Neko★です。

★★AB型・みずがめ座★
 ★身内には内緒の家Neko★日記です★★

会津武家屋敷に寄る~☆

2018-08-23 | 国内旅行~☆

東山温泉に向かう時に見かけた会津武家屋敷←クリックでHP

≪HPクリックで、武家屋敷の四季が見れます~♪≫



朝一番ということもあり、ほぼ貸し切り状態でした。



案内も、鶴ヶ城の無料ボランティアとは違い、看板にもあるように

要所要所、スマホでQRコードを読み込むようになっていて、

音声ガイドしてくれます。



基本、建物には立入ることはできず、外から眺める?





西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で代々家老職を務め、1700石取りの家柄でした。
けやき、ひのき、杉材を用いた和洋建築の壮大な屋敷は敷地面積2400坪、
建築面積280坪に及び、38の部屋、畳の数は328枚となっています。







≪お米の精米所≫

白河藩で使用されていた水車を使った精米所で、移築復元されたものです。
現在も水の重みだけで実際にまわっています。
1日で16俵の米をつくことができた東北の精米所です。



戊辰(ぼしん)150年記念特別展

ザ・幕末!会津藩

この資料館の中だけは、写真撮影禁止でした。
※参考までに
会津藩は三代将軍家光の弟、保科正之(ほしなまさゆき)から始まります。
正之は四代将軍家綱の後見役(こうけんやく)として常に幕政の中枢にあり、
その後の約二百年に及ぶ日本の泰平の基礎を築きました。
正之はその生涯の殆どを江戸で過ごしましたが、国元の政治にも力を注ぎ、藩の制度と民政、
さらに独自の藩風を確立させました。
特に彼の制定した「家訓(かきん)十五箇条」はその後の藩政の指針して歴代藩主に受け継がれていきました。

そして幕末、ペリー来航に始まる日本の激動の時代において、
会津藩が選んだ苦難の道のりはこの家訓の精神を遵守したからに他なりませんでした。

 (中略)

 会津藩はあくまでも朝廷のため、徳川宗家のための立場を貫き、
混迷する京都の政局に「忠」と「義」と「誠」の精神で臨みました。
しかし時代の大きな流れには抗いきれず、
かの白虎隊の自刃に象徴される会津藩の散華は近代日本の礎となったといっても過言ではありません。

 本特別展では、黒船来航にともなう江戸湾警備から京都守護職の拝命、
鳥羽伏見の戦い、会津戦争、斗南移封までの藩の運命をかけた時代をふりかえり、
合わせて逆風の明治を力強く生き抜いた会津藩の人々を史料や写真とともに紹介します。

歴史は、あまり得意とはいえませんので・・・HPよりお借りしてきました。





ここにもありました、あいづっこ宣言

実は、入り口です。仮装して記念写真が撮れる?

夏休み特集とでもいうのか、弓道体験、絵付けコンテストetc....

全て、お盆休み?だったのか、準備中だったのか?

担当者はいませんでした。

最後にお土産売り場で、旦那さんと息子に地酒



自分には、『会津型 手ぬぐい』

月と桜季節外れですけど・・・



やってはならぬ やらねばならぬ

ならぬことは

ならぬものです

会津の旅は、途中下車~♪楽しんできましたおしまい

Thankyou



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする