砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

キリンジ「For Beautiful Human Life」

2017-05-22 15:54:35 | 日本の音楽




本当にあった怖い話

今朝、ずいぶん朝早く目が覚めたんです。部屋の中がうっすら寒くて。
そのとき「日曜なのに早く起きちゃったな、もったいないことをしたな」と思ったんです。
でもなんだか、漠然とした違和感みたいなものが自分のなかに生じてきて。
なんだろうな、気持ち悪いなと思ってふとんの中でもぞもぞしていました。
そしてふと携帯の画面を見ると、あることに気づいてしまったんです。
・・・なんと今日は月曜日だったんです・・・!!


みなさまこんにちは。平日がやってきました、今週も砂漠の音楽をもりもり更新していきましょう。
平日から音楽についてじっくり考えられるなんて、ほんとにまったく最高だなー!!!


さて今日ご紹介するのはキリンジの5枚目『For Beautiful Human Life』だ。本作は2003年にリリースされた、彼らが東芝EMIに移籍して初のアルバムである。プロデューサーはMISIAのプロデューサーとしても知られる冨田恵一氏。だがキリンジが彼と手を組んでいたのは、1st『ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック』(以下PDMと表記)からこのアルバムの5枚までだ。その後かなり経ってから『SUPER VIEW』で「早春」という曲をプロデュースしているが、アルバム全体をプロデュースすることはもうなくなった。つまりこの作品で袂を分かったわけである。

キリンジはアルバムのタイトルに頓着していないようで、その実かなり凝っているバンドだ。2枚目の『47'45』はフルマラソンの42.195kmにかかっているのか(ジャケ写で兄が走っている)あるいはアルバム全曲の長さなのかわからないが、47から45を引くと「2」になる仕様だ。『3』『7 -seven- 』みたいにシンプルに数だけのタイトルもあるけれど、4枚目『Fine』は4文字、8枚目『BUOYENCY』は8文字、9枚目の『SUPER VIEW』は9文字と文字数に仕掛けがあることもある。そんななか不思議なのは、この『For Beautiful Human Life』というアルバムのタイトルだ。5枚目だということを感じさせる気配がないのである。
なぜ?今までのこだわりはいったいどこへ?と思わなくもない、というか思わずにはいられない。単語の数は4つだし、強いて言うならHumanが5文字だが、さすがにそれはこじつけのような気がする(それとは別に1枚目の『PDM』もタイトルの意図はよくわからないが、それはまた後日取り上げることにしよう)。

上に書いたように本作が冨田恵一氏との最後の共同作業になったわけだが、このアルバムは『PDM』を世に生み出して以後、キリンジが目指してきたもののひとつの完成形なのだと思う。だからこそ、最後の最後に今までとは趣向を変えたタイトルを付けたのかもしれないし、それとはまったく関係なくレコード会社から「お前ら最近人気なんだから、3とかFineとかじゃなくてもっと売れそうなタイトルにしろ」という指令がでていた可能性もゼロではない。そのあたりのことはよくわからない。
たしかこのFor Beautiful Human Lifeというフレーズは、長らく化粧品会社カネボウのキャッチコピーであった。おそらく「美しい人生のために」と言いたいのだろう。しかし英文的には全くの誤りで、Lifeだけで「人生」と意味が通るはずのところを、わざわざHuman Lifeと表記すると「人命」と医療的なニュアンスが強くなるらしい。つまり「美しい人命のために」と救命救急のような話になってしまうのである。と考えると余計な「Human」が5文字だから5枚目ということだろうか?なんだかいよいよ妄想めいてきたな。

それはさておき。おそらくこのタイトルはわざと、というかブラックジョークのようなものだろう。計算高いキリンジの兄(高樹氏)が安直なミスをするはずないし、このアルバムは皮肉で満ちている。だって冒頭の曲「奴のシャツ」から働かずにぶらぶらしているいい大人の話だし、M8「ハピネス」は優雅なマダムを揶揄する曲だ。素直に「美しい人生をららら~」と歌っているわけでないのは明白である。「あなたたちの言う美しい人生って、間違っているんじゃないですか」と、黒縁眼鏡の奥で静かに笑みを浮かべる兄の姿が目に浮かぶようだ、いやさすがにそれは考えすぎか。
今までにもそういう皮肉たっぷりの曲はあった。2枚目の「Drive me crazy」はマリンバの音がかわいらしいけれど車で人を轢いちゃう話だし(個人的にこの曲は大好きだ)、「ダンボールの宮殿」もサックスのメロディが洒落たスティーリー・ダンのような曲だが、歌詞の内容はタイトルから推して知るべしといったものだ(支店長はここから飛び降りているし)。

だけど本作は、もっと暗く、ずっしりと重いのである。『Fine』の頃までに見られていたようないたずらっぽさや軽妙さは薄れ、気だるさのようなものが漂っている。アップテンポの曲も少ない。だからこそ「僕の心のありったけ」や「スウィートソウル」といった明るい曲、スロウバラード曲が映えるのだろう。ちなみに「スウィートソウル」は夏の夜の散歩中に聴きたい曲第1位である(私調べ)。
もちろんただ暗いだけではない、美しいのである。後ろで鳴っているギターやピアノのフレーズ、ドラムのリズム一つをとってみても、非常に考えられて洗練されていることがわかる。そこにコーラスが重なって、絶妙なバランスでこの雰囲気が生まれているのだと思う(そのせいでライブはなんていうかその、えーと、うん。まあ色々難しいよね、そもそも自分たちで自分たちの首を絞めすぎだろっていうね!)

歌詞も聞き流していると意味がわからない部分は多いが、じっくり読んでみると美しい。
特に好きなのはM3「僕の心のありったけ」

―見苦しいほどに 嫉妬してみたり
 大切な人に 裏切られてみたり
 時の流れのほとりで手を振る人に 巡り合いたい


どうしたらこんなフレーズを思いつくんだろうな。この曲は間奏のドラムのロール、アクセントの位置が耳に心地よい。歌詞の意味はいまひとつよくわからないけれど。「僕の心のありったけを 君の中の宇宙に放ちたいのさ」と歌っているからてっきりエッチな意味なのかと思ったが、彼らのインタビューを読む限りどうもそうではないらしい。ことによると身体的ではなく、心的な交わりのことを意識しているのかもしれない。それがどんなものか、すぐにはぴんとこないのだけれども。
ただ全体的に暗い雰囲気があるゆえに、今までのキリンジにできたような「流し聴き」が本作では困難である。休日の朝にかけたりしたらそれこそ大変なことになる。だって陰鬱なんだもの。でもじっくり聴くと本当にいいアルバムだ、元気があるときじゃないとなかなか通して聴けないけれど。


それにしてもキリンジは曲のクオリティのわりにあまり売れていないのだけれど(失礼)、でも何か作品を出すたびに「僕ら頑張って今回こんな作品をこしらえたんですけど、どうですか?いいでしょう?」と問われているような気がする。アルバムごとの作風がずいぶん違うのもあるし、歌詞の内容(特に高樹氏)は目の付け所がおかしいのもあるだろう、過払い金返還の歌とか作っているし。
彼らの音楽を聴くと、出かけるたびに新種の昆虫を発見して持ってくる子どもを見ている気持ちになるのは私だけだろうか、私だけかもしれないな。


もう堀込兄弟が二人で作り出す新しい音楽は聴けないが、解散はあまり寂しくなかった。だって後期にいくほど、二人の方向性がはっきり違ってきているのがわかっていたから。彼らもまた袂を分かったのだ。

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