普通の列車で、鮮魚?行商のおばあさんが乗っているのを見たことがありますが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140113-00000513-san-sociから
「鮮魚列車」知られざる全貌…ドアの開閉わずか1秒、大阪へひた走る
産経新聞 1月13日(月)12時30分配信
「鮮魚列車」が終点の大阪上本町駅に到着すると、行商人たちは台車に荷物を載せ、足早に各地へと散っていった。半世紀にわたって続く風景だ=大阪市天王寺区(松永渉平撮影)(写真:産経新聞)
都市伝説のような謎の列車の内部に潜入すると、そこには見たこともない「寝台車」があった。13人の乗客と新鮮な海の幸を乗せた鮮魚列車は、一路大阪へとひた走る。途中停車駅は特急並みに少なく、ドアの開閉時間もわずか1秒!鮮度のためなら停車時間も惜しむのか。と思いきや、どうも実態はそうでもないようで…。半世紀に及んだ鮮魚列車の知られざる全貌がついに明らかになった。(大竹直樹)
【フォト】鮮魚列車2680系。方向幕に「鮮魚」の二文字
■2両目は「寝台車」
女性行商人たちの笑い声が響く最後尾の3両目から真ん中の2両目に移ると、雰囲気は一転、車内は静まり帰っていた。ここはさしずめ「寝台車」だ。
発車直後から、2人の男性がロングシートの上で寝袋にくるまり、寝息を立てている。堂々とロングシートに横になれるのも、鮮魚列車だけの“特権”だ。
伊勢志摩魚行商組合連合会の浜田吉一会長によれば、鮮魚列車の運転が始まった昭和38年当時は荷物が天井まで積まれ、毎日100人以上が利用していた。シートや床にはスペースがなく、「新人はなかなか座らせてもらえず、網棚で寝ている人もいた」(浜田会長)。
車内では行商人同士で仕入れた魚を売買することもあり、床は海水でぬれ、シート下の金属部分はよく腐食していたという。
■これぞ正真正銘の網棚
網棚で寝られるのだろうか。網棚といっても、たいていの電車はパイプや金網の棚だから、横になるのはつらそうだが…。
気になって網棚を見上げると、はたして糸を編んだ網の棚ではないか。網棚、かくのごとしと感心した。
1両目には和式のトイレも備わっていた。トイレの前はここだけ、向かい合わせのクロスシート(ボックスシート)。浜口文子さん(56)が「前の鮮魚列車は怖いトイレだったのよ。東青山に長時間止まるから、停車中に駅で用を足したの」と教えてくれた。
現在の2680系は平成13年から鮮魚列車に使われた3代目。昔の鮮魚列車は、とにかく「怖いトイレ」だったらしい。
■道を譲ってまた譲り…
午前7時2分、東青山駅に着いた。ドアはいっこうに開かない。だが、いくら待っても動く気配はなく、不審に思っていると、浜口さんが解説してくれた。
「貸し切り列車だから、遠慮しながら走っているのよ」
昔は東青山駅に停車している間にラジオ体操をする行商人もいたという。なるほど、結構止まっている。
本線を勢いよく特急列車が通過していき、いよいよ出発かと思ったら、もう1本、特急列車が駆け抜けていった。そして今度は、快速急行列車。3本の列車に道を譲り、ようやく動き出したのは、13分後だった。
鮮魚列車は、宇治山田から大阪上本町まで途中、伊勢市、松阪、伊勢中川、榊原温泉口、伊賀神戸、桔梗(ききょう)が丘、名張、榛原(はいばら)、桜井、大和八木、大和高田、鶴橋の12駅に停車する。停車駅だけ見れば、特急並みだ。
しかし、鮮魚列車はこのほか、快速急行も停車しない東青山と河内国分の2駅で、客扱いを行わず、後発の優等列車に道を譲る「運転停車」があるのだ。
名張駅で運転士と車掌が交代し、さっきまでにぎやかだった3両目の女性たちも、いつしかロングシートの上で仮眠を取り始めた。
通過駅には通勤・通学客の姿も見える。朝の「ラッシュアワー」だ。しかし、朝日が差し込む車内はいたって静か。通勤・通学ラッシュとは無縁の世界だ。
■1秒で閉まる駅
午前8時9分、桜井駅に到着。ドアが開いたかと思うと、そのまま閉まった。
たぶん、ドアが完全に開いていた瞬間は1秒もなかったはずだ。乗降はまず不可能。何のためにドアを開けたのか。
関係者によれば、理由はこうだ。鮮魚列車の運転が始まった半世紀前は行商人の乗降があり、正式な「停車駅」だった。しかし、行商人の乗降がなくなって久しい駅もあり、こうした駅では、駅員が合図を送って車掌がドアをすぐ閉めてしまうのだという。
かつては間違えて鮮魚列車に乗り込もうとする「一般客」もいたという話だから、わずか1秒間のドア扱いは、「誤乗」を防ぐという効果もあるのだろう。
ならばなぜ、ドアを開けるのか。もう一度、「関係者」に聞いてみたところ、昔からのダイヤを今も踏襲しているため、たとえ利用客がいなくなっても、決められた駅には必ず停車しなければならないのだそうだ。鉄道とは律義な乗り物であることを痛感した。
■収益は考えていない!
午前8時半ごろ、大阪の街並みが車窓に広がり、行商人が申し合わせたように床を上げ始めた。車内がにわかに活気づく。
浜田とし子さん(56)は「この仕事には欠かせない列車。いつまでも残してほしい」としみじみと語る。だが、行商人の高齢化で利用客は年々減少している。浜口文子さんは「時代の流れだね」と寂しそうにつぶやいた。
鮮魚列車は「伊勢志摩魚行商組合連合会」の貸し切り。乗車には通常の定期運賃に加え、大きな荷物を車内に持ち込むための「手回り品料金」(270円)が必要だ。ただ、行商人の多くが「手回り品料金」の定期を利用しており、こちらは1カ月3250円。貸し切り列車にしては、料金設定は「お手頃」といえる。
一般の列車で鮮魚を運べば、魚特有の臭いなどもあり、ほかの乗客との棲み分けも必要になる-。鮮魚列車が運転されてきた背景にはこうした事情もあったが、利用者が減少している以上、鮮魚列車の“去就”も気になるところ。近鉄の収支は大丈夫なのか…。
近鉄は「鮮魚列車は、新鮮な魚を運ぶことに貢献し、地域活性にもなっている。鮮魚列車については、収益だけを考え走らせているわけではない」としている。
松阪駅から約2時間半。午前8時56分、鮮魚列車は大阪上本町駅に到着した。
行商人たちは素早く荷物をホームに下ろすと、台車に載せて各地の店舗へと散っていった。店先では常連客たちが、今か今かと新鮮な魚の到着を待っていた。