KANさんが亡くなりました。
私はそれをお昼休憩のときに知りまして。
「午後の仕事、手につくかな」
と思ったりもしましたが、意外と冷静に仕事ができまして。
「あ、平気なのかも」
と思ったのですが。
家に帰り、一息ついたとたんに涙が止まらなくて。
いやいや、自分でもびっくり。
私自身にまだこんなに涙があって、それもコントロールできないなんて。
まあ、それなりにこたえたみたいです。今回の訃報。
ご存知のとおり、KANさんは今年の3月に癌を公表されました。
入退院を繰り返しながら、可能な限りレギュラーのラジオ番組をこなされ。
X(旧Twitter)も週に一度は必ずポストされてました。
とはいえ、
「実際のところ治療の効果や病状はどうなんだろう」
と思っていました。
すると先月あたりから…
突然の渡仏であったり、冊子の執筆キャンセル。
渡仏なんてもっと元気になってからでいいし。
執筆もすでに公に発表されてるのになぜ今になって?
うん。
正直すごく嫌な感じがしてました。
心がザワザワする感じ。
でも私は甘かったな。
「嫌な感じ」は
「治療をもう一段階ハードなものにする」とか最悪「効果みられず一旦治療をやめる」
だと思っていたんです。
それが、
もうひとつ上をいってました
その分、現実に追いつかなかったわけです。
何年ぶりかに私の涙腺は切れたようで、その日は眠りにつくまで涙が止まりませんでした。
そのおかげで翌日はそれはそれはひどい顔(笑)
何もせず、ホント何もせずに過ごしました。
そしてそこそこ心が落ち着いたので、
KANさんがスタレビ根本要さんと馬場俊英さんとやっていたラジオを聴きました。
要さん、馬場さんが二人で告別式後に収録したということも知らされていたので、少し覚悟をもって。
お二人は楽しそうにKANさんの思い出話をしてくださいました。
「会いたい人に会ってください」とお医者さんから言われ、まずお二人が呼ばれたこと。
面会15分の予定が1時間経ってたこと。
最後に話した話はなんだかよくわからないジャマイカの話だったこと。
KANさんらしく葬儀はこうしてほしいといろいろリクエストがあったこと。
(遺影は漱石、還暦のときに撮った振袖写真が飾られ、お浄めの塩とポップコーンが渡されたそう)
などなど。
お二人の話を聞くと、
KANさん自身はこの1年は身体的にかなり辛かったっぽくて。
だけど、ファンには一切その姿を見せなかったんですよね。
そして、最後の行動。
想い出のフランスの地へ弾丸で行って、
向こうで会いたい人たちにあって、好きな景色をみて、空気を吸って。
そして好きなチョコレートを買って関りのあった方々に配り。
仕舞い支度を出来る限りされた1ヶ月だったんだろうなあ、と。
KANさんのことだから、延命治療は拒否されたのかもね。
aikoも11月3日に会えたらしいし、きっと桜井さんも会えてる。
KANさんらしい、美しくて優しい終わり方のような気がします。
さみしいけど。
またライブに行ってあのKANワールドを味わいたかったけど。
KANさんが残された人たちに望んでいるのはメソメソしないこと。
なので、私ももう涙は引っ込めて、KANさんの音楽をこれからも愛でていきます。
KANさん、お疲れさまでした。
素敵な音楽家でピアノマンでエンターテイナーでした。
ご冥福をお祈りいたします。
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