日時:8月20日
内容:地域ケア推進事業(通院送迎。買い物:海の駅蜃気楼)。清掃(経田駅前トイレ)。訪問(経田公民館)。
感想:
社会福祉学における対象者は
いわゆる労働者階級(工業プロレタリア)ではなく
経済秩序外存在(ルンペンプロレタリア)です。
児童、障害児者、高齢者、失業者(貧困層)
更生保護(司法福祉)といった対象者が
社会福祉論にて考究されてきました。
マルクス主義政策論(孝橋正一氏)や
マルクス主義運動論(真田是氏)によれば
社会福祉政策は
資本主義体制を維持存続させるための
合目的的な飴であり、
共産主義社会を実現する政策
ないし
プロレタリアの前衛(エリート)たる共産党員の政治運動が
真の社会福祉を実現する道である
との結論に至ります。
一方
三浦文夫氏の
社会福祉経営論は
社会福祉に営利企業の論理(自由主義)を導入し
資本主義的な今日の福祉を導きました。
私個人は
上記の主要な社会福祉論とは
相容れません。
近代資本主義も
共産主義も
人間をだめにする
近代唯物論に過ぎず
いずれも
社会福祉対象者が
資本主義的な経済システムのなかで
穀潰し
としか捕捉できません。
私は
来世における魂の救済によって
公平な社会福祉が実現する
という浄土信仰がありますので
この世は穀潰しでも
乞食の業でも良いと思います。
富の共有という意味では
村落共同体の復活を企図しておりますが
それは
マルクスやレーニンやトロツキーの
世俗的、政治的なコミュニズムではなく
彼らが侮蔑していたキリスト教や
縄文的原始コミュニズムを
究極のビジョンとして
描いております。
そして
近代の宗教社会学において
肉体的な犠牲と死の意味は
生け贄、人身御供として
普遍化され(キリストの贖罪を相対化、矮小化)
国家間の総力戦(一般人を生け贄とする観念)や
ジェノサイドを容認する
密教となってきました。
その意味でも
この世における全能感や
神のように人を裁き
不条理な死をもたらす戦争や
差別や虐待の類いは
近代という偶像が
招いた分断であり
不幸であります。
改めて
学術的な論考を
著したいと
思います🥺
おわり
高橋記
内容:地域ケア推進事業(通院送迎。買い物:海の駅蜃気楼)。清掃(経田駅前トイレ)。訪問(経田公民館)。
感想:
社会福祉学における対象者は
いわゆる労働者階級(工業プロレタリア)ではなく
経済秩序外存在(ルンペンプロレタリア)です。
児童、障害児者、高齢者、失業者(貧困層)
更生保護(司法福祉)といった対象者が
社会福祉論にて考究されてきました。
マルクス主義政策論(孝橋正一氏)や
マルクス主義運動論(真田是氏)によれば
社会福祉政策は
資本主義体制を維持存続させるための
合目的的な飴であり、
共産主義社会を実現する政策
ないし
プロレタリアの前衛(エリート)たる共産党員の政治運動が
真の社会福祉を実現する道である
との結論に至ります。
一方
三浦文夫氏の
社会福祉経営論は
社会福祉に営利企業の論理(自由主義)を導入し
資本主義的な今日の福祉を導きました。
私個人は
上記の主要な社会福祉論とは
相容れません。
近代資本主義も
共産主義も
人間をだめにする
近代唯物論に過ぎず
いずれも
社会福祉対象者が
資本主義的な経済システムのなかで
穀潰し
としか捕捉できません。
私は
来世における魂の救済によって
公平な社会福祉が実現する
という浄土信仰がありますので
この世は穀潰しでも
乞食の業でも良いと思います。
富の共有という意味では
村落共同体の復活を企図しておりますが
それは
マルクスやレーニンやトロツキーの
世俗的、政治的なコミュニズムではなく
彼らが侮蔑していたキリスト教や
縄文的原始コミュニズムを
究極のビジョンとして
描いております。
そして
近代の宗教社会学において
肉体的な犠牲と死の意味は
生け贄、人身御供として
普遍化され(キリストの贖罪を相対化、矮小化)
国家間の総力戦(一般人を生け贄とする観念)や
ジェノサイドを容認する
密教となってきました。
その意味でも
この世における全能感や
神のように人を裁き
不条理な死をもたらす戦争や
差別や虐待の類いは
近代という偶像が
招いた分断であり
不幸であります。
改めて
学術的な論考を
著したいと
思います🥺
おわり
高橋記