OLD JEWISH POLESYE
石川啄木氏の
一握の砂及び悲しき玩具より
我に似し友の二人よ
一人は死に
一人は牢を出でて今病む
うぬ惚るる友に
相槌うちていぬ
施与をするごとき心に
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
ひでり雨さらさら落ちて
前栽の
萩のすこしく乱れたるかな
誰か我を
思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ。
何の心ぞ。
『石川はふびんな奴だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。
ボロオヂンという露西亜名が、
何故ともなく、
幾度も思ひ出さるる日なり。
五歳になる子に、何故ともなく
ソニアといふ露西亜名をつけて、
呼びてはよろこぶ。
うす紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を照せり
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
その膝に枕しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり
高橋撰
一握の砂及び悲しき玩具より
我に似し友の二人よ
一人は死に
一人は牢を出でて今病む
うぬ惚るる友に
相槌うちていぬ
施与をするごとき心に
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
ひでり雨さらさら落ちて
前栽の
萩のすこしく乱れたるかな
誰か我を
思ふ存分叱りつくる人あれと思ふ。
何の心ぞ。
『石川はふびんな奴だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。
ボロオヂンという露西亜名が、
何故ともなく、
幾度も思ひ出さるる日なり。
五歳になる子に、何故ともなく
ソニアといふ露西亜名をつけて、
呼びてはよろこぶ。
うす紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を照せり
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
その膝に枕しつつも
我がこころ
思ひしはみな我のことなり
高橋撰
江戸時代は
午前中働いて
昼からは
風呂に行ったりして
遊んでいた。
ぼくも
それを基準にして
2刻(4時間)内に
ボランティアや仕事を納めるようにしています。
一時は
トイレ清掃ボランティアを
朝日町まで
毎朝行っていたこともあります(1年間、月1回~週1回休み)。
それは
それで難行苦行であり
自らを鍛えることは
出来ました。
しかし
それよりも
斎藤一人社長の説話や
賢人メンターの格言
先達や親の指摘などを
自分なりに咀嚼して
考え方や行動パターンを
修正していく方が
よっぽど有益です。
つまり
朝から晩まで
働いて
自らの根性や凄さを
確認する作業は
無駄です。
テレビに出演する方々も
毎日朝早い番組に出るのを
止め
週3日ぐらいに交替で出るとかの
ワークシェアリングしないと
結局長持ちしません。
朝ズバのみのさんや
宮根さん
坂上さん
加藤さんは
働き過ぎであり
テレビ局の方のメンタリティーは
玉砕主義
自己破滅型であります。
その遠因は
60年代の学生運動に挫折した
団塊世代の哀しい思いにあります。
現代を主導する団塊世代は
未だに
60年代安保の
センチメンタルジャーニーの
途中におられます。
おわり
高橋記
午前中働いて
昼からは
風呂に行ったりして
遊んでいた。
ぼくも
それを基準にして
2刻(4時間)内に
ボランティアや仕事を納めるようにしています。
一時は
トイレ清掃ボランティアを
朝日町まで
毎朝行っていたこともあります(1年間、月1回~週1回休み)。
それは
それで難行苦行であり
自らを鍛えることは
出来ました。
しかし
それよりも
斎藤一人社長の説話や
賢人メンターの格言
先達や親の指摘などを
自分なりに咀嚼して
考え方や行動パターンを
修正していく方が
よっぽど有益です。
つまり
朝から晩まで
働いて
自らの根性や凄さを
確認する作業は
無駄です。
テレビに出演する方々も
毎日朝早い番組に出るのを
止め
週3日ぐらいに交替で出るとかの
ワークシェアリングしないと
結局長持ちしません。
朝ズバのみのさんや
宮根さん
坂上さん
加藤さんは
働き過ぎであり
テレビ局の方のメンタリティーは
玉砕主義
自己破滅型であります。
その遠因は
60年代の学生運動に挫折した
団塊世代の哀しい思いにあります。
現代を主導する団塊世代は
未だに
60年代安保の
センチメンタルジャーニーの
途中におられます。
おわり
高橋記