NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

募金と寄付、専業主婦とボランティア。

2016-12-07 | コラム
ぼくが
究極に具現したいのは
募金活動による公共である。


労働価値説の脱却
資本主義的な生産関係の終焉であり
新旧中間階級の復活である。

贈与経済の復活であり
貨幣交換経済の縮小である。

理想は
専業主婦という働き方であり
フリーランス
ボランティアという働き方である。

家事労働に賃金をという主張は
近代資本主義を容認した説であって
近代を超克せねば
さまざまな近代の差別と抑圧を解消できないとする
ぼくの説と相容れない。

労働時間が
労働の価値の源泉であるなら
専門家やプロの生み出す価値も
労働時間で測られることになり
極めて不合理である。


家事や育児
介護やサービス業
学問、芸術、文化活動は
工業プロレタリアの論理には
当てはまらない。

それらは
階級の刻印を帯びていない
浮遊する知識人の営みであり
漂泊の民の生業である。


何れにせよ
ボランティアの本旨とは
労働時間の桎梏からの解放を預言する
自由業であり
善の巡還を実現する
専業主婦のライフスタイルのことである。


おわり



高橋研究員(経済人類学)

一つ目小僧は聖なる方のメタファーである。

2016-12-07 | コラム
ぼくは
先般
目に怪我をし
厳密には
元通りにはなっておりません。


そのことは
人生に深い影を落とし
人生の不条理についての
深い考察を促しました。


天道是か非か。

人生の不条理と不公平。


そして
文化人類学の知見に逢着しました。


柳田民俗学であります。


生来の一つ目
怪我や事故による一つ目の人は

神と人を仲介する神人
まれびと
巫女
預言者のタレントを有するのだ。


一つ目小僧は
聖なる人物のメタファーであり

本来
尊崇の対象となるものである。


じばにゃんは
その不条理な死を以て
天神さまの如く神とされるべきであって
妖怪ではない。

さまざまな
ハンディを背負って生きる方は
聖なる人物であり
障害者というものは存在しない。


寧ろ
ハンディを有する人々は
神仏そのものであり
身近なその方こそが
おんばさまであり
布袋さまではないか。

その真実は
人間の浅知恵では分からない。


しかし
五百羅漢を彫刻した尼僧の心根は
当にそのような境地であったと思うのである。



高橋研究員(文化人類学と民俗学)