恵美須神社(ゑびす神社)は事代主神(ことしろぬしのかみ)、
少彦名神(すくなひこなのかみ)、大国主神(おおくにのかみ)を祀っている。
社伝によれば建久2年(1191)、栄西禅師が栄(中国)よりの帰途、船が暴風雨に遭い、
遭難しそうになったが、海上に恵美須神が現れ、その加護により難を免れたといわれ、
建仁年(1202)建仁寺創建にあたり境内に恵美須神社を祀り、
建仁寺の鎮守社としたのが当社の起こりである。
応仁の乱後、建仁寺再建の際も同所に再建され、
今なお当地の産土神として人々の崇敬を受けている。
この財布塚・名刺塚は古くなった財布や名刺の供養のため築かれたものだ。
財布塚は松下幸之助氏、名刺塚は吉村孫三郎氏が寄贈したようだ。
境内を進むとさらにもう1つ鳥居がある。
この鳥居の上部にはゑびすさんの顔が付いた網のカゴが取り付けられている。
このカゴにお賽銭が入ると縁起が良いとされている。
何度かやってみたがこれがなかなかうまくいかない。
恵美須神社は西宮神社、今宮戎神社と並んで日本三大えびすと称されていて、
地元では「えべっさん」の名で親しまれている。
本殿にお参りする時は本殿脇にある木の枠内を優しくえびす様の肩をたたくお詣りをするとか。
えびす様は耳が遠いのでお詣りに来たことを知らせるためにやるらしい。
また、えびす信仰における笹(福笹)は京都ゑびす神社独自の御礼の形態で広まったものだとされ、
「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から
当神社は家運隆盛、商売繫盛、旅行安全の特徴とされ、ご利益があるといわれている。
境内には他に渡会春彦を祭神とした白太夫社、在原業平を祭神とした岩本社、
八幡神を祭神とした八幡神社、猿田彦大神を祭神とした猿田彦神社などもある。
これは当神社の立派な裏門。
なお、毎年1月10日を中心として前後5日間行われる「十日ゑびす」の大祭には
全国各地から商売繁盛、家運隆盛、交通安全を祈願するため多くの人が参詣する。