(1)上の写真は、御嶽神社門前の店を降ったところから見た日ノ出山〔正面〕と麻生山〔右むこう〕です。
山の形は見る位置によって違って見えることが普通ですが、この日ノ出山はずいぶん丸い。しかし、頂上の東屋は見えませんが、3本の木が見えます。それから、麻生山は頂上がふたコブになっているのが目印ですが、それがここからよくわかります。
(2)ところで、この写真で私が注目したのは、日ノ出山の北尾根です。
日ノ出山は4方向から登ることができ、どこから登っても最後は急登です。このうちの3方向はハイキングコースとして整備されているのにたいして、北尾根は、通行できるとはいうものの、いわば作業道と登山者が踏み固めた道という程度のものです。その道がある尾根が頂上から一気に切れ落ちていくようすが写真でわかります。
(3)先日の、御岳山ケーブル下のバス停から見えた「北尾根の登り始め付近」の写真をもう一度載せます。
ここは、中野というバス停で降りてから少し歩くと、沢沿いに古いセメント製の階段があって、それを上がるとあとは踏み跡だけの本当の山道です。ぐんぐんと上がると、一気に高度を稼げて景色が開けます。快適なコースです。ここをかれこれ1時間この調子で登っていきます。
(4)しばらくして樹林帯に入ります。すると、ギンリョウソウやキノコ類も見られ、射し込む光を楽しめるやや平坦な道になり、少し落ち着きます。そして、それが過ぎると、冒頭の写真の左下の登りになり、一旦は降りますが、それからは景色を見るどころではない急登になります。ひたすら足の置き場の確保に注意し、転げ落ちないように木の幹や枝を掴んで上がります。
(5)そうしてしばらくすると、上の方が開け、やがて人の声が聞こえてきます。しかし、すぐには上がれません。息を整えてもう一歩です。
上がりきると、先に頂上に着いている登山者たちが、柵があって立ち入りができないはずの草藪の方から、疲労した顔の人が現れますから、びっくりした顔つきをされます。
(6)このコースは、もともと入ることを避けてほしい道、ということのようです。これは、「入山禁止」の看板が建てられるようになった事情を知りたいと思い、年末に下の方の所有者の小沢酒造に問い合わせたところ、そのような説明でした。しかし、入山禁止にしたのは小沢酒造ではありませんでした。
実は、このコースは下の方と上の方で所有者が違うのだそうです。
そして、上の方の所有者が、何かの出来事を契機に入山を迷惑として「入山禁止」の看板を出すようになったので、入り口の方の所有者の小沢酒造も、上が禁止するものを下で許可するわけにはいかないので、入山禁止のロープを張ったたということでした。
(7)どうつながるかわかりませんが、ちょっと前に出版された山岳救助関係のある本を見ていたところ、この尾根を、登りでなく下りに使って遭難し、救助要請をしたグループがあったそうです。
山は、急登を行き、平坦な道で降りを楽しむのが足の負担を考えた時のお勧めです。カミナリなどの緊急時でもなければ、急坂の下りは避けたいところです。しかし、ハイカーにとっては逆で、登りをゆっくり楽しんで、帰りの時間が短くできるのが魅力のようです。そのため、観光案内などで、平坦な道を登って急坂を帰るコースを紹介している例を見ます。
オット、その遭難者ですが、救助隊が助けて下山させてから病院に搬送しようとしたところ、御嶽駅まで送ってもらえれば、あとは自分で帰れると言ったそうです。
「そんなことで救助隊を呼ぶな~」とは私の弁。
これが原因かどうかはわかりませんが・・・。ともかく、今は「入山禁止」です。
今日もあらぬ方へ行きました。
【コレクション 150 遠山茂樹著作集】
遠山先生の著作は、高校時代から、友人の刺激もあって読んできました。懐かしすぎて、遠すぎて、もう見えません。白内障の手術も無事終わって、かかりつけの眼科医のOKが出たメガネをかけているのに・・・。それでも見ようとすると、じわじわと涙が出てきます。
このパンフは、優に30年以上前の、1991年10月7日に入手したものです。
大きさは、B5判6㌻です。B5判大3枚分の横長の用紙を最初に左から3分の1を折り込み、ついで右から3分の1を折り込むとできます。
全体は、1㌻と5㌻を下に載せました。
2~4㌻ 内容紹介 遠山茂樹略年譜
推薦文 家永三郎 豊かな研究成果
太田 堯 頑固でかつ柔軟
宮地正人 徹底した民衆的視座
6㌻ 装丁見本
刊行案内 1991年11月刊行 体裁:A5判 平均400㌻ 岩波書店
1㌻
5㌻
以上です。
ちょっと遅くなりすぎました。
今日はここで。
ロウバイ
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