神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.220 日本改造法案

2024-07-03 23:48:56 | 追憶
【コレクション 11】
    
    B5判 36ページ(本体24ページ、残りは予告や広告)

 これは、劇団民芸が1972年3月から7月にかけて上演した「日本改造法案 北一輝の死」のパンフレットの表紙部分です。
 原作は松本清張、演出は村山知義、出演は、北一輝に瀧沢修、譚人鳳に大滝秀治、大川周明に水谷貞雄、西田主税に鈴木智、池田斉彬に清水将夫の名が見えます。
 パンフの中のおもなものを上げると、
1.松本清張 私の北一輝論
2.村山知義 一つの悲劇
3.解説 日本改造法案<北一輝の死>
4.滝沢修 ふたたび革命家を
5.役者紹介 声のよくひびく俳優 水谷貞雄
       たくましい膚ざわりの鈴木智
6.舞台写真
7.対談 北一輝をめぐって (出席:久野収・松本清張/司会 宇野重吉) 

 以上、当時の名だたる人による作・演出・出演です。
 この当時、私は20歳そこそこですから、どの人も相当な年配の人たちと見えました。それから半世紀余を経た現在、ここに出ている人たちはいずれも現在の私の年齢と同じか下になりますから、こんなに若かったのかと驚きを禁じ得ません。
 私がこれをいつ見たのか、詳しい記憶はありませんが、このころ私は野村證券渋谷支店で相場書きのアルバイトをしていましたから、アルバイト仲間か、仲良くなった同年代の従業員の皆さんと一緒に、同じく渋谷にあった東横劇場へ行ったものとみられます。東京では東横劇場で4月4日から26日の間に上演していたことが上のパンフレットでわかります。
 実際、その時に会場で拾ったものと思われる、B4判より少し大きめで4ページの「月刊 民藝の仲間」という広報紙があります。紹介しましょう。
 周囲の余白と株の一部が欠けていますが、画像をできるだけ大きくしておきますから、読めそうなところを読ん見てください。左に出ている清張の写真が実に若いです。



 なお、パンフレットの対談のところに北の3兄弟の写真がありましたから、これも紹介しておくことにします。
   
     左から、昤吉・一輝・昌作

(1)きょう、画期的な最高裁判決が出ました。屈することなく意見を主張する人の思いがまた歴史を切り開きました。
    
    路傍の碑 道を説く 群馬県藤岡市浄法寺で

(2)「日本改造法案」の上演の頃、ベトナム戦争がひどかった。しかし、ベトナム人民は屈しなかった。こんな痛快のことはなかった。
 理不尽なものがまかり通るほど悔しいものはありません。今の日本はどうか。
 まず、都知事選。ひどすぎます。
 これをやめさせる方法は、皆で投票に行き、一番であるべき人を一番にすることです。
 そうすれば、次からはなくなります。きっと。

(3)首相の交代劇、作者も演出者も出演者もみな従来の政治を続けようという人たちです。
 従来の政治とは「アベ政治」のことです。
「アベ政治を許さない」という金子兜太さんの言葉を忘れないようにしましょう。
 そして、自分の中に染み込んでいる「アベ的なシミ」を洗い出しましょう。
「そのシミがアベ政治を延命させる原因」だからです。
 では。
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No.219 東京遺産

2024-07-03 00:05:22 | 写真
【コレクション 10】

          A4判大
 これは、標題が『東京遺産 残されたところへ、こころへ、JR東日本』とあるのでわかるように、JR東日本管内の各エリアから「おトクなきっぷで、あの町あの頃へ。東京遺産へ。」とうたった案内パンフレットです。
 発行は、利用期間が平成11(1999)年3月28日とありますから、平成10(1998)年とみられます。
 なお、右下に「Part 1」と赤く印刷されていますから、このあとも発行されたのかもしれませんが、手元にありません。

 右上方向に丹沢山塊とその向こうに富士山が見えます。
 全体に高い建物がなく、国会周辺も現在のようすと違うことに気が付いた人もいることでしょう。これは、裏表紙に「永田町上空から撮影した、昭和30年の東京。(写真提供:朝日新聞社)」説明がありますが、約65年前の東京中心部を写したものです。
 実は、これは裏表紙まで使ったA3判大の1枚写真です。しかし、私のスキャナーではA3判を取り込めませんので、A4の範囲で取り直したのが次のものです。 
  いいですねぇ。こういう写真はなかなか見つからないものです。ぜひ堪能してください。

写真右方向が半蔵門のあたり。すぐ右上の森が四谷迎賓館の辺り、その向こうの森が新宿御苑、国会議事堂のやや左上の森が明治神宮、でしょうか。もちろん新宿高層ビルはありませんし、東京にもまだこのころにはずいぶん緑があったことがわかります。

     
 
 パンフレットは表紙とも12ページで、中身は4項からなっています。上の表表紙の左に4項目書かれていますが、これが内容目次です。
 まず、「no.1.銀座 流行を伝統に変える永遠のモダンシティ」は、次の3構成です。
1.「「銀座」を紐解く」の見出しで、銀座の明治・大正の歴史を紹介。
2.「流行する「銀座」」に見出しで、大正から昭和にかけて変貌を遂げた銀座に思いをはせる。ここでは、映画「君の名は」が挙げられています。
3.「「銀ブラ」、再び」の見出しで、「モボとモガの心意気で」と銀座へと誘う。
 以上の3構成に全体の半分の6ページを当てています。これからすると、どうもJR東日本の観点では、「東京遺産」の1推しは「銀座」のようです。

 つぎに、「no.2.上野公園 科学と芸術をはぐくむ且チャーパーク」では、「桜の名所から欧風公園へ」、「文化センターの先駆けとなった博覧会」、「芸術と文化の香り漂う森」の見出しで紹介しています。ここは2ページが充てられています。

そして、「no3. 神宮の森 英雄伝説が眠るスポーツの殿堂」では、「日本の野球文化を育んだ神宮球場」、「スポーツ時代の到来 東京オリンピック」の見出しで紹介して、「外苑の並木道歳時記」としてイチョウが植えられた経緯が説明されている。ここは1ページだけです。

 最後に、「no.4.お茶の水 日本近代を支えた学問の生地」では、「江戸時代に起源をもつ”日本のカルチェラタン”」の見出しで、湯島聖堂、湯島神社などをとりあげています。ここも1ページだけです。

 以上ですが、こういうパンフは、よく見ると貴重な写真が入っていることが多いものです。実際このパンフについても、上のヘタな説明よりも、写真を切り貼りして載せた方がよいくらいです。残念ながら、上の2枚で我慢してください。
 
 なお、2019年にも「君の名は」は「公開65周年」と銘打って上演されました。その時のチラシがありますから紹介しましょう。
    
     う~ん、いいですねえ!

 前にどこかで書きましたが、私は映画「ここに泉あり」で子役として岸恵子さんに負んぶしてもらえる「可能性」があったと母から聴きました。もう真偽のほどは不明ですが。
 岸恵子さん、最近も自伝を出されるなど、お元気ですね。

 つまらない説明に終始しましたが、きょうはここまでにします。では。

   
    クスノキとアジサイ:北桔〔はね〕橋門
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