神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.219 東京遺産

2024-07-03 00:05:22 | 写真
【コレクション 10】

          A4判大
 これは、標題が『東京遺産 残されたところへ、こころへ、JR東日本』とあるのでわかるように、JR東日本管内の各エリアから「おトクなきっぷで、あの町あの頃へ。東京遺産へ。」とうたった案内パンフレットです。
 発行は、利用期間が平成11(1999)年3月28日とありますから、平成10(1998)年とみられます。
 なお、右下に「Part 1」と赤く印刷されていますから、このあとも発行されたのかもしれませんが、手元にありません。

 右上方向に丹沢山塊とその向こうに富士山が見えます。
 全体に高い建物がなく、国会周辺も現在のようすと違うことに気が付いた人もいることでしょう。これは、裏表紙に「永田町上空から撮影した、昭和30年の東京。(写真提供:朝日新聞社)」説明がありますが、約65年前の東京中心部を写したものです。
 実は、これは裏表紙まで使ったA3判大の1枚写真です。しかし、私のスキャナーではA3判を取り込めませんので、A4の範囲で取り直したのが次のものです。 
  いいですねぇ。こういう写真はなかなか見つからないものです。ぜひ堪能してください。

写真右方向が半蔵門のあたり。すぐ右上の森が四谷迎賓館の辺り、その向こうの森が新宿御苑、国会議事堂のやや左上の森が明治神宮、でしょうか。もちろん新宿高層ビルはありませんし、東京にもまだこのころにはずいぶん緑があったことがわかります。

     
 
 パンフレットは表紙とも12ページで、中身は4項からなっています。上の表表紙の左に4項目書かれていますが、これが内容目次です。
 まず、「no.1.銀座 流行を伝統に変える永遠のモダンシティ」は、次の3構成です。
1.「「銀座」を紐解く」の見出しで、銀座の明治・大正の歴史を紹介。
2.「流行する「銀座」」に見出しで、大正から昭和にかけて変貌を遂げた銀座に思いをはせる。ここでは、映画「君の名は」が挙げられています。
3.「「銀ブラ」、再び」の見出しで、「モボとモガの心意気で」と銀座へと誘う。
 以上の3構成に全体の半分の6ページを当てています。これからすると、どうもJR東日本の観点では、「東京遺産」の1推しは「銀座」のようです。

 つぎに、「no.2.上野公園 科学と芸術をはぐくむ且チャーパーク」では、「桜の名所から欧風公園へ」、「文化センターの先駆けとなった博覧会」、「芸術と文化の香り漂う森」の見出しで紹介しています。ここは2ページが充てられています。

そして、「no3. 神宮の森 英雄伝説が眠るスポーツの殿堂」では、「日本の野球文化を育んだ神宮球場」、「スポーツ時代の到来 東京オリンピック」の見出しで紹介して、「外苑の並木道歳時記」としてイチョウが植えられた経緯が説明されている。ここは1ページだけです。

 最後に、「no.4.お茶の水 日本近代を支えた学問の生地」では、「江戸時代に起源をもつ”日本のカルチェラタン”」の見出しで、湯島聖堂、湯島神社などをとりあげています。ここも1ページだけです。

 以上ですが、こういうパンフは、よく見ると貴重な写真が入っていることが多いものです。実際このパンフについても、上のヘタな説明よりも、写真を切り貼りして載せた方がよいくらいです。残念ながら、上の2枚で我慢してください。
 
 なお、2019年にも「君の名は」は「公開65周年」と銘打って上演されました。その時のチラシがありますから紹介しましょう。
    
     う~ん、いいですねえ!

 前にどこかで書きましたが、私は映画「ここに泉あり」で子役として岸恵子さんに負んぶしてもらえる「可能性」があったと母から聴きました。もう真偽のほどは不明ですが。
 岸恵子さん、最近も自伝を出されるなど、お元気ですね。

 つまらない説明に終始しましたが、きょうはここまでにします。では。

   
    クスノキとアジサイ:北桔〔はね〕橋門

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