神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.217 枢密院会議議事録

2024-07-01 00:23:35 | 外出
【コレクション 8】

      A4判大 表紙とも16ページ

 刊行は、東京大学出版会によって昭和59(1984)年2月より毎月1巻ずつ配本とあります。各館8000円。平均440ページ。
 なお、このパンフは明治期の分の刊行を知らせたものです。この中に大正期・昭和期の分の刊行も予告されていますが、それについてのものは手元にはありません。

 さて、枢密院は、明治21(1888)年4月に創設された天皇の顧問機関です。
 議会開設前の時期に、まずここで、旧憲法・皇室典範・議院法・衆議院議員選挙法・貴族院令などの旧憲法体制の基本法令が決定され、その後は、昭和22年の新憲法施行に至るまで、旧憲法体制に関与しました。
 枢密院は天皇にのみ責任を負う機関として30名弱で構成され、議会と違って施政機関ではありませんが、審査案件は下記の諸事項に及びました。
         上記パンフレットより

 憲法や重要法律、戒厳令や重要勅令、国際条約・協定にまで及びました。そして、その権能は議会をはるかに凌ぎ、議会の「諮詢案に対する枢密院の不承認は、事実上天皇の内閣不信任の意思表示」とみられました。
 枢密院の会議内容は非公開でしたが、昭和49(1974年)以後は公開されるようになり、それを公刊したも時のパンフレットが上記のものです。
 内容は次のようになっています。
1.上記の表紙
2.東大出版会 刊行の辞
3.国立公文書館長 菅野弘夫 明治期元老の真剣な国政運営の軌跡!
4.国立国会図書館客員調査員 大久保利謙 明治憲法政治の解明に不可欠の資料
5.枢密院会議案件名
6.内容見本
7.枢密顧問官一覧(明治篇関係)
ほかに、カラー版の内容見本1枚(2ページ分)を追加挿入。
 以上合計16ページです。
 なお、枢密院で神足勝記や御料局の関係事項が審議された例として、明治44年に「世伝御料中解除の件」があります。

(1)きょうは、久しぶりに八高線に乗って群馬へ行って来ました。
 途中、ずっと進行方向左を見ていましたが、思いのほか合歓〔ねむ〕の木がありました。
 ここのところ多摩川の合歓を見て目が慣れていたからでしょう。数えてたら10本気が付きました。
 天気が曇りでしたし、車中から撮ってもうまく撮れませんから、数えるだけにしました。代わりに、多摩川のもので代用します。まあ、こんな感じです。
   
 
(2)八高線に丹荘駅があります。
 丹荘駅の南にある中新里青柳が祖母の生地です。祖母はそこで育って、対岸の群馬県藤岡市大塚に嫁ぎました。
 その丹荘駅を出ると、しばらくして神流川〔かんながわ〕に架かる長い鉄橋を渡りだします。わたってから、西に向かっていた車両が大きく北に方向を転換しだしますが、その時、正面にこんもりとした林が現われます。そこが土師〔どし〕神社です。そして、そこからちょっと右方向へ注意して見ていくと古い神社風の建物が見えます。それが史蹟の埴輪を焼いた窯跡です。
 もう一つ、車両が曲がり始めるころに正面の上を見ると、頂上が平の山が見えます。それが「タケの山」といって、私の「思い出の山」です。小学校5・6年の頃に2度上りました。
 車両が北に向かうと、左右に住宅や古墳が現われる中を走って、やがて街並みが見えだします。

(3)駅を出て歩いていると、きれいなサボテンの花が迎えてくれました。
    

(4)普段あまり出ないのが、列車にゆられ、人に会って、またゆられて帰ってきたので、くたびれてしまいました。でも、帰るとチョウが待ってました。
    

(5)それから、アジサイも。
   

 すぐに眠りましたが、まだ十分スッキリといきません。
 きょうはここまでです。では。
コメント
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