今年もずいぶん山の遭難事故のニュースを聴きました。いくらか山に登ることがあるものとしては、いつも他人ごとではないです。
もうかれこれ30年近く前、神戸の震災の前年に南アルプスを縦走しました。と言っても、私はいわゆる山男ではありません。100名山登破ということもありません。私が山に登るのは、基本的にはその付近が御料地だったからです。御料地は山ばかりではありませんが、御料地の位置を確かめようとすると、山に登る必要もあるわけです。もちろん、旅費と時間の都合で登ってない山もたくさんあります。そういうところは、意識してテレビや写真で間に合わせています。このごろは体力の衰えもありますが、サボっているわけではありません。
南アルプスは、静岡県から長野県にかけての南北に細長い広大な山地です。じつはこの一帯の尾根界の西側(伊那側)に千頭〔せんず〕御料地がありました。『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』(日本林業調査会(J-FIC))の口絵の御料地地図で確認してみてください。北は、諏訪湖の南にある入笠山(にゅうかさやま)の北あたりから、甲斐駒ヶ岳ー千丈岳ー三峰岳-塩見岳―荒川岳―赤石岳ー聖岳ー上河内岳ー光岳(てかりだけ)、そして南の水窪の方まで続きます。
肩の小屋 北岳から間ノ岳方面 北岳から見た富士山
この時は、甲府駅南からバスで広河原まで入り、肩の小屋―北岳-三峰岳とたどって御料地の尾根界に至り、南の光岳まで行きました。
その時に写真をたくさん撮りましたが、まだネガの時代でしたから、現像してみないとうまく撮れたかわからないうえ、撮れていたものでも変色してしまったりで、お見せできるようなものは少ないです。比較的良いものを挙げました。
三峰岳 お花畑方面より上河内岳 上河内岳下より茶臼岳・光岳方面
問題の御料地は上河内岳に向かって右方向、茶臼岳・光岳に方向に向かって右方向です。御料局の測量は、こういうところを倦まずたゆまず測量したわけです。私がここを歩いたころは、『御料地測量簿』のことをまだ知りませんでしたし、情報公開法制定前でしたから公文書も見られず、だれが・いつ測量したのかを知りませんでしたが、『御料局測量課長 神足勝記日記』には、その後収集した資料を入れられるだけ入れて整理しておきましたから、かなりは知ることができると思います。
私が泊った小屋は、北岳山荘・塩見小屋・高山裏小屋・百間洞山の家・聖平小屋・光小屋でした。6泊です。私は出るときは単独ですが、たいがい上で知り合いができて同行します。そして、面白いもので、かならず似たような考えの人がいます。
最後の光小屋でのことです。高山裏小屋から一緒した宝塚から来たNさんが、「明日はどっちへ降りる?」と聞いてきました。私は「「え!」と一瞬とまどい、「寸又川の方へ降ります」というと、「よかった。一人でも行くつもりだったけど。よかった」と。それを聞いていた小屋の主人が「林道だから、暑くて大変だけど、頑張ってください。」と励ましてくれました。たいがいの人は来た道を少し戻って、下山してからの足の便が良いコースを選ぶのです。
翌日4時、小屋の主人が手短に道案内をしてくれました。「運が良ければ営林署の車が通るから、頼めば乗せてくれるかもしれないですよ」との別れ言葉を聞きながら出発。約3時間で下り、長いつり橋を渡り、7時に寸又川林道に出ました。林道わきの距離標には、林道終点まで(つまり寸又峡温泉まで)39.9kmとあった。こんな山中でずいぶん厳密な数字だなと思いつつ、相談して60分(約4km)歩いて5分休憩、水場があったら10分休憩と決めてスタートしました。この林道は、かつての御料局の森林鉄道の跡地で、周囲一帯ももっと奥も千頭御料地の中心地帯だったところです。真夏の炎天下に、結局ここを歩行10時間、休憩1時間、都合11時間で走破し、18時半頃に寸又峡温泉に到着しました。休日で営林署の車は通りませんでした。
林道を外れ、吊り橋を渡り、死ぬ思いで旅宿に着きました。自分の体を自分で制御できないくらいフラフラでしたが、人間の体は大したものです。風呂に入ってビールをジョッキ一杯飲んだらすぐに回復しました。
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