JR東海の名物キャンペーン「そうだ京都行こう」が
コロナ禍でストップしていたがまた再開した。
その前に京都への旅の衝動が抑えられず、1泊2日で4月に続きまた6月に来てしまった。
今回は初日は京都の街を外してJR京都線の長岡京駅周辺の神社仏閣を訪ねて歩いた。
その京都線の車輌のスナップ。
1枚目はつり革手すりに注目。
高さが高めと低めの2種類あるのが新鮮。
なぜだろう?
2枚目はJR西日本の優先席のデザイン。
お年寄りの方、身体の不自由な方、妊婦の方、小さなお子様など
席を必要とされる方に席を譲るよう設定したわかりやすいデザインを採用している。
これはJR東日本のものよりアピール度が強く見える。
長岡京市は京都に都が移される前、約10年ほどの短い間、
桓武天皇により都が置かれていた。
主に西山の丘陵地帯からなる自然あふれる地域であり、
伝統農法によって育てられた京たけのこの産地としても有名だ。
今年市制50周年を迎えている。
この日は今年の春たまたまホテルから夕食した洋食屋さんへ乗ったヤサカタクシーの
ドライバーさんと京都検定の話を思い出して調べてもらい
想いのまま自由にめぐることができるフリー観光タクシープラン
6時間コースをお願いした。
彼が京都検定2級を取得し、京都情報に詳しいSドライバー。
このコロナ禍ですっかりフリープランのお客が減り、
ようやく最近、修学旅行の学生さんが増えてきたと言っていた。
彼とはここ長岡京駅で待ち合わせし、祇園のホテルチェックインまで
長岡京の神社仏閣を説明を受けながら大いに楽しい旅をした。
長岡京駅前にはセラミックコンデンサをはじめとする
電子部品分野では世界的に圧倒的なシェアを誇る「村田製作所」の本社がある。
京都には他にもビックリするような大企業の本社がある。
任天堂、ワコール、島津製作所、日本電産、オムロン、堀場製作所、
そして京セラなどである。
本当にすごい。
今回1泊お世話になったホテルの八坂通りには
名だたる料理店が並んでいたのでご紹介しましょう。
まずは和食好き人気店「建仁寺 祇園丸山」。
2022年ミシュランガイド二つ星。
遠回りしてでも訪れる価値のある素晴らしい日本料亭だ。
京都で最も予約が取れない店としてその名を轟かせている
ミシュラン三つ星の割烹「祇園 さ≻木」。
その魅力は店主・佐々木氏が繰り広げる軽妙洒脱なトークとゲストが揃ってから
スタートする独自性に富んだスタイルのコース料理にある。
この八坂通りには八坂本邸をはじめ南邸、西邸、セレスティンホテル店と
多くの店を構えている天ぷら京都祇園八坂「圓堂」がある。
創業明治18年、歴史と風情溢れる天ぷら店を130年以上掲げている。
最高級の素材を駆使した焼肉を炭火でいただく「京都祇園鹿六(かろく)」。
昭和2年建造の町家造りの元料亭で美しいお庭を眺めながらゆったりと極上の炭火焼肉を味わえる。
おでん御料理八坂通り「燕楽(えんらく)」。
呉服屋さんの大きな居宅を改造したお店でこだわりの出汁が染みたおでんを愉しむことができる。
京料理と和牛焼肉の融合「京やきにく懐石 弘」。
昭和初期当時の豪商によって建てられた邸宅を改造。
100坪ある日本庭園を一望しながら趣ある部屋でまったりとした時間を過ごせる。
なだらかな坂の八坂通り全体と東大路通りを東に見上げると京都のシンボル
八坂の塔(法観寺)が見える。
静かで落ち着いた通りに京都の名店料亭が並んだ通りだ。
東大路通りから霊山護国神社までの道の入口にある大鳥居。
この道は高台寺南門通りで、この坂を登ったところには幕末の歴史エリアで坂本龍馬の墓もある。
早朝散歩で安井金比羅宮の裏側の鳥居を出て祇園甲部の弥栄会館工事現場へ向かう途中に
京都ならではの出会いが待っていた。
それは崇徳天皇御廟。
こんな裏通りのところに天皇の御廟が。
これが京都だ。
崇徳院は第75代の崇徳天皇。
鳥羽天皇の第一皇子。
保安4年(1123年)5歳で立太子。
同日即位。
永治元年(1141年)23歳で皇弟、近衛天皇に譲位。
これは天皇の意志ではなく、やがてこれが保元の乱の源となり、
讃岐国に幽閉される事になり、ついに都の土を踏むことは出来なかった。
長寛2年(1164年)夏、46歳で崩御。
この地は御遺髪を請い受けて一塚を築き亡き上皇の霊をお慰めされた。
京都の街角には多くのポスターが貼れている。
このポスターは第29回京都五花街合同公演「都の賑い」。
6月25日(土)と6月26日(日)南座で行われた華やかなイベントだ。
宮川町は長唄、祇園東は清元、上七軒は常磐津、先斗町も常磐津、祇園甲部が清元。
そして舞妓の賑いとフィナーレが祇園小唄だ。
機会があったら一度見てみたいものだ。
このポスターは「京舞と狂言」。
7月23日(土)京都芸術大学内京都芸術劇場「春秋座」。
京都の地で伝承され、独自の文化を育んだいる「狂言」と「京舞」。
京舞井上流の井上安寿子は井上八千代の娘で次代の後継者。
狂言の茂山忠三郎は大蔵流狂言方として代々京都で活躍している茂山忠三郎家の5世。
京舞井上流の家元・井上八千代と葉子、安寿子の澪の会(みをのかい)
6月30日(木)八坂で長唄と能楽仕舞。
長唄囃子演奏会「よつば」
7月29日(金)京都府民ホールアルティ。
長唄、三味線、杵屋、囃子、藤舎。
これを見てもやはり京都は日本古典芸能のメッカという感じを強く持つ。
六道珍皇寺の前にある早朝(7:15頃)のハッピー六原商店街。
昭和の香りがプンプンして今からフーテンの寅さんが出てきそうな空気感がある。
最近メディアで度々紹介されたのでその存在を知った「あじき路地」。
花街宮川の町の隣りにある明治時代末期に建てられた京町屋で12軒が連なっている。
かつては祇園の芸者が生活していた。
老朽化が進んだこともあって長年空き屋であったが、
かつて彫金と七宝焼に没頭した経験を持つ大家の
「ものづくりなどに頑張っている若者に」との意向で
2004年から若い職人たちに貸し出され彼らの住宅・工房として利用されているが、
近年は観光客(スミダマンもそうです)も足を運ぶスポットとなっている。
「あじき」とは大家の女性の名前から取られたものであるという。
後日詳細をアップしますが大陶芸家「河井寛次郎記念館」のある清水寺界隈には
清水焼の工房が沢山あった。
清水焼六兵衛窯もそうで五条通りには清水五条陶板の散歩道という粋な通りがある。
「ねねの道」は高台寺の西側、東山の円山公園から清水寺方面へと抜ける
全体約250メートルの美しい石畳の道です。
豊臣秀吉の正室ねね(北政所)がこの地で余生を送ったことから「ねねの道」と名付けられた。
この道は1年を通じて観光客が絶えない京都東山随一の人気散策スポットです。
ねねの道沿いにある新選組を離脱した伊東甲子太郎によって組織された御陵衛士の屯所跡。
高台寺・月真院を屯所としたために御陵衛士は高台寺党とも呼ばれた。
大雲院、通称銅閣寺または銅閣。
寺内は通常非公開であるが数年おきに期間を限って公開され、
この際はこの祇園閣に登ることもできる。
この奇想建築「祇園閣」は織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建された
大雲院の中に大倉財閥創始者の大倉喜八郎が
「祇園祭の鉾を1年中見られるように」と昭和初期に建てられた。
設計は建築家・伊東忠太で国登録有形文化財となっている。