三波春夫さんの「こんにちは~こんにちは~、世界の国から~」の歌でスタートした1970年の大阪万国博覧会
シンボルであった岡本太郎作「太陽の塔」今も健在で内部も3/31日まで見学できるそうです。
1970年5月3日に太陽の塔の右目に侵入、約1週間籠城した男性がいました。
この人がこの世に存在しなければ、機械や電気、おもちゃ好きの私は育っていなかったかもしれません。
この男性の過去のお住まいは北海道旭川市春光町○区○条、私が3歳から6歳まで住んでいたところです。
その男性は当時中学生か高校生ぐらいだったと思うのですが近所では「変人家族」ぐらいに思われていて、近所つきあいもほとんど無く、同級生も訪ねてくることすら無かったそうです。
そのお兄ちゃんの部屋には友達はおろか親すら入らせなかったのですが、どういう訳か私には心を開いて部屋に招き入れてくれました。
その細長い部屋の両側に棚があり、棚の上には壊れたおもちゃを改造して作ったロボットやら空き缶を切り開いてハンダ付けで作ったポンポン船や、様々な物がありました。おそるおそる手を伸ばすと、「遊んでいいよ、壊れてもすぐ直るから」といって棚から出してくれました。そして遊び方や電池を使って電気の流れ方やハンダ付けの方法を教えてくれたりしました。いま考えると、あのお兄ちゃん学校に行ってなかったのかな?どうでも良いことですが、ふと思ってしまいました。
あの目玉男の正体がわかってからは、なぜか誇りに思うようになりました。
幼い頃の思い出の一つです。
シンボルであった岡本太郎作「太陽の塔」今も健在で内部も3/31日まで見学できるそうです。
1970年5月3日に太陽の塔の右目に侵入、約1週間籠城した男性がいました。
この人がこの世に存在しなければ、機械や電気、おもちゃ好きの私は育っていなかったかもしれません。
この男性の過去のお住まいは北海道旭川市春光町○区○条、私が3歳から6歳まで住んでいたところです。
その男性は当時中学生か高校生ぐらいだったと思うのですが近所では「変人家族」ぐらいに思われていて、近所つきあいもほとんど無く、同級生も訪ねてくることすら無かったそうです。
そのお兄ちゃんの部屋には友達はおろか親すら入らせなかったのですが、どういう訳か私には心を開いて部屋に招き入れてくれました。
その細長い部屋の両側に棚があり、棚の上には壊れたおもちゃを改造して作ったロボットやら空き缶を切り開いてハンダ付けで作ったポンポン船や、様々な物がありました。おそるおそる手を伸ばすと、「遊んでいいよ、壊れてもすぐ直るから」といって棚から出してくれました。そして遊び方や電池を使って電気の流れ方やハンダ付けの方法を教えてくれたりしました。いま考えると、あのお兄ちゃん学校に行ってなかったのかな?どうでも良いことですが、ふと思ってしまいました。
あの目玉男の正体がわかってからは、なぜか誇りに思うようになりました。
幼い頃の思い出の一つです。