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 本は私の人生の友・・・

雑感

2007年12月10日 | Weblog
先週、飼い猫を診察に連れて行った帰り道、きれいな夕焼けの中の富士山を見て、あわてて家にデジカメを取りに・・・時すでに遅く、私のデジカメでは暗~い空しか写りませんでした。
せっかくなので、ライトアップされた紅葉を撮りに・・・毎回、紅葉の写真ばかりで、スミマセン。


先月の新聞記事より・・・

小林一茶には歳月を織り込んだ句が少なくない。
「春立つや四十三年人の飯」
宗匠として立つ夢は遠く、地方行脚に明け暮れる身の上を詠んだものだろう。
あるいは、 「月花や四十九年のむだ歩き」
一茶俳句を「赤裸々な告白文学を読む心地がする」と評したのは作家の藤沢周平さんだが、吐息の聞こえてきそうな泣き言やぐちもまた、その魅力に違いない。
一茶は信州の農家に生まれ、幼くして母親を亡くした。
継母との不和から江戸に奉公に出され、父親の死後、相続を巡る継母との確執が十数年つづく。
50歳を過ぎて帰郷し、妻帯したが、もうけた4人の子供には皆、先立たれた。
「六十年踊る夜もなく過しけり」
65歳で処世の苦しみ多き生涯を閉じた。
弱音を吐かず、苦難を乗り越えて満願成就を果たす生き方もときに励みにはなるけれど、触れたときに心が暖められ、慰められるのは、人の弱さをさらけ出したぐちや泣き言のほうかも知れない。
加藤楸邨に 「カフカ去れ一茶は来(きた)れおでん酒」 の句があった。
一献傾ける相手には、額にしわを刻んで人間社会の不条理を描いた作家よりも、腹の底をあけすけに語った俳人がありがたい。
吐息の句をひとつ、ふたつ、盃に浮かべる夜もいいだろう。
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