まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

ニーチェ 超人思想…トリノの馬 エピソード2

2013年09月17日 | 日記
前回の「トリノの馬」の続き…

ニーチェはその著『ツァラトゥストラはかく語りき』で人間関係の軋轢だけにおびえている人間。
「キリスト教的弱者と言う表現を使ってはいる」
受動的に他者と同じ画一的な行動をする現代の一般大衆<キリスト教的弱者>を「畜群」と罵る。
恨みと言う負の感情によってのみ動かされて生きている人間。
その負こそが苦悩の源であり、その感情<ルサンチマン>を超越する事が出来る精神の強さ。
絶対原理というものを廃して、時代によって生まれる心理の中でその真理と戯れ遊ぶことのできる者。
それが超人である。と言うような事を述べていた。
嫌、まだまだ、様々、ツァ」ラトストラの口から哲学の概念がつづくのであるが…
超人について、わたくしはその様に解釈している。
あくまでも…てんしでも、脳天気な解釈である。

唯、読み手によってはニーチェの言葉は強烈で、脳髄がハンマーで殴られる感じがしたりもするし…。
ある種、言葉の電磁波に打たれて走り出したくなったりもする人もいるのかも知れない。

レオポルドとローブは共にニーチェの超人思想の信奉者で、逮捕される恐れを一切感じることなく完全犯罪を成し遂げる力があると信じていた。
共にシカゴ大学の学生で、共に裕福なユダヤ人の息子。
2人が計画を実行に移したのは1924年5月21日のこと。
ローブの隣人の遠縁にあたる16歳のボビー・フランクスをレンタカーに誘い込んだのである。
フランクスは二人に鑿で殴打された後衣類を口に詰められ、まもなく絶命した。
シカゴ郊外の線路の下にある排水路に死体を隠した後、身代金目的の誘拐だったように見せかけるため入念に工作した。
フランクス家は裕福なので、1万ドルも要求しておけば尤もらしく見えるだろうと計算したのである。

ニーチェにかぶれた若者二人が起こした、誘拐殺人事件として名高い。

ニーチェの遺稿といわれる、「力への意志」
これも、読み手の心理でいかようにでも解釈できる。
ナチスのプロパガンダに利用されている。
映画も同じで、見る側<受け手>に解釈をゆだねる部分が多い。

タル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」は別に哲学に精通していなくても、芸術に縁がなくても見る者を感動させる。
本物が持つ力を感じる。

この監督は「ニーチェの神髄」をその慧眼で見透かしている。

ニーチェの重んじた「真実への誠実さ」が映画の中で、生きているように思える。







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