない運命にあるのです。これを皆さんは知るべきです。しかし、今日のキリスト教徒はこれを知りません。
今日の終わりの日はどのような時でしょうか。旧約の言葉を信じていたユダヤ民族が異邦人に攻撃されたのと同じように、新約の言葉を信じているキリスト教徒が攻撃される時があるのです。それで、人本主義思想を中心とした唯物論がキリスト教を攻撃しているのです。このように新約の言葉を信じるキリスト教が攻撃されている中で、言葉を守って進むことができる一つの教派が現れなければなりません。その教派は改革派でなければなりません。
モーセの時代において、幕屋を奉じていた時代が過ぎ、神殿を奉じる時代が来たときに、民族が結束して戦わなければならない試練が残されていたことをユダヤ民族は知りませんでした。そして、神殿を奉じていた時代から実体神殿を完成させる時代に移行するときにも、宇宙的な戦いが必要です。この戦いを防げなかったため、今日のこの戦いが世界的に広がったのです。
終わりの日においても同じように、皆さんは実体神殿を整えなければなりません。そして実体神殿を成した後には何をするべきでしょうか。地上天国を建設しなければなりません。
人間は堕落によって言葉を失いました。それで旧約・新約の言葉が出てきて人間を善の方向に導き、今や新しい言葉が出てきて、その言葉と一体となった人々を実体的に復帰させるのです。封建主義時代は神だけを中心とする時代でした。しかし、宗教改革が起こり、その宗教改革によって神だけを中心とするのではなく、人間と結びつくことのできる神として考えるようになりました。人間たちはこのような過程を経てきましたが、今や実体神殿を復帰する時代に入ったのです。
それではここで、皆さんはどうすべきでしょうか。新約を中心とするこの時代において、将来世界的な聖約の理念が現れるとき、皆さんが世界を抱くことのできる主人公となり、イエスに代わる存在となる必要があります。地上天国の主人公になるためには、実体神殿を成した後、環境的な主人公にならなければなりません。このような存在になるためには、理念的な革命の過程を経なければなりません。
それでは、その過程はどのような形になるでしょうか。歴史は蒔いた種を刈り取るように、今日の世界的な終末時代においても、既成概念に属する信仰者たちや既成主義の言葉を持つ者たちは、すべて天を裏切る立場に立っています。彼らは誰かというと、天使長のような立場にいる者たちです。エデンの園で天使長がアダムとエバを誘惑したのと同じように、終末のこの時代にも天使長のような霊的な教団が現れ、神の意志に対して反対する時が避けられなくなるのです。
神がこのような原則を通じて復帰摂理を進めることを感じるとき、終末にいる私たちはどうすれば選ばれたイスラエル民族になれるでしょうか。皆さんは決意しなければなりません。覚悟しなければなりません。皆さんはどのような人にならなければならないのでしょうか。皆さんはヤコブの後継者になるべきです。20年余りの生涯を経てヤボク川で信じて戦い続けたヤコブの代わりになるべきであり、荒野の道でイスラエル民族を支えながら祈り歩んだモーセ、あるいは世界人類を代表してイスラエルのためにゲッセマネの園で祈ったイエスに代わる人になるべきです。
終末にあるキリスト教徒の立場
それでは、今、世界中に広がっている第二イスラエルよ、あなたの行くべき場所はどこか?世界中に広がっているキリスト教徒は天に向かって訴えなければならない時が来ました。イスラエル民族が苦難の中でエジプトのファラオの宮廷を憎み、「誰が我々を約束の地カナンに導くのか」と指導者を求めてさまよったのと同じように、今日のキリスト教徒も自分の属すべき部族と位置を探さなければなりません。
そのために、既成教会は崩壊します。12の団列に分けることができるからです。どんなに取り締まっても、団列を編成して世界的な復帰の運命を超えなければならない立場にあるため、国家の運勢を動かすキリスト教であっても、社会や家庭、個人においてその威信を失う時が来るのです。
イスラエル民族がエジプトにいるときには団列の編成をしませんでしたが、荒野を出発する時になって初めて団列の編成をしました。同じように、世界的なキリスト教も世界的なカナン復帰のための再臨の理想が近づいてきたため、団列の編成を開始すべき時が来たのです。
もし過去にイエスが地上でペテロ、ヨハネ、ヤコブを中心とした12使徒を通して団列を編成し、信者がその部族に属するようにしてから帰天されたならば、今日の世界のキリスト教は混乱を起こさなかったでしょう。これを再び整える時が来ています。しかし、最も底辺で拒絶された一つの集まりを立てて証言する時が来るかもしれません。統一教会がそのような教会かもしれません。
それでは今日の韓国キリスト教において霊的な働きをする者、新しい教派が出てきました。それらの派が今、教会を分裂させています。団列を編成しなければならないので、このような働きが起こっているのです。ここで問題となるのは何でしょうか。既成主義的な観念です。これは神の前に敵です。既成主義的な観念、つまり自分はエサウのような長子だから神の祝福を受けるべきだという浅はかな思想を捨てなければなりません。少しでも間違うとエサウの観念に立ち、イエスを殺したユダヤの民になる危険があります。
これを乗り越えなければならない歴史の終末に来ていますが、この関門をどう乗り越えるかが課題です。この時、誰が敵でしょうか。エデンの園でアダムに最も近かった天使長が敵になったのと同じように、アダムを復帰するために第二のアダムとして来られたイエスの前では、霊界の天使長の形に該当した当時のユダヤ教の祭司長が最大の敵だったのです。彼らは天使長の形を第二に受け継ぎ、イエスを攻撃したため、地獄に行かなければなりません。
今日の終わりの日にも、同様に世界中に広がる教職者たちが再臨の主の前に天使長となって天を利用して天を打つこのような形が現れるでしょう。しかし、たとえそのような立場に立っても、環境に影響されることなく、歴史の運命は越えていきます。この道を誰が歩むでしょうか。このような祭壇の前に新しい言葉を語り、新しい終末を告げることのできる一つの預言者的な使命者が現れなければなりません。しかし、彼らは既成教団の前に拒絶され、新しい段階に進むことになります。
すると同時に、どのような時代が来るでしょうか。霊的な世界の攻撃の時代が来ます。天使長がヤボク川でヤコブを苦しめ、モーセやイエスを攻撃したのと同じように、世界的な終末時代においても、地上のすべての人々が反対し、同時に天も攻撃する時代が来ます。
サタンの訴えを免れる信仰
イエス様が運命を迎えたとき、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」(マタイ27:46)と言われたのは、万宇宙の復帰の主人公を代行して現れたイエスが、宇宙を代表してアダムが天を裏切ったことを蕩減しなければならなかったからです。このようなイエス様は、あなたを知らないと言われても「知っている」と言ったため、その「知っている」という条件が霊的な復活を引き起こすことができたのです。皆さん自身にもこのような歴史的な岐路が残っていることを知るべきです。
今日の世界的な終末の運命が皆さんの生活圏に浸透していることを感じるならば、それは皆さんにとってモーセと民族が結束しなければならなかった時期を予告しており、モーセがファラオと戦った時代を予告していることを知るべきです。
それでは神の悲しみはどこから生じたのでしょうか。その指導者たちが間違ったからではなく、後に従った人々が間違って神を悲しませたことを知るべきです。
今日、皆さんは他の人が知らない道、他の人が歩かない道を進む目的は何でしょうか?皆さんは力を合わせて団結し、神が運行できる一つの団列となり、食べる時も飢える時も個体を忘れても天倫の意志に従って苦しんだモーセの足跡を守る後継者にならなければなりません。ヤコブの足跡の後継者となり、イエスが歩んだ道の後継者として使命を果たすべきです。これが終末の聖徒たちが選ばれたイスラエルの地に入るための条件です。
天に代わるイエスはこの原則を知っていたため、「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」と言いました。つまり、サタンを屈服させるためには、神を中心とした死の場を越えなければなりません。天が人間を拒絶しても揺るがずに信仰を持ち続けなければ、サタンが退き、サタンのすべての訴えの条件を取り除くことができるのです。
それでは、天は失われた第一イスラエルの形を霊的に立て、世界中の信者を第二イスラエルとして立て、彼らを一つにして第三イスラエルの建設を進めるのです。
したがって、今日の皆さんはアブラハムのような第三イスラエルの祖先にならなければならず、ヤコブに代わる第三イスラエルの祖先となり、民族の代表者であったモーセのような第三イスラエルの代表者となり、世界の代表者であるイエスのような第三イスラエルの代表者となるべきです。そして、皆さん自身が神の復帰摂理の歴史を振り返り、かつてお父様なる神を訴えたサタンを踏み越えて神を慰めることができる個人、民族、国家、世界にならなければなりません。
サタンとは何でしょうか。神に反対する逆賊です。しかし、サタンも神を嫌っているわけではありません。だからこそ、神はサタンを無視することができないのです。サタンも神を好んでいます。この条件があるために6000年もの長い年月を経なければならなかったのです。サタンも神を好む立場から、「アダムを通して万物を支配すべきこの意志を私に託して宇宙を支配させてください。そうすれば神の前に絶対服従します。」と申し出るのです。
サタンは神に対抗し、神の前で承認を得るための働きをしているのです。摂理の意志に最後まで反対して承認を得ようとする立場に立っています。忠臣を装う奸臣も王を嫌うことはありません。しかし、忠臣を排除して自分の言葉を聞いてもらおうとします。
このような立場に立つサタンの権内に全世界があるため、これを認めれば世界は神の前に戻ることができるのです。しかし、それができないのは天理の法度を破ることができないからです。神は法度の神であり、秩序を乱すことはできません。だからこそ、あらゆる苦労をしながらも、世界を支配するサタンを承認せず、世界を支配するサタンの前に人を立て、サタンの訴えを防ぐことが神の切実な心情でした。
もしサタンの訴えを防ぐ人が現れれば、神に対して何も言うことはできません。天理の原則が回復されるため、エデンの園で天使長がアダムとエバに支配されるべきという原則を掲げる主人が現れれば、すべてのサタンは根本的に屈服しなければなりません。それもイエス様のように霊界で神の座に行くのではなく、地上でその日を迎えなければならないのです。その日を迎える時が再臨の時代です。
皆さんはもう反対するサタンの立場に立ってはいけません。6000年の間、苦労された神の足跡を追わなければなりません。今日の終末の皆さんは、神の無限の世界の最初の出発点であるアダムの時代から今日までの復帰過程で苦労された神の心情を体感し、神の後を追わなければなりません。このような運命に置かれているにもかかわらず、夢を見ていないのは大問題です。
サタンの試練に勝つ道
「神よ、私を通して栄光を受け、安息を得てください」と言える天国の選ばれたイスラエルが必要です。この使命を代行したのがヤコブであり、モーセであり、イエスです。神がサタンと戦った戦いを引き継ぎ、サタンに対抗して戦う姿となってこそ、ここから決定的なイスラエルの主権が天の前に立てられます。これにより、これまで神を訴えてきた戦争の目的が終わりを迎えます。どんな抗議も立てられないため、戦争は終わるのです。そのような人々を中心に第三イスラエル建設のための出発が始まります。
モーセの時代、エジプトの地にいたイスラエル民族には、自分たちの故郷であるカナンの地を攻撃する戦いが残っていました。イエスの時代には、イスラエル民族を中心に世界的なカナンの地を建設する戦いが残っていました。今日、第三イスラエルを建設すべき私たちには、団結して第三イスラエルを成し遂げるための激戦が残っています。
それでは、今日の皆さんはどのような人になるべきでしょうか。イスラエル民族を再編成する際、天に対して神の前に立つイスラエルの選民として、自ら3人組の一員となり、小隊長、中隊長、大隊長、連隊長、師団長になるべきです。このような天の精兵の指揮官になるのは誰かが問題です。これを行う時が必ず来ます。歴史的な終末にはすべてが一つの世界に統一されます。多くの人々が思想の統一を求め、地上世界が統一理念を求めているため、必ず天の理念を通じた統一の時が来ます。
これまでの歴史の過程ではどうだったでしょうか。二つが戦えば、その中で少しでも善なるものが勝ちました。これが原則です。地上世界が一つの理念圏内に入るとどうなるでしょうか。地上よりも少し善なるものが勝ちます。これが霊界の地上攻撃時代です。そのため、今日では原因不明の神経症が多く発生しています。薬では治りません。これは天地双和湯を飲まなければなりません。
天を和合させ、地を和合させるこの理念のために、霊界が地上を襲撃する時が来ました。地上人が地上で神の意志を代行する時なので、一つになるためには必ず戦いがあるでしょう。二つが戦った後に一つになるその世界が、天を中心として合一する審判の時です。このように霊界が地上を襲撃する場で、地上を代表する総指揮官としての使命を持って来る方が再臨主です。
第三イスラエル建設の道の出発に立つ皆さん、どうすべきでしょうか?霊界の法度を知ることで初めて解放されるのです。その命令系統がどのようになっているかを知る必要があります。その国の軍隊は自分たちの軍隊で使われている暗号を知らなければ、戦争の際に自軍から攻撃されることがあります。
今は天国の暗号が聞こえる時代です。今は暗号通信時代です。摂理的な暗号、歴史的な暗号、時代的な暗号、人間的な暗号、使命的な暗号の通信時代であり、これらの暗号を通じて連絡が取れ、作戦計画を実行でき、地上の統一理念を代行できる時代です。
今日、既成教会から反対される朴長老、私長老、統一教会、あるいは所謂異端派と呼ばれるもの、それで良いのです。現代は科学も宇宙時代を論じる時代です。人工太陽を作る時代です。このような時代に達しているのに、まだ古い宗教観念を持っていてはいけません。これを踏み越えて進む包括的な統一主義が現れなければなりません。
今日、暗号を通じて連絡が取れる短波装置があるのと同じように、神の秘密を通じて連絡が取れる短波装置を持っている者がいれば、その者は勝利するでしょう。だからこそ、霊界が地上を襲撃するときには戦争の方法が変わります。戦いは始まりますが、その限界はわかりません。このような形の戦いが地上で起こりますが、その時、良心を持つ人々はそこに動員されるでしょう。
今日、皆さんはこの終わりの日を迎えるために、良心的で善良な人々を犠牲にしてここまで歴史が進んできたことを知らなければなりません。私たちが堕落の運命に置かれている今日、最終的な一致の理念世界を探し求め、すべてを忘れて犠牲する覚悟を持つべきです。そして、イエスの肩に乗り、「神よ、私をお任せください」と自信を持って言える天の真の子供たちにならなければなりません。神もそのような子供たちが現れることを望んでおられます。
皆さんは、楽園世界にあるすべてを解放し、天国生活を紹介する使命がイエスや神にあるのではなく、今日の終わりの日にいる皆さんにあることを心に留めてください。イエスに代わりすべての作戦計画を担当し、神に代わって戦う代表者が現れ、責任を果たすことで、神とイエスを解放することができるのです。このような宇宙的な使命を前にして、皆さんは勝利のイスラエルの道を探し求めるべきです。
そのためには、まず自分が所属すべき団列を探し、自分の指導者を見つけなければなりません。また、自分が天の前にどのような位置にいるのかを知り、揺るぎないモーセ、アブラハム、ヤコブ、イエスの代わりになる存在となるべきです。そして、サタンに対しても、「あなたは万宇宙の創造理念を代行し、神に栄光を捧げる資格を持つ神の子供です」と称賛され、サタンから崇敬される存在となるべきです。そのようにして初めて、地上天国の園で世界的な聖殿理念を代行し、神の前に立つことができるのです。
しかし、それに至る前に皆さんは大きな戦いに直面します。各教派が皆さんを攻撃します。霊的な試練もあります。モーセを神が試されたように、皆さん自身にもその道があり、モーセが民族に裏切られたように、皆さんにもその道があります。イエスが十字架上で天に見捨てられたように、皆さんにもそのような試練があり、イエスが民族に裏切られたように、皆さんにもその道があることを知り、それに失望してはなりません。
神の意志というものは簡単なものではなく、極めて難しいものです。ですから、皆さんは世界的な苦難を背負い、極めて苛烈な反対を受けながらも、戦いの道で倒れてはならないのです。世界と天地が一つの一致点を見つけるまで、皆さんは戦い続けなければなりません。
この過程で、皆さんはイスラエル民族がエジプトを出て荒野に出て、食べ物がない、水がないと嘆いたように嘆いてはいけません。誰も認めてくれないと責めてはいけません。自分を理解してくれるモーセのような指導者を一人だけでも見つければ、それが一番だと思ってください。自分を理解してくれる神だけを頼りにし、自分を理解してくれるイエス様だけを頼りにし、それが一番だと信じ、すべての人から拒絶されても、その方だけを頼りに進めば、その方が成し遂げることを自分が引き継ぐことができるという心を持たなければなりません。そうして初めて、皆さんは第三イスラエルの選民としての資格を持ち、神の栄光に参加することができるのです。
そして、神の栄光の姿になると同時に、歴史的な栄光の姿、全宇宙の理念を代行できる栄光の姿となるのです。つまり、私たちが栄光の子供として世界を代表して天の前に現れることで、神が初めて安息できるのです。
ヤコブに天使が祝福したような祝福ではなく、神が直接イエスに手を挙げて祝福しようとしたその祝福を皆さんに授けるでしょう。つまり、終わりの日に見つけられた皆さんに、神は手を挙げて「イエスに代わる私の子供たち、永遠の第三イスラエルの主人公としての私の子供たち」として祝福し、永遠に天が喜ぶことのできる実体的な喜びと栄光と美の存在となるよう祝福するでしょう。
このようにして、イエスの愛を通じて神の愛の領域に入り、神の愛を成し遂げることで、第三イスラエルの先祖となることができるのです。
<祈祷>
天のお父様、霊界では第二イスラエルの名のもとに団列が編成されていますが、今日の世界に広がるキリスト教が第二イスラエルの団列を成し遂げていません。お父様、眠っている民族を目覚めさせ、眠っている世界のキリスト教徒を目覚めさせ、地上で第二イスラエルの祝福を代行できる団列を組織し、霊界と一つになり、今日第三イスラエルを世界的に建設できる選民権を私たちにお許しください。
そして、団列で組織された種族を通じて、民族を通じて、国家を通じて世界に至る天的な使命を私たちが引き継ぎ、モーセが戦った道を引き継がせてください。イエスが戦った道を引き継ぎ、サタンの非難と訴えを退け、お父様を迎えることができるようにし、お父様の栄光を私たちにお許しください。お父様、心から願い求めます。
今日伝えられた言葉を受けて、神が選ばれた選民イスラエルの苦難を乗り越える喜びの子供として私たちを立ててくださいますように、そして、彼らが世界カナン復帰の道を成し遂げることを許してください。今、サタンとの戦いの道で私たちが一つに結束し、勝利するように、そして、中心的なイエスの意志に反逆する者とならないようにしてください。中心を苦しめる者とならないようにしてください。
モーセを非難した民族でしたが、イスラエルの建設のために天が必要とされました。今、私たちが天を心配させることなく、第三イスラエルを成し遂げることができる子供たちとしてください。すべての言葉を主の御名によってお祈りいたします。アーメン。
<前ページ> <次ページ>