スミダマンのほのぼの奮戦記

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総本山 光明寺

2022-07-12 06:00:33 | 旅 ~京都

光明寺は西山浄土宗の総本山で山号は報国山、

本尊は法然上人像(張子の御影)。

法然が初めて「念仏」の教えを説いた歴史的地である。

また紅葉の名所としても広く知られていて、栗生光明寺とも呼ばれている。

総本山光明寺の全景図。

敷地は6.6ヘクタール。

建造物は33棟で、そのうち17棟が市指定文化財である。

入口のところには大きな立看板で

「令和6年4月19日から25日 厳修 立教開宗 850年記念法要」が行われると。

この総門は天保16年(1845年)再建のもの。

奈良へ学匠となるべき師を求めて比叡山延暦時を下ってきた24歳の法然が、

栗生野の星の村役だった高橋茂右衛門宅に一夜の宿を借りた際、

茂右衛門夫妻は法然の真剣な求法の気持ちと

広く大衆が救われる道を求めての旅であることを聞いて

「まことの教えを見いだされましたならば、

先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」と法然にお願いした。

そして承安5年(1175年)3月、ついに浄土宗を開いた法然は

20年前の約束を守ろうと、この地で初めて念仏の法門を説いた。

そんなことからこの地は「浄土門根元地」といわれている。

総門から続く広々としてしかもゆるやかな石段の「女人坂」は

高く伸びた木々が鮮やかに色づき、参拝者を出迎えてくれる。

ここは他のお寺にない理屈抜きの気持ちの良い気を感じる。

秋には「もみじ参道」の両側の木々がトンネルを作り、

足元はちりもみじの絨毯が敷かれ、まさにその名の通りもみじに囲まれた参道になる。

JR東海の「そうだ京都、行こう」キャンペーンでも紹介され、

京都屈指の紅葉の名所として知られている所だ。

令和6年(2024年)に「その時、門は開かれた」をキャッチコピーとし、立教開宗850年を迎える。

それにしてもどこまでも続く2段石段は美しさとは反面、

昇り切るのにかなりしんどかった。

長い長い石段を昇り切ると御影堂への参道が続く。

この光明寺の歴史はその後、法然を慕い帰衣した弟子の蓮生(なんとあの熊谷次郎直実)が

建久9年(1198年)に法然ゆかりの当地に念仏三昧堂を建立し、

法然から「念仏三昧院」の寺号を頂戴したのが光明寺の直接の始まりである。

建永2年(1207年)9月4日に熊谷で予告往生を遂げた蓮生の遺骨は遺言により当寺に安置されたという。

ちなみに熊谷次郎直実は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、

武蔵国熊谷郷(現・熊谷市)を本拠地とした。

初めは平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機に源頼朝に臣従し御家人となった。

源平の戦いでは一ノ谷の戦いに参陣し、源義経の奇襲部隊に所属。

ひよどり越を逆落としに下り3人組で平家の陣に一番乗りで突入。

平家物語によれば平家の若き公達と一騎打ちとなり、この公達の首を取った。

この公達は平清盛の甥・平敦盛と判明。

それ以後、直実には深く思うところがあり出家への思いがいっそう強くなった。

本堂の御影堂。

宝暦4年(1754年)再建。

本尊は法然上人像(張子の御影)である。

この法然上人像は肌身離さず持っていた母からの手紙を使い

自ら張り子の肖像を作成した御影といわれている。

法然上人像が着ている法服は大正天皇の后である貞明皇后から賜ったものである。

参道を歩いていると本堂の方から不思議な音が聞こえてきた。

二胡の音楽でとても心地の良い空間になった。

これは堂内で行われていた第10回光明寺音楽祭に

たまたま遭遇するという旅の醍醐味さのおかげだ。

堂内に入るとそこは普段滅多に体験できないコンサート会場に変身。

最初は高齢者のグループ「コーロ・ルッコラ」の混声合唱で、

青い山脈、銀座カンカン娘、ここに幸ありなど、なぜか心に染みた。

次のがまたすごい。

僧侶バンドで「ぎゃあてい」さん。

エレキギターとドラムもあり、法然、熊谷次郎直実の由緒あるお寺でロックコンサートだ。

曲は京都募情、東京ブルース。

これにはビックリと同時に新鮮で、これはアリだナと強く思った。

この梵鐘は1949年(昭和24年)に造られたもので「遺迎鐘」と呼ばれている。

また、この像は法然上人立教開宗の像で1982年(昭和57年)に造られた。

この石棺は大変重要なものでこの石棺から光明を発見したという伝説を持っている。

寛政11年(1799年)再建された阿弥陀堂で御影堂とは渡り廊下でつながっている。

本堂(御影堂)阿弥陀堂がある境内からかなり階段を降りたところに構えている庫裏。

光明寺の庫裏はロケーションといい、本当に立派で存在感がある。

万延元年に創建された勅使門。

四脚門で前後唐破風。

左右の築地塀は文化7年の建造物だ。

境内勅使門の近くで発見した西山浄土宗宗歌「念仏講」の歌碑。

5線符の右上の作曲家名を見るとなんと古関裕而氏だ。

古関氏は依頼を受けると基本断らず受けるとの話を聞いたが、

まさか光明寺の御詠までもと思ってしまった。

帰路に向かう参道の青もみじがまた素晴らしい。

これが秋になると境内の参道が鮮やかな紅葉で彩られると思うと

また秋に来たくなってしまった。