昨日、会員の厚情により(大袈裟に)、恒例の稲わらをもらい受けることができた。昨今
の稲刈りはコンバイン(言語の意味は組み合わせる)、その機能が稲を刈り脱穀し更に
稲をカットして田圃に還元するもの、稲を束にして収穫する、つまり色々な作業を組み
合わせた機械ということの和製英語では。
稲を畑で使うことを必要としない人にとっては無用の長物。本来の日本型農業に藁は
欠かせないものであった。それが良いか悪いか知らぬが重用される範囲は著しく狭ま
ってしまった。ブログ管理人の戯言ではあるが『藁の有難さも分からずして』と嘆くこと
一しきり。他人様に有難さを思えなどという気はないが、私にとっては欠かせないもの
である。それとまた、酪農家にとっても必需品。保温効果、保湿効果、有機物として
畑の土壌づくりには欠かせないもの。いくら科学が進んでも藁に勝るものを作ることは
できないのではないかと思う。
カンボジアに行った際、見かけた農村の屋根にかけてあった稲わらはみすぼらしく申
し訳ない程度のものだった。稲を鎮長したいけれども屋根にまで手が届かない暮らし
ぶりを垣間見た。現地ではそれほど大切なものであろう。色々な想いが重なり藁に対
する思いもあり、もらい受けた藁は向こう一年の畑の友として活用させてもらう。
自然と人の心に感謝に尽きる。
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