あれは、帰省の途中であっただろう。
機上の人であった。
着陸する飛行機は隣の県で高度を落とし、
雲の切れ間から下界が見えた。
見覚えのある形、緑、ビル。
そこに全てがあった。
自分の生まれ育った住宅街。
親父の勤めていた会社。
自分の通った小学校、中学校、高校。
繁華街とは呼べない街。
一番遠い友達の家。
好きだった娘の家。
自転車で行った海。
10秒も見えただろうか。
そこには全てがあった。
高校までの全てが。
小さい、小さい世界だった。
こんなちいさな飛行機の窓から、
全てが見えた。
両手ですくってしまえそうだ。
18年。そこで暮らしたのだ。
こんなちいさな窓から見える範囲で。
友もいた、ライバルもいた、いやなやつもいた。
先生も、初恋の人も、名も知らぬ人々も。
みんなそこに確かにいたのだ。
その小さな世界に。
今は、東京にいる。
もしはるか宇宙空間から地球を見ることができれば、
きっと僕は日本を探し、
「ああ、あそこにいたのだ、あんな小さな世界に」
と言うにちがいない。
視点を変えてしまえば、
ものの大小や、そのものの価値など関係なくなってしまう。
どれだけ思い入れがあるのか。
ただ、その一点だけなのだろう。
その人にとってどうなのか。
そのことだけが、きっと重要なのだ。
機上の人であった。
着陸する飛行機は隣の県で高度を落とし、
雲の切れ間から下界が見えた。
見覚えのある形、緑、ビル。
そこに全てがあった。
自分の生まれ育った住宅街。
親父の勤めていた会社。
自分の通った小学校、中学校、高校。
繁華街とは呼べない街。
一番遠い友達の家。
好きだった娘の家。
自転車で行った海。
10秒も見えただろうか。
そこには全てがあった。
高校までの全てが。
小さい、小さい世界だった。
こんなちいさな飛行機の窓から、
全てが見えた。
両手ですくってしまえそうだ。
18年。そこで暮らしたのだ。
こんなちいさな窓から見える範囲で。
友もいた、ライバルもいた、いやなやつもいた。
先生も、初恋の人も、名も知らぬ人々も。
みんなそこに確かにいたのだ。
その小さな世界に。
今は、東京にいる。
もしはるか宇宙空間から地球を見ることができれば、
きっと僕は日本を探し、
「ああ、あそこにいたのだ、あんな小さな世界に」
と言うにちがいない。
視点を変えてしまえば、
ものの大小や、そのものの価値など関係なくなってしまう。
どれだけ思い入れがあるのか。
ただ、その一点だけなのだろう。
その人にとってどうなのか。
そのことだけが、きっと重要なのだ。
生まれてこの方、一度も街を出た事の無い私は確実に「井の中の~」なのかも知れません。でも、あえてその世界を選んだのは私です。
その昔、本心から何でも言えた異性の友人が街を出ると言いました。正直な気持ち行って欲しくはなかったけれども。恋人でも何でもない私がソレを望んで彼の歩むべき道を縛るのはエゴ以外の何物でもないとも思い「おぅ、行っておいで」と背中を押し出しました。
そして、またいつか皆で集う為、疲れて帰ってくる友の為、私はこの街に居ます。
確実に狭い世界です。でも、限りなく広い世界でもあります。
何度もこの街を捨てて、新しい地へ行く事を夢見ました。いや、今もどこかで思ってるかも知れません。
でも。
嬉しそうに帰ってくる友人を向かえて思うのは「この街で待ってて良かった。」と「きっとどこの街へ行っても劇的に変わるものなんて自身が他人にでも変身しない限りないだろう」という、真実と。
土曜日の日、用事があり埠頭まで出向きちょっと鉄くさい潮風の香りを嗅いだ時。
痛烈に学生時代の絶望に似た切ない思いが蘇りました。
私の、私自身の器はきっとそんな程度でちっぽけな物でしょう。でも、それもまた「1つの世界」である事には変わりなく。
軽もF1カーも「車」で在る事には変わりないように大きさは違っても、同じ物であるように。
かけがえの無いちっぽけな世界で私は日々、涙を流し、欠けてる何かを探しながら絶望しつつも
この街でsilent_soulさんとはまた違った・・・でも、どこか共有できるような、境界線の曖昧な柔らかそうで頑固な世界を築いていますw
Hishikiさんの覚悟、というか
心意気みたいなものが伝わってきました・・・。
昔は大きなことはいいことだ!
みたいな事を考えてましたが、
最近は「客観じゃなくて主観」で良いかどうか。
ビッグではなくてジャストを目指そうと思ってます。
出る人もあればとどまる人もあり。
どちらでもいいのだと思います。
その人が幸せであれば。
「中央埠頭」の日記を読ませていただきました。
(というか毎日読んでますが・・・)
自分にも地元にお気に入りの場所があります。
きっと誰にもそういう場所はあるのでしょうね。
私は住んでいる場所はQ州なのですが、実家は埼玉なので場合によっては飛行機で帰郷します。
何回か飛行機で帰郷しましたが、一番印象に残っているのが、2年ぐらい前のお正月に飛行機で帰った時のことです。雪が降った次の日に飛行機で家に向かった時の事です。飛行機の中から見下ろした街は白黒の地図のようでした。その時、“あぁ、こんな白黒の地図の中でも沢山の人が生活していて泣いたり笑ったりしてるんだなぁ・・・”って思いました。
本当に空から見た地上は本当にちっぽけです。だけど、その下で沢山の人たちの数えきれない人生があるんだと思うと、少し愛しい気さえします。・・・・ちょっと臭かったdeathかね・・・ふっふふ。
私と逆ですね。私は実家がQ州。
高みからすべてを見渡せたとき、
なんだかやさしくなれるような気がしますね。
視点が高いだけなのに。
大きいとはこういう事なのだと、思います。
人格もそうかもしれません。
遥かなる高みから見れば・・・
どんな人へも思いやりの心をもてるのかもしれません。
クサスギデスネ・・・