最近DSでGBAのファイナルファンタジーV
というRPGを久しぶりにやっている。
その中では主人公は4人いて、
いろいろな能力(ジョブ)を駆使しながら
戦って平和を取り戻すという筋なのだが、
脇役(と勝手に思っている)ジョブが侮れない。
なんだか、これは人生のようである。
その人単体では力を発揮できないが、
他人を補助することによって能力を発揮する。
単体では弱いのだが、他のメンバーの能力を
引き出し、また強化、回復する。
自分を振り返ると昔は単純で、自分の力で、自分が主人公となって、
という気持ちばかりが先立っていたように思う。
今は少し見方が変わっている。
目標を見据えて、自分の能力、周りの人の能力を見て
ここは自分が行うべき、ここは補助に回るべきなど、
周囲の状況に応じて役割を果たすようになってきた。
それは、仕事もプライベートも何か目的がある場合は
それを達成することが重要であり、自分が主人公となることではない。
歳とともに考え方も変わるものだと本当に思う。
体は精神の入れ物であるが、やはり相互に影響しあっているのだろう。
「補助する能力」というものは、実は「自己の実施能力」
よりも高次な能力なのかもしれない。
なぜなら、がむしゃらに実行することが必要なのではなく、
状況の把握、分析、方向付け、働きかけ、チェック、フィードバック
といった多くのものが必要とされるからだ。
というRPGを久しぶりにやっている。
その中では主人公は4人いて、
いろいろな能力(ジョブ)を駆使しながら
戦って平和を取り戻すという筋なのだが、
脇役(と勝手に思っている)ジョブが侮れない。
なんだか、これは人生のようである。
その人単体では力を発揮できないが、
他人を補助することによって能力を発揮する。
単体では弱いのだが、他のメンバーの能力を
引き出し、また強化、回復する。
自分を振り返ると昔は単純で、自分の力で、自分が主人公となって、
という気持ちばかりが先立っていたように思う。
今は少し見方が変わっている。
目標を見据えて、自分の能力、周りの人の能力を見て
ここは自分が行うべき、ここは補助に回るべきなど、
周囲の状況に応じて役割を果たすようになってきた。
それは、仕事もプライベートも何か目的がある場合は
それを達成することが重要であり、自分が主人公となることではない。
歳とともに考え方も変わるものだと本当に思う。
体は精神の入れ物であるが、やはり相互に影響しあっているのだろう。
「補助する能力」というものは、実は「自己の実施能力」
よりも高次な能力なのかもしれない。
なぜなら、がむしゃらに実行することが必要なのではなく、
状況の把握、分析、方向付け、働きかけ、チェック、フィードバック
といった多くのものが必要とされるからだ。