日時:9月24日
内容:可燃ごみの搬入(エコぽ〜と様)。道具の返却(とやまの森づくりサポートセンター吉峰支所様)。
感想:
シオニズムやマルクス主義
社会的キリスト教(解放の神学や福音派等)といった世俗的救済論は
救いを焦ったユダヤ人や人類の
失敗論です。
ダビデ王の如きメシアの到来
カナンの地への帰還と神の国の顕現
善人の救済と悪人の破滅といったイメージを
人間がこの世で為そうと焦った結果が
イスラエル建国であり
ソ連やコミンテルンであり
広島と長崎の原爆であります。
浦上燔祭説は
実のところ
後づけの謬説であって
この世で火あぶりになる神学的倫理的な意義は
ないです。
何となれば
浦上の信徒の皆さんが
日々
自らの大罪と小罪を感じ
告解に行こうと思っていたが
行けなかったとしても
本来は
告解に行き
祈りと償いをし
煉󠄁獄での火の浄めをすれば良かったからです。
なので
原爆投下には
なんら道徳的な必然性はなかったので
犠牲の子羊として捧げられた燔祭という説は
間違いであり
アメリカの失策であり罪業です。
しかし
救済と審判を自ら為そうとする一部のパワーエリートが
現代にも残存しているので
困ったものです。
人類が為すことができるのは
日々の生活のおける改心と聖化であって
国家や政治、社会的な何事かは
むしろ二の次であります。
終
高橋記(罪業深重)