老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

秋の明日香路へ その⑤  ~稲渕で見かけた花たち~

2019年09月26日 19時48分17秒 | 旅行/色々な風景
この時期の外歩きの楽しみは、何と言っても色々な秋の植物を見られることで、今回もお目当てのヒガンバナ以外にも、畔や道端に咲く色々な花を楽しませて貰いました。

今回の明日香で目にした野草などを紹介します。(まさ)


ススキ

ツルボ(ユリ科)

ツユクサ(ツユクサ科)

シュクシャ(ジンジャー ショウガ科)

同上 アップ

イタドリ(タデ科)

同上 アップ

シオンと稲

シオン

ドクゼリ(オオゼリ セリ科)

ブタナ。 名前に似合わず可愛らしい花です

ハッカ(シソ科)

オミナエシ(オミナエシ科)

ボタンクサギ(クマツヅラ科)

ミヤギノハギ(マメ科)

秋の明日香路へ その④  ~稲渕のカカシ・コンクール~

2019年09月25日 19時26分48秒 | 旅行/色々な風景
 稲渕の棚田では、毎年この時期に“カカシ・コンクール”が開催されていて、各地の福祉関係施設などからの作品が展示されています。

 今年も、沢山の面白いカガシを楽しみましたが、その中で目立ったものを紹介します。
(まさ)


コンコール会場で一際目を引く大きなカカシ

お馴染みのチコチャンで、足元には今年の干支のイノシシがいます

奈良県のユルキャラ「せんとくん」

奈良らしく千手観音?

のんびりと昼寝

ネコがサンマを焼いています

相撲

イノシシの親子

秋の明日香路へ その③  ~稲渕の棚田とヒガンバナ~

2019年09月24日 21時39分35秒 | 旅行/色々な風景
 飛鳥寺の後は、また「かめバス」で石舞台まで。
石舞台には2年前に立ち寄ったので今回はパスして、ここから30分ほど奥にある稲渕の棚田を目指しました。

 2年前に来た時にはヒガンバナが見事だったので、是非とももう一度見たいと思っていたので、言わば今回のツアーの主目的地でした。

 しかし、肝心の赤いヒガンバナはまだ所々にチョロチョロと開花している状態で少し期待外れでしたが、奥の方では黄色や白色のヒガンバナが咲いておりヤレヤレ。
地元の人の話によると、今年の暑さのために開花が遅れていて見頃は1週間程後とのことでしたが、畔のあちこちがイノシシに荒らされて、ヒガンバナの球根が掘り起こされているのを目にしましたし、これの影響もあるかも知れません。

 2年前に来たのは9月21日で、今年が9月20日と僅か1日の違いですが、花が目的の場合は毎年開花時期が微妙にずれるので、時期決定は非常に難しく、一種のバクチのように感じる事もあります。

 この地区では、他にも色々な花や、折から開催中のカカシ・コンクールなども楽しみましたが、見事な棚田と言い、やはり秋の明日香での推薦場所です。(まさ)


稲渕の見事な棚田。稲の色も付いてきました

同上

道中ではヒガンバナ(赤)所々に咲いています

肝心の棚田の中では、まだこのような状況です

2年前の同時期にはこのような風景でした

道端のヒガンバナ(赤)のアップ

ヒガンバナ(黄)と田

ヒガンバナ(黄) アップ

ヒガンバナ(白)

同上 アップ

秋の明日香路へ その②  ~飛鳥寺周辺で見かけた花など~

2019年09月23日 20時00分15秒 | 旅行/色々な風景
 飛鳥寺の参拝を終えた後、バスの待ち時間を利用して周辺をぶらつきました。
かっては飛鳥朝の中心であったこの地域の畔道や道端に咲く秋の野草、街道沿いの古い街並みなどを楽しんでいると、あっという間に時間が経過し、あわててバスに飛び乗りました。(まさ)


田んぼの畔に咲き始めたヒガンバナ

まだ殆どが蕾の状態です

イネもしっかり実が入ってきました

同上 アップ

ニラ(ユリ科)

アメリカミズキンバイ(アカバナ科)

オオケタデ(タデ科)

同上 アップ

ショウジョウソウ(トウダイクサ科) 道沿いの民家にて

水田では沢山のカエル。これを狙うヘビも目にしました

名前が判りません

旧街道に沿った民家

秋の明日香路へ その①  ~飛鳥寺~

2019年09月22日 20時28分38秒 | 旅行/色々な風景
 9月20日(金)に久しぶりに明日香路に出かけました。
今年は墓仕舞いにより兵庫県の山奥への墓参がなくなったので、この時期の代表的な花であるヒガンバナを見る機会が無くなったので、「どこか代わりに・・・」と考えていて、一昨年にこの時期に訪れて見事さを感じた奈良・明日香の稲渕地区を思い出し、ついでに(と言っては叱れそうですが・・・)まだ行ったことがない近くの飛鳥寺と橘寺もと考えた次第です。

 車を手放したので、電車とバス利用でのコースを考え、二人の都合(と言っても、病院通いの空いている日)や天気予報などを参考にして、この日に決めました。

 いつもより少し早起きし、天王寺に出て、近鉄で阿倍野橋駅⇒橿原神宮駅→飛鳥寺→石舞台(ここから稲渕まで徒歩で往復)→橘寺→近鉄飛鳥駅⇒阿倍野駅橋(→は「かめバス」利用)というコース設定でした。

 前日までの“絶好の行楽日和”との予報が、“夕方からは雨”に変っていましたが、何とかなるだろうと予定通り出発。

 阿倍野橋駅に着くと、ハイキング姿の同年輩のグループが5~6組あり、高齢者の元気さを改めて感じましたが、それとなく話を聞いていると、ほとんどが明日香のヒガンバナを目指されているようでしたが、何とか電車も座れ、予定通りに「かめバス」にも乗車できました。

 バスは満員状態でしたが、飛鳥寺近くのバス停で降りたのは私たち二人だけ。
次のバスまで1時間あったので、飛鳥寺をゆっくり拝観したり、近くで明日香の田園の様子や秋の花を楽しみました。


先ずは、初めて訪れた飛鳥寺<別名:安居院(あんごいん)>です。

◆この寺院は現在は真言宗豊山派の寺院ですが、歴史等は非常に長く、大まかに記すと
・588年に百済から仏舎利が献じられたことにより,蘇我馬子が寺院建立を発願し,596年に創建された日本最初の本格的な伽藍を備えた寺院で、“仏法興隆”の意味を込めて、法興寺・元興寺とも呼ばれました。

・645年から始まった大化の改新による蘇我氏宗家滅亡以後も飛鳥寺は尊崇され、天武天皇の時代には官が作った寺院(官寺)と同等に扱うようにとする勅が出され、文武天皇の時代には大官大寺・川原寺・薬師寺と並ぶ「四大寺」の一とされて官寺並みに朝廷の保護を受けるようになりました。

・都が平城京へ移るとともに、養老2年(718年)には飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となりましたが、馬子が飛鳥に建てた元の寺も存続し、本元興寺と称されました。
建久7年(1196年)に雷火で塔と金堂を焼失後、寺勢は衰えたが、蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の公称は「安居院」と呼ばれています。(国の史跡の指定名称は「飛鳥寺跡」でとなっています)

◆本尊の銅造釈迦如来坐像は、飛鳥大仏とも呼ばれて親しまれていますが、推古天皇13年(605年)に、造立を誓願し、鞍作鳥(止利)を造仏工として609年に完成したと言われています。
その後、幾多の火事に遭遇したりして損傷が激しく、後世の補修を受けていますが、1400年以上も前の飛鳥時代に造られた日本最古の大仏像であることは間違いないようです。

◆飛鳥寺の西門の少し先に五輪塔があります。
これは645年、大化の改新の時に中大兄皇子に暗殺された蘇我入鹿(創建者・蘇我馬子の孫)の首を供養しようと埋められ石塔が置かれたと言われています。

まずこの飛鳥寺の様子を写真で紹介しましょう。(まさ)


かめバスのバス停

見上げると綺麗な明日香の秋空でした

飛鳥寺東門

飛鳥寺略縁起

本堂

ご本尊 釈迦如来像(飛鳥大仏) 堂内の写真撮影OKでした

阿弥陀如来坐像

聖徳太子孝養像

中庭

思惟殿

鐘楼

西門 こちらには安居院の名もあります

西門の先にある五輪塔(蘇我入鹿の首塚)

何故か境内にはポストもありました